ピルや避妊に関する本 それに中絶に関する本も。1980年代

 

ジョゼフ・アンブロ−ズ・バンクス&オリ−ヴ・バングス『ヴィクトリア時代の女性たち フェミニズムと家族計画』創文社 昭和55(1980)年1月25日  J. A. and Olive Banks『Feminism and Family Planning in Victorian  England』1964年英国で出版。
ジョセフ・アンブローズ・バンクスは1920年生まれ。オリーヴは1923年生まれで、1944年に結婚。二人とも大学の教員。

 期待してたけど、実際読んでみたら、私にはチンプンカンプン。

遅叔昌(訳)、杉充胤 (編訳)『中国現代薬草事典 がん治療 麻酔 避妊』(工業調査会) 1980年2月20日発行 杉充胤は現代中国医療協会理事長だとか。中国の漢方薬の紹介。私には読みにくかった。
中国の漢方薬を利用した避妊や中絶の方法も紹介されているけど、私にはチンプンカンプンやったよ。
太田典礼『反骨医師の人生』1980年2月27日発行 雑誌『』1997年1月号〜11回にわたって連載した「独りだけの闘争ーー異端児の歩く日本左翼史」をまとめて、新しい題名にして本にした。
『図説臨床産婦人科講座 第32巻 家族計画と避妊』(メジカルビュー社) 1980年3月20日発行
チーフエディター:倉智敬一、東條伸平 編集委員:坂元正一、倉智敬一、品川信良、竹内正七、東條伸平、前田一雄、武田佳彦
 地元の図書館にリクエストしましたら、国会図書館から借りてきてくださいました。貸し出しはできず、地元の図書館でしか読めないので、ざっとしか読めませんでした。年表があったのでコピーしようとしたら、図書館員が「ダメ!」って。国会図書館の本はコピーできないんやて。残念。
太田典礼『堕胎禁止と優生保護法』経営者科学協会 (人間の科学社 )  昭和42年5月1日発行 1900年産まれ。
医学博士。既にドイツで子宮内避妊具が開発されていて、それに影響を受けて改良品の太田リング創案。
戦後、衆議院議員。

戦後の避妊の歴史を知る上での重要な資料。

子宮内避妊具に関しては、ドイツの医学博士たちが発表していて、彼はそれを改良しただけなのね。それでも、海外ではかなりの反響をもって利用されたけど、残念なことに当時の「産めよ殖やせよ」時代の日本では避妊具が禁止されていたのと、で、解禁されたときにはもう欧米の最新のにとって変わられていたのね。

それと、この方、かなりとんでもない優生思想の持ち主(劣ったものは産まれないようにしましょう、中絶して処理しましょうって)。で中絶に関しては、ひらけた考え。政治家として、かなりすすんだ法案を通そうとして果たせず、保守派の元医者の議員たちと妥協して、どうにか中絶を合法化させた功績者。そこがかなり評価の難しいところやけどね。

年表作成の資料にしようとしても、年代とかメチャクチャ。そこらへんがチョットなあ・・・

太田典禮『ここをわが家とおぼえしか 戦時下の獄中記録』(人間の科学社)1980年5月30日発行 昭和14年の夏に治安維持法違反で検挙され、15年春に京都拘置所に入れられ、執行猶予で出獄後に忘れないうちにと記録したもの。
昭和17年秋に治安維持法違反で検挙され、実景判決を受けて堺刑務所に入れられ、戦後思い出しながら書いた。
以上をまとめて、一冊の本にして出版。
橋口精範(あきのり)『最近の避妊の知識』(金原医学新書)金原出版 1980年6月30日 橋口精範は獨協医科大学教授。

 対談形式で「家族計画の必要性」とかを説いています。
 それにしても、日本での避妊の歴史がすごい面白い。実はアメリカのグレゴリー・ピンカス博士(ウースター研究所長)は、昭和34〜35年に日本人女性を対象にピルの実験投与をして、それに橋口教授も協力して、研究開発をしていたのね。最初は失敗続きで胃腸障害もでてきたって。それから研究開発もうまくいき、プエルトリコ女性に実験投与して成功。
 現在使われている混合投与法は、ピンカス法とか、クラッシック・メソッドってよばれているとか。

 取材者Bがピルに関して、【これは昭和49年ぐらいだと思いましたけれども、共産党の津川代議士が、国会で質問しまして、それに対して当時の田中角栄総理大臣は、医者が責任をもって使うぶんには、能書きにある目的と違って、要するに避妊薬として使ってかまわないという答弁をしているんで
 え? 1973年12月社会党の参議院議員須原昭二(薬剤師会)がピルの使用に関する統一見解を求める要望書を提出。
田中首相が回答「薬品を、治療薬として承認している以外の効能効果に着目して使用することは、法の禁じているところではない」「医師の処方があれば、薬局での購入も可」との答えじゃないの? 
 いろいろ、細かいミスもあるみたいね。

