避妊や中絶に関する本 1960年代〜1970年代

 

   
   
   
   
日本家族計画協会『家族計画便覧 昭和42年度版』日本家族計画協会 ?年発行 会長の国井長次郎監修
日本母性保護医協会 編『家族計画の指導指針』(南山堂) 1969年1月15日第1版発行 1969年1月15日 第1版発行
1971年1月10日 第3版発行
1972年4月10日 第4版発行
1973年7月 1日 2刷発行
太田典礼『日本産児調節史 明治・大正・昭和初期まで』(日本家族計画協会) 1969年発行 国会図書館で製本中なので館外貸出しは来年以降になるとか。
日本家族計画協会 編『家族計画便覧 昭和45年度版』(日本家族計画協会) 昭和45年年11月10日発行 会長の国井長次郎が監修。保守派から中絶を禁止しようという動きがでてきたので、彼は保守派に気を使いながらも、中絶の必要性を説いていた。
『現代産科婦人科学大系』全20巻の、
≪監修≫は小林隆、赤須文男、足高善雄、水野重光、深澤千秋、松田正二、九嶋勝司、野嶽幸雄、石塚直隆、西村敏雄、滝一郎?≪編集≫は鈴木雅洲、坂元正一、倉智敬一

現代産科婦人科学大系 9 「不妊症 避妊」』(中山書店) 1970年11月15日発行
著者は、野嶽幸雄、林基之、百瀬剛一、飯塚理八、渡辺金三郎、小林拓郎、志田圭三、澤田喜彰、大谷善彦、片山喬、林方也、石浜淳美、小島秋

地元の図書館にリクエストしたら、国会図書館からの又借しで、そこの図書館でしか読めないって。コピーもダメだって。

当時で14,800円やて! 目の玉飛び出たわ! 

経口避妊薬については小林拓郎。子宮内避妊具IUDについては石浜淳美が執筆。両方とも、当時、解禁されていはいかなった。

古屋鞆彦(こやともひこ)『若い世代の家族計画 完全な避妊と人口妊娠中絶』(婦人生活社)1971年8月7日 著者は1924(大正13)年産まれ。日本医科大卒。

それにしても「結婚を不幸にする病気」って「(1)遺伝のこと」って。そんなこと、書いたら「差別や!」って大問題にならなかったんやろうか? 

それと避妊法。当時は、避妊法が貧しかったのね。それに、この先生、説明が異常に下手。それとも、わざと曖昧にしてあるのかなあ? ピルのこととか。

ロバート・W・キストナー『経口避妊薬ピル』(主婦の友社) 1972年発行  
大村清『人工妊娠中絶術 図解手術叢書 附・腟式帝王切開術』(金原出版)1972年 図書館にリクエストしたけど、「国会図書館にもない」とか。残念。
藤生(ふじお)太郎、松崎日出夫『不妊と避妊』(新臨床医学文庫215)(金原出版) 昭和48(1973)年2月28日発行 国立下関病院長 藤生(ふじお)太郎、小倉記念病院部長 松崎日出夫
菊田昇『私には殺せない “赤ちゃん斡旋事件”の証言』(現代企画社) 1973年10月30日  
太田典礼(てんれい)『太田リングの記録』(太田リング研究所/発行、刊々堂出版社/発売) 1974(昭和49)年発行11月10日発行  日本が「産めよ殖やせよ」って時代で、戦前から戦中にかけて避妊・中絶が犯罪だった頃から、避妊をひそかに研究していた方。代々医者の家系で、彼も医者に。何度も警察につかまったらしいけど、「赤」だからか「避妊・中絶」をしたからなのかは曖昧な書き方。
 1930年代ごろから子宮に挿入する避妊具・太田リングの研究開発をし、たくさんの臨床例を発表し、海外の医学会を驚嘆させた。海外で評価が高く、たくさん利用されていたとか。しかし、日本で太田リングが認可されたのは、なんと1974年になってから。
我妻尭(わがつまたかし)『ピル 失敗しない避妊』(昌平社) 1974年1月10日発行  
石浜淳美『子宮内避妊法 IUDの理論と実際』(新臨床医学文庫 ) 金原出版 (昭和43年1月20日第一版 増補第2版昭和48年8月15日)  
シャーリー・グリーン『避妊の世界史』(講談社) 1974年8月8日発行 期待して図書館にリクエストしたけど、イマイチ。雑学のガラクタがゴロゴロって感じ。体系だった歴史資料でもないしね。
ボストン「女の健康の本」集団(Boston Women's Health Book Collective)『女のからだ(Our Bodies, ourselves)』(合同出版)1974年9月2日初版   図書館でリクエストしたら、1985年の第17刷のんが。ずいぶん売れたみたいですね。訳者は秋山洋子、桑原和代、山田美津子。

