ピルや避妊に関する本 それに中絶に関する本も。2000年から

 

   
芦野由利子『ピルと避妊と性の教育』十月舎 (星雲社 )  2000年1月24日発行  彼女は、昔からピル解禁を要求していたのね。
 村瀬幸浩との対談。そして草野いずみのコーディネイト。医学監修は丸本百合子。中嶋公子による、フランスの若者の避妊事情とかのレポートが。
 草野いずみ作の「ピル年表」とても参考になりました。
堀口雅子『低用量ピル適正使用マニュアル』(じほう) 2000年2月5日発行  これはなかなかのお薦め。詳細なデータがいっぱいで利用価値大。ちなみに彼女、産婦人科医で「性と健康を考える女性専門家の会」 会長。
武田玲子(産婦人科医)・吉田由布子(「エコロジーと女性ネットワーク」)『ピルの危険な話』(東京書籍) 2000年3月4日発行 ピル解禁反対派で、これまでにも厚生省に「慎重審議の要望書」(って「解禁すな!」っちゅうことやろが!)を提出してきた方々。けど、1999年についに解禁。でも反ピルのHP『ピル110番』を開設。解禁前はあんだけいさましく「解禁反対!」ってほたえていたのに、厚生省に認可されたとたん、現状追認したり口をつぐんだりしている連中に比べたら、いや〜骨が硬いっちゅうか、困った方々やなあ。
『別冊朝日年鑑早わかり 20世紀年表』(朝日新聞) 200年3月31日  
加藤俊治(としはる)・尾澤彰宣(あきのぶ)『やさしい避妊のすべて ピルも性感染症も』(有紀書房) 2000年6月26日刊行 1999年8月17日刊の加藤俊治・尾澤彰宣『ピルと性感染症がよくわかる本』(有紀書房) とほぼ一緒の内容。

 ちなみに経歴によると、尾澤彰宣医師は
都立墨田産院在職中より、経口避妊薬の臨床研究に取り組み、30年間に1800人以上に及ぶ15歳〜44歳の女性に中用量ピルを避妊薬として処方する】とあります。

女たちの便利張3編集室『女たちの便利帳 3』(ジョジョ) 2000年6月15日発行  避妊についてふれてあるのは、東京では「生きることと性を考えるOYKOT(オイコット)ネットワーク」、「オープンハウス」、森冬実の「準備出産&からだのおしゃべり会」、瀬戸俊子産婦人科医、百合レディスクリニック。大阪では、「マイルーラの毒性を考える会」(←私はハッキリいって、この会の主張にはうさんくさいものを感じるけど)。

 19994年、1996年、1998年発行版のんでは、森冬実の紹介のしかたが誤解をまねく表現だったけど、こちらの改訂版では、かなり書きかえられている。抗議でも殺到したのかなあ?(笑) 【■現在、会はお休み中】やて。なんで載せた?

 武田玲子医師のクリニックも紹介。著作に『ピルの危険な話』って。

 性病についてふれてあるのは、東京では、「オープンハウス」、瀬戸俊子産婦人科医、百合レディスクリニック。

監修/堀口雅子『女性のための女医さんガイド』(法研) 平成12(2000)年8月28日 監修/堀口雅子(「性と健康を考える女性専門家の会」の会長)

「避妊」についていは、早乙女智子先生(東京都職員組合共済青山病院)が答えてらっしゃいます。

 ただ、残念なのは、「人口妊娠中絶」についてはふれられていないの。まあ、「うちがやります」なんて、公言してくれるの、誰もいてはらへんかったんでしょうね。「巻末のリストにさりげなく「母体保護法指定医」と載ってるから、とだけヒントをあげときますね。

 「「性と健康を考える女性専門家の会」有識者が選んだ全国の女医さんリスト(巻末付録)」
 ↑おっと、武田玲子医師の名が! ピル解禁反対派としてマスコミでは定番の方が!「ピル、HRTなどのホルモン薬に頼らず、体に負担のかからない方法を選んでいます」やて。正直でよろしい。

ジョン・ギルボー『ピル博士のピルブック』(メディカル・トリビューン) 2001年5月30日 John Gullebaud『The Pill Fifth Edition』(Oxford University Press.)1980, 1983, 1984, 1997, 1998

【本書は1998年の英語版「ザ・ピル第5版」の日本語版であり、オックスフォード大学出版の許諾を受け出版する】
監訳は早乙女智子(NTT東日本関東病院産婦人科)、訳者はその他大勢。