生天目昭一(なばため しょういち)『闇に哭く胎児たち  人口妊娠中絶』泉文社 1980/06月10日発行  反中絶の本。

 表紙に【史上最大の胎児大量虐殺! ピル なぜ日本の女性に与えられないか 奇奇怪怪な優生保護法 日本母性保護医協会30年間の功罪】って副題が。

 表紙のイラストもどぎついし、中絶された胎児の写真の掲載もどぎつくってイヤ〜ン。

 日医と日母に対する反感が強いようで
【成長の家政治連合を中心とする改正推進の運動は、国会の内と外で活発に展開されたのであります。しかし日医と日母の猛烈な反対により、二年後、審議未了で廃案とされてしまいました。「改正を阻止したのは、中ピ漣とウーマン・リブの諸団体である」と、上手に逃げることも忘れなかったのであります。】
【日医と日母は、経口避妊薬ピルの解禁に極めて消極的態度を示しております。傘下開業産婦人科医の収入を保証するため、中絶を減少させないようにあらゆる手段を講じているのであります。】やて。
 全体的になんかうさんくさいし、デマゴギーと思わないと。

 ただ、避妊用低用量ピルの解禁には賛成。そこだけはいい。

「著者略歴」によると、1927年生まれで、泉文社主筆、医事法学研究会幹事やて。
 他の本が『堕胎罪の法理論とローマ思想』『日本医師会を斬る』

菊田昇『赤ちゃんあげます 母と子の悲劇をなくすために』(集英社) 1981年3月  
高橋梵仙『堕胎間引の研究』第一書房 

「昭和十一年九月九日発行」「(非売品)」だったのを、「昭和五十六年四月二五日 復刻」したと1981年4月25日復刻 4,000円!

いつの時代の本やねん!ってツッコムほど、読みにくい。江戸時代の本でも復刻したの? えっ「昭和十一年発行」やて。

「財団法人中央社会事業協会 社会事業研究所」が企画したみたい。

エドウィン・M・シャー『被害者なき犯罪 堕胎・同性愛・麻薬の社会学』

原著はアメリカで1965年発行。 Edwin M. Schur『CRIMES WITHOUT VICTIMS: Deviant Behavior and Public policy: Abortion, Homosexuality, and Drug Addiction』

日本語版は1981年9月16日に、 訳者は畠中宗一(はたなかそういち)・畠中郁子(いくこ)で、新泉社から発行。

 
チ−ムメディカルケア研究会『不妊と避妊について考える(ヘルシ−・ライフ・ブック 2)』(総合医療社) 1981/10月1日発行 医学関係者のための本って感じ。不妊治療に関するところが前半。で、後半が避妊についての情報。ところどころに、避妊の歴史解説や年表、軽いコラムがあって、そこだけ楽しんだ。
石浜淳美『間違いだらけの中絶 二度と悲劇を起こさぬために』(潮文社) 1981年10月10日  石浜淳美は小山市民病院長。

 これもかなり詳しく、お薦め。この人、すごいわ。今でさえ、こんなの書くの勇気いるのに、昔やったら、もっとやばかったでしょうに。

『産婦人科シリーズ 30 IUDと経口避妊』(南山堂) 1981年12月10日発行 監修/鈴木雅州(東北大学教授)、坂本正一(東京大学教授) 編集/松山栄吉(東京厚生年金病院部長) 編集幹事/一條元彦(奈良県立医科大学教授)、水野正彦(東京大学教授)
執筆者/松山栄吉(東京厚生年金病院部長 産婦人科)、石浜淳美(小山市民病院院長 産婦人科)、河上征治(慶應義塾大学講師 産婦人科)、古川雄一(慶應義塾大学 産婦人科)、川口雄次(厚生省母子衛生課技官)、平野睦男(東北大学助教授 産婦人科)、高橋克幸(国立仙台病院院長 産婦人科)、我妻堯(国立病院医療センター部長 産婦人科)、仲野良介(和歌山県立医科大学教授 産婦人科)、広井正彦(山形大学教授 産婦人科)、白井将文(東邦大学助教授 泌尿器科)、玉田太朗(自治医科大学教授 産婦人科)、谷沢修(大阪大学助教授 産婦人科)、高木哲(大阪大学 産婦人科)、山地建ニ(大阪大学講師 産婦人科)、倉智敬一(大阪大学教授 産婦人科)、岡田芳男(神戸学院大学教授 薬学部)
5,500円!
小林拓郎『健康な避妊 安全でより確実な家族計画』(金園社) 昭和56(1981)年12月発行  小林拓郎は昭和23年に東大医学部卒
三上葉子『純白のカルテ 中絶体験者のルポ』秋元書房 1982(昭和57)年3月10日  三上葉子は昭和28年産まれ
小滝周曹『家族計画・正しい避妊のしかた』(成美堂出版)1982年12月  地元の図書館にリクエストしたら、国会図書館にはあるけど館外貸出しはダメだって。
週間ブックス特別取材班『いまなぜ優生保護法「改正」か』(現代書林) 1983年3月30日 これはすごいお薦め! 中絶反対派の政治的動きや人脈を懇切丁寧に取材しているの。特に成長の家などの右翼宗教団体と、レーガン大統領の支持基盤であるアメリカの右翼団体とのつながりとか。

