映画界の同性愛の有名人たち

 

 それとインターネットをサーフィンしたら、「有名人の同性愛者」って一覧表をたくさん見つけた! いや〜面白かった。えっこの人が?って驚きますよ。

Celebreties that are known to be gay or lesbian

Famous Gay Men and Women (and a few bisexuals to boot!)

Gay, Lesbian and Bisexual Historical and Celebrity Figures

Gay, Lesbian, and Bi Historical Figures

Notable Gay, Lesbian, & Bisexual People

FAMOUS HOMOSEXUALS

THE OUT LIST

List of gay, lesbian or bisexual people - Wikipedia, the free encyclopedia

Famous Gay,Lesbian and Bisexual people

The Gay 100:A Ranking of the Most Influential Gay Men and Lesbians, Past and Present


http://the-gossip-columnist-48.blogspot.jp/

http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20060917194657AAd2cBY


http://www.datalounge.com/cgi-bin/iowa/ajax.html?t=9503176#page:showThread,9503176

 

 

 同性愛者の監督、脚本家
ジョージ・バーナード・ショー
George Bernard Shaw
1856-1950
イギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、優生学者、社会主義者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)創設者。イギリス近代演劇の確立者として有名である。ショーが劇作家としての才能を認められるようになったのは40代であるが、精力的に作品を書き続け、94歳で亡くなるまでに53本もの戯曲を残した。カナダのナイアガラ・オン・ザ・レイクでは、毎年数ヶ月にわたって、ショーとその同時代の劇作家の作品を上演するショー・フェスティバルが開催され、世界各国から人々が集まっている。
進取の精神で知られ、新しく世の中に出てくる考え方に対して、ほぼ生涯を通じて賛成している。反面、次々と新しい思想に飛びつき、思想信条に一貫性がないとの誹りもしばしば受けていた。ナチスの優生思想への共感、ソビエト連邦や共産主義に関する好意的な姿勢は物議をかもした。
アレクサンダー・テクニーク創始者のフレデリック・マサイアス・アレクサンダーの有力な支持者であった。


1898年 『シーザーとクレオパトラ』(Caesar and Cleopatra ) シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に対抗して書いた作品日本語訳有り。ヴィヴィアン・リー主演で映画化された際、脚本も共同執筆している。
『ピグマリオン』(Pygmalion)(1913年初演)
ガブリエル・パスカルによって1938年に映画化され、ショーはアカデミー脚色賞を受賞した。また、アラン・J・ラーナーによってミュージカル化され、『マイ・フェア・レディ』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。 『聖女ジョウン』(Saint Joan)(1923年初演)
それまで悲劇のヒロインとして描かれてきたジャンヌ・ダルクを、社会と葛藤する一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞した。1957年に映画化されている(監督:オットー・プレミンジャー、脚色:グレアム・グリーン)。
セシル・B・デミル
Cecil Blount DeMille,
1881-1959 アメリカ合衆国の映画監督。20世紀前半の映画創世記に最も成功した映画製作者のひとり。

1902年、21歳でコンスタンス・アダムスと結婚。4人の子供に恵まれている。

マウリッツ・スティッレル
Mauritz Stiller
1883-1928 脚本家・映画監督。ユダヤ教徒。

フィンランド・ヘルシンキに、ロシア及びポーランド系の両親のもと生まれる。兵役を嫌いスウェーデンに移り、サイレント映画界に身を投じる。短編映画制作から始まり、1912年にはヴィクトル・シェストレム主演の"Thomas Graals basta barn"が高い評価を受ける。1920年までには35本の映画を制作している。
また、ストックホルムの国立劇場で、グレタ・グスタフソンという若い女優に出会い、彼女にグレタ・ガルボという名前を与えて『イエスタ・ベルリングの伝説』に起用した。以来、彼女のよき助言者となっただけでなく、1925年にハリウッドに招かれメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約した際には強引な売り込みで彼女とも契約させた(当時のガルボに対してハリウッドは「太っていて不細工だ」などと批判的であった[1])。
しかし、ハリウッドに移ったものの、そのシステムに馴染めず、ガルボ主演の映画『明眸罪あり』(1926年)の撮影中に契約破棄となる[2]。その後、すぐにFamous Players-Lasky Corporation(パラマウント映画の前身)と契約し、数本の映画を成功させるが、再びスタジオと衝突して1927年にスウェーデンに戻った。スティッレルは翌年に胸膜炎で亡くなったが、その功績が認められ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに彼の星がある。

ガルボとの恋愛関係を疑われたこともあったが、ゲイであったと言われている。
ロスコー・アーバックル
Roscoe Arbuckle
ファッティ・アーバックル
Fatty Arbuckle
1887-1933 アメリカ合衆国カンザス州スミスセンター出身の喜劇俳優、映画監督、脚本家である。サイレント映画の全盛期を支えた俳優の1人である。<BR>
愛称は「太っちょ」という意味の「Fatty」。日本では「デブ君」などの愛称で親しまれていた。大柄な体格の割に、機敏な動きを得意にするなどして人気を博した。「Fatty Arbuckle(ファッティ・アーバックル)」と表記・呼称されることもある。身長178cm・体重120kg。<BR>
2008年3月21日放送のTBSの『アッと驚くあの起源!!万物ルーツ大調査 バラエティ“ご起源さん”』によると日本に“デブ”という言葉を定着させたのも彼だったという。 最初にデブと呼ばれた有名人、デブの起源でアーバックルに認定された。<BR>
<BR>パラマウント社(当時はフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー社)に移籍した1921年、女優ヴァージニア・ラッペへの強姦殺人(故殺)容疑で起訴される。これはパーティ会場に居合わせたロスコーが駆け出しの女優だったラッペに対して犯行に及んだと報道された事件で、当時のハリウッド、また全米を震撼させた出来事の1つである。パーティの後、3日後にラッペは膀胱破裂に起因する腹膜炎で死亡。これにより様々な情報、憶測が新聞を通じて大々的に報じられた。当初からロスコーは「そのような事実は無かった」と訴え、結局、証拠不十分により無罪を評決されている。しかしながら現在に至っても真相は解明されていない。この事件により世間のハリウッドに対する風当たりは厳しくなり、アーバックル作品が各都市で上映禁止になるなどした。<BR>
上記の事件により、ロスコーは半ば映画界から追放された形になり収入が途絶えた。一端映画界から離れヴォードヴィルへの出演を経験した後、1924年にキートンに声を掛けられて『キートンの探偵学入門(忍術キートン)』(Sherlock,Jr.)の監督に挑戦した。尚、この頃から名前を「ウィル・グッドリッチ」(William
Goodrich)に改めて活動した。これは「Will be good=きっと良くなる」をもじったもので、キートンが考案した。<BR>
1933年6月29日、心臓麻痺によりニューヨークのマンハッタンで死亡。46歳。ワーナー・ブラザーズ社で短編映画の製作に取り組んでいる最中だった。<BR>

3度の結婚を経験している。<BR>
ミンタ・ダーフィー(女優) 1918年結婚。1925年離婚。長らく別居生活が続いた。<BR>
ドリス・ディーン(女優) 1925年結婚。1928年離婚。<BR>
アディー・マクファイル(女優) 1932年結婚。

F・W・ムルナウ 1888-1931 サイレント映画の頃から活躍していた映画監督『ジェキル博士とハイド氏 』『 吸血鬼ノスフェラトゥ 』『 最後の人』『 タルテュッフ 』『ファウスト 』『 サンライズ 』 他の監督によってリメイクされた『ノスフェラトゥ 』の脚本。自動車事故で死亡。ある説によると、その車の運転手にフェラチオをしていたとか。
ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア
Joseph Patrick "Joe" Kennedy, Sr.
1888-1969 アメリカ合衆国の政治家・実業家、第35代大統領のジョン・F・ケネディの父として知られる。「ジョー」は「ジョセフ」の短縮形。
映画産業に食指を動かし、いくつかの映画会社を統合してRKOを設立。
ハリウッドで、ジョーは当時の人気女優グロリア・スワンソンと浮名を流した。スワンソンは自身の映画制作会社の資金繰りに困っているときにジョーを紹介されたのだった。二人とも既婚者であったが、すぐに情事を重ねるようになり、やがてジョーは自らが製作にあたり、エリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich von Stroheim)を監督にたてて、スワンソンの主演映画「クイーン・ケリー」(Queen Kelly、1929年)を撮り始めた。しかし製作は途中で頓挫、制作費60万ドルが無駄になった。大作映画のプロデューサーとして歴史に名前を残したいというジョーの目論見は終わった。彼はあきらめず、「侵入者」(The Trespasser、1929年)、「陽気な後家さん」(What a Widow! 1930年)とスワンソン映画の製作を続けたが、スワンソン自身がジョーに愛想を尽かし始めていた。そのきっかけはスワンソンが自分の口座から引き落とした金でジョーが人にプレゼントをしているのに気がついたことだった。さらにジョーはクイーン・ケリーの借金をスワンソンが負うような手続きすらしていた。二人の関係は終わり、ジョーもハリウッド・ビジネスから手を引いた。

製作
1930 What a Widow! (executive producer)
1929 Red Hot Rhythm (producer)
1929 The Trespasser (executive producer)
1929 The Sophomore (producer)
1929 Queen Kelly (producer - uncredited)
1927 Shanghaied (producer)
1927 Tom's Gang (producer)
1927 Splitting the Breeze (producer)
1927 Naughty Nanette (executive producer)
1926 Heavy Fullbacks (short) (executive producer)
1923 The Eagle's Talons (producer - uncredited)

ジャン・コクトー 1889-1963 フランスの作家、画家、映画監督として多才な才能を発揮した方。映画『美女と野獣』などの主演俳優ジャン・マレーは愛人だったとか。小説『恐るべき子供たち』を書き、他の方が映画監督で映画化されるときには、脚本も書いた。
チャールズ・チャップリン
1889-1977 英国に生まれ育ち劇団で活躍、後にアメリカに招かれ俳優兼映画監督として活躍。1950年代に入り、ジョセフ・マッカーシー上院議員の指揮の下、赤狩りを進める上院政府活動委員会常設調査小委員会から、他の「容共的である」とされた監督や俳優とともに何度も召喚命令を受けた。アメリカへ帰国することなくそのままスイスへと移住。72年にはアカデミー音楽賞と特別賞贈呈のためニューヨークとハリウッドに招かれ、アメリカとの和解が実現した。1977年スイスで永眠。
結婚暦四度。、当時十代のミルドレット・ハリスと結婚して一児をもうけたが離婚。『キッド』で天使役で出ていた当時十代のリタ・グレイが妊娠したので大急ぎで結婚し二児をもうけたが泥沼の離婚スキャンダル。当時20代で離婚暦のあったポーレット・ゴダードと結婚離婚。作家ユージン・オニールの娘で当時十代のウーナと結婚して八児をもうけた。
チャップリンと言えば、ロリコン・スキャンダルが有名だけど。実はゲイって!でもそう言われてみれば、ロリコン有名人が実はゲイって次々に暴露されてきたなあ。隠れゲイは大人の女が恐ろしく、何も知らない処女じゃないと怖くてムリだからって処女妻を選ぶ法則とか分かるかも。ロリコン有名人をもう一度洗い直したら、実はゲイっていうのが続々出てくるのでしょうね。
映画評論家の石原郁子が映画『ラヴェンダー・スクリーン』のパンフレットで「『街の灯』のお金持ちのおじさんはゲイだ」という説を書いていた。他にも同性愛をネタにしたギャグが結構あったとか。
エドマンド・グールディング
Edmund Goulding
1891- 1959 イギリス出身の映画監督・脚本家。
ロンドンの舞台で舞台監督・劇作家・俳優として活躍。第一次世界大戦に従軍し、負傷して退役した後、1921年にアメリカに移住。ハリウッドでグレタ・ガルボの「アンナ・カレニナ」やアカデミー作品賞受賞の「グランド・ホテル」、ベティ・デイヴィスの「愛の勝利」などを監督し高い評価を得る。しかし1959年、ロサンゼルスの病院で心臓手術中に亡くなった。

アンナ・カレニナ Love (1927)
トレスパッサー?The Trespasser (1929)
月世界征服 Reaching for the Moon (1930)
パラマウント・オン・パレイド?Paramount on Parade (1930)
グランド・ホテル Grand Hotel (1932)
或る女 That Certain Woman (1937)
愛の勝利 Dark Victory (1939)
偉大な嘘 The Great Lie (1941)
永遠の処女?The Constant Nymph (1943)
剃刀の刃 The Razor's Edge (1946)
悪魔の往く町 Nightmare Alley (1947)
ジェイムズ・ホエール 1896〜1957 『フランケンシュタイン』『透明人間』『フランケンシュタインの花嫁』『ショー・ボート』

1998年に彼の生涯を題材にビル・コンドン監督『ゴッズ・アンド・モンスターズ』が映画化された。
ウィリアム・フォークナー
William Faulkner
1897-1962 アメリカ合衆国の小説家。ヘミングウェイと並び称される20世紀アメリカ文学の巨匠であり、南部アメリカの因習的な世界を「意識の流れ」を初めとする様々な実験的手法で描いた。代表作に『響きと怒り』、『サンクチュアリ』、『八月の光』、『アブサロム、アブサロム!』など。1949年度ノーベル文学賞受賞。
フォークナーはその生涯の大半をミシシッピ州の田舎町オクスフォードで過ごしており、彼の作品の大部分は同地をモデルにした架空の土地ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台にしている。これらの作品はオノレ・ド・バルザック的な同一人物再登場法によって相互に結び付けられ、その総体はヨクナパトーファ・サーガと呼ばれる。


代表作
『八月の光』
『響きと怒り』
『アブサロム、アブサロム!』

主な受賞歴
ノーベル文学賞(1949)
全米図書賞(1951,1955)
ピューリッツァー賞(1955,1963)


長く熱い夜 (1985)<TVM>原作
華麗なる週末 (1969)原作
悶え (1959)原作
長く熱い夜 (1958)原作
翼に賭ける命 (1957)原作
ピラミッド (1955)脚本
三つ数えろ (1946)脚本
脱出 (1944)脚本
永遠の戦場 (1936)脚本
今日限りの命 (1933)原作
暴風の処女 (1933)原作
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン 1898〜1948 ロシア人。『戦艦ポチョムキン』『ストライキ 』『十月』『全線』『メキシコの嵐』『アレクサンドル・ネフスキー』『イワン雷帝 』『メキシコ万歳』 
2000年に彼の生涯を取材したドキュメンタリー映画『エイゼンシュテイン』が制作された。
革命か、壮大なスケールのロシア歴史絵巻かで知ってたけど、この人がゲイだなんてビックリした! 
溝口健二 1898-1956 女性を主人公に据えた情緒的な作品が多い。黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らと並び称される日本映画の巨匠の一人である。

日活の俳優であった富岡正の知遇を得、1920年(大正9年)に日活向島撮影所に入社。監督助手として小口忠や田中栄三らについたのを経て、1923年(大正12年)2月、先輩監督の若山治のオリジナル脚本による『愛に甦る日』で24歳にして映画監督デビューを果たした。

日本画家の甲斐庄楠音を時代風俗考証担当に抜擢した事でも知られる。


西鶴一代女(1952年ヴェネツィア国際映画祭「国際賞」、BBC選出「21世紀に残したい映画100本」)
雨月物語(1953年ヴェネツィア国際映画祭「銀獅子賞」、米アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート、ナショナル・ボード・オブ・レビュー「経歴賞」)
近松物語(第8回カンヌ国際映画祭出品)
山椒大夫(1954年ヴェネツィア国際映画祭「銀獅子賞」)
新・平家物語 (1955年ヴェネツィア国際映画祭出品)
楊貴妃(1955年ヴェネツィア国際映画祭出品)
赤線地帯(1956年ヴェネツィア国際映画祭出品)

ジャン=リュック・ゴダールをはじめ、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ベルナルド・ベルトルッチ、ジャック・リヴェット、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ビクトル・エリセなどヌーヴェルヴァーグ世代のヨーロッパの映画作家に多大な影響を与えた。とりわけ溝口の墓参までしたゴダールの溝口への傾倒ぶりは有名で、「好きな監督を3人挙げると?」との問いに「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えるほどだった。



1925年(大正14年)『赤い夕日に照らされて』を撮影中に痴話喧嘩のもつれから、恋人であり同棲中の雇女(別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で斬られるという事件を起こし、しばらく謹慎処分となる。以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになる。

情婦を怒らせ斬りつけられるほど、女性に対する暴言は有名だった。妻を発狂させるほど追い込んでもいる。

映画人との私的な交際はあまり見られなかったが、田中絹代とは公私にわたる親交を育んだ。
ジョージ・キューカー 1899-1983 主な監督作品
愛の嗚咽 - A Bill of Divorcement (1932)
晩餐八時 - Dinner at Eight (1933)
若草物語 - Little Women (1933)
孤児ダビド物語 - David Copperfield (1935)
男装 - Sylvia Scarlett (1935)
ロミオとジュリエット - Romeo and Juliet (1936)
椿姫 - Camille (1937)
素晴らしき休日 - Holiday (1938)
舞姫ザザ - Zaza (1939)
ザ・ウィメン - The Women (1939)
フィラデルフィア物語 - The Philadelphia Story (1940)
女の顔 - A Woman's Face (1941)
ガス燈 - Gaslight (1944) - キネマ旬報ベスト・テン 第9位
二重生活 - A Double Life (1947)
アダム氏とマダム - Adam's Rib (1949)
ボーン・イエスタデイ - Born Yesterday (1950)
スタア誕生 - A Star Is Born (1954) - キネマ旬報ベスト・テン 第3位
西部に賭ける女 - Heller in Pink Tights (1960)
恋をしましょう - Let's Make Love (1960)
チャップマン報告 - The Chapman Report (1962)
マイ・フェア・レディ - My Fair Lady (1964)
ベストフレンズ - Rich and Famous (1981)


彼がゲイであったのは公然の秘密だった。このことは、『ゴッド・アンド・モンスター』(1998年)でも触れられていた。
チャールズ・ロートン 1899-1962 英国の俳優。
後に女優エルザ・ランチェスター(『フランケンシュタインの花嫁』が有名)と結婚して二人ともアメリカ市民権を得て移住した。子供はいなかった。彼の死後、彼女が伝記で「彼は同性愛者だったから子供ができなかった」とか。

『狩人の夜』を監督したけど、興行的に大失敗をして二度と映画監督ができなかった。でもずっと後になってから評価されるようになった。
マルク・アレグレ 1900〜1973 フランス人。『チャタレイ夫人の恋人』 原作はゲイのD・H・ロレンス。実生活では、かなり年上の作家アンドレ・ジッドの愛人だったとか。
ドロシー・アーズナー 1900-1979 『女優ナナ』
ウォルト・ディズニー
Walt Disney
1901-1966 アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴに生まれたアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナー。世界的に有名なアニメーションキャラクター「ミッキー・マウス」の生みの親であり、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは350億ドルの収入を持つ国際的な大企業に発展した。

本名はウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)。一族はアイルランドからの移民であり、姓の「ディズニー」の由来はフランスのカルヴァドス県のイズニーで、後に英語風に直された。イライアスは父名。

アンソニー・アスクィス 1902-1968 『ピグマリオン』(後にミュージカル化されたのが『マイ・フェア・レディ』) 『予期せぬ出来事』 『黄色いロールス・ロイス』
英国首相(1908-1916)で後に世襲制の貴族階級の地位を獲得したハーバート・ヘンリー・アスキスの末っ子として産まれた。皮肉なことに、アンソニー・アスクィスの父親が内務大臣の頃に作家オスカー・ワイルドを同性愛の罪で逮捕させた。末っ子がゲイなのに。
アンソニー・アスクィスのシスターの孫がヘレナ・ボーナム=カーター。
小津安二郎 1903〜1963 『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『晩春』『宗方姉妹』『麦秋』『お茶漬の味』『東京物語』『早春』『東京暮色』『彼岸花』『お早よう』『浮草』『秋日和』『小早川家の秋』『秋刀魚の味』
生涯独身。家庭を舞台にしたドラマで、家族の絆の崩壊や老人の孤独などを静かに見つめていた。作品発表時は低予算で黒字だった。
死後は日本国内での人気はなく、フランスやドイツの映画人から高く評価され、それが逆輸入される形で日本でも巨匠として評価されるようになった。

アメリカの文化人ドナルド・リチー(1924〜)が、日本映画や日本文化を紹介し、特に小津や黒澤の映画を海外に知らしめた功績は大きい。「ゲイのラフカディオ・ハーン」と呼ばれている。アメリカにおける日本文化紹介はコロンビア大学卒の人脈とゲイ人脈が大きい。
ヴィンセント・ミネリ 1903-1986 子役として活躍後、写真スタジオなどを経てパラマウント・シアターで衣裳デザイナーとして働く。やがて舞台の美術監督、演出家となり、40年にMGMに入社。何本かのミュージカル場面を演出し、43年に「キャビン イン ザ スカイ」で監督としてデビュー。監督した『若草の頃』の主演女優ジュディ・ガーランドと45年に結婚し娘ライザ・ミネリをもうけたが50年離婚。51年の「巴里のアメリカ人」がアカデミー作品賞を受賞し、MGMミュージカルの黄金期を支えた。
監督した『若草の頃』の主演女優ジュディ・ガーランドと45年に結婚し娘ライザ・ミネリをもうけたが50年離婚。その後も何度も結婚。86年に死亡。
若草の頃 (1944)
ジーグフェルド・フォリーズ (1946)
花嫁の父 (1950)
巴里のアメリカ人 (1951) 主役ジーン・ケリーも同性愛説
バンド・ワゴン (1953)
炎の人ゴッホ (1956) 実はゴッホとゴーギャンには同性愛説がある
お茶と同情 (1956)  同性愛が題材!
恋の手ほどき (1958)

ハワード・ヒューズ
Howard
1905- アメリカの実業家・映画製作者・飛行家で、20世紀を代表する億万長者として知られ、「資本主義の権化」、「地球上の富の半分を持つ男」と評された。



映画製作者
当初はハリウッドの映画界にコネもない上、映画制作の経験もないためその手腕は疑問視されたが、その後、1928年に製作された『暴力団』で第1回アカデミー賞最優秀作品賞候補にノミネートされた他、史上初めて製作費が100万ドルを超えた超大作『地獄の天使』(1930年)や、『暗黒街の顔役』(1932年)などのヒット作の製作を手がけるなど、数々の成功を収めた。

1948年には当時の有力映画会社の一つで、経営危機に陥っていたRKO(ラジオ・キース・オヒューム、Radio-Keith-Orpheum) 社を880万ドルかけ買収し傘下に収め、制作・配給体制を強化している。買収後は『征服者』(1956年)や『ジェット・パイロット』(1957年)などのヒット作を送り出すものの、経営状態を改善するまでには至らず、その後トランス・ワールド航空の経営資金を捻出するためもあり、売却することになる。

映画制作の傍ら、キャサリン・ヘプバーンやエヴァ・ガードナー、ジーン・ハーロウなど数々のハリウッド女優やセレブリティらと浮名を流したことでも有名であった。また、自らの趣味をかねて新人女優(その多くが胸の大きな女性であった)を発掘し、育て上げる手腕は評価が高かった。

2004年製作(日本公開は2005年)、アカデミー賞5部門を獲得したマーティン・スコセッシ監督の大作『アビエイター』で、アメリカ人俳優レオナルド・ディカプリオが、ヒューズの生涯を演じアカデミー賞主演男優賞候補になった。ディカプリオ自身の受賞はかなわなかったものの、作品自体は5部門獲得した。作品内では、上記のようなヒューズの生涯のエピソードに加え、フィクションながら数々の女優との華やかな恋愛や失恋、リスクを厭わない莫大な投資と破天荒なまでのビジネス手法、正に命懸けの成功を収めていく影で彼自身は心を病み、強迫性障害に苦しめられ、全裸で試写室にこもり、乱心(牛乳瓶に排泄したり、映画を見て苦しむなど)する姿が描かれている。


越智道雄の文での紹介。
古典的な理想的英国人俳優ケアリー・グラント(「ケイリー」という表記のほうが多い)がバイセクシャルで、エクセントリックな大富豪ハワード・ヒューズや、B級西部劇で寡黙なヒーローを演じ続けたランドルフ・スコットらと性的関係にあったと暴露されたのである(チャールズ・ハイアム『ケアリー・グラント──ローンリー・ハート』)。

彼との交際を自伝本に書いたキャサリン・ヘプバーンもバイセクシュアル。キャサリン・ヘプバーンとは結婚しない事実婚のパートナーとして有名なスペンサー・トレイシーも実はバイセクシュアル。

女優
Bette Davis, (バイ説)
Yvonne de Carlo,
Olivia De Havilland, (バイ説)
Marlene Dietrich, (バイ説)
Faith Domergue (when she was 15),
Ava Gardner, (バイ説)
Paulette Goddard, (バイ説)
Jean Harlow, (バイ説)
Katharine Hepburn, (バイ説)
Barbara Hutton,
Hedy Lamarr,
Carole Lombard,
Ida Lupino,
Marilyn Monroe, (バイ説)
Jean Peters,
Ginger Rogers, (バイ説)
Norma Shearer,
Gene Tierney,
Lana Turner,
Gloria Vanderbilt,
Shelley Winters.