 1969年にアメリカ、ボストンで開かれた集会で女達が作った避妊や中絶に関するパンフレットをつくったのが始まり。最初のパンフレットから増補改定が繰り返された。飛ぶように売れたので、1974年に大手出版社から最新版が発行。

 その原著を、訳者達が日本用にと取捨選択して訳したとか。

   
橋口精範(はしぐち あきのり)『経口避妊薬』(国際医書出版) 1975年11月15日発行  
丸山英一『正しい避妊幸福な家族計画(Hikarinokuni collection famili)』 (ひかりのくに)1975  未だ日本では認可されていなかった避妊用低用量ピル、最新のIUDについてに詳しい解説があった。
太田典礼『日本産児調節百年史』出版科学総合研究所  1976(昭和51)年9月20日発行。 戦後の避妊、中絶の歴史を知る上でかなり重要。

 1900年生まれの産婦人科医で、子宮内避妊具「太田リング」の創案者で、戦後1948年に衆議院議員に当選。「優生保護法」制定に尽力。ほんとは、最初は制定できず、それから保守的な議員と組んで妥協したから制定できたんやけどね。

さきに出した『日本産児調節史』(日本家族計画協会)(1969年発行)の改訂版だとか。

ユルゲン・バウマン中谷瑾子『堕胎是か非か 西ドイツ中絶自由化をめぐる論争』(鳳舎)原書はドイツで1972年に発行され、中谷瑾子、人見宏による訳で1977年01月発行  原書はドイツの、Jugen Baumann(Hrsg), Das Abrei bungsverbot des §218StGB. Eine Vorschift, diemehr schadet als nutzt, 2., erweiterte Auflage, 1972, Herman Luchterhand verlag, Darmstadt und Nuewied.

 訳者・中谷瑾子による後書きによると「前年出版された初版本に、初版出版後に発表された西ドイツ法務省の刑法改正案を付録にして出版されたものである」

『婦人生活シリ−ズ 妊娠・出産と家族計画』(婦人生活社) 1977年02月発行 図書館にリクエストしたけど、なし
野末源一、真田幸一(こういち)、本田洋(ひろし)『危ない避妊常識 子供が生れては困るあなたの本』(エ−ル出版社) 1978年11月30日発行 野末源一は昭和22年産まれ、真田幸一は昭和28年産まれ、本田洋は昭和34年産まれで、東大医学部卒。
監修者/鈴木重明、文子『成功する避妊の方法』 (大泉書店) 昭和52(1977)年12月15日発行 鈴木重明は大正2年生まれの東京慈惠医科大卒、鈴木文子は大正2年生まれの東邦医科大卒。
福井達雄『家族計画を見直そう』(昭和堂) 昭和52(1977)年6月10日発行 福井達雄は明治34年生まれ、昭和4年に新潟医科大卒
福井達雄『続 家族計画を見直そう』(昭和堂) 昭和52(1977)12月20日発行
菊田昇『この赤ちゃんにもしあわせを 菊田医師赤ちゃんあっせん事件の記録』(人間と歴史社) 1978年4月20日  
『エ−ル・ブックス危ない避妊常識 子供が生れては困るあなたの本』野末源一(エ−ル出版社)1978年11月  
国井長次郎『ロマンと現実の間 予防医学・家族計画・国際協力の30年』(慶応義塾大学出版会 ) 1979年6月15日発行  
ビルガー・オーステット/著 相馬広明/訳『ホルモン・避妊・腫瘍・凝固線溶』(診断と治療社) 1979年09月20日発行 Birger Astedt『Gynecology, oncology and Obstetrics Some recent advances』スウェーデンで出版
ビルガー・オーステットはスウェーデンのLund大学産婦人科教授 相馬廣明は東京医科大学産婦人科教授
菊田昇『天使よ大空へ翔べ』(恒友出版社) 1979年11月26日  
堀口貞夫『完全な避妊』(永岡書店)1979年12月  ちなみに1997年設立の「性と健康を考える女性専門家の会」アドヴァイザー。

地元の図書館にリクエストしたけど、「もう、ありません」って。

 

 ↑以上、『紀伊国屋書店 インターネット仮想書店』 の会員なって、「ピル」「避妊」「家族計画」「バースコントロール」「受胎調節」「中絶」「堕胎」で検索したのを、図書館にリクエスト。