1 今なぜ優生保護法「改正」か(佐藤雄一)
2 軍拡と妊娠中絶禁止の日米宗教同盟(藤島宇内)
3 女にとっての「靖国法案」(水野燎子)
4 「産まぬ」ことと、女の人権(小沢遼子)
5 「避妊」と「中絶」−諸外国の現状と日本(我妻堯)
6 改めてピル解禁を考える(松田博公)
7 医者が見た優生保護法「改正」(長堀篤ニ)
8 優生保護法「改正」がはらむ、これだけの危険性(斉藤一好)
9 妊娠中絶と実施特例法(菊田昇)
10優生保護法の過去と現在(生天目昭一)

 中絶を禁止しようという保守派の動きに、反対派が声をあげた。妊娠中絶をなくすためには、ピル解禁や養子縁組制度の改正を提案しているのがいた。この当時、ピル解禁を訴えているのが結構いたのには驚きです。妊娠中絶禁止の動きに反対した運動が成果を結び、廃案になったのは結構ですけど、ピル解禁の運動はどうなった? 

社会評論社編集部編『女の性と中絶 優生保護法の背景』(社会評論社) 1983年5月30日発行 1982年、成長の家の村上正那国会議員によって、優生保護法から「経済的理由」削除の提案がなされ、女性達が猛反対したことあったでしょ。あのころの息吹が伝わってきます。

私、そういう騒動だけはニュースで知っていたけど、全然関わってなかったなあ。

執筆者は、吉武輝子(よしたけてるこ)、中下裕子(ゆうこ)、落合誓子(せいこ)、吉清一江(よしきよかずえ)、田辺聖子、野地(のじ)せい子、平智子(たいらともこ)、青木優子、岩月澄江(いわゆきすみえ)、宮子(みやこ)あずさ、谷合規子(たにあいのりこ)、福本英子、原田瑠美子、福島みどり、ヤンソン由美子

日本家族計画連盟『悲しみを裁けますか 中絶禁止への反問』(人間の科学社 ) 1983年05月30日発行 ↑上と同じく、中絶容認派の主張。

社団法人日本家族計画連盟は、1954(昭和29)年設立。国際家族計画連盟の加盟団体。当時の会長は戦後初の女性議員となった加藤シヅエ。理事長は久保秀史。事務局長は近泰男。

執筆者は、岡部伊都子(いつこ)、兼松左知子(かねまつさちこ)、鈴木尚子、丸本百合子、山本直英、青木やよひ、一条ふみ、柳原一彦、安西篤子(あつこ)、辻田ちか子、丸山友岐子、我妻尭(わがつまたかし)、柴谷篤弘(しばたにあつひろ)、中島通子、北沢杏子(きょうこ)、原田瑠美子、安部井重子(あべいしげこ)。
他にも多数の女性たちによる、中絶禁止反対の手記が。

1954年に、家族計画普及会も発足。後の家族計画協会。

同年の1954年に発足したけど、家族計画連盟と家族計画協会とは別組織らしい。
このニ団体の組織の歴史を知りたいけど、いい資料が全然。それらの団体がそれぞれ出している資料は、書き方が曖昧。なんか知られたくない過去があるのか? 誰か資料求む!