男優
Errol Flynn,
Cary Grant,
Tryone Power,
Randolph Scott,


クラウス・マン 1906-1949

作家トーマス・マンの息子。『メフィスト』原作 ナチスによりドイツの市民権が剥奪された後にはチェコの市民権を獲得。アメリカに移りアメリカの市民権を得た。睡眠薬の過剰摂取で死亡。

愛の逃避行 (1985)原作
メフィスト (1981)原作
戦火のかなた (1946)脚本
ジョン・ヒューストン
John Huston
1906-1987 アメリカ合衆国の映画監督・脚本家・俳優。

主な監督作品
マルタの鷹 The Maltese Falcon (1941)
パナマの死角 Across the Pacific (1942) ※日本未公開
黄金 The Treasure of the Sierra Madre (1948)
キー・ラーゴ Key Largo (1948)
アスファルト・ジャングル The Asphalt Jungle (1950)
アフリカの女王 The African Queen (1951)
赤い風車 Moulin Rouge (1952)
悪魔をやっつけろ Beat the Devil (1953)
白鯨 Moby Dick (1956)
許されざる者 The Unforgiven (1960)
荒馬と女 The Misfits (1961)
イグアナの夜 The Night of the Iguana (1964)
天地創造 The Bible (1966)
007 カジノロワイヤル Casino Royale (1967)
ロイ・ビーン The Life and Times of Judge Roy Bean (1972)
マッキントッシュの男 The MacKintosh Man (1972)
王になろうとした男 The Man Who Would Be King (1975)
勝利への脱出 Escape to Victory(1980)
アニー Annie (1982)
女と男の名誉 Prizzi's Honor (1985)
ザ・デッド/「ダブリン市民」より The Dead (1987)

脚本
ヨーク軍曹 -Sergeant York (1941)


生涯で5回結婚している。そして1度の死別を除いた4回はすべて離婚した。「人間、5回も結婚すべきでない」と晩年に反省の弁を残している。2人目までは映画界と無縁の女性だが、3人目は女優イヴリン・キース(『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラの妹役を演じた。イヴリンの名は偶然にも『チャイナタウン』でフェイ・ダナウェイが演じたノア・クロスの娘イヴリン・モウレーと同じ)。4人目がロシア人バレリーナ、リッキー・ソマ。リッキーの事故死後、5人目の妻はメキシコ人女性。70歳を過ぎても、子供のような年齢のメキシコ人女性と同棲していた。
リッキー・ソマとの間の娘アンジェリカ・ヒューストンは女優となった。


豊田四郎 1906-1977 1924年に松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。その後、東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。『小島の春』や『恍惚の人』など、難病と戦う人々を扱った文芸作品も進んで映画化したが、誤った知識や対処法を原作どおりに描いたために、後年たびたび批判の対象となる。
ホモセクシュアルであり(このことは池部良や森繁久弥の随筆に記されており、有名な話である)、また女優へのしごきは人一倍厳しかったという。
1977年、俳優・北大路欣也の結婚披露宴中に心臓発作で倒れ急逝。71歳没。
『夫婦善哉』1955、『雪国』1957、『暗夜行路』1959、『新・夫婦善哉』1963、『恍惚の人』1973
マルセル・カルネ(Marcel Carne, 1906-1996 フランス・パリ出身の映画監督・脚本家である。詩人でもあった脚本家のジャック・プレヴェールとの共同作品で有名。

パリにある職業技術学校の写真映画科を卒業後、1929年、撮影助手として映画入りする。仕事ぶりが良かったことから、女優のフランソワーズ・ロゼーの紹介で、ロゼーの夫で映画監督のジャック・フェデーの下で助監督として働く。1936年にロゼー主演の『ジェニイの家』で監督デビュー。続いて1938年に『霧の波止場』でヴェネツィア国際映画祭監督賞とルイ・デリック賞を受賞、デビュー2年目でフランスを代表する巨匠としての名声を得る。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツにフランスが占領され、フェデー、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワールといったほとんどの映画人がアメリカに亡命する中、国内に残留したカルネは、脚本家のジャック・プレヴェールと組んで『悪魔が夜来る』を発表、政治的にも経済的にも映画制作が困難な状況の下、反ファシズムの姿勢を貫いた。そしてパリ解放後の1945年、フランス映画史に今も燦然と輝く名作『天井桟敷の人々』を再びプレヴェールと組んで発表。戦後もエミール・ゾラ原作の『嘆きのテレーズ』を監督するが、ヌーヴェルヴァーグ以降は低迷し、カルネも青年たちの非行問題を取り上げた『危険な曲がり角』でフランス・シネマ大賞を受賞したのみだった。

主な監督作品
外人部隊 (1933) (助監督。監督はジャック・フェデー)
ジェニイの家 (1936)
霧の波止場 (1938)
北ホテル (1938)
陽は昇る (1939)
悪魔が夜来る?(1942)
天井桟敷の人々 (1945)
夜の門 (1946)
港のマリィ (1949)
愛人ジュリエット (1950)
嘆きのテレーズ (1952)
われら巴里ッ子 (1954)
遥かなる国から来た男 (1956)
危険な曲り角 (1958)
広場(ひろっぱ)(1960)
マンハッタンの哀愁 (1965)
若い狼たち (1967)
ルキノ・ヴィスコンティ 1906〜76 『地獄に落ちた勇者ども』『ヴェニスに死す』『ルードビッヒ』『家族の肖像』
 イタリア、ミラノの大貴族の御曹司で、生涯独身。アラン・ドロン、ヘルムート・バーガー、マルク・ポレルなど若くて下品な美男がお気にいりだったとか。年いってたけどバート・ランカスターも。
ジョン・ウェイン
John Wayne
1907-1979 アメリカの俳優、映画プロデューサー、映画監督。「デューク」(Duke)の愛称で呼ばれた。

1948年のハワード・ホークス監督『赤い河』の大ヒットにより、翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクインし、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた。
一方で自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的タカ派俳優として非難の対象ともなり、特にベトナム戦争が泥沼化した一時期には人気を落としたが、それに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画『グリーン・ベレー』を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描いた。
多くの作品に出演した彼は『硫黄島の砂』で主演男優賞、監督した『アラモ』で最優秀作品賞と2度のアカデミー賞ノミネートを受けていた。だが、そんな中ウェインは1964年に肺癌を宣告され、片肺を失うも闘病を宣言して俳優活動を続けていった。そして1969年の『勇気ある追跡』で粗野で酒飲みな隻眼の保安官を演じ、ようやく最優秀主演男優賞を受賞した。念願のオスカーを手にしたウェインは人気を取り戻し、以後遺作となった『ラスト・シューティスト』まで精力的に活躍した。
また、俳優時代には俳優組合長も務めていた。

配偶者
ジョゼフィン・アリシア・シーンズ (1933?1945)
エスペランザ・バウアー (1946?1953)
パイラー・パレット (1954?1979)

ジョゼフィンとの間に4人、パイラーとの間に3人の子供がいた。最も有名なのは俳優のパトリック・ウェインである。彼の子供のうち1人を除いて全員が映画俳優となった。
ローレンス・オリヴィエ

Lord Laurence Olivier OM
1907-1989  イギリスの俳優、映画監督。アカデミー賞を受賞し、シェイクスピア俳優としても有名。20世紀の名優として多くの映画人から称賛される。
本名はローレンス・カー・オリヴィエ(Laurence Kerr Olivier)。愛称はラリー(Larry)。 

1940年8月に『美女ありき』の撮影中にエズモンドとの離婚が成立、撮影終了後に晴れてリーと再婚し、帰国する。
帰国後は海軍に志願、航空隊のパイロットとして海軍に在籍中の1943年に、命じられて国威発揚映画『The Demi-Paradise』と『ヘンリィ五世』を監督・主演。特に『ヘンリィ五世』はシェイクスピア劇の完璧な映画化と絶賛される。1944年にはラルフ・リチャードソンとともに、ドイツ空軍のロンドン爆撃で劇場が破壊されて以来、停止していたオールド・ヴィク座の再建に尽力。
終戦後はヨーロッパ各地やニューヨークに巡業し、批評家から絶賛される。これらの功績により、1947年にナイト位を授けられる。この年に製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度のアカデミー作品賞、主演男優賞を受賞。名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がる。
しかし、私生活ではリーのニンフォマニアの症状と躁鬱病の発作に悩まされ続け、1957年に舞台や映画『The Entertainer』で共演した新進女優ジョーン・プロウライトとの生活に安らぎを見出して、ついに1960年にリーと離婚、プロウライトと再婚する(3度目にして最後)。1962年から1963年までナショナル・シアターのディレクターを務め、1970年には俳優として初めて貴族(ロード)の爵位が与えられ、男爵となる[5][6]。
1989年7月11日、腎不全のため死去。子供はエドモンズの間に一男、プロウライトとの間に一男二女を儲ける。アカデミー賞には、俳優として10回(主演賞9回、助演賞1回)ノミネートされ、特に主演賞9回ノミネートは、スペンサー・トレイシーと並んで歴代1位である。また、1947年と1979年にはアカデミー特別賞を受賞。一方、『インチョン!』という迷作に関わってしまったために1982年にはゴールデンラズベリー賞の最悪主演男優賞を受賞することとなった。1984年に自伝『一俳優の告白』を発表した。本人が最も気に入っている作品は、意外にも残忍なナチスの残党を演じた1976年の映画『マラソンマン』だという。
オリヴィエの死後に出版された伝記等には、オリヴィエがバイセクシュアルであった可能性が示唆されている[7]。3番目の妻であったジョーン・プロウライトは、オリヴィエは彼女との結婚前にダニー・ケイと関係を持っていたと仄めかしている[8]。また、俳優のデヴィッド・ニーヴンは、ある時オリヴィエとマーロン・ブランドがプールでキスしているところを目撃したと語っている[9]。

Linked with Greer Garson, Danny Kaye (a long-time partner), and Vivien Leigh.
ジョセフ・L・マンキウイッツ(1909〜93)  『去年の夏突然に』 原作はゲイのテネシー・ウイリアムズの舞台用の戯曲。
黒澤明 1910〜1998 『七人の侍』 
アメリカの文化人ドナルド・リチー(1924〜)が、日本映画や日本文化を紹介し、特に小津や黒澤の映画を海外に知らしめた功績は大きい。「ゲイのラフカディオ・ハーン」と呼ばれている。アメリカにおける日本文化紹介はコロンビア大学卒の人脈とゲイ人脈が大きい。
ニコラス・レイ 1911-1979

夜の人々 (1949年) -
暗黒への転落 (1949年) -
女の秘密 (1949年)
孤独な場所で (1950年) -
生まれながらの悪女 (1950年) -
太平洋航空作戦 (1951年) -
危険な場所で (1952年) -
死のロデオ (1952年) -
大砂塵 (1954年) -
追われる男 (1955年) -
理由なき反抗 (1955年) -
熱い血 (1956年) -
黒の報酬 (1956年) -
無法の王者ジェジー・ジェイムス (1957年) -
にがい勝利 (1957年) -
エヴァグレイズを渡る風 (1958年) -
暗黒街の女 (1958年)
バレン (1960年) -
キング・オブ・キングズ (1961年) -
北京の55日 (1963年)
ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン (1976年)
ニックス・ムービー/水上の稲妻 (1980年)

『理由なき反抗』の主演俳優ジェイムズ・ディーン、サル・ミネオもゲイ。

生涯に4回結婚し、子供も何人ももうけた。
ジーンと結婚し、息子アンソニーをもうけた。
1948年に女優のグロリア・グレアムと結婚し一児をもうけたが1952年に離婚。最初の妻ジーンとの間に生まれた息子アンソニーは後にグロリア・グレアムの4番目の夫になっている。
Betty Uteyと結婚し二児をもうけたが離婚。
スーザンと再婚して彼の死で死別。
木下恵介 1912〜 『女の園』『お嬢さん乾杯!』『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『野菊の如き君なりき』
ジーン・ケリー
Gene Kelly
1912-1996 アメリカ合衆国の俳優、ダンサー、振り付け師。映画製作、監督、脚本。

Spouse
Patricia Ward Kelly (20 July 1990 - 2 February 1996) (his death)
Jeanne Coyne (6 August 1960 - 10 May 1973) (her death) 2 children
Betsy Blair (22 September 1941 - 3 April 1957) (divorced) 1 child

ルネ・クレマン 1913〜96 アラン・ドロンは若さと美貌を武器にルネ・クレマン(『太陽がいっぱい』『危険がいっぱい』)、ルキノ・ヴィスコンティ(『若者のすべて』『山猫』)等巨匠をとりこにして出世の糸口をつかんだとか何かで読んだような。クレマン監督は一応結婚していたらしい。
ノーマン・マクラレン
(Norman McLaren
1914 カナダの実験映像、アニメーション作家。
英スコットランドのスターリング生まれ。画家を志してグラスゴーの美術学校に入学、セルゲイ・エイゼンシュテインを始め、多くの優れた映画に出会う。とりわけ、実験的映像に興味を持ち、在学中にフィルムクラブを作り同時代の巨匠たちのフィルムを見続けたほか、フィルムにダイレクトペイントした作品を自主制作した。そのときの作品がドキュメンタリー映画監督のジョン・グリアスンの目にとまり、イギリス郵便局の映画部に招かれる。その後、ロンドン、アメリカと拠点地を移動。グリアスンがカナダの国立映画制作庁(NFB)の局長に就任すると、彼の推薦によりアニメーション部門の責任者となる。
1930年代から1980年代までの50年間に、約70作品を制作。200あまりの国際賞を獲得している。ダイレクトペイント、ピクシレーション、カリグラフィ、立体アニメーション、多重露光映画など、数々の実験映画を手がけた。NFBの後進の指導にも尽力し、NFBの作家主義、個人制作スタイルを牽引した。
1967年、カナダのモントリオール万博の際、日本の立体アニメーション作家・高橋克雄氏の立体アニメーション映画『一寸法師』の試写会がNFBのマクラレン氏のもとで行われた。『一寸法師』を観た後、マクラレン氏は高橋克雄氏に『どうしても解析したい特撮場面があるのでフィルムを一週間預かりたい。』と申し入れた。氏がこれを快諾すると、代わりに自分の特撮の秘密を教えるからスタジオに遊びに来るように言い、高橋氏を自分のスタジオに招き入れてお互いの技法についての種明かしや意見交換など楽しい会話を交わすこととなった。高橋氏はマクラレン氏のスタジオでカリグラフィのマシンや撮り方を見せてもらい、マクラレン氏は『一寸法師』で使われている高橋氏考案のブレ技法の撮り方を教わった。このモントリオール博覧会でマクラレン監督やチェコのトルンカ監督の手がけた巨大で迫力のある映像展示に圧倒された高橋氏は70年大阪万博に向けてマクラレン氏からの励ましのことばを胸に奮起。日立グループ館における企画コンペにインタラクティブ型映像展示を取り入れて起用された。高橋氏の東京中央プロダクション・高橋克雄著作権事務所にはマクラレン氏本人、スタジオ内の様子やマーク・スレード部長、若手のスタッフ、マクラレンのもとに集まっていたアニメーション作家たちと一緒に撮影された珍しいスナップ写真や記念写真などが貴重な資料として保管されている。

星とストライプ 1983/2分
ループ Loops 1940/3分
色彩幻想−過去のつまらぬ気がかり 1949年/8分
ペイント・パーカッション−ペン先の音楽 Pen Point percussion 1951/6分
隣人 1952年/8分
線と色の即興詩 1955年/5分
算数あそび Rythmetic 1956年/9分
マクラレンの開会の辞 1960年/7分
ニューヨーク・ライトボードの記憶 1961年/8分
カノン 1964年/9分
パ・ドゥ・ドゥ 1968年/13分
シンクロミー 1971年/7分
市川崑
市川昆
1915-2008 『−「眞知子」より− 花ひらく』(1948年、新東宝)
『三百六十五夜 東京篇・大阪篇』(1948年、新東宝)
『人間模様』(1949年、新東宝)
『果てしなき情熱』(1949年、新世紀プロ=新東宝)
『銀座三四郎』(1950年、新東宝=青柳プロ)※再公開・短縮版では「銀座の猛者」と改題
『熱泥地』(1950年、新東宝))※再公開・短縮版では「現金と美女と三悪人」と改題
『暁の追跡』(1950年、田中プロ=新東宝)※再公開・短縮版では「警察官と暴力団」と改題
『夜来香』(1951年、新東宝=昭映プロ)
『恋人』(1951年、新東宝=昭映プロ)
『無国籍者』(1951年、昭映プロ=東横映画)
『盗まれた恋』(1951年、新東宝=青柳プロ)
『ブンガワンソロ』(1951年、新東宝)
『結婚行進曲』(1951年、東宝)
『ラッキーさん』(1952年、東宝)
『若い人』(1952年、東宝)
『足にさわった女』(1952年、東宝)
『あの手この手』(1952年、大映京都)
『プーサン』(1953年、東宝)
『青色革命』(1953年、東宝)
『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』(1953年、東宝)
『愛人』(1953年、東宝)
『わたしの凡てを』(1954年、東宝)
『億万長者』(1954年、青年俳優クラブ)
『女性に関する十二章』(1954年、東宝)
『青春怪談』(1955年、日活)
『こころ』(1955年、日活)
『ビルマの竪琴 第一部』(1956年、日活)
『ビルマの竪琴 第二部』(1956年、日活)※現存するフィルムは監督自身によって編集された「総集編」
『処刑の部屋』(1956年、大映東京)
『日本橋』(1956年、大映東京)
『満員電車』(1957年、大映東京)
『東北の神武たち』(1957年、東宝)
『穴』(1957年、大映東京)
『炎上』(1958年、大映京都)
『あなたと私の合言葉・さようなら、今日は』(1959年、大映東京)
『鍵』(1959年、大映東京)※内容の妖艶さから国会でも物議をかもした
『野火』(1959年、大映東京)
『女経』(1960年、大映東京)※オムニバス作品。第2話「物を高く売りつける女」の監督を担当。
『ぼんち』(1960年、大映京都)
『おとうと』(1960年、大映東京)
『黒い十人の女』(1961年、大映東京)
『破戒』(1962年、大映京都)
『私は二歳』(1962年、大映東京)
『雪之丞変化』(1963年、大映京都)
『太平洋ひとりぼっち』(1963年、日活・石原プロ)
『ど根性物語 銭の踊り』(1964年、大映東京)
『東京オリンピック』(1965年、東京オリンピック映画協会)※総監督
『トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年、東宝東和)
『青春 第50回全国高校野球選手権大会』(1968年、朝日新聞=朝日テレビニュース)※総監督
『愛ふたたび』(1971年、東宝)
『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』(1973年、デビッド・ウォルパー・プロダクション)※男子100Mを担当
『股旅』(1973年、崑プロ=ATG)脚本:市川崑・谷川俊太郎
『吾輩は猫である』(1975年、芸苑社)
『妻と女の間』(1976年、東宝=芸苑社)※豊田四郎と共同監督
『犬神家の一族』(1976年、角川春樹事務所)
『悪魔の手毬唄』(1977年、東宝)
『獄門島』(1977年、東宝)
『火の鳥』(1978年、火の鳥プロ=東宝)
『女王蜂』(1978年、東宝)
『病院坂の首縊りの家』(1979年、東宝)
『銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)』(1979年、東映)※監修
『古都』(1980年、東宝=ホリ企画)
『幸福』(1981年、フォーライフ=東宝)
『細雪』(1983年、東宝)
『おはん』(1984年、東宝)
『ビルマの竪琴』(1985年、フジテレビ=博報堂=キネマ東京)
『鹿鳴館』(1986年、MARUGEN-FILM)
『映画女優』(1987年、東宝)
『竹取物語』(1987年、東宝=フジテレビ)
『つる -鶴-』(1988年、東宝)
『天河伝説殺人事件』(1991年、東映=『天河伝説殺人事件』製作委員会)
『帰って来た木枯し紋次郎』(1993年、フジテレビ=C.A.L)
『四十七人の刺客』(1994年、東宝)※「忠臣蔵 四十七人の刺客」という表記は誤り。
『八つ墓村』(1996年、東宝)
『どら平太』(2000年、『どら平太』製作委員会=日活)
『新選組』(2000年、フジテレビ=メディアポックス)
『かあちゃん』(2001年、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)
黒い十人の女 2002.9.21
『犬神家の一族』(2006年、角川映画)
『ユメ十夜』(2007年、バイオタイド=日活)※第二夜を担当
主なテレビ作品 [編集]『恋人』(1959年、日本テレビ)
『冠婚葬祭』(1959年、日本テレビ)
『恋飛脚大和往来・封印切の場』(1959年、日本テレビ)
『隣の椅子』(1959年、日本テレビ)
『足にさわった女』(1960年、日本テレビ)
『駐車禁止』(1960年、日本テレビ)
『檸檬』(1961年、日本テレビ)
『破戒』(1961年、日本テレビ)
『プロ』(1963年、日本テレビ)
『源氏物語』(1965年 - 1966年、毎日放送)※3話分を監督、その他は演出指導
『木枯し紋次郎』(1972年 - 1973年、フジテレビ=C.A.L)※第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修
『ただいま浪人』(1972年、フジテレビ)
『追跡』(1973年、関西テレビ)
『丹下左膳』(1974年、読売テレビ)
『われらの主役 男の詩・長嶋茂雄』(1977年、東京12チャンネル)
『われらの主役 金田一登場・石坂浩二』(1977年、東京12チャンネル)
『ゆく年くる年・その愛』(1979年、東京12チャンネル制作・全民放同時放送)※総監督
『御存知!鞍馬天狗』(1989年、フジテレビ)
『終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和』(1990年8月10日、フジテレビ=東宝)
『その木戸を通って』(1995年、フジテレビ)※日本初の長編ハイビジョンドラマ
『刑事追う!』(1996年、テレビ東京)
『盤嶽の一生』(2002年、フジテレビ=映像京都)
『逃亡』(2002年、NHK)※第1、2話演出。その他は監修。
『水戸黄門』(TBS)※第29部・第30部OPタイトルバック
オーソン・ウェルズ 1915-1985 アメリカの俳優、監督。最初は劇団の俳優や演出家として活躍。1938年にNYでH・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』をラジオ・ドラマ化してニュース形式で放送し、全米がパニックに陥るという現象を巻き起こした。『市民ケーン』監督/製作/脚本/出演。
結婚暦三回で、二度目の妻が女優リタ・ヘイワース、三度目に女優パオラ・モリと結婚し一児をもうけるが後に離婚。
田中徳三 1920- 関西学院大学文学部在学中に徴兵(大学は繰り上げ卒業)され、スマトラ島で終戦を迎えた。1年間捕虜生活を送った後、1946年に帰国、1948年、朝日新聞記者だった兄の勧めで助監督として大映京都撮影所に入社。溝口健二、市川崑、吉村公三郎、伊藤大輔、森一生らの下でチーフ助監督を務めた後、1958年に『化け猫御用だ』で監督デビュー。その後勝新太郎主演の「悪名」シリーズ、市川雷蔵主演の「眠狂四郎」シリーズ(市川雷蔵主演の『眠狂四郎』を企画したのは田中である)、田宮二郎主演の「犬」シリーズなどの人気作のメガホンを取った。大映時代の監督作品にはプログラムピクチャーが多く、監督を務めた作品の数は49本を数える。大映倒産後はフリーとなり、映画だけでなく、テレビドラマの監督も多数務めた。
2007年12月20日、脳出血のため奈良県橿原市の病院で死去。87歳没。同年に撮影した『少年河内音頭取り物語』(河内家菊水丸の少年期の実話)が遺作となった。

悪名シリーズ
座頭市シリーズ
眠狂四郎シリーズ
忍びの者シリーズ
兵隊やくざシリーズ
犬シリーズ
濡れ髪牡丹
鯨神
秘録怪猫伝
少年河内音頭取り物語

『兵隊やくざ』シリーズで、田中徳三監督作品は勝新・田村高広のホモセクシャル度がきわめて濃い。
ブレイク・エドワーズ 1922- 女優ジュリー・アンドリュースと結婚し娘もいるけど。
映画監督として『ティファニーで朝食を』、ドタバタ・コメディ・シリーズ『ピンク・パンサー』、妻のジュリー・アンドリュース主演で売れない女性歌手が男装をしてゲイのふりをしてゲイの芸人と組んで売れっ子スターになるけど男性と恋をしてというシチュエーション・コメディ『ビクター/ビクトリア 』
ピエロ・パオロ・パゾリーニ  1922-75 『テオレマ』『ソドムの市』
雑誌で男のライターが、パゾリーニ監督のヴィデオをたくさん紹介して「オコゲの女ども。パゾリーニ監督って男の趣味ひどいねんで。ゲイ監督ってきいて『モーリス』みたいなん期待して観るとヒックリかえるで」って書
いていたのには笑った。お気に入りの男をいい役につかせていたとか。フランコ・チッティ(けっこういい男)、ニネット・ダヴォリ(えらいぶさいくなくせに、美しい王子様役とかね)。他にも、スラムの不良少年たちを抱いては、その代償に映画出演させていたとか。「きれいな」って設定で出てくる若い男の子、貧相っていうか、汚らしいっていうか。
ジョゼ・ジョヴァンニ 1923-2004 フランスの小説家、映画監督、脚本家。

第二次世界大戦中、フランスのレジスタンス運動を支援。戦後ギャングに加わって投獄、戦後犯罪人の増加に対する政府の方針で死刑を宣告されるが、父の尽力により大統領恩赦を受けてまぬがれる。出所後、小説家として活動。犯罪映画の監督としても活躍。

小説
穴(1958年/Le Trou) 映画『穴』の原作。
おとしまえをつけろ(1958年/Le Deuxieme Souffle)
墓場なき野郎ども(1958年/Classe tous Risques)
ひとり狼(1958年/L'EXCOMMUNIE) ※映画『勝負(かた)をつけろ』(1961年)と『ラ・スクムーン』(1972年)の原作。
気ちがいピエロ(1959年/HISTOIRE DE FOU)
生き残った者の掟(1960年/Les Aventuriers)
オー!(1964年/Ho!)
ル・ジタン(1975年/LE GITAN)
狼たちの標的(年/LES LOUPS ENTRE EUX) ※ジャン・シュミット(Jean Schmitt)との共著。
復讐の狼(年/Un Vengeur est passe)

監督
生き残った者の掟(1966年/La Loi du Survivant)
ベラクルスの男(1967年/Le Rapace)
最後のアドレス(1970年/Dernier domicle connu)
Un aller simple(1971年)
ラ・スクムーン(1972年/La Scoumoune)
暗黒街のふたり(1973年/Deux hommes dans la ville)
Ou est passe Tom?(1974年)
ル・ジタン -Le Gitan (1975)
ブーメランのように(1976年/Comme un boomerang)
掘った奪った逃げた(1979年/Les Egouts du paradis)
Une robe noire pour un tueur(1980年)
冒険野郎(1983年/Le Ruffian)
サンデー・キラー(1984年/Le Tueur du Dimanche=テレビ)
狼たちの報酬(1986年/Les Loups entre eux)
La Louve(1987年/テレビ)
Mon ami le traitre(1988年)
L'Irlandaise(1991年/テレビ)
Crime al'altimetre(1996年/テレビ)
父よ(2001年/Mon Pere)

脚本
黄金に賭ける男(1966)

原作
冒険者たち(1967年/Les Aventuriers)
フランコ・ゼフィレッリ 1923- 『じゃじゃ馬ならし』『ロミオとジュリエット』『ブラザー・サン シスター・ムーン』『ナザレのイエス 』『チャンプ 』『エンドレス・ラブ』『トラヴィアータ/椿姫』『オテロ』『トスカニーニ』『ハムレット』『尼僧の恋/マリアの涙』『ジェイン・エア』『ムッソリーニとお茶を』『永遠のマリア・カラス』 (2002)
三國連太郎 1923- 1986年には映画『親鸞・白い道』を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。カンヌ国際映画祭は臭い。匂う匂う。ゲイ人脈が異常に濃いのでは? スポンサー企業、審査員など、ゲイ人脈なのでしょうね。だからゲイ人脈の方の作品が優遇されて過大評価で賞をいただけると。そう睨んでいます。
敗戦時、中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と偽装結婚している。結婚を4度経験。俳優の佐藤浩市は3番目の妻との間に出来た息子である。その他にも太地喜和子(レズ)(故人)、石田えりらとのロマンスが取り沙汰されたことがあった。
リンゼイ・アンダーソン
Lindsay Anderson
1923-1994 イギリス出身の映画監督。
父親が陸軍に所属しており、その関係でインドのバンガロールで生まれた。オックスフォード大学で学び、第二次世界大戦中は暗号作成に携わる。1947年には映画雑誌Sequenceをギャヴィン・ランバートやカレル・ライスと共に創刊し、映画批評の分野で活躍する。
その後、ドキュメンタリー映画の製作を経て、1963年に初の長編映画を製作した。1968年の『if もしも‥‥』で、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。