 これはすごい! ピルに関する医学的な情報満載。ピル利用者にはマジでお薦め。 

内林(うちばやし)政夫『ピル誕生の仕掛け人 ラッセル・マーカー伝』(化学同人) 2001年9月20日  著者・内林政夫は京大医学部卒後、武田薬品工業入社。
 これは薬品オタクが書いたので、低学歴の私には読みにくいったらない。
 女性のための避妊方法開発を、女性解放運動家マーガレット・サンガー、富豪の未亡人キャサリン・マコーミックたちからの依頼と資金援助を得て、化学者グレゴリー・ピンカスが避妊用ピルを開発したのは歴史の通説。
 この本によると、ラッセル・マーカー、カール・ジェラッシも、まさか自分の開発した化学薬品が、後にグレゴリー・ピンカスによって避妊薬ピルの開発に役立つとは思ってもいなかった。ラッセル・マーカーはステロイドと呼ばれる一群の化学物質の追求に費やした。ジェラッシも、女性の月経不順、不妊の治療、さらに子宮頸(けい)癌の処置、口から服用して有効なホルモン化合物を合成することがそもそもの目的だった。
 表紙のイラストは、メキシキコ産ヤムイモ「カベサ・デ・ネグロ(黒人の頭 チリチリパーマみたいな形をしていたから)」。かつては医療に使用されるステロイドは動物の器官から莫大な費用と手間隙をかっけて抽出しなければならなかったが、マーカーはメキシコのヤムイモから大量に合成ステロイドを得られる方法を発案した。
二至村菁(にしむらせい)『日本人の生命(いのち)を守った男GHQサムス准将の闘い』講談社2002/03  
北村邦夫『ピル』(集英社) 2002年1月22日 ピルの歴史、ピルを巡る大勢の日本人たちの思想、対立など。とても参考になりました。
エレン・チェスラー『マーガレット・サンガー』2003年5月30日(日本評論社)4,000円。 原本はEllen Chesler"Woman of Valor; Margaret Snger and the Birth Control Movement in America"1992年発行。
早川敦子監訳、「性と健康を考える女性専門家の会」監修。

 避妊がまだ犯罪だったアメリカで、何度も警察に逮捕されながらも避妊の情報を女性たちに伝え、大きな組織を結成し、科学者たちに資金援助をしてピルを開発させた。

 体系だった詳細な伝記は日本初なのでとても参考になりました。

 ただ、これだけでは、まだ謎が残った部分もある。
 マーガレット・サンガーがあれだけ政治勢力と資金集めができたのはなぜ? 権力者たちに媚びへつらったからでは? 女性のための避妊解禁運動をした他の方々は、政治的にも資金的にも組織的にも巨大になれなかったのでは?
 マーガレット・サンガーが日本で受勲されたくせに、避妊用低用量ピルがやっと解禁されたのが1999年なのはなぜ?
 日本人の政治家加藤シヅエ(1897〜2001 1919年(大正8)渡米して婦人運動家マーガレット・サンガーに共鳴、帰国後「生めよ増やせよ」の時代に産児調節運動を開始し、34年(昭和9)東京東京都品川区に産児制限相談所を開設。だけど警察によって強制閉鎖された。第二次大戦後、46年に初の総選挙で再婚した加藤勘十(かんじゆう)とともに日本社会党から当選、婦人代議士第一号となった。74年に引退するまで衆院2期、参院4期をつとめ、売春防止法や公害防止法の成立に力を尽くした。 52年にサンガーさんらと国際家族計画連盟を設立、54年には日本家族計画連盟を結成し、74年から会長。88年国連人口賞を受賞した。96年、加藤シヅエ賞が創設され、翌年、出版した「百歳人 加藤シヅエ 生きる」で日本エッセイストクラブ賞特別賞を受けた。)がマーガレット・サンガーに影響を受けて避妊のための活動をして「日本のマーガレット・サンガー」と名づけられたのに、避妊用低用量ピルがやっと解禁されたのが1999年なのはなぜ?

巻末の詳細な年表、欧米の避妊のための団体の情報など、とても参考になりました。

 

 ↑以上、『紀伊国屋書店 インターネット仮想書店』 の会員なって、「ピル」「避妊」「家族計画」「バースコントロール」「受胎調節」「中絶」「堕胎」で検索したのを、図書館にリクエスト。