太田典礼『中絶は殺人でない』京都産婦人科医会(人間の科学社 ) 1983/05  
谷合規子(のりこ)『なみだの選択 − ドキュメント優生保護法』(潮出版) 1983年7月10日 作者は1942年生まれ。

保守派たちが優生保護法の中絶から「経済的理由」を削除しようとし、それに女性団体などが反対の声をあげ、そのかいあって、廃案。

その保守派たちの人脈や政治的な背景を懇切丁寧な取材で暴き出した、すごい読み応えのある本。右翼宗教団体「成長の家」の描写がすごい! 機関紙で、谷口雅春総裁と妻の輝子が、中絶禁止法案をとおすようにと玉置和郎、村上正邦議員に激をとばすのが伝えられているところを引用しています。お〜コワ。
 マザー・テレサとの関連もね。それにしても、避妊器具を用いることも、不妊手術をすることもダメやって。子どもがほしくない夫婦は、排卵後の絶対不妊期だけ性交し、それ以外は禁欲するんだって。ヒエ〜! そういうのを「自然な家族計画法」やって。彼女がインドのカルカッタで薦めていたのが女性の性器から分泌された粘液を観察して受胎可能な日を見分ける「粘液微候観察法」だって。

 ただ、彼女もセックスに関しては保守派で被害者意識でしかみれない貧しい考えやから、ピルの解禁に関しては悪い印象をいだいているのが残念。

“人間と性”教育研究協議会 佐橋憲次(さはしけんじ)・山本直英(なおひで)・村瀬幸浩(ゆきひろ) 編集/会津一・長田(おさだ)静江・垣内愛子・窪田務・佐藤明子(めいこ)・武川行男(ゆきお)・村瀬敦子(あつこ)・村瀬幸浩『人間と性の教育 A妊娠と中絶、避妊』(あゆみ出版) 1983年9月20日発行  もう、学校の性教育でリベラルなのって言ったら、この人達がお約束。

“人間と性”教育研究協議会HP 

小滝周曹(こたき しゅうぞう)『正しい避妊 知らないと失敗する避妊法のすべて』(日東書院)1983年10月1日発行 著者紹介によると、昭和12年生まれの、慶応出の医者だって。
『産児調節評論 第1巻 (復刻版 ) 』(不二出版) 1925年2月〜9月にかけて発行された雑誌を、1983年12月9日復刻版発行  その当時、避妊の必要性を訴えることは相当やぱかった時代の雰囲気がつたわってくる。
   
アンソニー・ジマメン監修、ジョセフ・レッツア著、花城なが子訳『赤ちゃんを望む人も望まない人も 自然な家族計画のすすめ』(エンデルレ書店) 1984/01(昭和59年1月10日) 女性の体温や、膣の粘液や硬度で安全日や危険日を測定する方法を懇切丁寧に説明したものだけど、私のひ弱いオツムではついていけない。たぶん、カトリック教徒の自然家族計画の一環だと思う。
我妻尭『失敗しない避妊 今、子どもがほしくない人のために』(集英社) 1984年04月25日  
石渡利康『DしないでCを楽しむ法正しい避妊学』(ひかりのくに) 1984年07月発行。 地元の図書館でリクエストしたら、国会図書館からの又貸しで、館外持ち出しダメで、そこの図書館でしか読めない。

カバーがないから、著者の経歴とか、発行の日にちがわからない。センスのない題名だから期待してなかった。実際読んでみても、センスのない。

マグダ・ディーンズ(Magda Denes)『悲しいけれで必要なこと 中絶の体験(IN NECESSITY AND SORROW)』(晶文社) 日本語訳版は1984年7月20日 原著はアメリカで1976年  
上坊敏子/監修、山田正志、田中信子/編集『女の子が大人になるとき読む本 どこまで許されるの…キスから中絶まで』(主婦と生活社)1984年10月発行  監修の上坊敏子は、北里大学医学部産婦人科講師。

 これはなかなか充実しています。この当時としては、かなり開けた考えやったのでは?
 中絶薬「プレグラティン」に関する記述、参考になりました。 

 ただ、同性を好きになった女の子への回答は(思春期だけのもので、大人になれば、直りますって感じ)、今時のもんからしたら、かなり問題あるけどね。

ロナルド・レ−ガン『私は許さない 中絶と国民の良心』 デ−タハウスから、中山立の訳で1984年10月20日発行

当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンの『中絶と国民の良心』、C・エバレット・クープ『アウシュビッツへの道』、マルコム・マゲリッジ『人道的大虐殺』の3つ。
『ヒューマン・ライフ』誌に掲載されたもの。

原著は、Ronald Reagan『Abortion and the Coscience of the Nation』
C. Everett Koop, M.D.『The Slide to Auschwitz』Malcolm Muggeridge『The Humane Holocaust』で、1984年にThe Human Life Foundation, Inc. から発行。