主な監督作品
孤独の報酬 This Sporting Life (1963)
If もしも.... If... (1968)
オー!ラッキーマン O Lucky Man! (1973)
怒りを込めて振り返れ Look Back In Anger (1980)
ブリタニア・ホスピタル Britannia Hospital (1982)
八月の鯨 The Whales of August (1987)
逆転無罪 Prisoner for Honor (1991)
石井輝男 1924-2005 新東宝で作品を発表した後東映に移り、『網走番外地シリーズ』が連続NO.1ヒット。東映のヒットメーカーの一人でありながら、1968年(昭和43年)よりポルノ映画「異常性愛路線」と呼ばれる一連のエログロ作品を発表した。1970年代までに東映のエログロ作品とアクション映画を量産し、1974年(昭和49年)には『直撃! 地獄拳』シリーズをヒットさせた。1990年代はつげ義春・江戸川乱歩の世界へ傾倒した。

ドキュメンタリー「石井輝男映画魂」
吉田輝雄が「殺し屋人別帳」を最後に石井作品に出なくなったのは それまでスターとしての名誉をある程度犠牲にしながらも「異常性愛路線」に主演して尽くしながら、突然の路線変更、主役は新人俳優(渡瀬恒彦)、 そして自分が脇に回されたことに対する反感からだったという。

「女の裸の撮り方が汚い」説

セルゲイ・パラジャーノフ 1924-1990 旧ソ連の一部だったグルジア人。一応妻子持ちだった。『火の馬』『 ざくろの色』『スラム砦の伝説』『ピロスマニのアラベスク 』『アシク・ケリブ 』
サム・ペキンパー
Sam Peckinpah
1925-1984 アメリカ合衆国の映画監督。代表作に『ワイルドバンチ』、『わらの犬』、『ゲッタウェイ』、『ガルシアの首』、『戦争のはらわた』など。
本国アメリカではその残酷な作風から「血まみれのサム」(原文:Bloody Sam)と呼ばれた。日本では最後の西部劇監督、もしくはバイオレンス映画の巨匠として知られる。暴力描写とそれを写し出す映像技法は映画界に留まらず、ジャンルを超えて多くの人々へ影響を与えた。

ジャック・レモン 1925-2001 戦後アメリカ映画界最高の喜劇俳優と言われた。
アカデミー賞
[編集]受賞
1956年 アカデミー助演男優賞:『ミスタア・ロバーツ』
1974年 アカデミー主演男優賞:『セイヴ・ザ・タイガー』
ノミネート
1960年 アカデミー主演男優賞:『お熱いのがお好き』
1961年 アカデミー主演男優賞:『アパートの鍵貸します』
1963年 アカデミー主演男優賞:『酒とバラの日々』
1980年 アカデミー主演男優賞:『チャイナ・シンドローム』
1981年 アカデミー主演男優賞:『マイ・ハート マイ・ラブ』
1983年 アカデミー主演男優賞:『ミッシング』

1971年にはマッソー主演の『コッチおじさん』を監督している。

俳優仲間のシンシア・ストーンと結婚。
ポール・ニューマン 1925-2008 俳優。有名な劇作家テネシー・ウィリアムズ(実はゲイ)の有名な舞台劇『ガラスの動物園』を、妻出演で監督。
58年ジョアン・ウッドワードと再婚。前妻と合わせて6人のこどもがいる。
沢島忠
沢島正継
(さわしま ただし)
1926- 映画監督、舞台演出家である。時代劇、ひばり映画、および任侠映画の巨匠として知られ、現在は舞台演出家として活躍中。

1955年、28歳のとき、渡辺邦男監督のスクリプターで、戦前に「マキノ東京派」と呼ばれたタカマツ・アズマプロダクションの高松豊次郎の孫娘にあたる高松富久子と結婚する。のちに『暴れん坊兄弟』(1960年)などの脚本家としてクレジットされる「鷹沢和善」は富久子との共同ペンネームである。

1957年に監督昇進、『忍術御前試合』で監督デビューとなる。1967年(昭和42年)、東映との契約を解消、東京映画専属、1971年(昭和46年)には「コマ・プロダクション」を設立、フリーランスとなる。1977年(昭和52年) 『巨人軍物語 進め!!栄光へ』を最後に監督を廃業する。その後は、舞台演出家として、現在もハイペースに活動中。

徹底した娯楽主義の監督・演出家で、老若男女を問わず楽しめる完成度の高い作品を手堅く仕上げる職人肌の監督である。全49本の監督作品は、時代劇、ひばり映画、仁侠映画に大別できる。

時代劇では初代中村綿之助(萬屋錦之介)の当たり役『一心太助』シリーズや『殿さま弥次喜多』シリーズなどを手掛けた。

ひばり映画では、江利チエミ競演の作品を含めて多数を手掛けた。美空ひばりが一番やりやすい監督と考えており、指名を受けることが多かった。またひばりの舞台も多く手掛けている。このひばり映画で東映娯楽時代劇にミュージカルの要素を持ち込んだことでも知られている。

仁侠映画では「人生劇場シリーズ」などを手掛けている。『人生劇場 飛車角』はヤクザ映画の魁となった作品である。

現在も年に数本というハイペースで精力的に舞台演出をしているが、時代劇がほとんどである。また講演会やレトロスペクティブなどでしばしば公の場に姿を現している。

橋本治が『ひばり・チエミの弥次喜多道中記』『』を絶賛していたので見たら本当に傑作。
ジェリー・ルイス

Jerry Lewis
1926  アメリカ合衆国の喜劇人、俳優、映画プロデューサー、脚本家、映画監督。

Pompous, arrogant exploiter of diseased children. Can't understand why his film about a clown in a Nazi death camp is in bad taste. Never graduated from high school. Difficult to work with. Sexist. Percodan addict.
ジョン・シュレシンジャー 1926〜  『或る種の愛情』 A Kind of Loving (1962)
『ダーリング』 Darling (1964)
『遥か群衆を離れて』 Far from the Madding Crowd (1967)
『真夜中のカーボーイ』 Midnight Cowboy (1969)
『日曜日は別れの時』 Sunday Bloody Sunday (1971)
『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』 Visions of Eight (1973)
『イナゴの日』 The Day of the Locust (1975)
『マラソンマン』 Marathon Man (1976)
『ヤンクス』 Yanks (1979)
『コードネームはファルコン』 The Falcon and the Snowman (1985)
『マダム・スザーツカ』 Madame Sousatzka (1988)
『パシフィック・ハイツ』 Pacific Heights (1990)
『クレーンの叫び』 The Lost Language of Cranes (1991) テレビ映画
『セルロイド・クローゼット』 The Celluloid Closet (1995)
『スウィーニー・トッド』 The Tale of Sweeney Todd (1998)
『2番目に幸せなこと』 The Next Best Thing (2000)

2003年に脳梗塞が元で死去。パートナーであった写真家のMichael Childersに看取られて亡くなった。
メル・ブルックス
Mel Brooks


1926 アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優、プロデューサーである。「コメディ映画の巨匠」として知られる。

1964年に女優のアン・バンクロフトと結婚した(2005年に死別)。息子のマックス・ブルックスは『WORLD WAR Z』などの著作で知られる小説家、脚本家。
アンディ・ウオーホル 1927〜87 芸術のパロディみたいなものばっかりやってたの。映画製作にも進出したけど、実はほとんど名前を貸しただけだったらしい。『ヒート』『悪魔のはらわた(フレッシュ・フォー・フランケンシュタイン)』『処女の生き血(ブラッド・フォー・ドラキュラ)』などなど・・・
ケネス・アンガー

 

1927- アングラ映画界の帝王と呼ばれた。題材は、ゲイ・テイストたっぷりに男を嘗め回すように撮ったり。悪魔復活など。『ルシファー・ライジング』『我が悪魔の兄弟の呪文』『花火』など数々の短編映画が『マジック・ランタン・サイクル』という題名でヴィデオにまとめられた。
滝本誠が雑誌で彼の映画を紹介。
「ケネス・アンガーがこう言っていた。悪魔復活を願うのは、管理体制で鋳型にはめられた魂の解放の部分がある。逆に、サイエントロジーは矯正宗教で体制に合うように鋳型にはめるって。プレスリーの未亡人と遺児のプレスリー親子やチック・コリアが有名」
サイエントロジーは矯正宗教で、ゲイ治療、隠れゲイの偽装結婚斡旋で有名。
ハリウッド映画界のスキャンダルをまとめた本『ハリウッド・バビロン』 
シドニー・ポワチエ
Sidney Poitier
1927- アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の映画俳優、監督。黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、男優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。
1950年に結婚、4人の娘がいるが1965年に離婚。
1976年には女優のジョアンナ・シムカスと再婚し二女がいる。そのうちのシドニー・ターミア・ポワチエは女優。


1980 スター・クレイジーStir Crazy  監督
辻信太郎(つじ しんたろう) 1927- サンリオの創業者・代表取締役社長。創業以来同社の社長を務めるほか、サンリオ作品の原作・脚本や、中国の古典『菜根譚』を元にした著書を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。
山梨県庁勤務をへて,1960年山梨シルクセンター(現サンリオ)を設立し,社長。ハローキティという愛称の子猫キャラクター商品で急成長。「愛のファミリー」「キタキツネ物語」などの映画を製作,「シリウスの伝説」などのメルヘン小説もかく。

くるみ割り人形(企画・脚本)
シリウスの伝説(原作・企画・製作)
キキとララの青い鳥(製作総指揮)
森のメルヘン - 白い子鹿 ミエル(原作)
想い出を売る店(原作)
妖精フローレンス(原作)
ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス
Gabriel Jose Garcia Marquez
1928 コロンビアの作家・小説家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。
『百年の孤独』、『コレラの時代の愛』が2002年、ノルウェイ・ブッククラブによって「世界傑作文学100」に選ばれる。
アメリカ合衆国で活動する映画監督のロドリゴ・ガルシアは実の息子である。


愛その他の悪霊について (2009)<未>原作
コレラの時代の愛 (2007)原作
血祭の朝 (1990)原作
公園からの手紙 (1988)脚本/原作
ローマの奇跡 (1988)脚本/原作
大きな翼を持った老人 (1988)原作
予告された殺人の記録 (1987)原作
エレンディラ (1983)脚本/原作
さらば箱舟 (1982)原作
ジェイムズ・アイヴォリ 1928-  『モーリス』監督。アメリカ人だけど、英国上流階級を舞台にした映画作品を数多く撮っている。映画制作者イスマイル・マーチャント(インド生まれ)と仕事上でも生活上でもパートナー
スタンリー・キューブリック
Stanley Kubrick,
1928-1999 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン生まれの映画監督。のちにイギリスに移住した。イギリス・ハートフォードシャーの自宅で心臓発作で息を引きとったとされるが、正式な死因は明らかにされていない。
開業医を営むオーストリア=ハンガリー帝国に起源を持つユダヤ人[1]の両親の長男としてニューヨークのマンハッタンで生まれる。


ロリータ Lolita (1962年)

「ロリータ・スキャンダルおこすのは、なぜ、小男のユダヤ人ばかりなんだ?」って書いていた方がいたけど。

ロリータ文化をつくるのってなぜか、ユダヤ系とホモが多い。
トニー・リチャードソン 1928-1991 1962年ヴァネッサ・レッドグレーヴと結婚。後に女優となったナターシャ、ジョエリーをもうけるが67年離婚。91年、エイズにて死亡。
『土曜の夜と日曜の朝』『蜜の味』『長距離ランナーの孤独』『トム・ジョーンズの華麗な冒険』『 ラブド・ワン』『マドモアゼル』『ジブラルタルの追想』『ホテル・ニューハンプシャー』『ファントム・オブ・オペラ』
ロジェ・ヴァディム
(Roger Vadim
フランス・パリ出身の映画監督・映画プロデューサー・脚本家・作家・俳優・ジャーナリスト。
映画監督としてだけでなく、プレイボーイとしても有名。

彼の白ロシア人の父親イゴール・プレミャニコフは、ウクライナからの移民で、同化したフランス人になり、フランスのエジプト副領事にまでなった。
ヴァディムは、16歳で舞台俳優としてデビュー。1947年、アンドレ・ジッドの紹介でマルク・アレグレ(Marc Allegret、映画監督)の助手となり、脚本を書き始める(1950年 - 1956年)。
1952年に当時雑誌のモデルをしていた18歳のブリジット・バルドーと結婚。1956年、22歳の妻バルドーを主演に『素直な悪女』で、28歳で映画監督としてデビュー。バルドーは一躍セックス・シンボルとしてスターとなるが、バルドーが共演のジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ちてしまい1957年に離婚。彼女とはその後も『何がなんでも首ったけ』(1961年)などで一緒に仕事をしている。
1958年にはデンマーク人女優と結婚しアネット・ヴァディムと名づけて『危険な関係』『血とバラ』にも出演させ、娘(ナタリー・ヴァディム、在ハリウッド)をもうけるが2年で離婚。1961年からはカトリーヌ・ドヌーヴと交際して息子クリスチャンを授かり、彼女主演の『悪徳の栄え』を製作・演出するが結婚はしなかった。
1965年にはジェーン・フォンダと結婚し『獲物の分け前』や『バーバレラ』などのフォンダ主演作品を監督するが1973年に離婚。一女あり(ヴァネッサ・ヴァディム)。
1975年に衣装デザイナーと結婚するが数年で離婚(一児あり)。1983年にはドヌーヴとの子クリスチャン・ヴァディムを主演に据えた青春映画『さよなら夏のリセ』を監督している。1990年には女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚。彼女と1994年に北海道夕張市のゆうばり国際ファンタスティック映画祭審査員のため来日した。彼女とはヴァディムがガンで没するまで一緒であった。
著書『我が妻バルドー、ドヌーヴ、J・フォンダ』(吉田暁子訳、中央公論社 1987年)が訳されている。

主な監督作品
素直な悪女 And God Created Woman (1956)
月夜の宝石 Les Bijoutiers du clair de lune (1958)
血とバラ Blood and Roses (1960)
何がなんでも首ったけ La Bride sur le cou (1961)
悪徳の栄え Les Sept peches capitaux (1962)
獲物の分け前 La curee (1966)
世にも怪奇な物語 (1967)
バーバレラ Barbarella, Queen of the Galaxy (1967)
課外教授 (1971)
華麗な関係 (1977)
さよなら夏のリセ (1983)
クリント・イーストウッド 1930- 俳優から監督にも進出し大ヒット作を連発、そしてアカデミー賞監督へと躍進。
下積み生活を支えてくれたマギーと二児をもうけるが離婚。70年代中盤からはソンドラ・ロックと交際したが破局、後に慰謝料などを巡っての裁判が話題になった。フランシス・フィッシャーとの間にフランチェスカをもうけ、96年、ニュース・キャスターのディナ・ルイスと再婚し一児をもうけた。
黒木和雄 1930-2006 卒業後、岩波映画製作所へ入社。1958年の『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。土本典昭、小川紳介たち岩波映画製作所周辺の若手映画人たちと交遊し、そのリーダー格であった。

同1962年に退社してフリーとなり、東京オリンピック前の君原健二を追った『あるマラソンランナーの記録』(1964年)を監督するが、製作の東京シネマ首脳部と対立してPR映画という枠組み自体に限界を感じたため、以降は当初からの望みであった劇映画の世界を目指す。1966年の初の劇映画『とべない沈黙』は、東宝で制作したが、その前衛的な作風のため公開中止となり、ATGの配給で公開された。以降、ATGを製作基盤として精力的に作品を発表し、1970年代半ばの『竜馬暗殺』や『祭りの準備』は迸る青春群像を描き、熱狂的なファンを生んだ。1976年、芸術選奨新人賞受賞。1984年より文化庁新進芸術家在外研修員として海外留学。その後1988年に原爆を主題とした力作『TOMORROW 明日』を発表し芸術選奨文部大臣賞を受賞するものの、1990年代は勢いが失われた。しかし21世紀に入って大型の傑作を連打、日本映画を代表する巨匠と目されるようになった矢先、痛恨の他界となった。
盟友土本典昭のプロデュースにより完成した『キューバの恋人』は、日本とキューバの初の合作映画である。
『TOMORROW 明日』『美しい夏キリシマ』『父と暮せば』は戦争レクイエム三部作と呼ばれる。
2006年4月12日、脳梗塞のため死去。享年75[2]。同年8月12日に商業公開を控えた『紙屋悦子の青春』が遺作となった。戦前の名監督、山中貞雄を描く映画を長年にわたって構想していたが、ついに実現しなかった。

ハロルド・ピンター
Harold Pinter
1930-2008 イギリスの劇作家・詩人。男性。映画の脚本やラジオの台本も手掛けた。2005年にノーベル文学賞を受賞。
夫人は作家アントニア・フレーザー(貴族階級出身の歴史家)。最初の夫人は、ピンターの初期から中期にかけての作品に多く出演した女優のヴィヴィアン・マーチャント(1956年に結婚し、1980年に離婚した)。

映画脚本
召使 The Servant (1963)
女が愛情に渇くとき The Pumpkin Eater (1964)
さらばベルリンの灯 The Quiller Memorandum (1966)
できごと Accident (1967)
恋 The Go-Between (1970)
フランス軍中尉の女 The French Lieutenant's Woman (1981)
リユニオン-再会- Reunion (1989)
侍女の物語 The Handmaid's Tale (1990)
日の名残り The Remains of the Day (1993) (クレジット無し)
トライアル/審判 The Trial (1993)
スルース SLEUTH (2007)

映画出演
テイラー・オブ・パナマ The Tailor of Panama (2001)

山田洋次 1931- 妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。次女はBS-TBSプロデューサーの山田亜樹(1963年9月14日 - 。元NHKアナウンサーの山田亜紀は別人)。<BR>
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93・1美保純や倍賞千恵子と噂された山田洋次監督が最近は両刀遣いへ変身説
アンドレイ・タルコフスキー 1932-86 ソ連の映画監督。『ロラーとヴァイオリン』『僕の村は戦場だった』『 アンドレイ・ルブリョフ 動乱そして沈黙(第一部) 試練そして復活(第二部)』
少年愛趣味が匂う。
ゲイ・テイストのない『惑星ソラリス』傑作! 『 鏡』『ストーカー』『ノスタルジア』『サクリファイス』
一応、結婚していたとか。
ルイ・マル
Louis Malle
1932-1995

フランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグの映画作家として知られる。
富豪の家に生まれる。

少年愛者説


Spouse
Candice Bergen (27 September 1980 - 23 November 1995) (his death) 1 child
Anne-Marie Deschodt (1965 - 1967) (divorced)

Liked little boys. Married to Candice Bergen and cheated on her, the putz.
Linked with Brigitte Bardot, Jeanne Moreau, and Susan Sarandon.


沈黙の世界 Le Monde du silence (1956) ジャック=イヴ・クストーと共同監督。カンヌ国際映画祭パルムドール。
死刑台のエレベーター Ascenseur pour l'echafaud (1957)
恋人たち Les Amants (1958) ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞
地下鉄のザジ Zazie dans le metro (1960)
私生活 Vie privee (1962) 
鬼火 Le Feu follet (1963) ヴェネツィア国際映画祭審査員賞、イタリア批評家賞
ビバ!マリア Viva Maria! (1965)
パリの大泥棒 Le Voleur (1966)
世にも怪奇な物語 Histoires extraordinaires (1967) 第2話のみ。
好奇心 Le Souffle au coeur (1971)
ルシアンの青春 Lacombe Lucien (1973) 英国アカデミー賞作品賞
ブラック・ムーン Black Moon (1975)
プリティ・ベビー Pretty Baby (1978)*カンヌ国際映画祭高等技術賞
アトランティック・シティ Atlantic City (1980) ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、他。米国フィルム登記簿作品。
アラモベイ -Alamo Bay (1985)
さよなら子供たち -Au revoir, les enfants (1987)*ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、セザール賞作品賞、他。
五月のミル -Milou en mai (1989)
ダメージ -Damage (1992)
42丁目のワーニャ -Vanya on 42nd Street (1994)

ロマン・ポランスキー
Roman Polanski
1933- ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランスの首都のパリで生まれる。

『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートと1968年に結婚(2度目の結婚)。しかし翌年の1969年8月9日、テートはポランスキーの自宅でチャールズ・マンソン率いるカルト教団に惨殺された。当時、テートはポランスキーの子を身ごもっており、妊娠8ヶ月だった。

ポランスキーはアメリカに絶望するが立ち直り、作品を撮り続けた。しかし1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為(強姦・アナルセックス)をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。ポランスキーは法廷の外では無実を主張、これは冤罪であり、本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている。その後、保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。1978年にフランスに移り市民権を取得した。
79年の作品『テス』で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた。
1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をしている。

配偶者
Barbara Lass (1959-1962)
シャロン・テート (1968-1969)
エマニュエル・セニエ (1989-)


Catherine Deneuve,
Mia Farrow,
Nastassja Kinski,
Michelle Phillips,
Sharon Tate.

ウディ・アレン
Woody Allen
1935 アメリカ合衆国を代表する映画監督。俳優、脚本家、小説家、クラリネット奏者など様々な顔を持つ。
ウディ・アレンは、ニューヨークのブロンクス区で、ユダヤ系の家庭に生まれた。

映画で共演したダイアン・キートンと付き合っていたが、長く続かず破綻。
その後、ミア・ファローと同居するようになるが、彼女の養子の韓国人女性スン・イー(当時21歳)との交際が発覚し、ミアから訴訟を起こされたこともあった。
ウディとスン・イーはその後結婚し、女の子二人を養子に取っている。近年は、ダイアン・キートンとまた映画で共演している。

イスマイル・マーチャント 1936- インド人の映画製作者。アメリカ人ジェイムズ・アイヴォリ監督の作品を製作し、英国上流階級を舞台にした作品を数多く撮ってきた。彼とは仕事上でも生活上でもパートナー。『モーリス』
ジェームズ・ブリッジス 1936-1993 『地球爆破作戦』脚本 『受胎の契約/ベビー・メーカー 』監督 /脚本 『ペーパー・チェイス』監督 /脚本 『ジェームズ・ディーンにさよならを』監督 /脚本 『 チャイナ・シンドローム』監督 /脚本 『 アーバン・カウボーイ』監督 /脚本 『再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ?』監督 『ホワイトハンター ブラックハート』脚本
バート・レイノルズ
Burt Reynolds

1936- アメリカ合衆国出身の俳優である。
アイルランドとチェロキー族の血を引く父と、イギリス人の母の子として生まれ、フロリダ州立大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍した(同校は全米屈指のフットボールの強豪のひとつである)。
その後1950年代にテレビの世界で俳優業をスタートし、1961年に映画デビューを果たした。 逞しい肉体にヒゲが似合う「タフガイ」として人気を確立し、米『コスモポリタン』誌ではヌードも披露、セックスシンボルにも選ばれた。また、ハリウッドにおける「マネーメイキングスター」に数度輝いている。1963年から1965年まで女優のJudy Carneと結婚。
1980年代後半から人気低迷、離婚、自己破産と不幸が相次いだ。1988年に女優のロニ・アンダーソンと結婚し養子を一人取っているが1993年に離婚し、翌年フロリダの豪邸が120万ドルのローン未払いにより差し押さえになり、2011年の段階でローン会社から訴訟を起こされている。
1997年には『ブギーナイツ』でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞では助演男優賞を受賞し、演技派として大作の脇を固めるポジションを得た。
功績を称えてハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには、彼の名が刻まれている。『トランザム7000』シリーズや『グレートスタントマン』で共演したサリー・フィールドと長年交際していた。
2010年に心臓バイパス手術を受けた。

1981 シャーキーズ・マシーン Sharky's Machine 監督・出演
ロバート・レッドフォード 1936- 美男俳優。80年、初の監督作品「普通の人々」でいきなりのアカデミー監督賞受賞。現在はスターとしてはもちろん映画監督としても活躍する。『ミラグロ/奇跡の地』 (監督/製作。『リバー・ランズ・スルー・イット』 監督/製作/ナレーション。『クイズ・ショウ』 監督/製作。『モンタナの風に抱かれて』 監督/製作/出演。
ユタ州コロラドの山中に土地を買い、サンダンス・プロを設立。それが母体となりその後、サンダンス・インスティテュートが設立された。サンダンス映画祭で新人発掘。
ヨーロッパ放浪時代に結婚し、58年以来のパートナーだったローラ夫人とは88年に離婚。四児がいる。
ウォーレン・ベイティ 1937- 俳優。67年の「ボニーとクライド/俺たちに明日はない」の脚本に感激して自ら製作者となってアーサー・ペンに監督を依頼して主演。『シャンプー』 製作/脚本/出演。『天国から来たチャンピオン』 監督/製作/脚本/出演。『レッズ』監督/製作/脚本。
『ディック・トレイシー』監督/製作/出演。『めぐり逢い 』 製作/脚本/出演。『ブルワース 』 監督/製作/脚本/出演。
プレイボーイとしてもハリウッドで君臨。ジョーン・コリンズ、ナタリー・ウッド、レスリー・キャロン、ジュリー・クリスティ、ダイアン・キートン、イザベル・アジャーニ、マドンナなど、女性遍歴の話題でも事欠かなかった。が、「バグジー」で共演したアネット・ベニングと交際して女の子が生れ、92年遂に結婚。その後94年には男の子も生れた。

Isabelle Adjani,
Brigitte Bardot,
Candice Bergen,
Sonia Braga,
Judy Carne,
Cher,
Julie Christie,
Joan Collins,
Janice Dickinson,
Britt Ekland,
Jane Fonda,
Melanie Griffith,
Goldie Hawn,
Bianca Jagger,
Diane Keaton,
Madonna,
Vivian Leigh,
Jackie Onassis,
Michelle Phillips,
Diana Ross,
Diane Sawyer,
Stephanie Seymour,
Carly Simon,
Barbara Streisand,
Liv Ullman,
Mamie Van Doren,
Natalie Wood (along with a cast of thousands).