中絶反対の本。

ただ、彼らのずるいのは、中絶と、身体障害者を中絶する出生前診断とをゴッチャにしているところ。

私の友人、30男の身体障害者介助人は立岩シンヤの生命倫理を紹介して、「今、どうしても産めないって中絶するのは容認するけど。ただ、今は産もうとしたら産めるくせに、出世前診断をして、健康なら産む、障害をもっているなら中絶するのは生命倫理上許されへんねん。選り分けてることになるでしょ」って。言いたいことよくわかる。

『女・妊娠中絶(シリ−ズ・いまを生きる)』ユック舎 1984年10月20日発行 編集後記で【八三年の優生保護法改「正」案の国会上程は、女たちの手で阻止することができました。】とあるように、編集意図は、中絶容認です。
多井一雄・上沼昌雄・油井義昭 共著『生命(いのち)をみつめる 妊娠中絶・安楽死 』(いのちのことば社) 1984年11月5日発行  ゴリゴリのカトリック教徒たちが、カトリック倫理で妊娠中絶反対の論理を説いた本
マルコム・ポッツ、ピーター・ディゴリイ、ジョン・ピール『文化としての妊娠中絶』 日本語版は1985年3月10日発行 

原著はMalcolm Potts, Peter diggory, John Pee『ABORTION』 英国で1977年

 
『Abortion アメリカにおける妊娠中絶のジレンマ』〔京都婦人クラブ有志〕1985/03 図書館にリクエストしたけど、国会図書館にしかなく、しかも小冊子なので館外貸出しダメだって。
石浜淳美『家族計画の保健指導 Family Planning Note』(HATO書房) 1985年5月1日発行 避妊の歴史から、避妊の指導まで、かなり充実した内容。著者は1915年生まれ、1941年に九州大医学部卒
武田繁太郎『沈黙の四十年引き揚げ女性強制中絶の記録』中央公論新社 昭和60(1985)年07月20日発行 小説。私には、ノンフクションのルポルタージュのほうがいいのにね。

昭和59年秋の『婦人公論』(臨時増刊)に載せ、加筆修正したのを本にまとめたとか。

丸岡秀子・山口美代子 編集『日本婦人問題資料集成 第十巻 近代日本婦人問題年表』ドメス(第六刷発行)1985(昭和60)年7月25日 第一刷は1980(昭和55)年で、これは第六刷。これはすごい充実した詳細な年表。ほんとに参考になりました。
堀口貞夫、堀口雅子『二人のためのバ−スコントロ−ル 心とからだを守る…失敗しない安全な避妊法』(永岡書店) 1985年8月 図書館にリクエストしたけど、「ありません」って。ちなみに1997年設立の「性と健康を考える女性専門家の会」アドヴァイザー。
編集・発行 女のためのクリニック準備会『中絶―女たちからのメッセージ』 1985年11月30日 大阪・玉造の女性団体。

この後、『ピル 私たちは選ばない』を発行したんですね。

柴田道子『正しい避妊の知識いま,赤ちゃんを望まないあなたに』ナツメ社 1985年11月発行  柴田道子は1978年にベビーケアセンターを設立。

 この本の協力者として、中西ヒサ子(中西産婦人科医院医院長、医学博士)

 避妊方法の一つに、ピルも紹介してある。けど、その当時の日本では月経不順とかの治療薬の中用量ピルか高用量ピルだけしか認可されていなくって、医師にお願いして避妊用に転用してもらっているだけで、海外では低用量ピルが利用されていることには一切ふれられていない。うさんくさいよな。

武田敏(びん)『新しい家族計画と性病の知識』(ぎょうせい) 1986年7月31日発行 武田敏(びん)は1922年生まれ。千葉大、院卒の医者。千葉大教育学部、教育相談研究センター併任教授。 