鎌田敏夫 1937- 脚本家、小説家。朝鮮京城(現・大韓民国ソウル特別市)生まれで、徳島県育ち。

大学卒業後、シナリオ研究所で学び、井手俊郎に弟子入りする。1967年、『でっかい青春』で脚本家デビュー。以降、『飛び出せ!青春』『俺たちの旅』など、一連の“青春ドラマシリーズ”をメインライターとして支えた。1980年、角川映画のオリジナル脚本を自らノベライズした『ニッポン警視庁の恥といわれた二人組 刑事珍道中』で小説に進出。映画がシリーズ化されなかったにもかかわらず続編も執筆した。以後、自作ノベライズを中心に小説もコンスタントに手がけている。

1983年、『金曜日の妻たちへ』が大きな反響を呼ぶ。不倫ブームが巻き起こり、“金妻”は不倫の代名詞と言われた。

1986年、『男女7人夏物語』を大ヒットさせる。翌1987年の続編『男女7人秋物語』は、36.8パーセントの最高視聴率を記録した。

1994年、『29歳のクリスマス』で芸術選奨文部大臣賞、第13回向田邦子賞受賞。

2003年、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の脚本を手がけるが(大河ドラマの脚本の執筆者としては最年長)、視聴率は低迷し、評価は芳しいものではなかった。終了後に、黒澤明監督の映画『七人の侍』(1954年)に酷似している部分があるとして黒澤プロから著作権侵害などを理由に訴えられたが、2005年に東京地方裁判所は請求を棄却している。



映画
『花ひらく娘たち』(1969年1月11日、日活)
『おいろけコミック 不思議な仲間』(1970年4月29日、東宝)
『奇妙な仲間 おいろけ道中』(1970年10月3日、東宝)
『誰のために愛するか』(1971年4月1日、東宝)
『恋は放課後』(1973年9月15日、松竹)
『飛び出せ!青春』(1973年3月17日、テアトルプロ)
『戦国自衛隊』(1979年12月5日、角川春樹事務所)
『ニッポン警視庁の恥といわれた二人組 刑事珍道中』(1980年10月4日、東映)
『探偵物語』(1983年7月16日、角川春樹事務所)
『里見八犬伝』(1983年12月10日、角川春樹事務所)
『いこかもどろか』(1988年8月27日、東宝)
『天と地と』(1990年6月23日、角川春樹事務所)
『ジュテーム?わたしはけもの』(2008年11月22日、角川映画)
ジャック・ニコルソン 1937- 俳優。ロマン・ポランスキー監督の傑作『チャイナタウン』の続編、『黄昏のチャイナタウン』を監督、主演。

61年、サンドラ・ナイトと結婚、一女をもうけるが5年後に離婚。
その後ドミニク・サンダやアンジェリカ・ヒューストンとの交際。レベッカ・ブルサールとの間に二児が生れるが破局。
女優ララ・フリン・ボイルと交際。
ポール・バーテル
Paul Bartel
1938 アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれの映画監督、俳優。

幼い頃から映画に興味を持ち、UCLAで演劇を学び、奨学金を得てローマへ渡り、監督術を学んだ。後にロジャー・コーマンの弟であるジーンに雇われて、1972年に『プライベート・パーツ』を監督。その後、ロジャー・コーマンがプロデュースした映画を監督し、異色ぶりを発揮する。その時に監督したデビッド・キャラダイン、シルベスタ・スタローン出演の『デス・レース2000年』は、本国では今もなおカルト的な人気を誇っている。『キャノンボール』や『フライパン殺人』など、ブラックな笑いをテーマにしたカルト作品を世に送り出す傍ら、俳優としてもちょくちょく顔を出すようになる。その時に出演した映画の監督で、後に大物になった者も少なくない。また、撮る映画はマニアックな感じだが、出る映画は一級作品が多い。

彼を敬愛する監督として度々挙げられる中には、ジョン・カーペンターやティム・バートン、ジョン・ランディスにジョー・ダンテらがいる。また映画以外でも、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務めた『世にも不思議なアメージング・ストーリー』や、医療ドラマ『シカゴ・ホープ』、日本でも大人気の『アリーmyラブ』などのテレビドラマにも顔を出している。
2000年、肝臓癌のため死去。
ジョエル・シュマッカー
Joel Schumacher
1939 アメリカ合衆国ニューヨーク出身の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。

セント・エルモス・ファイアー St. Elmo's Fire (1985) 監督・脚本
ロストボーイ The Lost Boys (1987) 監督
フラットライナーズ Flatliners (1990) 監督
愛の選択 Dying Young (1991) 監督
フォーリング・ダウン Falling Down (1993) 監督
ザ・クライアント 依頼人 The Client (1994) 監督
バットマン・フォーエヴァー Batman Forever (1995) 監督
評決のとき A Time to Kill (1996) 監督
バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲 Batman & Robin (1997) 監督
8mm 8MM (1999) 監督・製作
フローレス Flawless (1999) 監督・脚本
タイガーランド Tigerland (2000) 監督
ゴシップ Gossip (2000) 製作総指揮
9デイズ Bad Company (2002) 監督
フォーン・ブース Phone Booth (2002) 監督
ヴェロニカ・ゲリン Veronica Guerin (2003) 監督
オペラ座の怪人 The Phantom of the Opera (2004) 監督・脚本
ナンバー23 The Number 23 (2007) 監督
ブラッド・クリーク Town Creek (2009) 監督
トゥエルヴ Twelve (2010) 監督
ブレイクアウト Trespass (2011) 監督

プライベートではゲイであることを公にしている。
フランシス・フォード・コッポラ
Francis Ford Coppola
1939 アメリカ合衆国の映画監督・映画プロデューサー・脚本家・実業家。数々の映画賞を受賞している。
父は元NBC交響楽団のフルート奏者で作曲家のカーマイン・コッポラ、妹は女優のタリア・シャイア、娘は映画監督のソフィア・コッポラ、息子は映画監督のロマン・コッポラ。甥は俳優のニコラス・ケイジ(フランシスの兄オーガストの子)、ジェイソン・シュワルツマン(タリア・シャイアの子)。

アカデミー賞
受賞
1.1971年 アカデミー脚本賞 『パットン大戦車軍団』
2.1973年 アカデミー脚色賞 『ゴッドファーザー』
3.1975年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞・アカデミー脚色賞 『ゴッドファーザー PARTII』
4.2011年 アービング・G・タルバーグ賞
ノミネート
1.1973年 アカデミー監督賞 『ゴッドファーザー』
2.1974年 アカデミー作品賞 『アメリカン・グラフィティ』
3.1975年 アカデミー作品賞・アカデミー脚本賞 『カンバセーション…盗聴…』
4.1980年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞・アカデミー脚色賞 『地獄の黙示録』
5.1991年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞 『ゴッドファーザー PARTIII』
英国アカデミー賞
受賞
1.1980年 監督賞 『地獄の黙示録』
ノミネート
1.1975年 監督賞・脚本賞 『カンバセーション…盗聴…』
2.1980年 作曲賞 『地獄の黙示録』
ゴールデングローブ賞
受賞
1.1973年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー』
2.1980年 監督賞・作曲賞 『地獄の黙示録』
ノミネート
1.1975年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー PARTII』、『カンバセーション…盗聴…』
2.1985年 監督賞 『コットンクラブ』
3.1991年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー PARTIII』
ニューヨーク映画批評家協会賞
ノミネート
1.1973年 監督賞 『ゴッドファーザー』
カンヌ国際映画祭
受賞
1.1974年 パルム・ドール、エキュメニカル審査員賞 特別賞 『カンバセーション…盗聴…』
2.1979年 パルム・ドール、国際批評家連盟賞 『地獄の黙示録』
ノミネート
1.1967年 パルム・ドール 『大人になれば…』
アル・パチーノ 1940 アカデミー受賞俳優。『リチャードを探して』 (1996) 監督/製作/脚本/出演。
二女がいるが結婚歴はない。
津川雅彦
マキノ雅彦
1940-
父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄に長門裕之を持つ。妻は朝丘雪路、娘は女優の真由子。芸能一家の生まれであり、数多くの映画、テレビに出演する日本を代表するベテラン俳優の一人である。芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務める。
映画『寝ずの番』では、監督名・マキノ雅彦として監督を務めた。

映画監督マキノ雅弘の甥である津川は、マキノ雅彦名義で映画監督として活動している。
寝ずの番(2006年、光和インターナショナル / 松竹)
次郎長三国志(2008年)
旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ(2009年)

1969年のデヴィ・スカルノとの不倫騒動をきっかけに仕事が激減。
1973年、女優の朝丘雪路(元宝塚歌劇団月組娘役)と結婚。

ウォルフガング・ペーターゼン 1941- 『U・ボート』監督・脚本 『ネバーエンディング・ストーリー』監督/脚本 『第5惑星』監督 『プラスティック・ナイトメア/仮面の情事』監督 /製作 /脚本 『ザ・シークレット・サービス』監督 /製作 /脚本 『 アウトブレイク』監督 /製作 『エアフォース・ワン』監督 /製作 『アンドリューNDR114』製作 『パーフェクト ストーム』監督 /製作 『 トロイ』監督 /製作 『 ポセイドン』監督 /製作
高井英幸(たかい ひでゆき)

1941- 東宝相談役。東京都出身。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、ユニジャパン理事長も兼任。

1964年に東宝に入社。興行部から東宝映画に移り調整部長となる。
1993年に東宝取締役調整部長になる。
2002年5月23日に東宝代表取締役社長になる。
2011年に社長を退任、東宝相談役に退く。
作品 [編集]『トラブルマン 笑うと殺すゾ』:プロデューサー
『地震列島』:プロデューサー
『連合艦隊』:プロデューサー
『細雪』:プロデューサー
『零戦燃ゆ』:プロデューサー
『ガンヘッド』:プロデューサー
『忠臣蔵 四十七人の刺客』:プロデューサー
『学校の怪談』:プロデューサー
『渚のシンドバッド』:プロデューサー
『学校の怪談2』:企画
『ひみつの花園』:企画
『学校の怪談3』:企画
『ラヂオの時間』:企画
『学校の怪談4』:企画
『ホワイトアウト』:企画 
『サトラレ』:企画
『みんなのいえ』:企画
『映画 犬夜叉 時代を越える想い』:企画
『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』:企画
『卒業旅行 ニホンから来ました』:製作
『猫の恩返し』:製作
『トリック劇場版』:製作
『映画 犬夜叉 鏡の中の夢幻城』:製作
『名探偵コナン 迷宮の十字路』:製作
『映画 犬夜叉 天下覇道の剣』:製作
『名探偵コナン 銀翼の奇術師』:製作
『ハウルの動く城』:製作 
『名探偵コナン 水平線上の陰謀』:製作 
『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌』:製作
『トリック劇場版2』:製作
『名探偵コナン 紺碧の棺』:製作
『名探偵コナン 戦慄の楽譜』:製作
『崖の上のポニョ』:製作
『名探偵コナン 漆黒の追跡者』:製作
『名探偵コナン 天空の難破船』:製作
『借りぐらしのアリエッティ』:製作
『名探偵コナン 沈黙の15分』:製作

出典・参考文献
田中文雄 『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』 キネマ旬報社、1993年。
富野由悠季(よしゆき)
井荻麟(いおぎ りん)
斧谷稔(よきたに みのる)
1941- アニメーション監督、演出家、脚本家、作詞家、小説家。本人は演出家・原案提供者としている(『∀の癒し』より)。神奈川県小田原市出身。相洋高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒。<BR>
日本で最初の連続テレビアニメ番組『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。<BR>

家族構成は、妻と2人の娘。長女は演劇集団 円文芸/演出の富野アカリ、次女は振付家の富野幸緒。
マイケル・チミノ 1941- 『サンダーボルト大作戦』『ディア・ハンター』
デレク・ジャーマン 1942-94 『セバスチャン』『エンジェリック・カンヴァセーション』『カラヴァッジオ』『エドワードU』 
ウルリケ・オッティンガー 1942- ドイツ人の女性の映画監督。『フリーク・オルランド 』監督 /脚本 /撮影
マーティン・スコセッシ
Martin Scorsese
1942- アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。

配偶者
Laraine Brennan (m. 1965)
Julia Cameron (m. 1975)
イザベラ・ロッセリーニ(1979年 ? 1983年)
Barbara De Fina (1985 ? 1991)
Helen Morris (1999 ? )
アンドレ・テシネ
Andre Techine
1943- フランスの映画監督・脚本家。

1964年、20代の時に『カイエ・デュ・シネマ』誌で3年の間映画批評家として働く。
1985年の『ランデヴー』ではカンヌ国際映画祭監督賞を、1994年の『野性の葦』ではセザール賞作品賞、監督賞、脚本賞を受賞した。

主な監督作品[編集]
バロッコ Barocco (1976)
ブロンテ姉妹 Les s?urs Bronte (1979)
海辺のホテルにて Hotel des Ameriques (1981)
ランデヴー Rendez-Vous (1985)
Le lieu du crime (1986) (ビデオ題「夜を殺した女」)
Les innocents (1987) (大阪ヨーロッパ映画祭上映題「イノセンツ」)
深夜カフェのピエール J'embrasse pas (1991)
私の好きな季節 Ma saison preferee (1993)
野性の葦 Les roseaux sauvages (1994)
夜の子供たち Les voleurs (1996)
溺れゆく女 Alice et Martin (1998)
Loin (2001)
かげろう Les egares (2003)

エミール・アルドリーノ
Emile Ardolino
1943-1993 アメリカ合衆国の映画監督・プロデューサー。
『ダーティ・ダンシング』や『天使にラブ・ソングを…』といった歌と踊りを用いた映画がよく知られている。
同性愛者であることを公表していたアルドリーノは、1993年にAIDSの合併症によって亡くなり、ニューヨークで両親の隣に埋葬された(彼の母親は、1975年に亡くなっている)。
遺作 『マコーレー・カルキン くるみ割り人形』(ジョージ・バランシンによるニューヨーク・シティ・バレエ団のバージョンが元になっている)、『ジプシー』(ベット・ミドラー主演のテレビ映画)はいずれも没後に公開された。

ダーティ・ダンシング  Dirty Dancing (1987)
ワン・モア・タイム Chances Are (1989)
スリーメン&リトルレディ  Three Men and a Little Lady (1990)
天使にラブ・ソングを… Sister Act (1992)
マコーレー・カルキン くるみ割り人形 The Nutcracker
ジプシー Gypsy (1993) (テレビ映画) (ベット・ミドラー主演のテレビ映画)

デイヴィッド・クローネンバーグ 1943- 『Mバタフライ』『クラッシュ』
抑圧されたゲイの感性が感じられる。
ヴィッド・ゲフィン 1943〜 レコード会社「ゲフィン・レコーズ」を創立。1970年代に女性歌手シェールと愛人関係だった。ゲフィンは、ジェフリー・カッツェンバーグ、スティーヴン・スピルバーグと「ドリームワークスSKG」社を創立。この会社は、映画、TV番組、レコード、おもちゃ、コンピュータのソフトウエアまで製作した。

 82『マイ・ライヴァル』製作総指揮者 94『インタヴュー・ウイズ・ヴァンパイア』製作者(原作者アン・ライスはオコゲ女。監督はニール・ジョーダン、俳優がトム・クルーズにブラッド・ピットなどホモ疑惑の方々ぞろい。他にもホモ人気でスターなったのではのアントニオ・バンデラスなどホモ趣味てんこ盛り)。
 ゲフィン・レコード社長、ドリームワークスSKGの共同経営者(Sはスティーヴン・スピルバーグ、Kはジェフリー・カッツェンバーグから)
 親しい仲間を集めてキアヌ・リーヴスと極秘で結婚式をしたというゴシップが駆け巡ったけど、後に本人達は否定。ただ、私の憶測やけど、あんな大根俳優のキアヌがスターなれたのは間違いなくホモの偉い人に抱かれたからやって、そら間違いないって!
ロバート・デニーロ 1943- 俳優。93年「ブロンクス物語/愛につつまれた街」で監督デビュー。『グッド・シェパード』
その映画では、黒人少女との恋愛経験を描写。黒人女優ダイアン・アボットと結婚し一時をもうけるが離婚。航空会社の客室乗務員の黒人女性(若くもない美人でもない)と結婚。

1976年にダイアン・アボットと結婚し、一児をもうけるも1988年離婚。
1997年にグレイス・ハイタワーと再婚。しかし、1999年8月はデ・ニーロが離婚の申し立てを行い、裁判の末に2004年に離婚が成立した。

1990年代、黒人モデル、ナオミ・キャンベル(バイ説)と交際の噂。
元彼: マーカス・エリアス (実業家)ブラジル人の富豪。
元彼: アッシャー (歌手)2004年に交際する。
元彼: ショーン・コムズ【通称:ディディ】 (音楽プロデューサー・ラップ歌手・ダンサー)
元彼: マイク・タイソン (プロボクサー)
元彼: ロバート・デ・ニーロ (俳優)1990年代に交際する。
元彼: ロバート・グッド (ナイトクラブ経営者)
元彼: ルカ・オーランディニ
元彼: フラヴィオ・ブリアトーレ (ビジネスマン)ルノーF1チームの代表である億万長者。スーパーモデルのハイディ・クルムとの間に娘がいる。
元婚約者: アダム・クレイトン (ミュージシャン)ロックグループ U2 のベーシスト。

アラン・パーカー 1944- 『小さな恋のメロディ』脚本 『ダウンタウン物語』『ミッドナイト・エクスプレス』『フェイム』『バーディ』
椎名誠 1944- 作家、SF作家、エッセイスト、写真家、映画監督。本名、渡辺誠(わたなべ まこと)。旧姓、椎名。結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ、渡辺姓となった。

妻(元保育士)の渡辺一枝とは、親友で弁護士の木村晋介の紹介で結婚。一枝もエッセイストで、チベットについての本など、多数の著書がある。息子で、椎名の小説『岳物語』のモデルとなった渡辺岳は元ボクサーで、現在は写真家。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。

格闘技、プロレスなども好み、柔道も2段であり、また、マーシャル・アーツなども愛好する。

監督作品(すべて「ホネ・フィルム」作品)
ガクの冒険(1990) 出演:ガク、野田知佑
うみ・そら・さんごのいいつたえ(1991) 出演:余貴美子 本名陽子 仲本昌司 平良進 平良とみ 紺野美沙子
あひるのうたがきこえてくるよ(1993) 出演:柄本明 小沢昭一 黒田福美 萩野純一
以上の音楽担当:高橋幸宏
白い馬(1995)
しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸(1997) 音楽:高橋幸宏 出演:林政明 猪熊寅次郎 鈴木一功 河原田ヤスケ

その他の「ホネ・フィルム」制作映画
『しずかなあやしい午後に スイカを買った 沢野ひとし』(1997) 監督:太田和彦 椎名は「企画」担当
『ツェツェルレグ モンゴル草原の花』(1997) 椎名は「脚色」担当
『しずかなあやしい午後に ガクの絵本』(1997) 監督:和田誠 椎名は「原作」
『中国の鳥人』(1998) 監督:三池崇史 椎名は「原作」

椎名作品の映画化
白い手(1990) 監督:神山征二郎
息子(1991) 監督:山田洋次
怖がる人々(1994) 監督:和田誠
たどんとちくわ(1998) 監督:市川準

ビデオ・DVD
ビデオ『椎名誠と怪しい探検隊映画を撮る メイキング・オブ「うみ・そら・さんごのいいつたえ」』 1992
ビデオ『椎名誠とあやしい探検隊 おれ流outdoor術』1〜8 1998
DVD『椎名誠 焚き火を楽しもう』 2007 なお、これについては盗作疑惑がある。
ジョージ・ルーカス 1944- 女性との結婚と離婚暦あり。『アメリカン・グラフィティ』『スター・ウォーズ』
マイケル・ダグラス
Michael Douglas
1944  アメリカ合衆国の俳優・プロデューサー。俳優のカーク・ダグラスの息子である。 

1977年に結婚し息子キャメロン(俳優)をもうけるが後に離婚。2000年に『トラフィック』で共演したキャサリン・ゼタ=ジョーンズと結婚[7][8]して1男1女の2人の子供がいる[9][10][11]。
2009年8月、過去にもドラッグ購入やコカイン所持で逮捕歴のあった息子キャメロンが、メタンフェタミンを販売目的で所持していた容疑で逮捕された[12][13]。これについてマイケルは、「非常に動揺している」、「非常に残念だ」などとコメントした[14][15]。
井沢満 1945- 脚本家。オフィスぶんか所属。
朝鮮・京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。ソウル(京城)での誕生ということで在日コリアン(在日)という説もあるが、当時はかなりの数いた引揚者(日本の敗戦を機の帰国者)である。つまり国籍は日本(日本人)である。

1993年 - 同窓会(NTV)脚本

1989年 - 映画『ハリマオ』(松竹)原作・脚本

ジェリー・ブラッカイマー
Jerry Bruckheimer
1945 ,映画プロデューサー・テレビプロデューサー。
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市生まれ。ドイツからのユダヤ人移民の子孫。

すぐにコマーシャル・フィルムの製作に従事し、映画制作のきっかけをつかんだ。CF監督として数々の賞を受賞したブラッカイマーはロサンゼルスに移り映画製作に身を投じた。
1980年代から1990年代にかけて、彼はプロデューサー・ドン・シンプソンの製作助手になり、パラマウント映画のために働き一連の大ヒット映画を手がけた。ブラッカイマーの最初の大ヒットは1983年の『フラッシュダンス』であり、立て続けに『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)・『トップガン』(1986年)・『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)・『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)などのヒットを飛ばした。
1996年、ブラッカイマーはドラッグ濫用がひどくなった盟友シンプソンと絶縁した。直後シンプソンが急死したことによりブラッカイマーのキャリアは打撃を受けたが、マイケル・ベイほかミュージック・ビデオ出身の映画監督たちによるアクション映画の製作を続け、『アルマゲドン』・『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』・『ブラックホーク・ダウン』などの大ヒット作を送り出している。
彼の製作した映画のほとんどは凝った特殊効果の導入による派手なアクション、大ヒットしているポップ・ミュージックを起用したサウンドトラック、テレビ映りのよい俳優たちの起用を特徴としている。このため彼の映画は派手なオープニングと見た目のわりに無内容だとして全米の映画評論家からは酷評されているが、これは彼自身の『映画は極上の娯楽である』という理念によるものであり、その屈託無く万人受けする映画のスタイルは、結果としてアメリカだけでなく世界中で多くの観客を集めることとなり、収益的には大きな成功を収めているに至っている。
1997年からはテレビへも進出して数多くの警察ドラマを製作し、特に『CSI:科学捜査班』は2作のスピンオフがシリーズ化され、3作すべてが高い人気を誇るなど、テレビ界においても大きな成功を収めている。テレビドラマにおける彼の作品は、娯楽性を追求をする映画とは異なり、社会に対する問題提起、人間模様や心理の緻密な描写に比重を置いているのが特徴的である。テレビドラマのほかにも『アメージング・レース』(The Amazing Race)のようなリアリティ番組を製作している。
ブラッカイマーが関わる作品にはいくつかの共通した特徴がある。どの監督の作品でも太陽光線や自動車のヘッドライトを渋く光らせる場面を挿入するなど、美的な視覚効果に対する拘りをはじめ、アクション映画におけるカーチェイスシーンや爆破シーンといった見せ場では、より痛快かつ爽快な印象を与えんとするため、過剰なまでに緻密な計算と設定を練り込んだ密度の高い演出を好む。また作品に込める根底のテーマとしては、怠慢な国家や政治の体制を皮肉るものが多いのも特徴である。
共和党支持者であり、2008年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・マケインを支持した。『トップガン』、『アルマゲドン』、『ブラックホーク・ダウン』などの軍事アクション映画の製作の際、軍や政府機関の協力を得られるのは、この事も関係していると思われる。


2010年2月、ヴァニティ・フェア誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、3,600万ドル(日本円で約32億4000万円)を稼いで10位にランクインした。この金額は映画のギャラだけでなく、商品のロイヤリティ収入なども含んでいる。
2010年12月、経済誌フォーブス誌が「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」のランキングを発表し、1億ドル(日本円で約82億円)を稼いで6位にランクインした。

製作作品 [編集]

映画
さらば愛しき女よ Farewell, My Lovely (1975)
アメリカン・ジゴロ American Gigolo (1980)
キャット・ピープル Cat People (1982)
病院狂時代 Young Doctor in Love (1982)
フラッシュダンス Flashdance (1983)
ビバリーヒルズ・コップ Beverly Hills Cop (1984)
トップガン Top Gun (1986)
ビバリーヒルズ・コップ2 Beverly Hills Cop II (1987)
デイズ・オブ・サンダー Days of Thunder (1990)
サイレントナイト/こんな人質もうこりごり The Ref (1994)
バッドボーイズ Bad Boys (1995)
クリムゾン・タイド Crimson Tide (1995)
デンジャラス・マインド/卒業の日まで Dangerous Minds (1995)
ザ・ロック The Rock (1996)
コン・エアー Con Air (1997)
アルマゲドン Armageddon (1998)
エネミー・オブ・アメリカ Enemy of the State (1998)
60セカンズ Gone in Sixty Seconds (2000)
コヨーテ・アグリー Coyote Ugly (2000)
タイタンズを忘れない Remember the Titans (2000)
パール・ハーバー 'Pearl Harbor (2001)
ブラックホーク・ダウン Black Hawk Down (2001)
9デイズ Bad Company (2002)
パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち Pirates of the Caribbean: The Curse of the Black Pearl (2003)
ヴェロニカ・ゲリン Veronica Guerin (2003)
バッドボーイズ2バッド Bad Boys II (2004)
キング・アーサー King Arthur(2004)
ナショナル・トレジャー National Treasure(2004)
パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest (2006)
デジャヴ Deja Vu (2006)
グローリー・ロード Glory Road (2006)
ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記 National Treasure: Book of Secrets (2007)
パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド Pirates of the Caribbean: At Worlds End (2007)
お買いもの中毒な私! Confessions of a Shopaholic (2009)
スパイアニマル・Gフォース G-Force (2009)
プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂 Prince of Persia: The Sands of Time (2010)
魔法使いの弟子 The Sorcerer's Apprentice (2010)
パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 Pirates of the Caribbean: On Stranger Tides (2011)

テレビ
S.O.F. Soldier of Fortune (1997-1998)
CSI:科学捜査班 CSI: Crime Scene Investigation (2000-)
FBI失踪者を追え Without a Trace (2002-2009)
CSI:マイアミ CSI: Miami (2002-2012)
コールドケース 迷宮事件簿 Cold Case (2003-2010)
CSI:ニューヨーク CSI: NY (2004-)
女検察官アナベス・チェイス Close to Home (2005-2007)
イレブンス・アワー Eleventh Hour (2008-2009)
CHASE チェイス/逃亡者を追え! Chase (2011-)


トップガン Top Gun (1986) ホモくさい!
鹿内春雄 1945-1988 フジサンケイグループ初代議長鹿内信隆の長男であり、それを継いで2代目議長を務めた。当時の愛称も、「議長」だった。

妻の美津子(頼近美津子)は、元NHKアナウンサー。
「88/6 急逝した鹿内ジュニアは米国留学時代"ポール鹿内"の愛称でバイ説あり」『噂の真相』
製作映画
1985年4月27日 - 『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』
1985年7月13日 - 『Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス』
1985年7月20日 - 『ビルマの竪琴』
1985年12月21日 - 『ゲゲゲの鬼太郎』
1986年3月15日 - 『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争』
1986年7月12日 - 『ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!』
1986年7月12日 - 『子猫物語』
1986年10月10日 - 『時計 Adieu lVHiver』
1986年12月20日 - 『ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱』
1986年12月20日 - 『ドラゴンボール 神龍の伝説』
1987年4月11日 - 『いとしのエリー』
1987年8月29日 - 『ハワイアン・ドリーム』
1987年7月18日 - 『ドラゴンボール 魔神城のねむり姫』
1987年9月26日 - 『竹取物語』
1987年10月24日 - 『光る女』
1987年11月21日 - 『永遠の1/2』
1987年11月21日 - 『私をスキーに連れてって』
オリヴァー・ストーンOliver Stone 1946 アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
ベトナム帰還兵である自身の実体験を生かし、ベトナム戦争とそれが人間に与えた影響を描いた。敷衍して、アメリカ政府やアメリカの政治を批判した作品も多い。
脚本を担当した1978年の『ミッドナイト・エクスプレス』で、アカデミー脚色賞を受賞。
『プラトーン』、『7月4日に生まれて』の2作品でアカデミー監督賞を2度受賞する。
その他代表作には『JFK』、『ウォール街』、『ニクソン』、『天と地』など。特に『プラトーン』は、自身のベトナム戦争での体験がベースになっていると言われ、戦争という異常な状況下で人間はいかに醜く残酷になるか、そしていかに戦争が非人道的なものであるかを痛烈に訴えている。これらの作品についてはアメリカ国内では賛否が大きく、特にオリバー・ストーンと同じ世代ではその傾向が顕著である。

配偶者 Najwa Sarkis (1971-1977)
Elizabeth Stone (1981-1993)
Sun-jung Jung (1996-)
シルヴェスター・スタローン 1946-
アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家。 1970年代から1990年代のアクション映画を代表するメガスター。60歳を超えた現在でも、己の肉体を魅せる激しいアクションをこなす現役の映画俳優である。


3回の結婚歴があり、二男三女をもうけている。

下積み生活中の1974年にサーシャ・チャックと結婚。俳優・映画監督のセイジ・スタローンら二人の男児をもうけた後、1985年に離婚。
1985年に『ロッキー4/炎の友情』『コブラ』で共演したブリジット・ニールセンと再婚し1987年に離婚。
現在の妻は女優・モデルのジェニファー・フレイヴィン。1996年に一女をもうけ、1997年結婚、のち更に二女をもうけた。

幼少の頃から大天使ミカエルの洗礼名を持つローマ・カトリックのキリスト者である。『ロッキー・ザ・ファイナル』公開の時にはキリスト教原理主義系の番組に出演し、自身の信仰について語った。
熱心な共和党員で、政治的な発言も多い。2008年の大統領選挙では同党のジョン・マケイン候補への応援活動を行った。また、その影響が自身の作品に色濃く現れる事もあった(『ランボー/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』、『ロッキー4/炎の友情』等)。

デヴィッド・リンチ
David Lynch
1946 アメリカ合衆国モンタナ州出身の映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優。
低予算映画『ブルーベルベット』は好評だったところから、「カルトの帝王」と呼ばれることもある。

Spouse
Emily Stofle (2009 - present)
Mary Sweeney (2006 - 2007) (divorced) 1 child
Mary Fisk (1977-1987) (divorced) 1 child
Peggy Lynch (1967 - 1974) (divorced) (1 child)

Was engaged to Italian actress Isabella Rossellini from 1986 to 1990.