著者紹介に、川野正資(まさし)って人の名も。生年はなし。千葉大学教育学部卒。東京女子医大看護短大講師。

避妊や中絶の知識。患者の体験談が。中絶数の推移の統計とか。性病の知識はいいけど、写真やイラストがエグイ。

我妻尭(わがつまたかし)『正しい避妊の知識 より安全に、より確実に』メジカルビュ−社 1986年11月発行 著者は1955年産まれ。東大出の医者。

1984年発行の『失敗しない避妊』(集英社)に加筆修正したものだとか。それぞれの避妊の大まかな歴史とか紹介してあって、結構読み応えあった。

日本母性保護医協会『性教育と家族計画の指導指針』(南山堂) 1986年4月10日発行 日本母性保護医協会会長・森山豊が監修。執筆者が松本精一、江川義雄、宮原忍、石浜淳美、長池博子、武田敏、黒島淳子、田所文男、迎俊彦、野末源一、大島博幸、杉山四郎、可世木辰夫、本多洋、村松稔、近秦男、我妻尭、荻野博、松山栄吉。
「家族計画篇」の「5 家族計画の技術(我妻尭)」では、避妊法の一つとして「e. ステロイド避妊法」として紹介されているが、中(高)用量ピルが「月経困難賞」の治療薬として認可されていて患者の求めに応じて医師の判断の元「避妊用」に転用されているってことは説明されていない。海外で利用されている副作用が少ない避妊用低用量ピルは日本では認可されていないって話は曖昧・・・。
C・F・サムス著/竹前栄治編訳『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』(岩波書店)1986年8月11日 連合軍最高司令官総司令部公衆衛生福祉局長クロフォード・サムス准将の回想録"Medic"1962, 749pagesので、この回想録の原文(英文)はスタンフォード大学フーバー研究所に未公刊のまま所蔵されているが、世界で初めて日本で刊行することになった。
全訳は紙幅の都合上それも叶わぬので、「第四部ー極東・日本」だけで、残りの部分解説者が要約。第一部ー戦前、第二部ー中東、第三部ー間奏曲、第五部ー朝鮮

そして1998年に、M.E.Sharpeって出版社から公刊されるようになったのでしょうね。一般受けするように、Zabelle Zakarianって方が編集なさった上でのことかな?
"Medic : The Mission of an American Military Doctor in Occupied Japan and Wartorn Korea"
by Crawford F. Sams, Zabelle Zakarian (Editor)
M.E.Sharpe(Hardcover - 344 pages) (May 1998)
「AMAZON.COM」で購入もできます。→コチラ

 日本の戦後の避妊や中絶解禁の法律改正の歴史を調べると、サムスの名前が大きく出てくる。当時それだけ絶大な権力を持っていたのでしょうね。

「人口問題」の章で、戦前は避妊・中絶禁止だった日本でどうするかで、アメリカ本国の避妊反対派と家族計画推進派の政治争いに巻き込まれて困惑している様が描写されている。当時のアメリカでも近代的な避妊禁止の州が多かったとか。日本で避妊を解禁したものだから、カトリックの避妊反対派の新聞で大々的に叩かれたとか。

加藤俊治(としはる)『よくわかる避妊のすべて』(有紀書房) 1987年2月発行 地元の図書館にリクエストしたら、国会図書館からの又貸しで、借り出しもダメ、コピーもダメって。ここで読むだけやって。

経歴によると、著者は大正10年産まれ。

事後避妊薬の情報で、「プロスタグランディン」って。

1999年8月17日刊の加藤俊治・尾澤彰宣『ピルと性感染症がよくわかる本』(有紀書房) とほぼ一緒の内容。焼き直しやな。

で、2000年のも、さらに焼き直しやな。

女のためのクリニック準備会編『ピル 私たちは選ばない』(女のためのクリニック準備会)1987年3月1日発行 「ピル解禁」って報道直後に製作された本で、「ピル解禁じたいには反対しないけど、あくまでもピルは最終的な選択肢としてして選んでほしい」「もっといい避妊法を教えるから(保健婦か助産婦指導の元での膣内を内視鏡で覗きながらの安全日を判別するのとか。お写真つきで説明してあるの。ペッサリーとか。)」「男性にちゃんとコンドームつけてねって言えるようになろうよ」って主張なので嫌いではないです。でも、「ピル解禁は男性中心社会を強化するための陰謀」とか解釈していたのに、この本発行後に、又もやお上が「ピル解禁見送り」ってなったのね(笑)。ア〜ア・・・
 そこらへんに関して、今読んだら、ずれてる意見だらけやけど。

 でも女の体や、しくみを知ろうって詳細なイラストやお写真で説明してあって、そこの部分は今読んでも傑作(ナマが恐い男性は卒倒するかもしれへんけど)。今現在、避妊に関する本が大量に出版されていますが、これほど分かりやすく懇切丁寧なのは他にありませんし、そういう点では再評価されてもいい。20年以上も昔の本だからって馬鹿にできませんで。

<ショワジール>会編(Association<Choisie>)『妊娠中絶裁判 マリ=クレール事件の記録(AVORTEMENT: UNE LOI EN PRECES  l'Affaire de Bobigny)』(みすず書房) 日本語訳版は1987年3月26日発行 原著はフランスで1973年発行  本書の、後ろ表紙からの引用。

 【きっかけは、ごく普通の女子高生だったマリ=クレールが強姦され、ヤミで中絶せざるをえないせっぱつまった状況においやられたことだった。本人のマリ=クレール、彼女を助けた母親とその同僚たちを裁くはずだった裁判は、法律を断罪する裁判にかえられた。16歳の少女は、期せずして、この歴史的事件のヒロインになったのである。】