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー  1946-82 ドイツ人で、俳優、脚本、舞台監督、作曲、カメラ、TV監督、映画監督など多彩。 ニュー・ジャーマン・シネマの天才と称された。彼の作品は暗く引きこもり感覚で後味の悪い終わり方をするので一般受けしないのだらけだけど。女性映画『マリア・ブラウンの結婚』『リリー・マルレーン』『ベロニカ・フォスのあこがれ』も撮影してこれらが一般受けするほう。
『突然裕福になったコンバッハの貧しい人々 』『四季を売る男』『自由の代償』『 シナのルーレット 』『秋のドイツ 』『マリア・ブラウンの結婚』『ベルリン・アレクサンダー広場 』『リリー・マルレーン 』『ベロニカ・フォスのあこがれ』『ケレル』監督 『焼け石に水』原作を彼の死後フランスの映画監督フランソワ・オゾンが映画化したけど、ファスビンダーの映画と同じように暗く引きこもりで破滅する。
彼も男の愛人たちをいい役につかせたとか。彼の映画『四季を売る男』『 自由の代償』にも脇役で出演した女優イングリッド・カーフェンと1970年に結婚したけど、数年で離婚。結婚初夜には、彼の同性の愛人ギュンター・カウフマンも一緒だったとか。ギュンター・カウフマンは1982年の映画『ケレル』で港の淫売宿ラ・フェリアの主人でダイスの勝負に負けた相手の尻を犯すのが趣味という役を演じていた。ファスビンダーはコカインの過剰摂取で死亡。
ジョン・ウオーターズ 1946〜  低予算で自主独立で、キワモノ映画を監督。女装の太った男優ディヴァイン主演で『ピンク・フラミンゴ』など。
 メジャー進出以降、表立ってはゲイを中心の題材に扱ってはいないけど。メジャー進出第一作『ヘアスプレイ』でも、ディヴァインを出演させた(主役の太目の女の子の母親役と、黒人排除の偉いオヤジ役の二役)。でもやっぱりゲイ監督、若手美男俳優と、個性派女優ってところがうれしい。その他脇役にも個性派を使い、アメリカの清潔な理想的中流階級幻想に、チョッピリ皮肉をきかせてって感じ。私のお気に入りの監督。
長谷川和彦 1946- 1968年、映画『神々の深き欲望』の制作スタッフ公募に応じ、今村(昌平)プロに入社。
1975年よりフリーとなり、1976年に中上健次原作『蛇淫』を脚色したATG『青春の殺人者』で監督デビュー。“30歳の新鋭映画監督登場”と大きな話題を呼んだ。この作品はその年のキネマ旬報ベストテン1位に選ばれるなど、高い評価を受け、多くの映画賞を独占した。新人の第1回作品がベストワンになるのは異例であった。 
1982年、大森一樹、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、池田敏春、井筒和幸、黒沢清、石井聰亙の若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(ディレカン)を設立、監督代表として取締役に就任。

性盗ねずみ小僧(1972年、脚本)
濡れた荒野を走れ(1973年、脚本)
青春の蹉跌(1974年、脚本)
宵待草(1974年、脚本)
青春の殺人者(1976年、監督)
太陽を盗んだ男(1979年、監督・脚本)
逆噴射家族(1984年、制作)

テレビドラマ
悪魔のようなあいつ(1975年、脚本)
七人の刑事 「ひとりぼっちのビートルズ」ゲスト、沢田研二 (1978年、原案・脚本)

女優の室井滋と同居していることがマスコミに取り上げられる。光文社『女性自身』1999年2月16日号、新潮社『週刊新潮』2004年3月11日号ほか。

ブルース・ウェバー 1946- アメリカの有名なファッション写真家。映画監督にも進出『レッツ・ゲット・ロスト 』『トゥルーへの手紙 』
エドワード・ジェームズ・オルモス
Edward James Olmos
 1947-  アメリカ合衆国の俳優/映画監督。 メキシコ系アメリカ人。エミー賞を受賞したことがあり、アカデミー賞にノミネートされたことがある。
カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。父親はメキシコからの移民、母親はメキシコ系アメリカ人[1]。

1960年代後半から1970年代初期にかけて、彼は音楽から入り、それから小さな映画などにおいて俳優として活躍した。 第2次世界大戦時のカリフォルニア州におけるメキシコ系アメリカ人と地元警察による緊張を描いた舞台『ズートスーツ』で "El Pachuco" というナレーターをも務める男を演じた。この舞台はブロードウェイでも上演され、彼はEl Pachuco役でトニー賞にノミネートされた。1981年の映画版でも彼は同じ役をつとめ、同じころに、『ウルフェン』や『ブレードランナー』、『グレゴリオ・コルテス』などといった映画に出演した。

1984年から1989年まで、オルモスは『特捜刑事マイアミ・バイス』で、ドン・ジョンソンやフィリップ・マイケル・トーマスとは対照的なマーティン・キャステロ警部を演じた。1985年、彼はこの役でゴールデングローブ賞とエミー賞を受賞した。 1986年、当時制作中だった新スタートレックにおける U.S.S.エンタープライズ号の艦長役をやらないかというオファーもあったが、辞退している[2]。
それから映画業界に復帰、1988年の映画『落ちこぼれの天使たち』で、生徒たちの成績の悪さに失望して、生徒たちに数学の面白さを教えた実在の数学教師ハイメ・エスカランテを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。1992年には 『アメリカン・ミー』を監督し、1995年には『ミ・ファミリア』で、あるチカーノ一家の歴史を生きる男を演じた。1997年には、『セレナ』でジェニファー・ロペスと共演した。

Spouse (3)
Lymari Nadal (2002 - present)
Lorraine Bracco (28 January 1994 - 4 March 2002) (divorced)
Kaija Keel (29 December 1971 - 1992) (divorced) (2 children)

ロレイン・ボランコはハーヴィー・カイテル、エドワード・ジェームズ・オルモスとの交際、結婚歴有。
加古隆(かこ たかし)
「隆」は旧字体で表記される。
1947- 作曲家・ピアニスト。

「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
監督の平山秀幸
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子
スティーヴン・エドウィン・キング
Stephen Edwin King
1947- アメリカのモダンホラー小説家。作品は世界各国で翻訳され読まれている。

ビートたけし
本名:北野武
1947- 奥山和由は、1990年代前半は北野武・竹中直人・坂東玉三郎ら芸能人を新人映画監督としてデビューさせる等、映画界の寵児としてもてはやされた。



その男、凶暴につき(1989年)
3-4×10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ)(1990年)
あの夏、いちばん静かな海。(1991年)
ソナチネ(1993年)
みんな?やってるか!(1995年)
キッズ・リターン(1996年)
HANA-BI(1998年)
菊次郎の夏(1999年)
BROTHER(2001年)
Dolls(2002年)
座頭市(2003年)
TAKESHIS'(2005年)
監督・ばんざい!(2007年)
アキレスと亀(2008年)
アウトレイジ(TBA)
美少年志向でロリコン。抑圧されたゲイが女性恐怖と憎悪、ブスやおばさんへの嫌悪発言だらけで。ムリせんともうカムアウトしたら〜。
妻は元漫才師の北野幹子(旧姓・松田)、長男、長女の井子。愛人との間に隠し子。
スティーヴン・スピルバーグ 1947〜 女優と何度も結婚して5人もの子持ちだとか。『激突』『ジョーズ』『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』などの大ヒットメイカー
フレデリック・ミッテラン 1947
フランスの政治家。第五共和制第4代大統領フランソワ・ミッテランの甥である。フランソワ・フィヨン内閣で文化相を務めた。監督、俳優、映画プロデューサー、作家、テレビ番組の司会者などの経歴を持つ。

2005年に出版された彼の著書『不道徳な人生』で主人公はタイやインドネシアで売春をするという内容が物議を醸し、出版社側は作者自身の経験をもとに書かれた作品であるとコメントしたので、売春ツアーを支持する問題作として極右政党と左派政党から激しく批判され、ミッテランの辞任が要求された。
一方本人はアジアで売春をしたことがるのは認めるが、小児性愛者という指摘は否認している。
ロブ・ライナー
Robert "Rob" Reiner
1947 アメリカ合衆国の映画監督・俳優・脚本家・映画プロデューサー。

ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区にて生まれる。父は映画監督のカール・ライナー。子役としてテレビ出演の経験を積み、成人後はテレビ番組の演出を手がけるようになる。
1974年と1978年に『All in the Family』でエミー賞助演男優賞を受賞。
1984年の『スパイナル・タップ』で映画監督としてデビュー。その後『スタンド・バイ・ミー』や『恋人たちの予感』をヒットさせている。
ライナーが設立した製作会社キャッスル・ロック・エンターテインメントは、『スタンド・バイ・ミー』の原作者スティーヴン・キングが創造した架空の街(キャッスルロック)の名前を冠している。

配偶者 ペニー・マーシャル (1971?1981)
ミシェル・シンガー (1989-)
柄本明(えもと あきら)


1948-
俳優、コメディアン。愛称は、えもっちゃん。
妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。
1992年、映画『空がこんなに青いわけがない』では監督を務めている。これ以降、監督作は無く産経新聞の「わたしの失敗」で「もう二度とやりません」と語っている。

ジョン・カーペンター 1948- 『ゼイリブ』(1988)で、男同士がえんえんと取っ組み合いするの。しつこすぎ。マッチョホモくさい。オコゲの私でも好みがあって、こういうの苦手。
橋爪健康 1948-
マルレーン・ゴリス 1948- オランダ女性の映画監督。『アントニア』でアカデミー最優秀外国映画賞を獲得。『ダロウェイ夫人』 『愛のエチュード 』
崔洋一 1949- 映画監督、脚本家、俳優。日本映画監督協会理事長、宝塚大学教授、株式会社ネクステップ顧問でもある。韓国籍。
『十階のモスキート』(1983)、『月はどっちに出ている』(1993)、 『犬、走る。DOG RACE』(1998)、『血と骨』(2005)、 『カムイ外伝』(2009)

『犬、走る。DOG RACE』で、岸谷五朗と大杉漣が富樫真演じる気はきついがちょっと可愛い上海女桃花を取り合いながら、実はかなりホモっぽい。
高橋伴明 1949- 『獅子王たちの夏』『とられてたまるか!』 男達を美しくなまめかしく撮る。彼に美しく撮ってもらった男優たちが、他のTVとかでは全然かっこよくないのよ。まあ、右翼的な破滅の美学、男のヒロイックなナルシズムで、男を美しく撮っているのかもしれないけど。
 私生活では、奥様は女優の高橋恵子で、お子様もいらっしゃるのね。
よく出演をする哀川翔、的場浩司、中野英雄もゲイではとにらんでいます。
原田眞人 1949- 『KAMIKAZE TAXI』『タフ』 
男たちが美しくなまめかしい。で、なぜか美人女優が出ているけど、私が見てもヤキモチやくようなタイプの女優が出てこない。不美人な年増がずっと年下の若い男に恋をしたり。
ロサンゼルスにて6年間の映画監督修行を積み、1976年にジャーナリストの夫人と結婚。一男一女をもうけ、息子は俳優の原田遊人。近年の原田眞人作品のほとんどに出演している。
水島総 1949- フリーランスのディレクターとして200本以上のテレビドラマの脚本・演出を手がけ、後に映画にも進出する。
株式会社日本文化チャンネル桜(チャンネル桜)代表取締役社長、日本映画監督協会会員、日本脚本家連盟会員。
「南の島に雪が降る」監督・脚本、「奇跡の山 さよなら、名犬平治」監督・脚本、「パンダ物語」(日中国交正常化15周年、日中平和友好条約10周年記念作品)中国人である錢道遠との共同脚本、「南京の真実」監督・脚本
奥田瑛二 1950- 元来「天職」と自覚していた役者だったが、42歳のときに「監督やるぞ!」と思い立ち、周囲に宣言。しかし、経験不足からか自信を持てずに挫折。その後基礎から映画製作を学び、48歳にして助監督を経験。50歳を迎えた2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』で念願の監督デビューとなる。

2006年1月に松坂慶子を主役とした『るにん』を公開。共に国内外の映画賞で多数の賞を獲得。3作目となる『長い散歩』は、奥田が「どうしても仕事がしたかった」という緒形拳を主役に配し、モントリオール世界映画祭で、日本映画として1982年の佐藤純弥監督作『未完の対局』以来2作目となるグランプリを受賞。さらに国際批評家連盟賞とエキュメニック賞も同時受賞し、計3冠を獲得するという快挙を成し遂げた。

シャンタル・アケルマン 1950- ベルギー生れのユダヤ人女性の映画監督。ベルギーからアメリカのNYに移住し、それからフランスに移住。
『ゴールデン・エイティーズ』監督 /脚本 『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』監督 /脚本 『カウチ・イン・ニューヨーク』 監督 /脚本
ニール・ジョーダン 1950 『クライング・ゲイム』『インタヴュー・ウイズ・ヴァンパイア』
『マイケル・コリンズ』の最後に主役を暗殺する俳優が無意味にかわいい男の子(JRM)で、こら抱いたな。その後、彼はジョーダン監督の推薦で、トッド・ヘインズ監督紹介され、『ヴェルヴェット・ゴウルドマイン』の主役を得、一気にスターダムに。
坂東玉三郎 (5代目) 1950- 歌舞伎役者、日本の俳優、映画監督、演出家。

奥山和由は、1990年代前半は北野武・竹中直人・坂東玉三郎ら芸能人を新人映画監督としてデビューさせる等、映画界の寵児としてもてはやされた。

主な映画監督作
外科室(1991年)
夢の女(1993年)
天守物語(1995年)
平山秀幸(ひらやま ひでゆき)
1950-
映画監督

マリアの胃袋(1990年)
ザ・中学教師(1992年)
人間交差点 雨(1993年)
よい子と遊ぼう(1994年)
学校の怪談(1995年)
学校の怪談2(1996年)
愛を乞うひと(1998年)
学校の怪談4(1999年)
ターン(2001年)
笑う蛙(2002年)
OUT(2002年)
魔界転生(2003年)
レディ・ジョーカー(2004年)
しゃべれども しゃべれども(2007年)
やじきた道中 てれすこ(2007年)
信さん・炭坑町のセレナーデ(2010年)
必死剣 鳥刺し(2010年)
太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-(2011年)

テレビドラマ
ぼくが医者をやめた理由(1990年、テレビ東京)
世にも奇妙な物語 第3シリーズ「顔」(1992年、フジテレビ)
薔薇の殺意?虚無への供物(1997年、NHK-BS2)
対岸の彼女(2006年、WOWOW) - 放送文化基金賞テレビドラマ番組賞、文化庁芸術祭優秀賞


「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
監督の平山秀幸
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子

リー・タマホリ
Lee Tamahori
1950 マオリの血を引くニュージーランド・ウェリントン出身の映画監督。
代表作は『ワンス・ウォリアーズ』(1994年)、『007 ダイ・アナザー・デイ』であるが、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)では助監督を務めている。

2006年に、ロサンゼルスで売春(買春ではない)容疑で逮捕された。タマホリが女装をして男性囮捜査官相手に「自分を買わないか」と持ちかけたことによる。 この報道により同性愛者であることが明らかになった。
ペドロ・アルモドバル 1951〜 『欲望の法則』
ガス・ヴァン・サント 1952〜  『マイ・プライヴェイト・アイダホ』
クライブ・バーカー 1952- 英国生まれで、ホラー作家、映画製作、映画監督と多彩な人。ホラー本の著者の写真は端正な美男。ホラー本でも、ゲイのカップルや女性客もゲイ客もとる男娼とかゲイテイスト満載。ホラー作品として、スティーヴン・キングがイヤな現実をネチネチと描写するけど、クライブ・バーカーはイヤな現実が一気にバーンと破壊して異常な世界へと突入する。
自作の映画化に失望し、自分で映画監督として『ヘル・レイザー』でデヴュー。それ以降も、映画の製作にも活躍。そして執筆活動のほうに比重がおかれてきた。
チェン・カイコー 1952- 中国人。『さらば我が愛 覇王別姫』 女と何度も結婚しているそうですが。
ピーター・クラマー 1952-
オランダ人 『クリビアにおまかせ!』
村上龍 1952- 小説は好きだけど。エッセイがオヤジくさすぎて私は大嫌いだけど、そのオヤジくささに大ファンな連中もがいる。
一応女と結婚して息子がいる。抑圧された隠れゲイが女性恐怖と憎悪、ブスやおばさんへの発言だらけで。ムリせんともうカムアウトしたら〜。

小説の評価は高いけど、映画監督としての評価は低い。


小説が他の監督によって映画化された
『走れ!イチロー 』
『昭和歌謡大全集 』
『 69 sixty nine 』など。
実業家、プロデューサー。現在ソニー・ミュージックエンタテインメントの代表取締役を勤める。

1977年 - CBSソニー名古屋営業所入社。
1979年 - 東京本社に転勤し、同グループESA&R1部課長、エピックソニー次長等を歴任する。
1993年 - ソニー・ピクチャーズエンタテインメント宣伝部に出向。洋画作品の宣伝に携わる。
1998年 - ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ(当時はSMEJ Associated Records)の立ち上げに携わる。
2000年 - ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ プレジデント就任
2001年 - ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ 代表取締役執行役員社長就任
2004年 - ソニー・ミュージックエンタテインメント コーポレートエグゼクティブ就任
2007年 - ソニー・ミュージックエンタテインメント コーポレートエグゼクティブCEO就任
2011年 - 日本レコード協会 会長就任

日本レコード協会会長
音楽産業・文化振興財団理事

映画
鉄コン筋クリート(2006年・エグゼクティブプロデューサー)
アジアンタムブルー(2006年・製作)
犬神家の一族(2006年・製作)
クワイエットルームにようこそ(2007年・エグゼクティブプロデューサー)
天使の卵(2007年・製作)
河童のクゥと夏休み(2007年・製作)
ピューと吹く!ジャガー いま、吹きにゆきます(2008年・製作)
デトロイト・メタル・シティ(2008年・製作)
あの空をおぼえてる(2008年・製作総指揮)
罪とか罰とか(2009年・製作)
レイン・フォール/雨の牙(2009年・エグゼクティブプロデューサー)
東のエデン 劇場版I The King of Eden(2009年・製作)
東のエデン 劇場版II Paradise Lost(2010年・製作)
パーマネント野ばら(2010年・製作)
告白(2010年・製作)
悪人(2010年・製作)
カラフル(2010年・製作)
BECK(2010年・製作)
裁判長!ここは懲役4年でどうすか(2010年・製作)
星守る犬(2011年・製作)
僕たちは世界を変えることができない。But we wanna build a school in Cambodia.(2011年・製作)
モテキ(2011年・共同製作)
friends もののけ島のナキ(2011年・製作)
ワイルド7(2011年・製作)
逆転裁判(2012年・製作)
ガール(2012年・製作)
シグナル?月曜日のルカ?(2012年・製作)

テレビアニメ
人造人間キカイダー THE ANIMATION(2000年・企画)
金色のコルダ?primo passo?(2006年・企画)
ハチミツとクローバーII(2006年・製作)
働きマン(2006年・製作)
天保異聞 妖奇士(2006年・企画)
のだめカンタービレ(2007年・製作)
週刊美肌一族(2008年・製作)
西洋骨董洋菓子店 ?アンティーク?(2008年・製作)
のだめカンタービレ 巴里編(2008年・製作)
源氏物語千年紀 Genji(2009年・製作)
東京マグニチュード8.0(2009年・製作)
空中ブランコ(2009年・製作)
のだめカンタービレ フィナーレ(2010年・製作)
四畳半神話大系(2010年・製作)
海月姫(2010年・製作)
フラクタル(2011年・製作)
C(2011年・製作)
うさぎドロップ(2011年・製作)
UN-GO(2011年・製作)
テルマエ・ロマエ(2012年・製作)
坂道のアポロン(2012年・製作)

OVA
デトロイト・メタル・シティ(2009年・製作)
奥山和由(かずよし) 1954- 松竹社長を務めた奥山融の次男。
映画プロデューサー・映画監督。
松竹専務を経て、現在は(株)チームオクヤマ代表。

奥山和由は、1990年代前半は北野武・竹中直人・坂東玉三郎ら芸能人を新人映画監督としてデビューさせる等、映画界の寵児としてもてはやされた。


凶弾 (1982年) - 企画
丑三つの村 (1983年) - 製作
海燕ジョーの奇跡 (1984年) - 製作
恋文 (1985年) - 製作
ハチ公物語 (1987年) - 製作
この愛の物語 (1987年) - 製作
マリリンに逢いたい (1988年) - 製作
226 (1989年) - 製作
その男、凶暴につき (1989年) - 製作・原案
3-4×10月 (1990年) - 製作
つぐみ (1990年) - 製作
陽炎 (1991年) - 製作
グッバイ・ママ (1991年) - 製作
無能の人 (1991年) - 製作
外科室 (1992年) - 製作
豪姫 (1992年) - 製作
いつかギラギラする日 (1992年) - 製作
ソナチネ (1993年) - 製作
人でなしの恋 (映画) (1995年) - 製作
RAMPO (1995年) - 監督・製作
GONIN (1995年) - 製作
好男好女 (1995年) - 製作
憂鬱な楽園 (1996年) - 製作
SCORE (1996年) - 製作
さすらいのトラブルバスター (1996年) - 製作
大統領のクリスマスツリー (1996年) - 監督・製作
瀬戸内ムーンライト・セレナーデ (1997年) - 製作
うなぎ (1997年) - 製作
フラワーズ・オブ・シャンハイ (1997年) - 製作
地雷を踏んだらサヨウナラ (1999年) - プロデューサー
PUPS (2000年)
天国までの百マイル (2000年)
GUN CRAZY (2002年) - 製作総指揮
玩具修理者 (2002年) - 製作総指揮
クラッシュ (2003年) - 監督・製作
TAIZO?戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実? (2003年) - 製作
IZO (2004年) - スーパーバイザー
赤い鯨と白い蛇 (2006年) - 製作総指揮
天国からのラブレター (2007年) - 製作総指揮
東京ソーダ水 (2008年) - エグゼクティブプロデューサー
ラストゲーム 最後の早慶戦 (2008年) - プロデュース
TOKYO JOE (2008年) - プロデュース
真幸くあらば (2010年) - 製作

「91/12 ヘア丸出しの本木雅弘がなんと松竹の奥山ジュニアとホモ関係の仰天説」『噂の真相』

ジェームズ・キャメロン
James Cameron
1954- カナダ出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。
『ターミネーター』
『エイリアン2』
『ターミネーター2』
『タイタニック』
『アバター』

美少年やいい男をだしてくれてうれしい。女が微妙にブスでマッチョ。

配偶者
シャロン・ウィリアムズ(1978年 - 1984年) 大学を中退し、惚れ込んだ地元のカフェのウェイトレス
ゲイル・アン・ハード(1985年 - 1989年) プロデューサー。結婚暦が監督ばかりで、ジェームズ・キャメロン、ブライアン・デ・パルマ、ジョナサン・ヘンズリー。
キャスリン・ビグロー(1989年 - 1991年) 史上初の女性によるアカデミー監督賞受賞者
リンダ・ハミルトン(1997年 - 1999年) 『ターミネーター』1&2の女優。結婚暦が俳優のブルース・アボット、監督のジェームズ・キャメロン。
スージー・エイミス(2000年 - ) 女優
ジャッキー・チェン
成龍、
繁体字:成龍、
広東語発音:センロン
1954 香港出身の映画俳優。
京劇や中国武術で鍛えた身体能力を活かして、それまで暗い復讐劇が多かったカンフー・アクション映画の世界に、ハロルド・ロイドやバスター・キートンなどのコメディ映画の要素を取り入れた、コミカルで明るい作風のカンフー映画を送り込み、一躍アジア圏で有名になる。その後ハリウッドにも進出し数多くの映画に主役として出演。50歳を越えた2012年現在でも自らアクションスタントをこなすことで知られる。代表作は『プロジェクトA』など多数。
愛称は「大哥」(ダイコー、兄貴の意)。
妻は台湾の元女優ジョアン・リン。息子は俳優のジェイシー・チャン。

かつてジャッキー・チェンは若い頃、テレサ・テンと恋愛をしていた。しかし、価値観の違いや仕事の忙しさなどが原因で2人は別れることになる。その後、ジャッキーは台湾女優の林鳳嬌(ジョアン・リン)と結婚。テレサは1995年に気管支喘息の発作のため亡くなった。テレサの死後も、ジャッキーの彼女に対する思いと悲しみは消えることなく、ジャッキーの第2弾レコードには、テレサとのデュエット曲を収録した。
自伝『愛してポーポー』では、一時期ギャンブル中毒で身を持ち崩し、婚姻を解消したことを告白している。

マイケル・パトリック・キング 1954- 連続TVドラマシリーズ『SEX AND THE CITY』、映画版の監督/製作/脚本。
原作は女性コラムニストの実体験らしいけど。
「女優は微妙にブスだわ、「いい男だと思ったらチンコが小さかった」ってセリフがあるわ、ゲイくさいなあ」ってゲイの高山真が書いていたな。
宮島秀司 1954- 「99/5 ブロックブッキング放棄の松竹におすぎの元恋人説の宮島秀司が役員へ」『噂の真相』

松竹に入社して、映画プロデューサーとして活躍する。数年後、松竹を退社しフリーとして独立。
『天城越え』、『お月様へようこそ』、『世にも奇妙な物語』、『ほんとにあった怖い話』、『ギミア・ぶれいく』など、映画・舞台・テレビ番組のプロデュースを輩出。
1989年〜1993年に放送の映画番組『水曜ロードショー』の末期では、映画解説もしていた。
1994年に、ザ・ヴォイス・プロジェクトを設立し、同社の代表取締役社長に就任。
1999年から、松竹に復職し、映画企画部の部長を務めている。

ベッドタイムアイズ
天城越え
薄化粧
十手舞
私をスキーに連れてって
木村家の人々
バカヤロー! 私、怒ってます
バカヤロー!2 幸せになりたい。
タスマニア物語
ゲレンデがとけるほど恋したい。
未来日記(映画版)
連弾
アナザヘヴン(映画版)
天国の本屋?恋火
壬生義士伝
CASSHERN
金子修介(かねこ しゅうすけ) 19955- 映画監督。
1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、1996年に『ガメラ2 レギオン襲来』で第17回日本SF大賞を受賞。

父は「アメリカはベトナムから手を引け」等の反戦ゼッケンを、8年もの間、胸に付けて通勤し続けた金子徳好、母は切絵作家の金子静枝、弟の金子二郎は脚本家である。

ケビン・コスナー
Kevin Costner 

ケビン・マイケル・コスナー
Kevin Michael Costner
 1955 米国の映画俳優、映画監督・映画プロデューサー。

前妻のシンディ・シルバとはキャンパスから下積み時代まで苦楽を共にし、3人の子供を持つおしどり夫婦として知られた。『ウォーターワールド』撮影当時コスナーの不倫スキャンダルが発覚し、1994年に慰謝料100億円を支払って離婚した。
2004年に19歳年下のクリスティーン・バウムガートナーと再婚し、2007年に1児を儲けている。
また、元恋人との間にも息子がいる。

Humorless slut who overestimates the level of his own talent. Prone to interfering with production, direction, etc of his films. Cuckolded John Travolta. Linked with Halle Berry, Kathy Lee Gifford, Elle Macpherson, Michelle Pfeiffer, Kelly Preston, and Mira Sorvino.
ドディ・アルファイド
ドディ・ファイド
英語:
Dodi Al-Fayed

Emad El-Din Mohamed Abdel Moneim Fayed
1955-1997 イギリスのデパート『ハロッズ』、フラムFCそしてホテル・リッツ・パリの所有者であるエジプトの億万長者モハメド・アルファイドの息子だった。彼の母はサミラ・カショギで、悪名高い武器商人アドナン・カショギの妹だった。<BR>
エジプトのアレキサンドリアで生まれ、スイスの私立寄宿学校ル・ロゼ(Institut Le Rosey)で学んだ。<BR>
映画プロデューサーとして活躍し、『ブレイキング・グラス』(1980)、 『炎のランナー』(1981年)、『F/X 引き裂かれたトリック』(1986)、『フック』(1991年)、『F/X2 イリュージョンの逆転』
(1991)、『スカーレット・レター』(1995)などを製作した。<BR>
1990年代になって、イギリスのダイアナ元妃と交際しはじめたが、同時に彼女を付け狙うパパラッチに追いかけ回される日々が続いた。そして1997年8月31日、彼はダイアナ元妃と共にパリでの自動車事故で共に亡くなった。彼の死後、父親のモハメドは、ドディが死の直前にダイアナと正式に婚約しようとしていたことを暴露し、様々な憶測を呼ぶこととなった。<BR>
ドディの遺体はイギリス、サリーのウォーキングにあるブロックウッド墓地に埋葬されたが、その後、スコットランドのファイド家が所有する土地に移された。<BR>
<BR>
Princess Diana, <BR>
Darryl Hannah, <BR>
Princess Stephanie of Monaco, <BR>
Winona Ryder<BR>
Brooke Shields.
ロバート・エプスタイン 1955〜 『セルロイド・クローゼット』『 ハーヴェイ・ミルク』
ローランド・エメリッヒ 1955〜 西ドイツ産まれ。アメリカで活躍する映画監督。ゲイであることを公表しており、LGBT関連事業への寄付等も行っている。
『インデペンデンス・デイ』『GODZILLA 』『パトリオット』『デイ・アフター・トゥモロー』『紀元前1万年』『2012』
ドン・ルース 1955〜 『ルームメイト 』『ボーイズ・オン・ザ・サイド 』『悪魔のような女』脚本 『偶然の恋人』監督脚本
ショーン・マサイアス 1956- 英国人。英国の舞台監督から映画監督へと進出。『ベント/堕ちた饗宴』監督
奥田誠治 1956- 日本テレビ放送網株式会社コンテンツ事業局長代理兼同局映画事業部エグゼクティブプロデューサー、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。以前は、編成局映画センター長兼映画編成部長兼映画事業部長。
1980年に日本テレビ入社。同社編成部を経て1984年から同社映画事業部に配属され、『金曜ロードショー』のプロデューサーとして放映権の買い付けを担当していたが、1984年、『風の谷のナウシカ』のテレビ放送をきっかけに宮崎駿たちと知り合う。以後、同番組において全てのスタジオジブリ作品をプロデュース。それまでは特にアニメファンではなかったが、宮崎たちの人柄に惹かれて『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『猫の恩返し』『ハウルの動く城』などの製作に参加。家族ともどもジブリ作品の登場人物等のモデルにされている。Production I.Gの押井守作品も支援。実写作品では『ALWAYS 三丁目の夕日』、『デスノート』などでエグゼクティブプロデューサーを務めている。
2001年から現職。第10回AMDアワード総務大臣賞、第25回藤本賞特別賞などを受賞。

「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
監督の平山秀幸
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子
菅良幸(すが よしゆき) 1956- 脚本家。兵庫県出身。主にアニメの脚本、シリーズ構成を中心に担当している。日本脚本家連盟会員。
主に少年誌の漫画を原作とするアニメの脚本を担当する。
竹中直人 1956- 俳優、コメディアン、映画監督、歌手、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。フロム・ファーストプロダクション所属。
木之内みどりとの結婚前に美保純と交際して結婚寸前までいったが破局。
妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。
奥山和由は、1990年代前半は北野武・竹中直人・坂東玉三郎ら芸能人を新人映画監督としてデビューさせる等、映画界の寵児としてもてはやされた。
1991年、つげ義春の漫画『無能の人』を映画化する際、奥山和由に才能を見出されて主演を務めると共に監督にも抜擢され、同作にて映画監督デビュー。
デイヴィッド・E・ケリー 1956- ボストンにて弁護士として働いていたが、1980年代にシナリオ執筆に関わるようになり、「L.A.ロー 七人の弁護士」の数エピソードの脚本がその最初の彼の作品となった。
弁護士を題材とするドラマの制作が多く、代表作に、刑事弁護を描いた「ザ・プラクティス」や民事裁判を描いた「アリーmyラブ」・「ボストン・リーガル」などがある。
1993年に女優のミシェル・ファイファーと結婚、二人の子供がいる。
鍋島修(なべしま おさむ) 1956- アニメーター、アニメーション監督。
デビュー作はテレビ『ゲッターロボG』。スタジオZ、スタジオno.1で金田伊功と共にする。アクション系の作画を得意としていた。現在は東京ムービーの作品を中心に、監督、演出を行っている。代表作は『とっても!ラッキーマン』(1994年)、『怪盗セイント・テール』(1995年)、『青山剛昌短編集』(1999年)、『とっとこハム太郎』(2000年)、『D.Gray-man』(2006年)など。
ニコラス・ハイトナー
Nicholas Robert Hytner
1956 イギリスの映画・舞台監督、プロデューサー。

マンチェスターにてユダヤ系の家庭に生まれる。ケンブリッジ大学のトリニティー・ホールで勉強した。
1980年代から舞台監督として活躍、1985年から89年までマンチェスターのRoyal Exchangeのアソシエイト・ディレクターとなる。1989年から1997年まではロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで舞台演出を手がけた。
西岡琢也(にしおか たくや) 1956- 脚本家。
大学在学中に井筒和幸監督と出会い、ピンク映画の現場で助監督・シナリオを担当した。
1979年、『暴行魔真珠責め』でシナリオライターとしてデビュー。『ガキ帝国』『TATTOO<刺青>あり』などの話題作を執筆、日本を代表する脚本家となる。
テレビの仕事も多く、特にテレビ東京とは同局初の2時間ドラマ枠「女と愛とミステリー」の立ち上げに協力するなど親密な関係にある。
「鬼太郎が見た玉砕?水木しげるの戦争?」(2007年)にて文化庁芸術祭テレビ部門ドラマの部優秀賞・ギャラクシー賞最優秀賞等を受賞。また、「秋深き」(2009年)と「沈まぬ太陽」(2010年)で、おおさかシネマフェスティバル脚本賞を2年連続受賞している。
現在、日本シナリオ作家協会理事長、大阪芸術大学映像学科教授を務める。

「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
監督の平山秀幸
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子

映画
ガキ帝国 - 悪たれ戦争 (1981年)
TATTOO<刺青>あり (1982年)
獅子王たちの夏 (1991年)
太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男- (2011年)

オリジナルビデオ
ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ? (1990年)
ネオチンピラ 続・鉄砲玉ぴゅ? (1991年)

関連人物
井筒和幸 (映画監督)
高橋伴明 (映画監督)
相米慎二 (映画監督)
黒沢直輔 (映画監督)
大杉漣 (俳優)
徳井優 (俳優)
村川康敏 (脚本家)
メル・ギブソン 1956- アメリカ合衆国のニューヨーク州生まれ、オーストラリア育ち。映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー。

アメリカ生まれだが、父親の事業の失敗で1968年に家族でオーストラリアに移住した。11人兄弟で育つ。オーストラリア国立演劇学院で学び、1979年にアクション映画『マッドマックス』の主役でスターの座をつかんだ。オーストラリア映画で活躍した後、1982年にアメリカ映画初出演。『リーサル・ウェポン』シリーズなどで人気を確たるものにした。

監督業にも乗り出しており、1995年の『ブレイブハート』でアカデミー監督賞を受賞している。
2004年には、私財30億円を投じてイエス・キリストの最期を描いた『パッション』を製作。作品への評価は賛否が分かれたが、興行的には空前の大ヒットとなった。

しかし、2010年7月、下記の恋人に対するDV騒動によりハリウッド大手の「ウィリアム・モリス・エンデヴァー・エンターテイメント(WME)」はメルの代理人業を辞めることを発表。また、この影響で予定されていた『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』への出演が中止になった。

歴史スペクタクルを監督する際は、あまり知られていない役者を起用し、当時使われていた言語や衣装、時代考察に徹底的にこだわって制作をすることで知られるが、そのこだわりは歴史的リアリティよりも彼の個人的なイデオロギーを表現することに注がれる。そのため、『アポカリプト』を製作した際は、マヤ文明の研究家や関係者から激しい非難を受けた。

熱心な純潔運動家としても知られており、避妊や妊娠中絶への反対をメディアに公言している。

1979年に看護師のロビン・ムーアと結婚し、男の子6人、女の子1人の計7人の子供がいる。2006年から別居し、2011年12月離婚。その間、2009年5月、ロシア人の歌手オクサナ・グリゴリエヴァとの間に子供ができたことが発表された。2010年7月、オクサナへの暴言・暴行を行ったとされるテープが流出し、警察がドメスティック・バイオレンス(DV)として捜査を始めた。RaderOnline.comによると、オクサナの弁護士は元妻ロビンが「メルは絶対、暴力なんて振るっていないわ。結婚の最中も別れた後もね」と7月に証言したことに対して、法廷への出廷を求めているという。また、TMZ.comによると、ロサンゼルス地方検事は、メルのドメスティックバイオレンス疑惑とグリゴリエヴァのメルへの恐喝罪をセットで調査を行なう予定。

また、2006年には、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にあるマリブの幹線道路でレクサスLS430を運転中に飲酒運転および67km/h以上の速度超過などの疑いで逮捕されている。この際に警官に対し「糞ユダヤ人ども…世界の戦争は全部ユダヤ人どものせいだ」("Fucking Jews...Jews are responsible for all the wars in the world")などと反ユダヤ的な差別発言をしたとされる(Mel Gibson DUI incidentを参照)。逮捕後、ABCのTV番組に出演し「とても恥ずかしく思う。酒が入ると、物を見るときのバランスが悪くなって、間違いを犯してしまう。もう誰かを失望させるようなことはしたくない」と公式に謝罪した。なお、ギブソンは『パッション』製作時にユダヤ団体から強烈な抗議を受けていた。

ロン・ナイスワーナー
Ronald L. Nyswaner
ナイスウェイナーが好ましいが、日本紹介時に誤ったため、この表記が使われるようになった。
1956 アメリカ合衆国の映画監督、脚本家。

妻であるスーザン・シーデルマンの映画『スミサリーンズ』で脚本家としてデビュー。このほかにも『スイング・シフト』や『燃えつきるまで』の脚本を書き、1988年、キアヌ・リーヴスとフレッド・ウォード主演の映画『旅立ちの季節/プリンス・オブ・ペンシルバニア』で映画監督デビューを果たす。
ゲイであることを公表しており、ゲイの権利運動を行っているだけでなく、同性愛やホモフォビア、AIDSなどをテーマにした作品の制作および出演などもしている。その中にはドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』や、歩兵バリー・ウィンチェル殺人事件を扱ったテレビドラマ『Soldier's Girl』などがある。
1993年、ジョナサン・デミ監督の映画『フィラデルフィア』で世界中に広く知られるようになった。また、この作品でアカデミー賞やゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞にノミネートされた。
しばらくテレビ番組の脚本を書き続けた後、2006年、サマセット・モームの小説を原作とした映画『The Painted Veil』の脚本を担当し、この作品で インディペンデント・スピリット賞にノミネートされ、2006年のナショナル・ボード・オブ・レビューで脚色賞を受賞した。
2004年に自伝 Blue Days, Black Nights: A Memoir を出版。この自伝には、彼が今まで経験したアルコールやドラッグに関する出来事、そして売春について書かれていた。
シリル・コラール
Cyril Collard

1957 フランス・パリ出身の俳優、映画監督、小説家。

主な出演作品
愛の記念に 1983年
野性の夜に 1992年
スタンリー・クワン
關錦鵬

Stanley Kwan
1957 香港の映画監督、映画プロデューサー。

監督
女人心 (1985)
チョウ・ユンファの地下情 追いつめられた殺意 (1986)
ルージュ (1987)
フルムーン・イン・ニューヨーク (1989)
ロアン・リンユィ 阮玲玉 (1991)
欽ちゃんのシネマジャック4 ドキドキ編 女とおんな (1993)
赤い薔薇、白い薔薇 (1994)
ホールド・ユー・タイト (1996) [1]
男生女相 (1997) [2]
私の香港 念ハオ如昔(1997) [3]
異邦人たち (1999)
藍宇 ?情熱の嵐? (2001)
画魂 愛の旅路 (2003) - テレビドラマ
長恨歌 (2005)
上河図 - 香港四重奏IIの中の一編 (2011) [4]

製作
スウィート・シンフォニー (1997)
心猿意馬 (1999)
天上の恋歌 (2000)
恋の風景 (2003)
妖夜迴廊 (2003)
愛さずにいられない (2005)
ミャオミャオ (2008)
スパイク・リー
Spike Lee
1957- ジョージア州アトランタ出身の映画監督、プロデューサー、作家、俳優である。発表する作品ごとに社会的・政治的な問題を扱い、論争を巻き起こす事で有名である。現在ニューヨーク大学とコロンビア大学、ハーバード大学、ティッチ・スクール・オブ・アートで常勤の教授として映画について教鞭を執っている他、母校であるモアハウス大学でも時折教壇に立っている。彼が設立した映画制作会社40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークスは1983年以来35本の映画を公開している。
黒人。
スパイク・リーは1993年、ハーレムのリバーサイド教会で弁護士のトーニャ・ルイス(現在はトーニャ・ルイス・リー)と結婚。彼女とは、1992年9月の黒人政党支部会の年次総会があった週末、ワシントンDCで出会った。2人は支部の晩餐会に出席しており、彼女は妹のトレイシーと出席していた。彼女は、サラ・ローレンスからバージニア大学の法学部を卒業していた。スパイクは、著書『スパイク・リーのバスケットボール・ダイアリー』の中で、「彼女のはっとするような美しさに思わずのけぞった」と語っている。2人の結婚式には数百人の招待客が詰め掛け、親友のデンゼル・ワシントンは勿論、NBA選手のパトリック・ユーイングなど、親交の深い著名な人物が多く出席し、スティービー・ワンダーが2人を祝福して歌った。
1994年に第一子である女の子サッチェル、1997年には息子のジャクソンを授かった。
蔡明亮
ツァイ・ミンリャン
1957- マレーシアで生まれ20歳のときに台湾に渡る。台湾で活動する映画監督・脚本家。中国文化大学演劇科で映画・演劇を学び、脚本家として活動するかたわらテレビドラマの脚本・監督を手がける。『青春神話』(1992) で映画監督デビュー。同作品で台湾の中時晩報(新聞)主催の映画賞で最優秀作品賞を受賞するとともに、東京国際映画祭ヤングシネマ部門ブロンズ賞に輝く。2作目の『愛情萬歳』(1994)はヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、グランプリ(金獅子賞)を受賞。1997年には3作目となる『河』でベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得。翌1998年『Hole-洞』がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。
ゲイであることを公言している。

リチャード・クウィートニオースキー 1957-
英国生れ。『 ラブ&デス 』
スタンリー・クワン 1957- 『藍宇(ランユー) 情熱の嵐 』
アラン・ボール 1957- 『アメリカン・ビューティー』脚本 TVシリーズ『シックス・フィート・アンダー』監督 /製作総指揮 /企画
Marlon Riggs 1957-1994 American creator of documentary films, born in Ft. Worth, Texas. Riggs died of Aids.
Films: Ethnic notions (1987), Tongues untied (1989), Affirmations (1990), Anthem (1991), Color adjustment (1991), Non, je ne regrette rien (1992), Black is... black ain't
柴崎幸三(しばざき こうぞう) 1958- 撮影技師。日本映画撮影監督協会所属。

「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子
ティム・バートン
Tim Burton
1958- アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家、芸術家。現在はイギリス・ロンドン在住。<BR>
ディズニーのアニメーターとして『トロン』(TRON)などに参加後、実写短編『フランケンウィニー』を演出。1985年に『ピーウィーの大冒険』で長編映画デビュー。<BR>
<BR>
映画 <BR>
1982年 ヴィンセントVincent - 監督<BR>
1984年 フランケンウィニー Frankenweenie - 監督<BR>
1985年 ピーウィーの大冒険 Pee-wee's Big Adventure - 監督<BR>
1988年 ビートルジュース Beetlejuice- 監督<BR>
1989年 バットマン Batman - 監督<BR>
1990年 シザーハンズ EDWARD SCISSORHANDS - 監督/製作/原案<BR>
1992年 バットマン・リターンズ Batman Returns - 監督/製作<BR>
1992年 シングルス Singles - カメオ出演<BR>
1992年 ホッファ Hoffa - カメオ出演<BR>
1993年 キャビン・ボーイ/航海、先に立たず - 製作<BR>
1993年 ナイトメアー・ビフォア・クリスマス The Nightmare Before Christmas - 製作/原案<BR>
1994年 エド・ウッド Ed Wood - 監督/製作<BR>
1995年 バットマン・フォーエヴァー Batman Forever - 製作<BR>
1996年 ジャイアント・ピーチ James and the Giant Peach - 製作<BR>
1996年 マーズ・アタック! Mars Attacks! - 監督/製作<BR>
1999年 スリーピー・ホロウ Sleepy Hollow - 監督<BR>
2000年 マリオ・バーヴァ 地獄の舞踏 - テレビ映画、出演<BR>
2001年 PLANET OF THE APES/猿の惑星 Planet of the Apes - 監督<BR>
2003年 ビッグ・フィッシュ Big Fish - 監督<BR>
2005年 チャーリーとチョコレート工場 Charlie and the Chocolate Factory - 監督<BR>
2005年 ティム・バートンのコープスブライド Corpse Bride - 監督/製作<BR>
2007年 スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street - 監督<BR>
2009年 9 ?9番目の奇妙な人形? 9 - 製作<BR>
2010年 アリス・イン・ワンダーランド Alice in Wonderland - 監督/製作<BR>
2012年 ダーク・シャドウ Dark Shadows - 監督/製作<BR>
2012年 リンカーン/秘密の書 - 製作<BR>
2012年 フランケンウィニー Frankenweenie - 監督/製作[5]<BR>
予定映画 [編集]2012年から2013年 モンスターポカリプス Monsterpocalypse<BR>
<BR>
テレビ<BR>
1982年 ヘンゼルとグレーテル Hansel and Gretel<BR>
1985年 フェアリー・テール・シアター/「アラジンと魔法のランプ」 - 監督<BR>
1985年 世にも不思議なアメージング・ストーリー/「ファミリー・ドッグ」 Amazing Stories - キャラクター・デザイン<BR>
1986年 新ヒッチコック劇場/「ザ・ジャー」<BR>
そのほか [編集]1998年 ノーム・イン・ザ・ガーデン Gnome in the Garden - テレビコマーシャル、監督<BR>
2000年 TIMEX TIMEX - テレビコマーシャル、監督<BR>
2000年 ステインボーイ The World of Stainboy - Webアニメーション、脚本/監督<BR>
2006年 キラーズ/「BONES」 BONES - ミュージック・ビデオ、監督<BR>
アニメーター時代 [編集]1979年 マペットの夢見るハリウッド The Muppet Movie - マペット・パフォーマー(クレジットなし)<BR>
1981年 きつねと猟犬 The Fox and the Hound - アニメーター(クレジットなし)<BR>
1982年 トロン Tron - アニメーター(クレジットなし)<BR>
1985年 コルドロン The Black Cauldron - コンセプチュアル・アーティスト(クレジットなし)<BR>
1992年 トイズ Toys - コンセプチュアル・アーティスト(クレジットなし)<BR>
<BR>
<BR>
絵本「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(1993年)<BR>
絵本「オイスターボーイの憂鬱な死」(1997年)<BR>
ティム・バートン[映画作家が自身を語る]邦訳改訂版(2011年)<BR>


<BR>1989年、ドイツ人の芸術家と結婚(『バットマン・リターンズ』の撮影後に離婚)。<BR>
1992年、モデル・女優のリサ・マリーと事実上の結婚状態に入る(2001年に破局)。<BR>
正式な結婚はしていないが、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』で知り合った女優ヘレナ・ボナム=カーターとの間に一男一女をもうけている。<BR>
ジョン・メイバリー 1958- 英国人。デレク・ジャーマンのもとで修行していた。ミュージック・ヴィデオや映画の監督。
『リメンバランス/記憶の高速スキャン』監督 『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』監督 /脚本 『ジャケット』監督
ミュージック・ヴィデオはSinead O'Connor『Nothing compares 2U』
スコット・ルーディン 1958- 映画制作者 『ダウト 〜あるカトリック学校で〜』『ステップフォード・ワイフ 』『イン&アウト』 その他ゲイテイストのない通俗大ヒット作品多数
チェリン・グラック(Cellin Gluck ) 1958- 和歌山県出身の映画プロデューサー、映画監督。米国人だが日本で生まれ育ったことから日本語はネイティブである。そのため日米合作映画の製作に関わることが多い。
1958年に米国人の父と日系米国人の母の長男として和歌山県に生まれる。
広島県廿日市市と兵庫県神戸市東灘区で育った。
日本の高校を卒業後、アメリカに渡り、ポモナ・カレッジ (Pomona College) とピッツァー・カレッジ (Pitzer College) で学んだ後、フランスのソルボンヌ大学(パリ第四大学)に留学。
日本で4年間フジテレビの国際制作関連の仕事に就き、そのころ寺山修司監督の『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1981年)の助監督を務め、映画の世界に入る。
その後はニューヨークとロサンゼルスを拠点に様々なハリウッド映画や日米合作映画の助監督やプロデューサーなどを務める。
2000年5月に「Protean Image Group (P.I.G.)」を設立。ロサンゼルス以外にも2005年にはオフィスを上海にも置き、世界各国の製作会社と提携し、日米市場向けのCMや映画の製作を行なう。
2009年の『サイドウェイズ』で映画監督デビュー。

「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」
竹野内豊
製作総指揮の奥田誠治、
監督の平山秀幸
脚本の西岡琢也、
脚本のグレゴリー・マークェット、
脚本のチェリン・グラック、
音楽の加古隆、
撮影の柴崎幸三、
編集の洲崎千恵子
パトリシア・ロゼマ 1958- ドイツ系移民のカナダ人女性 映画『私は人魚の歌を聞いた 』『月の瞳』 トニー・スコット監督、デヴィッド・ボウイ、カトリーヌ・ドヌーヴが吸血鬼に扮した映画『ハンガー』をテレビ・シリーズ化したもので、大勢いる監督の一人をつとめた。
グレッグ・アラキ 1959〜 『リヴィング・エンド』
チ・チ・ラルー
Chi Chi LaRue

ラリー・デイヴィット・パチョッティ
Larry David Paciotti
1959- アメリカ合衆国の著名なドラァグ・クイーン、及びポルノ映画の監督・プロデューサー。
プロデューサーやドラァグ・クイーンとしてはチ・チ・ラルー(Chi Chi LaRue)という芸名を使用しており、こちらの方がより一般的な呼称となっている。映画監督としてはチ・チ・ラルー以外にもローレンス・デイヴィット、テイラー・ハドソンなど他の芸名も用いる事があるが、これは「チ・チ・ラルーでは女性名と間違われる」という制作会社側の判断によるとインタビューで語っている。事業家でもあり、自らの映像制作会社の他にロサンゼルス市の高級商業地であるウェスト・ハリウッドを初めとして、複数の都市にポルノショップを所有している。
マーク・シェイマン 1959- American composer, lyricist, arranger, musical director and music producer, born in New Jersey. He often works together with his partner director and writer Scott Wittman. In the record industry he has worked with a.o. Bette Midler, Rosemary Clooney, Nathan Lane and Barbra Streisand.
Films (Soundtrack): Beaches (1988), When Harry met Sally (1989), Misery (1990), The Addams Family (1991), City Slickers (1991), A few good men (1992), Sister Act (1992), Addams Family Values (1993), Sleepless in Seattle (1993), The American president (1995), First Wives Club (1996), Mother (1996), George of the Jungle (1997), In & Out (1997), Patch Adams (1998), South Park - Bigger, longer and uncut (1999), 61* (2001)
Musicals: Livin' Dolls, Dementos, Trilogy of Terror, The G-String Murders, Hairspray (2002)
辻仁成 1959- 日本のミュージシャン、映画監督、小説家。
天使のわけまえ(1994年)- 自主制作
千年旅人(1999年)
ほとけ(2001年)- ドーヴィル・アジア映画祭にて最優秀イマージュ賞受賞
フィラメント(2002年)
目下の恋人(2002年)
ACACIA(2008年)
初婚は女性カメラマンで、後に破局。女優の南果歩(在日)と再婚し一児を授かるが、再び離婚。女優の中山美穂(レズ、在日)と再々婚し、現在はフランス・パリを拠点に創作活動を続けている。在日。
フェルザン・オズペテク 1959 トルコ共和国出身の脚本家、映画監督である。現在はイタリアに住んでいる。