 1972年には、フランスで出生前診断開始。胎児が身体障害者などの場合は中絶。胎児が健康な場合は中絶はダメだったけど。
 この事件をきっかけに、フランスでは、1975年に中絶合法が5年間の時限立法として成立。1979年には、中絶法が若干の改正を経て恒久立法となった。

 私、昔『マリ・クレール』って中央公論社の女性雑誌を宝物のように毎月買っていたのね。元々がフランスの雑誌で、中央公論社が日本語版にアレンジして出版してもいいって契約を結んで売ったのね。
 マリ・クレールの名前の由来って、たぶん、彼女ね。

森冬実『からだのおしゃべり』(亜紀書房)1987年12月15日発行  1998年発行の本『女の体 私たち自身』(毎日新聞)でのピルとIUDにえらいイチャモンつけてるのに妙にひっかかったから、さらに古いこの本を図書館でとりよせた。書いていることはほぼ同じ。略歴によると、1946年生まれ、【1974年、ウーマンリブに出会う】【1982〜'83年、「優生保護法」撤廃の運動に参加
菊田昇『菊田医師と赤ちゃん斡旋事件の証言 お母さん、ボクを殺さないで!』暁書房 1988年7月15日 かつて中絶を希望する妊婦たちに「世間体が悪くて産めないっていうのなら、 ヤミで養子縁組をしてあげるから」と説得して産ませて、それと子供ができなくてほしいけど戸籍に養子縁組と記録に残るのが困る方々には、 その人が産んだことにしてナイショで斡旋したとか(その数、約100人)。 1973年(昭和48)年に警察沙汰になったけど、菊田医師自身は「自分はいいことをしている」と信念をもっていたとか。

1987年9月18日、特別養子制度が参議院(国会)において全会一致で可決され、成立。1988年1月から実施。

 「7ヶ月の妊娠中絶は殺人だ」と主張し、とうとう、6ヶ月までにしてしまった。困った方やなあ・・・。

昭和61(1986)年12月大腸癌、昭和62(1987)年に佐伯晴郎牧師の手で西仙台協会で先例を授けられた。
キリスト教倫理や、「小さないのちを守る会」との連帯とか、ちょっと、苦手なところも。

「第七章 特別養子制度の誕生を迎えて」の「特別養子制度誕生とこれからの闘い」の主張には、私もすごく共感します。「日本から人口妊娠中絶をなくすためには、政府が“ピル”の解禁を断行し、「母の戸籍の特別措置」を見とめればよい」と、かなり進んだ考えをなさっています。未婚女性の妊娠出産への非難が中絶の最大の原因だとわかっていて、未婚女性の妊娠出産歴を隠してあげようという考えは過激で正しい。確かにそういう点では、決して嫌いになれません。

 巻末に、妊娠中絶反対のキリスト教団体「小さないのちを守る会」代表、辻岡健象牧師との対談が。
 日本の血縁信仰批判があって、結構共感できるところもある。実の親より、愛情をもって育てる育ての親ってね。

「女の人権と性」シンポジウム有志『沈黙をやぶった女たち 映画「中絶―北と南の女たち」をめぐって』(ミネルヴァ書房) 1988年7月10日 シリーズ「女・いま生きる」第29巻。

映画「中絶―北と南の女たち」をめぐって

ユダヤ系カナダ女性の映画監督、ゲイル・シンガー。

1983年3月、カナダの映画製作スタッフが、世界の女たちがおかれた中絶の状況を映画にするために来日。

1984年カナダ映画 ゲイル・シンガー監督『ABORTION--STORIES FROM RORTH AND SOUTH』(55分)

執筆者は、ヤンソン由美子、堂本暁子、土本典昭、駒野陽子、丸本百合子、青木やよひ、加地永都子、山本コータロー、落合恵子、宮淑子、田中喜美子、金住典子、駒沢喜美、柴崎和惠、芦野由利子、草野いづみ

石浜淳美『家族計画と避妊』(メディカ出版) 1988年9月29日発行 古い本やけど、日本では未認可の避妊法が懇切丁寧に説明されていて、結構お薦め。
ボストン女の健康の本集団(藤枝澪子監修 河野美代子・荻野美穂校閲)『からだ・私たち自身』(松香堂)1988年10月発行 12,000円! アメリカのフェミニスト女性たちによる本で、避妊法の説明が懇切丁寧。ピルに対してなんか、イチャモンつけてるようないやな感じが・・・。セックスに関してかなり保守的・禁欲的なような・・・。セックスを被害者意識でしか見れない、偏狭なフェミニストの感じが。どっか違和感感じた。
松本信愛(のぶよし)『Oriens studies カトリック者の中絶・避妊に関する調査報告』(オリエンス宗教研究所) 1988年11月1日発行。 地元の図書館にリクエストしたら、国会図書館からの又貸しで、館外持ちだしもコピーもダメって。

古い本で、しかも薄っぺらいの。

 で経歴によると、著者は1941年兵庫県産まれ。上智大卒。大阪教区司祭。もこれは結構お勧め。

 たくさんのカトリック教会にアンケイトを配り、その集計結果をまとめたのね。
 カトリックの戒律では、中絶はおろか、法王庁が例外的に観とめた避妊法以外の避妊法もダメだって。
 カトリック信者たちも、戒律に背いて、人口避妊や人口中絶をし、罪悪感に苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃるのね。
 アメリカのカトリック教会でも、避妊や中絶の件でカトリック信者がドンドン離れていっているって。だから著者も危機感を覚えているのね。
 最後のしめに、カトリック教会で、避妊法についてのセミナーができないか提案しています。

松本信愛HP見っけ!

小野清美『ナプキン先生の素敵なマンスリー・デイを』(光雲社) 1989年1月31日 生理用品の歴史をまとめたの。
石浜淳美『10代の妊娠と中絶(性のヘルスケア国際比較』メディカ出版1989/02  
尾島信夫『新リズム法 自然家族計画 』(メディカ出版) 1989年3月28日 カトリック教の教えでは、「自然家族計画」だけが法王庁から許されていて、それ以外の避妊法は禁止されています。
 この本の副題が「基礎体温法と分泌法を組み合わせて」。

小島信夫は1910(明治10)年産まれ。経歴によると、1934年、慶應大学医学部卒。「1965年(昭和40)に初めて、カトリック系病院の産婦人科医長に就任しました」」「1975年に大病後、洗礼を受ける」やて。

1978年に『新リズム法指針』(鳳鳴堂書店)を刊行し、この本はそれの改訂版みたいなものだって。

監修・北村邦夫 著者・高橋明美『二人のための失敗しない避妊講座』ナツメ社 1989年08月発行 北村邦夫医師は、日本家族計画連盟の所長。避妊用低用量ピル解禁賛成派として、マスコミ出演の定番。
高橋明美は、医者とかそんなんじゃないみたい。文学部卒って。

「避妊用と治療用ではホルモンの量がちがう」って。避妊用低用量ピルのことを紹介。
この当時から、若い子ら対象にピル避妊をしてくれるところを住所・電話番号を紹介! えらい! 腹くくってま。
最後に「資料・全国のおもな思春期外来実施施設」って紹介がすごい!

成田例弘(つねひろ)『避妊の安全BOOK』(大泉書店) 1989年10月20日 昭和20年生まれ。昭和46年東京医科歯科大学卒業。

 避妊の一つに「ピル(経口避妊薬)」もお薦めしています。当時、避妊用低用量ピルが解禁されていなかったので、医師の判断で中用量ピルを転用するという方法のことを指していたのでしょうね。

 「日本ではピルは解禁されてはいない」って、彼は「医者の要指示薬」って意味で使っていますね。

 それと彼も、解禁されて、医師の診察ナシに女性達が薬局やスーパーで気軽に飲むようになることを恐れていますね。「あるいは中学生までがかくれて飲むようになるおそれがあり、ブレーキが効かなくなることが心配されます」やて。お隣の韓国では、スーパーや薬局で気軽に買えるのにね。

 それと人口妊娠中絶に関する章で、【誤解されているプレグランディン】で、【「薬による夢の、妊娠中絶剤」として数年前にマスコミで紹介されて知られましたが、】【厚生省でも、プレグランディンの使用は医師の管理のもとでしかみとめていません】

廣井正彦(ひろいまさひこ)・青野敏博・鈴木秋悦(しゅうえつ)編著『PILL』(南山堂) 1989年11月10日 2,900円  
戴晴(タイチン)。林郁(いく)/編訳『「性」を語り始めた中国の女たち 重婚・売買婚・売買春・中絶・自立』(徳間書店) 1989年12月31日 原本が中国の本。代表が1941年生まれの女作家、戴晴(タイチン)で、他男女数名による十三篇のルポや聞き書き。1988年9月、北京の作家出版社刊。
 それを元に、林郁が五篇を選び抄訳し、日本で1989年12月31日発行。
   
   

 

 ↑以上、『紀伊国屋書店 インターネット仮想書店』 の会員なって、「ピル」「避妊」「家族計画」「バースコントロール」「受胎調節」「中絶」「堕胎」で検索したのを、図書館にリクエスト。