1959年、トルコ共和国最大の都市イスタンブルに生まれる。
1977年にイタリアへ移住し、ローマにあるローマ・ラ・サピエンツァ大学に学ぶ。のちにシルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミー(Accademia Nazionale d'Arte Drammatica)の演出コースに通い、やがて、マッシモ・トロイージ、マウリツィオ・ポンツィといった映画監督の助監督として働く。
1997年、『ハマム』で監督としてデビューする。同作はイタリア語題はIl bagno turco、英語題はSteam: The Turkish Bathとして知られる。かなりの批評的成功を獲得し、アメリカでも公開された。2作目の『ラスト・ハーレム』(1999年)は、オスマン帝国の最後の日々をリリカルに描写したものであった。

オズペテク監督は、ゲイであることをオープンにしており、いくつかの作品でセクシャリティの問題を扱っている。たとえば『無邪気な妖精たち』(トルコ語題Cahil Periler、2001年)では、マルゲリータ・ブイの演じるエイズ専門医が、亡くなった夫に長い間関係のあった男性の恋人(ステファノ・アコルシ)がいたことを知る話である。ショックに叩きのめされたあとで、彼とのフレンドリーな関係を築きはじめ、夫について、そして、彼女がまったく想像もできなかったゲイの世界で、彼が過ごした秘密の生活について、彼女はわかっていく。
『向かいの窓』(トルコ語題Kar?? Pencere、2003年)は、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でクリスタル・グローブ賞(グランプリ)を受賞した。同作は、イタリアのヴェテラン俳優マッシモ・ジロッティの遺作となった。『聖なる心』(2005年)は、若い女性管理職の心に触れる肖像であり、亡くなった母親を通じて、彼女の魂のなかの隠された場所に到達する方法をみつけ、社会的に拒絶された人々の世話をすることに自らを捧げ始める話である。
リー・ルイス・ダニエルズ
Lee Louis Daniels,
1959 アメリカ合衆国の俳優、映画監督、映画プロデューサーである。製作映画『チョコレート』や監督映画『プレシャス』で知られ、特に後者はアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む6部門にノミネートされた。

ニューヨーク市在住のアフリカ系アメリカ人。同性愛者。彼と彼の元パートナーのキャスティング・ディレクターのビリー・ホピキンスは、ダニエルズの実の甥リアムと姪クレアを養子としている。
ダニエルズはホプキンスと2009年に別れ、Andy Sforziniと付き合っている。
ケネス・ブラナー, CBE
Kenneth Branagh
 1960 英国の俳優・映画監督・脚本家・プロデューサー。
「ローレンス・オリヴィエの再来」と呼ばれ、シェイクスピア俳優として有名。
RADA(王立演劇学校)を首席で卒業した後、23歳の時にロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に参加し、数多くの舞台に立つ。現在でも時々舞台に立っている。しかし既存の劇団の限界を感じ、自身で「ルネサンス・シアター・カンパニー」(RTC)を仲間と共に設立。『十二夜』、『お気に召すまま』、『リア王』、『夏の夜の夢』などを上演。1990年には日本でも公演を行った。この劇団のパトロンはチャールズ皇太子で、その縁でかチャールズ皇太子が2005年に再婚した時に結婚式に招待されていた。
1989年公開の『ヘンリー五世』でアカデミー監督賞及び主演男優賞にノミネートされる。2001年放送のテレビ映画『謀議』でエミー賞主演男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞。2011年公開『マリリン 7日間の恋』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされる。
2012年7月27日のロンドンオリンピック開会式では、イザムバード・キングダム・ブルネル[4]を演じた。

栄典、叙勲等[編集]
1990年 クイーンズ大学、ベルファスト校(Queen's University of Belfast)より、名誉文学博士号(honorary Doctorate in Literature)を授与された。
1994年 大英帝国勲章、コマンダー(Commander of the Order of the British Empire)に叙せられた。

ケネス・ブラナーは、女優のエマ・トンプソンと1989年に結婚するが、1995年に離婚。その後ヘレナ・ボナム=カーターと同棲している時期もあった。2003年にアート・ディレクターのリンゼイ・ブラノックと再婚した。
トッテナム・ホットスパーFCのサポーターである。
アリシア・シルヴァーストーンとも交際。
ジョン・グレイソン 1960- カナダ人。『ゼロ・ペイシェンス 』『百合の伝説/シモンとヴァリエ 』
ショーン・ペン 1960- 俳優。91年の「インディアン・ランナー」で脚本、監督デビュー。「クロッシング・ガード」、「プレッジ」『11'09''01/セプテンバー11(イレブン) 』『イントゥ・ザ・ワイルド』など。俳優として『ミルク』で、実在の同性愛の政治家を演じた。
マドンナと結婚、離婚。ロビン・ライトと結婚して二児をもうけたが離婚申請、復縁などごたついている。
スティーブン・ダルドリー CBE

Stephen Daldry CBE 
1961 イギリスの演出家、映画監督、映画プロデューサー。
演出家としてはローレンス・オリヴィエ賞とトニー賞を2度受賞、映画監督としてはすべての作品がアカデミー作品賞か監督賞にノミネートされており、両方で成功を収めている。 
これまでに100本以上の舞台を手がけている。1994年の『An Inspector Calls』でトニー賞を受賞したほか、ローレンス・オリヴィエ賞を2度、トニー賞を2度受賞するなど数々の賞を受賞し、演出家として確かな評価を得ている。
2000年に『リトル・ダンサー』で映画監督デビュー。舞台特有の大胆な演出手法を取り入れて絶賛された。500万ドルの制作費に対して1億ドル以上の興行収入を記録、アカデミー監督賞にノミネートされるなど、批評的にも興行的にも成功を収めた。
2005年にはロンドンで同作のミュージカル版を演出(楽曲制作はエルトン・ジョン)。ローレンス・オリヴィエ賞の最優秀新作ミュージカル賞など主要賞を総なめにした。2008年には米国ブロードウェイでも上演され、第63回トニー賞10部門を受賞。2014年現在もロングラン公演中で、通算観客動員数は400万人を越えた。
2002年の監督2作目『めぐりあう時間たち』はマイケル・カニンガムのピュリツァー賞受賞小説が原作。時代・場所の異なる3人の女性の1日を交互につなぎ合わせて描き、それぞれの時代を演じたニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープの3人がベルリン国際映画祭銀熊賞を共同受賞した。アカデミー賞は9部門にノミネートされ、ニコール・キッドマンが主演女優賞を獲得。ゴールデングローブ賞作品賞も受賞した。
2005年にはマイケル・シェイボンのピューリッツァー賞受賞小説『カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険』を、ナタリー・ポートマンとトビー・マグワイア主演で制作すると報道されたが、現在中止されている。
2008年の『愛を読むひと』でデビューから3作続けてアカデミー監督賞にノミネートされ、名実ともにイギリスを代表する映画監督の地位を固める。妊娠で降板したニコール・キッドマンに代わりケイト・ウィンスレットが起用され、またもアカデミー主演女優賞をもたらした。
2011年の4作目『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』はジョナサン・サフラン・フォアの原作小説をエリック・ロスが脚色し、3度めのアカデミー作品賞ノミネートを受けた。
2012年のロンドンオリンピック、ロンドンパラリンピックでは、開会式・閉会式の総合プロデューサーを務めた[1]。
2014年にはルーニー・マーラ、マーティン・シーン主演の5作目『Trash』が公開予定。


2001年にパフォーマンス・アーティストのルーシー・セクストンと結婚し、長女アナベル・クレアが誕生しているが、自身はバイセクシャルであると公言している[2]。公言したのは、人々が混乱するのを避けるためであるという。セット・デザイナーのイアン・マクニールと13年間、同性愛関係であることが知られている[3]。

『リトル・ダンサー』の製作直後(2000年)、監督のスティーヴン・ダルドリー(当時39歳)とジェイミー君(当時14歳)が一緒に住み始めたこと
園子温
(その しおん)
1961- 映画監督、脚本家、詩人、パフォーマー。自主映画出身の映画監督である。鈍牛倶楽部所属。

『部屋 THE ROOM』(1994年)サンダンス映画祭審査員特別賞受賞
『自殺サークル』(2001年)新宿武蔵野館における過去最高の観客動員数を記録
『Strange Circus 奇妙なサーカス』(2005年)、第56回ベルリン国際映画祭フォーラム部門にて観客の人気投票によって選ばれる「ベルリン新聞・読者審査賞」 (The "Berliner Zeitung" Reader's Jury Award) を受賞。カナダのモントリオールで開催されたファンタジア映画祭‘06でも作品賞と主演女優賞(宮崎ますみ)が受賞。
『紀子の食卓』(2006年)第40回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭 特別表彰&国際シネマクラブ連盟ドンキホーテ賞
『愛のむきだし』(2008年) ベルリン国際映画祭で、「国際批評家連盟賞」「カリガリ賞」を受賞
『冷たい熱帯魚』(2011年)
『恋の罪』(2011年)
『ヒミズ』(2012年)

2011年、監督した映画「冷たい熱帯魚」「恋の罪」に出演した神楽坂恵と婚約した旨を報じられた。
トム・フォード
Thomas Carlyle "Tom" Ford
1961 アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身のファッションデザイナー、映画監督。
ペリー・エリス(Perry Ellis)(1988年 - )、キャシー・ハードウィック(Cathy Hardwick)でデザイナーとして活躍。
1990年、ニューヨークからミラノに移り、グッチのレディス部門のデザインを担当。1994年からは、グッチのクリエイティブ・ディレクターとして活躍。グッチのクリエイティブを統括しながら2000年、イヴ・サンローランおよびグッチグループ全体のクリエイティブ・ディレクターにも就任。現在は自らの名を冠したブランドを主宰している。CFDA賞ほかファッション業界における数々の賞を受賞。

2009年、クリストファー・イシャーウッドの小説を原作とする映画『シングルマン』(A Single Man)を発表し、映画監督デビュー。
三池崇史 1960- 映画監督。『オーディション』(2000年)、『殺し屋1』(2001年)、『着信アリ』(2004年)、『ゼブラーマン』(2004年)、『クローズZERO』(2007年)、『ヤッターマン』(2009年)、『クローズZEROU』(2009年)
両沢和幸 1960- テレビドラマ
「世にも奇妙な物語」1990年-1992年
「半分こ」1990年(監督・演出)
「くせ」1990年(脚本)
「愛車物語」1991年(脚本)
「佐藤・求む」1991年(脚本)
「ネチラタ事件」1991年(監督・演出)
「城」1992年(プロデュース)
「右手の復讐」1992年(脚本・プロデュース)
「にぎやかな食卓」 1994年(脚本)
「転校生」 1994年(脚本)
「大人は判ってくれない」『ゴーストライター』1992年(脚本)
「七人の女弁護士」1991年-1993年(脚本)
「外科病棟女医の事件ファイル」1991年(プロデュース)
「その時、ハートは盗まれた」1992年(プロデュース)
「チャンス!」1993年(脚本)
「お金がない!」1994年(脚本)
「17才-at seventeen-」1994年(脚本)
「味いちもんめ」1995年(脚本)
「白鳥麗子でございます!」1995年(脚色)
「ナースのお仕事」1996年(プロデュース)
「せいぎのみかた」1997年(脚本)
「女教師」1998年(脚本)
「お仕事です!」1998年(プロデュース・脚本)
「傷だらけの女」1999年(脚本)
「天使のお仕事」1999年(プロデュース)
「月下の棋士」2000年(協力プロデュース)
「ヨイショの男」2002年(脚本・演出)
「OL銭道」2003年(協力プロデュース)
「ドールハウス」2004年(プロデュース・脚本・演出)
「黒革の手帖」2005年(脚本)
「幸せになりたい!」2005年(プロデュース・脚本・演出)

映画
「ナースのお仕事ザ・ムービー」2002年(監督・脚本・プロデュース)
「映画 あたしンち」2003年(脚本)※高橋ナツコと共同執筆
「KEEP ON ROCKIN'」2003年(監督・脚本・プロデュース)
「Dear Friends」2007年(監督・脚本)
「BABY BABY BABY! -ベイビィ ベイビィ ベイビィ-」2009年(脚本・監督)
江川達也(えがわ たつや) 1961- 漫画家、テレビタレント。愛知教育大学教育学部卒。妻子あり。
代表作に『まじかる☆タルるートくん』、『東京大学物語』など。

映像作品
実写映画版『BE FREE!』(1986年)…原作
アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)…原画参加(強姦未遂シーンを担当)
アニメ版『まじかる☆タルるートくん』(1990年9月2日~1992年5月10日、ABC制作・テレビ朝日系)
映画版『まじかる☆タルるートくん』(1991年3月9日公開)
映画版『まじかる☆タルるートくん 燃えろ!友情の魔法大戦』(1991年7月20日公開)
映画版『まじかる☆タルるートくん すき・すき タコ焼きっ!』(1992年3月7日公開)
ドラマ『東京大学物語』(1994年10月10日~1994年12月19日、テレビ朝日系)
アニメ(OVA)『GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』(1995年~1996年)
ドラマ『コーリュー』(2002年12月15日、メ?テレ制作・テレビ朝日系)…脚本
アニメ(オリジナルDVD)『東京大学物語』(2004年)
月野しずく『憧れの戦闘員』(2004年、ソフト・オン・デマンド)…総合演出

監督作品
実写映画版『東京大学物語』(2006年、ソフト・オン・デマンド)…監督・原作
『KING GAME』(2010年、ファントム・フィルム)…監督・原案
ジョージ・ティモシー・クルーニー
George Timothy Clooney
1961 アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。俳優として4回、監督として1回、脚本家として2回、製作として1回アカデミー賞にノミネートされ、アカデミー助演男優賞、アカデミー作品賞、ヴェネツィア国際映画祭脚本賞などを受賞している。また政治的活動を熱心に行っており、2008年1月31日より国連ピース・メッセンジャーを務めている。 

1989年にタリア・バルサムと結婚するが、1993年に離婚した。
クルーニーはもう今後また結婚することは無いだろうと語っている。
2000年にMartiniの広告の仕事でリサ・スノードン(英語版)と出会い、以後5年間交際と破局を繰り返した。
2007年7月にはリアリティ番組のパーソナリティのサラ・ラーソンとの交際が始まったが、2008年5月に破局した。
2009年から2011年6月まではイタリア人女優のエリザベッタ・カナリス(英語版)と交際していた。
2011年7月からは元WWEディーヴァのステイシー・キーブラーと交際。
2013年秋からは、弁護士のアマル・アラムディンと交際。
2014年9月27日結婚。イタリア・ベネチアで挙式が行われた。]
他に女優のケリー・プレストン(1987年-1989年)、レネー・ゼルウィガー(2001年)、クリスタ・アレン(英語版)(2002年-2008年)、フランスのテレビパーソナリティのセリーヌ・バリトラン(1996年-1999年)との交際が報じられていた。
数々の女性遍歴が報じられるにもかかわらず、クルーニーの性的指向はメディアの興味の対象となっていた。これに関して『アドボケート』誌のインタビューで「おもしろいよ。でも、『そんなのはウソだ!』と僕が大騒ぎをして否定をすることはない。そんなことをしたらゲイの友人たちに申し訳ないからね。ゲイであることが悪いという態度を取ることは絶対にない。」と語った

Reportedly a nice guy. Slut. Possibly swinging for both fences. Like lumberjacks, likes to try on women's clothes.
Linked with Lucy Liu, Kelly Preston, Julia Roberts, Winona Ryder, Charlize Theron, and Renee Zellweger.
トッド・ヘインズ 1961〜  『ポイズン』『ヴェヴェット・ゴルドマイン』
スティーヴン・ダルドリー 1961- イングランド・ドーセット出身シェフィールド大学で学んだ後、1985年から1988年までCrucible Theatreで舞台製作に携わった。これまで100本以上の舞台を手がけ、舞台監督として確かな評価を得ている。1994年の『An Inspector Calls』でトニー賞、ローレンス・オリヴィエ賞を二度など、数々の賞を受賞している。2000年に『リトル・ダンサー』で映画監督デビューを果たし、2005年にはロンドンで『リトル・ダンサー』のミュージカル・バージョンを監督した。『リトル・ダンサー』、『めぐりあう時間たち』、『愛を読むひと』と、監督デビューから3作連続でアカデミー監督賞の候補になっている。

2001年にパフォーマンス・アーティストのルーシー・セクストンと結婚し、長女アナベル・クレアが誕生しているが、自身はバイであると公言している。公言したのは、人々が混乱するのを避けるためであるという。セット・デザイナーのイアン・マクニールと13年間同性愛関係であることが知られている。
オリヴィエ・デュカステル 1962〜 パートナーのジャック・マルティノー と共同で『ジャンヌと素敵な男の子』監督
Christine Vachon 
クリスティーン・ヴァション?ヴェイコン?
1962- アメリカの映画制作者。
『ポイズン』
『恍惚』
『I SHOT ANDY WARHOL』
『KIDS/キッズ』
『 ベルベット・ゴールドマイン』
『ストーリーテリング』
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ 』
『エデンより彼方に』
『バレエ・カンパニー』
ジョディ・フォスター 1962- 女優、映画監督、映画プロデューサー。
子役出身。1976年『タクシードライバー』、1976年『ダウンタウン物語』 で、英国アカデミー賞の助演女優賞。1989年公開の『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』でアカデミー主演女優賞を受賞。人気・実力共にアメリカを代表する役者の地位を不動のものとした。
1991年に『リトルマン・テイト』で、映画初監督。自ら設立した映画制作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクション制作の第一回作品『ネル』(1994年)以降は、映画プロデューサーとして映画製作も行うなど活動の幅を広げている。
独身であるが、1998年と2001年に男児を出産(父親の名前は公表されていない)。現在シングルマザー。
2007年12月のロサンゼルスでの式典で、15年来の交際がある映画プロデューサーのシドニー・バーナードについて、「いつもそばにいてくれる美しいシドニーに感謝」と謝辞を捧げたところ、マスメディアが「レズビアンである事をカミングアウトした」としていっせいに報道。なお、2008年5月現在、破局したとの報道がなされている。
デヴィッド・ジェームス・ファーニッシュ
David James Furnish
 1962年10月25日 - )はカナダ人映画制作者で、以前は広告代理店の幹部であった。現在は映画監督であり『Tantrums and Tiaras』のプロデューサーとして最もよく知られている。

イギリスで同性同士の準婚関係を認めるシヴィル・パートナーシップ法でエルトン・ジョンと事実上の同性婚をした。005年5月、オールド・ウィンザーの彼らの家の1つで家族や友達とのディナー・パーティの際ジョンからプロポーズされた。 2005年、イギリスでシヴィル・パートナーシップ法が制定された日にオールド・ウィンザーで契約をした。 2010年、彼らの息子としてザカリー・ジャクソン・リーヴォン・ファーニッシュ・ジョンがカリフォルニア州の代理母より7ポンド15オンスで誕生した。
デイヴィッド・フィンチャー 1962- マドンナの『ヴォーグ』のプロモーションビデオの監督。
『ファイト・クラブ』 (1999)
トム・クルーズ
Tom Cruise
1962- アメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュース出身の俳優・映画プロデューサー。

メリッサ・ギルバート、レベッカ・デモーネイなどとの交際を経て1987年にミミ・ロジャースと結婚するが、1990年に離婚。
同年12月にニコール・キッドマンと再婚。キッドマンとは、おしどり夫婦として有名だったが、2001年に離婚。離婚成立前からペネロペ・クルスとの恋愛が公になり、結婚目前と言われたが2004年に破局している。
2006年11月25日、『バットマン ビギンズ』などに出演した女優ケイティ・ホームズとイタリアで挙式。2006年4月18日、婚約者ホームズがロサンゼルスで女児(スリ・クルーズ)を出産[8]。前妻キッドマンとの間には養子が2人(イザベラ、コナー)存在するが、実子を持つのは初めてである。
幼い頃から学習障害(LD、具体的には、失読症(Dyslexia:ディスレクシア)つまり書かれた文字を読む上での障害)を持ち、自身、障害者にかかわる映画(『レインマン』)や、この障害の理解を推奨するための映画(『デイズ・オブ・サンダー』)も製作主演している。また、新興宗教であるサイエントロジーの活動(勉強の技術の実践)によりこの学習障害を克服したと語っている。この経験から学習障害児への支援活動にも取り組んでいる。2003年8月には、『ラストサムライ』の宣伝のために来日した際、首相官邸の小泉純一郎首相を表敬訪問、日本の若者たちにと『学び方がわかる本』(ニュー・エラ・パブリケーションズ・ジャパン(株)発行、ISBN 4931223222)を首相に手渡した。2009年1月トムは、スペインの雑誌『XLセマナル』の中で、「誰も解決策をくれなかったけれど、大人になって、サイエントロジーの教育本を読んだことで完ぺきに読解ができるようになった」と語った。
また、トムは注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬のリタリンの使用に米国社会が依存していることを厳しく非難している。トム自身も1970年に投薬治療を勧められたが、母親がこれを断った。トムはこれを飲んでいたら今の自分はないだろうと語っている(1970年当時はまだ正式にADHDという概念はなかった)。
ニューヨーク・ヤンキースファンである。ちなみにトムが父親役を演じた『宇宙戦争』では、親はヤンキースのファン、息子はライバルチームのボストン・レッドソックスのファンという設定だった。
2012年6月、ケイティ・ホームズとの離婚申請を発表、7月に和解に達し、正式にケイティ・ホームズと離婚した

サイエントロジー信者

Oh, definitely not a Friend Of Dorothy. Why would you ever think such a thing? No, certainly not. And he definitely doesn't force his gay lovers to sign lengthy non-disclosure contracts before he gets involved with them; that's just a vile, untrue rumor started to bring shame on this quite emphatically heterosexual movie star. Certainly not someone who has and enjoys sex with lots of men. $cientologist. Vain & arrogant. Never graduated from high school. Acted badly towards Nicole Kidman during their break-up, which was caused partially by his insistence on raising the kids $cientologist (she wanted them raised Catholic) and partially because of her pregnancy, which may have been his and may have been Ewan McGregor's. Broke up with Nicole via his representatives. (Cruise, you swine.) Linked with Patricia Arquette, Cher, Penelope Cruz, Rebecca DeMornay, Nelly Furtado, Nicole Kidman, Heather Locklear, Paul Newman, Lisa Marie Presley, and Mimi Rogers.
P・J・ホーガン 1962- 『ミュリエルの結婚』 個性派女優たちと、きれいな男の子。『ベスト・フレンズ・ウェディング』
橋口亮輔 1962- 『二十歳の微熱』『渚のシンドバッド』
レイフ・ファインズ

Ralph Fiennes
 1962 サフォーク・イプスウィッチ出身のイギリスの俳優。舞台、映画の双方で活躍し、それぞれ数多くの受賞およびノミネート歴を持つ実力派俳優である。 

1993年に、10年以上の交際を経てアレックス・キングストンと結婚。しかし、1995年に『ハムレット』で共演した18歳年上のフランチェスカ・アニスとの交際[2]が明るみに出ると1997年に離婚[3]。アニスとの交際も2006年2月に終焉した[2]。その後もエレン・バーキンとの交際が報じられた。
2007年、オーストラリアからインドのムンバイへと向かうカンタス航空の旅客機において、ビジネスクラスのトイレで同乗していた女性の客室乗務員と性行為に及び、ムンバイのホテルでも一夜を共にしたと報じられた。これは、その乗務員が情報料と引き換えに新聞社に投稿したことで発覚した。ファインズは一連の行為を否定しなかったものの、当該の客室乗務員は解雇された。
クエンティン・タランティーノ 1963- 映画監督。アカデミー脚本賞とカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞している。脚本も書き、自身の作品に俳優として出演もする。
1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。現在までに『レザボア・ドッグス』(1992年)、『トゥルー・ロマンス』(脚本、1993年)、『パルプ・フィクション』(1994年)、『ジャッキー・ブラウン』(1997年)、『キル・ビル』(2003年『Vol.1』、2004年『Vol.2』)、『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)および、『イングロリアス・バスターズ』(2009年)を発表している。
1998年には舞台『暗くなるまで待って』に俳優として出演した。

カンヌ国際映画祭パルムドール(1994年) 『パルプ・フィクション』
アカデミー賞脚本賞(1995年) 『パルプ・フィクション』
MTVムービー・アウォーズ(2004年)ベスト・ファイト賞(ザ・ブライド VS GOGO夕張 のシーン)(2004年) 『キル・ビル Vol.1』
MTVムービー・アウォーズ(2005年)ベスト・ファイト賞(ザ・ブライド VSエル・ドライバー のシーン)(2005年) 『キル・ビル Vol.2』

カンヌ国際映画祭は臭い。匂う匂う。ゲイ人脈が異常に濃いのでは? スポンサー企業、審査員など、ゲイ人脈なのでしょうね。だからゲイ人脈の方の作品が優遇されて過大評価で賞をいただけると。そう睨んでいます。

タランティーノ監督は2004年に第57回カンヌ国際映画祭でも審査委員長を務め、映画『誰も知らない』の柳楽優弥に優秀男優賞を与えるなどの実績がある。

過去の交際相手として噂されたのが、
女優ミラ・ソルヴィーノ、
映画監督アリソン・アンダース(1987年に映画監督としてデビュー。1999年からはテレビシリーズを手がけており、『セックス・アンド・ザ・シティ』、『Lの世界』、『コールドケース 迷宮事件簿』などのエピソードを監督した)、
映画監督ソフィア・コッポラ(フランシス・コッポラ監督の娘。彼女は、『マルコヴィッチの穴』を監督したスパイク・ジョーンズと結婚していたが2003年に離婚。2004年に双方が交際を認めた)、
女優ジュリー・ドレフュス(大阪外国語大学に留学。NHK教育テレビジョンの『フランス語講座』に出演。日本でモデルやタレントの活動を始める。タランティーの監督の『キル・ビル Vol.1出演)、
コメディエンヌのKathy Griffin(一般人と結婚をしリアリティ・ショーで公開していたけど離婚。 Appleの共同設立者 Steve Wozniak.と交際と別れ。2011年に元NFL practice-squad player のIsaiah Mustafaとの交際を発表。同性愛者の権利獲得運動家)
コメディエンヌの Margaret Cho(2003年に芸術家Al Ridenourと結婚。バイセクシュアルであることを公言。同性愛者の権利獲得運動家)
女優のユマ・サーマンとの噂。
タランティーノの公式発表では、「彼女たちとはプラトニック」だと。
「60歳までは結婚もしないし子供ももたない」

グレッグ・アラキ 1963- 『途方に暮れる三人の夜』『リビング・エンド』『ドゥーム・ジェネレーション』『トータリー・ファックト・アップ 』『 ノーウェア 』『スプレンダー/恋する3ピース』
佐藤直樹 (日活) 1963- 実業家・映画プロデューサー。現日活株式会社社長。
テレビ番組制作会社等を経て1990年に大映株式会社入社。
大映株式会社の事業譲渡に伴い、2002年11月株式会社角川大映映画(現:角川映画株式会社)へ。
角川映画企画製作担当取締役を経て2005年11月1日 日活社長就任。

プロデュース作品
2004年 『着信アリ』
2004年 『インストール 』
2005年 『着信アリ2』
製作作品
2007年 『あしたの私のつくり方』
2008年 『奈緒子』
2008年 『うた魂』
2009年 『ヤッターマン(2008)』(製作総指揮)
企画作品
2005年 『妖怪大戦争(2005)』

現在日活芸術学院の理事長を兼務し、後進の育成にも力をいれている。


ジャック・マルティノー 1963- 『ジャンヌと素敵な男の子』の脚本を書き、パートナーのオリヴィエ・デュカステルと共同で監督
ジョニー・デップ 1963- 俳優。映画監督にも進出。20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。その時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジ(隠れゲイで結婚暦複数)と知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。1997年に、俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。
1983年に音楽活動の中で知り合った20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚するが、1985年に離婚。
その後も女優のジェニファー・グレイ、シェリリン・フェン、ウィノナ・ライダーや、スーパーモデルのケイト・モス(バイ説)とも交際していた。ちなみにウィノナ・ライダーと交際中、腕に「ウィノナ・フォーエヴァー」と刺青を施したが、破局後「ワィノ・フォーエヴァー(アル中よ永遠に)」に修正。その後は恋人の名を刺青にしていない。1998年からフランスの歌手兼女優のヴァネッサ・パラディとパートナー関係(入籍はしていないが事実婚)であり、1999年に長女(リリー=ローズ・メロディ・デップ)が、2002年4月9日に長男(ジャック・ジョン・クリストファー・デップ三世)が誕生。現在はアメリカと南フランスの両方で二重生活をしている。
ジョン・キャメロン・ミッチェル 1963- アメリカ人。彼が脚本・主演を務めたロック・ミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』アメリカのオフ・ブロードウェイで上演されるや、たちまち評判を呼び2年半以上のロングランヒットとなった。舞台と同じくジョン・キャメロン・ミッチェルが監督・脚本・主演を務め映画化。
ステファン・エリオット 1963- 『プリシラ』
Srdan Dragojevic
スルジャン・ドラゴエヴィッチ
1963- セルビア人の映画監督
『ボスニア』
立川志らく(たてかわ しらく 1963- 落語家、映画評論家、映画監督。落語立川流所属。出囃子は『鳩』『花嫁人形』。日本映画監督協会にも所属。
談志の愛人って噂もあった。

映画好きで知られ、1997年に『異常暮色』で映画監督デビュー。映画監督として日本映画監督協会にも所属している。老舗の映画雑誌『キネマ旬報』では、「立川志らくのシネマ徒然草」の連載を持ち、同連載は1996年と1999年に「キネマ旬報ベストテン」の読者賞を受賞した。映画関連では他にも、映画専門チャンネルのスターチャンネルで2008年から映画解説者の一員となり、独演会では映画を落語にした「シネマ落語」などの活動を行っている[5]。
2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家としても活動している。2008年6月には赤川次郎原作で、大林宣彦監督により映画になった『あした』を舞台化した 『あした〜愛の名言集』を公演し、2009年現在まで10回の公演を数えている。
映画評論でも知られる快楽亭ブラックは、つまらない邦画のベストスリーに、志らく監督作品の『異常暮色』など3作品をランクインさせた。
映画監督の大林宣彦は、志らくの落語や舞台は好きだが、映画については「許せる」という表現をしている。

異常暮色(1998年)
死神パラダイス(1999年)
カメレオンの如き君なりき(2001年)
SF小町(2002年)
不幸の伊三郎(2004年)
松本人志 1963- 日本のお笑い芸人、俳優、映画監督。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。お笑いコンビダウンタウンの一人。
『大日本人』(2007年)初監督・脚本。 『しんぼる』(2009年)
抑圧されたゲイが女性恐怖と憎悪、ブスやおばさんへの嫌悪発言だらけで。ムリせんともうカムアウトしたら〜。
2009年、所属事務所を通じて「一般人女性との結婚」を公表した。「一般人だから相手の情報は公表しない」と言ってたけど、実は元タレントの伊原凛(在日)。同年、第一子となる長女が誕生したことを明らかにした。
エイタン・フォックス Eytan Fox 1964 イスラエルの映画監督。
ニューヨーク市に生まれ、2歳の時家族とともにイスラエルへ渡る。父シーモア・フォックス(Seymour Fox)は保守派のラビで、ヘブライ大学のユダヤ教育の主任教授だった[1]。母 Sara Kaminker-Foxはエルサレム市議会議長で、エルサレム都市化計画に携わっていた。2人には、エイタン以外にもデイヴィッドとダニーという子がいた。 エルサレムで育ち、陸軍に従事した後、テルアビブの Tel Aviv University's School of Film and Televisionに通った。
ゲイであることを公表しており、パートナーである作家・ジャーナリストのGal Uchovskyとは18年以上の付き合いがある。Uchovskyはエイタン・フォックスの映画の脚本を担当することが多い。
現在はフランスのヴァルボンヌに住んでいる[4]。

受賞歴
2006年、この10年で最も多大な功績を残したユダヤ映画を作った者に与えられるDecade Awardを受賞。授賞式はワシントンDCで行われた。

監督作品
After (1990)
w:Shirat Ha'Sirena ("Siren's Song," 1994)
Florentin (1997, TV series)
w:Ba'al Ba'al Lev (1997)
ヨッシ&ジャガー Yossi & Jagger (2002)
ウォーク・オン・ウォーター Walk on Water (2004)
バブル The Bubble (2006)
大木裕之 1964- 『あなたがすきです、だいすきです』『たまあそび』『心の中 Inside the Mind』『ターチ・トリップ』
小山薫堂(こやま くんどう) 1964- 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティ。[N35 Inc.]代表、株式会社オレンジ・アンド・パートナーズ代表取締役社長。
東北芸術工科大学デザイン工学部企画構想学科学科長で同大教授。

『料理の鉄人』以来、別名としてうどん熊奴(くまやっこ、「こやまくんどう」を逆さにしたアナグラム)の作家名を使い分けている。

トーマス・ベズーチャ
ラストネームの発音は「バゾーカ」とするのが正しいとされている。
Thomas Gordon Bezucha
1964 アメリカ合衆国の映画監督・脚本家である。 映画監督としてデビューする前は、ファッション業界の重役を勤めていたという経歴の持ち主である。 デビュー作「Big Eden」の成功により、2000年にヴァラエティ誌の「注目すべき10人の脚本家」として選出されている。

監督作品
Big Eden Big Eden (2000) 日本未公開。第14回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
幸せのポートレート The Family Stone (2005)
ニコラス・ケイジ 1964-
フランシス・フォード・コッポラ監督の甥。俳優。1995年、「リービング・ラスベガス」でアカデミー主演男優賞を獲得。
1995年、女優のパトリシア・アークエットと結婚、2001年に離婚。
2002年にプレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと再婚したが、たった3ヶ月後には離婚申請、2004年5月に正式離婚。
ちなみにリサ・マリー・プレスリーはサイエントロジー信者。その信者には、ゲイか、ゲイと結婚する女性が異常に多い。サイエントロジーは社会適応の矯正が売りで、ゲイ治療も売りにしている。サイエントロジーはフランスやドイツではカルト指定されていて、もはや内乱状態とか。新興宗教は実はアメリカが開発した世界侵略の組織で、フランスやドイツ脅威を感じているのは宗教ではなく、アメリカによる侵略。リサ・マリー・プレスリーは、無名のミュージシャンと結婚離婚、未成年少年から強姦で告訴された直後にマイケル・ジャクソンと結婚離婚。そしてニコラス・ケイジと再婚、即離婚。
2004年7月には韓国系米国人と3度目の結婚をしている。欧米のゲイは、偽装結婚の相手には年の離れたのか、アジア系かを選ぶ傾向がある。

『SONNY ソニー』 (2002) 監督/製作/出演。男娼の物語。この題材がなんとも。
ブルース・ラ・ブルース 1964- 『ノー・スキン・オフ・マイ・アス』『スーパー8 1/2 』 『 ハスラー・ホワイト』『スキン・フリック』
ローズ・トローシュ 1964- 『GO fish』をグィネヴィア・ターナーとローズ・トローシュが共同で製作と脚本をやり、トローシュが監督、ターナーが主演をした。
モイセス・カウフマン 1964- 『ララミー・プロジェクト 』監督・脚本
リサ・チェンデンコ 1964-
ユダヤ系ウクライナ移民の子孫。リベラルな一家なので子供時代にカムアウトできた。
ミュージシャンWendy Melvoin.とパートナー関係を築いている。精子提供を受けて息子を出産。
ミュージシャンWendy Melvoinはギタリストでシンガー・ソング・ライターで、有名なのがプリンスのバックバンド「レヴォリューション」の一員だったこと。そこを去り、 Lisa Colemanと一時期デュオを組んでいて、しかも愛人関係だったけど別れた。今は映画監督で脚本家のリサ・チェンデンコと愛人関係。
Wendy Melvoinと Lisa ColemanはTVシリーズ『ヒーローズ』のメインタイトルを作曲、『Nurse Jackie.』のメインタイトルを発表し、高い評価を得た。

『ハイ・アート』監督/脚本1999
『しあわせの法則』2004監督/脚本
TVシリーズ『The L Word 』(episode: "Lynch Pin") 監督(2005)
『キッズ・オールライト』2011監督/脚本
大森貴弘(おおもり たかひろ) 1965- アニメーター、アニメーション演出家、監督。東京都出身。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

スタジオディーンにアニメーターとして入社。退社後はフリーのアニメーター・アニメ演出家として活動したが、20歳代半ば、カラオケビデオや企業VP(ビデオパッケージ)映像などの制作者・ディレクターに転向。実写映像の仕事の傍ら、原画やデザインの仕事を受けるようになり、アニメーション業界に復帰[1][2]。1996年の『赤ちゃんと僕』で監督デビュー、『はいぱーぽりす』、『魔法のステージファンシーララ』など、スタジオぴえろのテレビアニメ作品の監督を歴任した。2000年以降は『地獄少女』、『バッカーノ!』、『夏目友人帳』、『デュラララ!!』 などの監督を務めヒット作を送り出している。『バッカーノ!』以降はブレインズ・ベース作品の監督を務めることが多い。また、作品によっては音響演出も兼任する事がある。



マイケル・ベイ
Michael Bay
1965 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の映画監督、映画プロデューサー。

パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインと、ウェスリアン大学で学んだ。卒業後、ミュージックビデオの演出と製作に携わるようになる。
CMのディレクターとして金獅子賞をはじめとする数々の賞を受賞し、1995年『バッドボーイズ』で監督デビューした。アメリカ合衆国色の強い娯楽大作映画を監督することで知られ、アクション映画のヒット作を多く手がけている。
映画では、ジェリー・ブラッカイマーとタッグを組むことが多く、今まで組んだ『アルマゲドン』、『パール・ハーバー』、『ザ・ロック』、『バッドボーイズ』など6作品の合計興行収入は2400億円(20億ドル)とメガヒットを連発している。

2010年2月、ヴァニティ・フェア誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、1億2,500万ドル(日本円で約112億円5,000万円)を稼いで1位にランクインした。この金額は映画のギャラだけでなく、商品のロイヤリティ収入なども含んでおり、『トランスフォーマー』関連の映画のほか、DVDのロイヤリティやおもちゃのライセンス料がかなりの額を占めるという。
2010年12月、経済誌フォーブス誌が「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」のランキングを発表し、1億2,000ドル(日本円で約98億4,000万円)を稼いで4位にランクインした。
ライアン・マーフィー
Ryan Murphy
1965 アメリカの作家、映画・テレビ番組のディレクター、エグゼクティブプロデューサー。代表作は『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』、『glee/グリー』など。
90年代後半に脚本制作を開始。当時執筆した「Why Can't I Be Audrey Hepburn?」はスティーヴン・スピルバーグに購入された。
テレビ番組の仕事は1999年から。ティーンエイジャー・コメディーの『Popular』はThe WBチャンネルで2シーズン放送された。
2003年に放送開始した『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』では制作・多くの脚本・監督・製作を手掛け、2004年にはエミー賞にてドラマシリーズ監督賞ノミネート、ゴールデン・グローブ賞作品賞ノミネート、翌2005年のゴールデン・グローブ賞作品賞受賞により注目を集めた。
2009年から放送中の『glee/グリー』は2010年エミー賞で20部門ノミネート、うち監督賞を含む4部門を受賞した。
私生活では同性愛者であることを公言しており、またJ・J・エイブラムスやマックGらと共に米国若手脚本家基金(Young Storytellers Foundation)の監査役員も務めている。
ブライアン・シンガー 1966- 『ユージュアル・サスペクツ』観て男たちがなまめかしいなあ〜とドキドキしたら、雑誌の情報で「ゲイらしい」って。やっぱり。『ゴルデン・ボイ』 もあやしい。
フランソワ・オゾン 1967- 『焼け石に水』 監督 /脚本  原作はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 『サマードレス』
キンバリー・ピアース  1967
アメリカ女性で映画監督。彼女はかつてシカゴ大学で日本語を学び、日本で英語教師をしていた。『 ボーイズ・ドント・クライ 』監督 /脚本
グィネヴィア・ターナー 1968- 1994年、レズビアン・カルトムービー 『GO fish』 において、脚本家兼主演女優でデビュー。その後、女優、脚本家、映画監督などマルチに活躍し、レズビアンのアイコン的存在となっている。
2004年より放映されている 『Lの世界』 の脚本を担当している。 この作品のライターの10人中9人がレズビアンである。ライターたちは6週間の間、部屋に閉じこもり、自分や友人の経験を話し合った。そのため、ストーリーラインはほとんど実話が元になっている。[1]
映画監督のケヴィン・スミスと友人で、彼の作品やスミスが監督したソウル・アサイラムのPVに出演したこともある。

GO fish Go Fish (1994) 監督・脚本・出演
ウォーターメロン・ウーマン The Watermelon Woman (1996) 出演
チェイシング・エイミー Chasing Amy (1997) 出演
プリーチング Preaching to the Perverted (1997) 出演
ドグマ Dogma (1999) 出演
アメリカン・サイコ American Psycho (2000) 脚本・出演
ハードコア・デイズ The Fluffer (2001) 出演
Lの世界 The L Word (2004) 脚本・シーズン1ゲスト出演
ハング!? Hung (2005) 監督・出演
ブラッドレイン BloodRayne (2005) 脚本
ベティ・ペイジ The Notorious Bettie Page (2005) プロデューサー
不思議の国の女たち - Broute-minou a Palm Springs (2006) 出演
ちっちゃなパイパイ大作戦! Itty Bitty Titty Committee (2007) 出演
ヒストリー・オブ・ゲイシネマ Schau mir in die Augen, Kleiner (2007年)出演
吉田修一 1968- スイミングスクールのインストラクターなどのアルバイトなどを経験。1997年、「最後の息子」で、第84回文學界新人賞を受賞し、小説家デビュー。同作で、第117回芥川賞候補。

2002年、『パレード』で、第15回山本周五郎賞を受賞し、同年には「パーク・ライフ」で、第127回芥川賞を受賞。純文学と大衆小説の文学賞を合わせて受賞したことで、山田詠美や島田雅彦と同じ系統のクロスオーバー作家が現れたと話題になった。

2003年、布袋寅泰のシングル『NOCTURNE No.9』のカップリング「グレイト・エスケイプ」で、作詞に挑戦。

若者の都市生活を描いた作品が多かったが、殺人事件を題材にした長編『悪人』で新境地を開き、2007年に第34回大佛次郎賞と第61回毎日出版文化賞を受賞。 

2010年、『横道世之介』で第23回柴田錬三郎賞を受賞。

映像化 [編集]『東京湾景』
『東京湾景 ?Destiny of Love』として、仲間由紀恵主演でドラマ化(2004年7月 - 9月、月9枠)。
『春、バーニーズで』
西島秀俊、寺島しのぶ主演で映像化(2006年2月19日にWOWOWドラマW枠)。
『7月24日通り』
『7月24日通りのクリスマス』として大沢たかお&中谷美紀主演で映画化(2006年11月3日公開)。
『water』
自ら映画化、映画監督デビューを果たしている(2007年3月公開)。
『パレード』
藤原竜也主演で映画化(2010年2月20日公開)。
『女たちは二度遊ぶ』
(2010年3月にBeeTV)。
『悪人』
妻夫木聡主演で映画化(2010年9月11日公開)。
高橋ヨシキ 1969- アート・ディレクター、ライター、デザイナー。



冷たい熱帯魚(2010)
監督: 園子温
製作: 杉原晃史
脚本: 園子温 高橋ヨシキ
撮影: 木村信也
編集: 伊藤潤一
音楽: 原田智英
出演: 吹越満
田辺誠一 1969- 俳優、映画監督。映画『ハッシュ!』では同性愛者を好演。舞台では蜷川幸雄、宮藤官九郎、劇団新感線の作品に多数出演している。
『DOG-FOOD』 脚本・監督(1999年) 。『ライフ イズ ジャーニー』監督・脚本(2003年)
妻は女優の大塚寧々(2002年結婚)。
アピチャートポン・ウィーラセータクン 1970 タイの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、美術家。チェンマイを拠点に映画やビデオ映像、写真を制作する。愛称は、ジョー (Joe)。

1970年、タイのバンコクに生まれる。両親は医者で、コーンケン県の病院で働いていた。1993年に短編映画『Bullet』(原題)で監督デビュー。
1994年、コーンケン大学で建築学士号取得。1997年 留学先のシカゴ美術館附属美術大学で美術・映画製作の修士号取得。
1999年、映画製作会社キック・ザ・マシーン設立。2000年、初の長編映画『真昼の不思議な物体』を発表。2011年に母校のシカゴ美術館附属美術大学より名誉博士号を授与。

監督作品
2000年 『真昼の不思議な物体』
2002年 『ブリスフリー・ユアーズ』 第55回カンヌ国際映画祭ある視点部門最優秀賞。第3回東京フィルメックス最優秀作品賞。
2003年 『アイアン・プッシーの大冒険』(脚本兼任、共同監督:マイケル・シャオワナーサイ)
2004年 『トロピカル・マラディ』 第57回カンヌ国際映画祭審査員賞。第5回東京フィルメックス最優秀作品賞。カイエ・デュ・シネマ2004年ベスト。
2006年 『世紀の光』 第63回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品。
2010年 『ブンミおじさんの森』(脚本と製作兼任) 第63回カンヌ国際映画祭パルム・ドール。

宮藤官九郎 1970- 妻は振付師の八反田リコ。2005年に第1子(長女)が誕生。

松尾スズキ主宰の劇団「大人計画」に所属。その後、バラエティ番組の構成作家としての活動も行う。大人計画の部分公演の作・演出をつとめるようになり、1996年から自身の公演を「ウーマンリブ」と名づけている。24歳のときに結婚。

1995年、暴動(宮藤官九郎)として、破壊(阿部サダヲ)、バイト君(村杉蝉之介)との3名でグループ魂を結成。2005年には、『君にジュースを買ってあげる?』で第56回NHK紅白歌合戦出場。

『木更津キャッツアイ』や、『タイガー&ドラゴン』などテレビドラマの脚本家として有名であるが、その幅広い活動が評価され、2003年度第41回ゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。

2005年にしりあがり寿の漫画の映画化『真夜中の弥次さん喜多さん』で映画監督デビューを果たす。同年、第1子(長女)が誕生。

中学時代は河合その子と斉藤由貴のファンだった。2006年には、その斉藤由貴を主演に起用した『吾輩は主婦である』で、はじめて昼ドラマの脚本を手がけている。

2006年にアニメ映画『鉄コン筋クリート』に、声優として参加。舞台挨拶では「自分の声が嫌いである」と語った。

2006年11月に出版された枡野浩一の『ショートソング』に短歌を寄稿。

井口昇監督のアダルトビデオに出演した経験がある。

2013年4月〜9月放送予定のNHK朝の連続テレビ小説脚本を担当することがこのほど決定した。

ジェイミー・バビット
Jamie Babbit
1970 アメリカ合衆国の映画監督、脚本家。

長編映画
Go!Go!チアーズ But I'm a Cheerleader (1999)
dot. ドット The Quiet (2005)
ちっちゃなパイパイ大作戦! Itty Bitty Titty Committee (2007)

短編映画
眠りの美女 Sleeping Beauties (1999)
Stuck (2001)

TV作品・その他
ギルモア・ガールズ Gilmore Girls (2001-2007)
マルコム in the Middle Malcolm in the Middle (2002-2003)
NIP/TUCK マイアミ整形外科医 Nip/Tuck (2003-2004)
アグリー・ベティ (2006)
ゴシップガール Gossip Girl (2007)
Lの世界 (2007-2008)
新ビバリーヒルズ青春白書 90210 (2009)
私はラブ・リーガル Drop Dead Diva (2009-2010)
ジョン・オーガスト
John August
1970 アメリカ合衆国の脚本家、映画監督である。ティム・バートンとのコラボレーションで知られる。
1999年の『Go』で脚本家デビューし、その後、『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)、『タイタンA.E.』(2000年)、『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(2003年)を手掛ける。
2003年に脚本を書いたティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』が成功し、オーガストは英国アカデミー賞脚色賞などにノミネートされた。その後もバートンの『チャーリーとチョコレート工場』(2005年)、『ティム・バートンのコープスブライド』(2005年)の脚本を書いた。
2007年の『9-ナイン』で監督デビューを果たし、サンダンス映画祭で上映された。
2012年、再びティム・バートンと組んだFrankenweenieが公開される予定である。

ロサンゼルスに住んでおり、カリフォルニア州での同性愛者の結婚が解禁された後の2008年6月28日にパートナーのマイケルと結婚した[2]。
ジョン・ムーア 1970- エネミー・ライン (2001) 監督
フライト・オブ・フェニックス (2004) 監督
オーメン (2006) 監督/製作
マックス・ペイン (2008) 監督/製作 ?
ディーン・デュボア(Dean DeBlois, 1970 カナダの映画監督、脚本家、アニメーター。
1980年代末からカナダのアニメThe Raccoonsにアニメーターとして係わり、キャリアをスタートさせる。1990年代末にはディズニー映画にも係わり、2002年にクリス・サンダースと共に『リロ・アンド・スティッチ』を監督し、高い評価を得る。2007年にはシガー・ロスのHeimaで、初めてドキュメンタリー映画を手掛けることになる。2010年には再びサンダースと組んでドリームワークス・アニメの『ヒックとドラゴン』を監督し、成功を収めている。
マット・デイモン
Matt Damon
1970 アメリカ合衆国の俳優、脚本家。
共演した女優と交際することが多く、これまでクレア・デインズ(『レインメーカー』で共演)、ミニー・ドライヴァー(『グッド・ウィル・ハンティング』で共演)、またウィノナ・ライダー[6]やモデルのブリジット・ホールらと交際。
2005年に『ふたりにクギづけ』撮影中にマイアミで知り合ったアルゼンチン人の女性ルシアナ・ボザン・バロッソと結婚し[7]、彼女の娘(アレクシア)の養父となる。また、2006年6月11日には実子の第一子となる長女(イザベラ)が[8]、2008年8月20日には第二子となる次女(ジア)が[9]、2010年10月20日には第三子となる三女(ステラ)が生まれた[10]。

Cracking under pressure of fame, the little punk. Best friends with Ben Affleck, and possibly more.
Linked with Penelope Cruz, Claire Danes (when she was under the legal age), Minnie Driver (who found out that he'd dumped her when she heard it on Oprah--Damon, you jerk), Susanna Eng, Calista Flockhart, Lucy Liu, Gwyneth Paltrow, and Winona Ryder.
 ソフィア・コッポラ
Sofia Coppola
1971 アメリカ合衆国の映画監督・脚本家・女優・ファッションデザイナー。
ニューヨーク州ニューヨーク市出身。父親はイタリア系アメリカ人で映画監督のフランシス・フォード・コッポラ。母親は父親の映画のセットデザイナーであったアイルランド系アメリカ人のエレノア・ニール。音楽家のカーマイン・コッポラは祖父、俳優のニコラス・ケイジ、ジェイソン・シュワルツマンは従兄弟に、女優のタリア・シャイアは叔母にあたる。兄弟にロマン・コッポラ、ジャンカルロ・コッポラがいる。ジャンカルロは22歳の時に交通事故で死亡。

監督業
998年に『Lick the Star』で映画監督デビューを果たす。2003年公開の『ロスト・イン・トランスレーション』でアカデミー脚本賞やゴールデングローブ賞 脚本賞、セザール賞外国映画賞などを受賞し、注目の女流監督となる。さらに2010年には『SOMEWHERE』で第67回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞した。
ガーリー・カルチャーを語る上で欠かせない存在であり、女性ファンも多い。また、映画のサウンドトラックが好評で、音楽的センスも評価されている。自身の作品『ロスト・イン・トランスレーション』ではマイ・ブラッディ・ヴァレンタインを取り上げたことでも知られる。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのボーカルのケヴィン・シールズやソニック・ユースとは個人的な親交がある。また、ケミカル・ブラザーズ、ビースティ・ボーイズらのミュージック・ビデオに出演、ホワイト・ストライプスのミュージックビデオの監督も務め、デビュー当時無名だったザ・レディオ・デプトを見出すなどしている。

私生活
映画監督のスパイク・ジョーンズと1999年に結婚したが、2003年に離婚。
クエンティン・タランティーノとの交際歴もある。
その後はフランスのバンドフェニックスのボーカリストであるトーマス・マーズと交際。
2006年11月28日に女児(ロミー)を、2010年6月25日に女児(コジマ)を出産。
2011年8月27日、イタリア南部の町ベルナルダでマーズとの結婚式を挙げた。

映画界ではアレクサンダー・ペイン、ポール・トーマス・アンダーソン、ウェス・アンダーソン、ゾーイ・カサヴェテスら同世代のクリエイターたちと親交がある。

アレハンドロ・アメナーバル
Alejandro Amenabar
1972 スペイン出身の映画監督、脚本家。
23歳のときに監督したサスペンス『テシス 次に私が殺される』がスペインで大ヒット。
第2作目の『オープン・ユア・アイズ』も大ヒット、国外からも高い評価を得る。この作品は後にトム・クルーズ主演でリメイクされ『バニラ・スカイ』として公開された。
ハリウッドに進出した第3作目『アザーズ』では、主演にニコール・キッドマンを迎える。
第4作目『海を飛ぶ夢』は実在の人物でラモン・サンペドロの手記『地獄からの手紙』を元に、30年近い四肢麻痺生活の末に、尊厳死を望んだ主人公の闘いを描く。この作品で2005年のアカデミー賞外国語映画賞をはじめ、数々の賞を受賞。
サウンドトラックの収集家でも知られ、監督した映画中の音楽は、ほとんど彼自身が作曲している。
2004年、スペインの雑誌にてゲイであることを公表。
ゴリ
照屋年之(てるや としゆき)
1972- 吉本興業所属のお笑いコンビ「ガレッジセール」のボケ担当である。お笑い芸人、俳優、映画監督。
2009年、初の長編映画『南の島のフリムン』の監督・脚本を担当。沖縄国際映画祭に出品された。
現在、二児の父。
蜷川 実花(にながわ みか) 1972- 女性写真家、映画監督。愛称は「ニナミカ」。小山登美夫ギャラリーに所属している。

演出家・映画監督の蜷川幸雄とキルト作家真山知子夫妻の間に第一子として出生、妹がひとりいるが一般人のため公表されていない。従姉は女優の蜷川有紀、蜷川みほ。
1997年に最初の結婚をしたがその後離婚。2004年に再婚したが2007年に離婚。2007年に妊娠していることを自身が編集長を務める雑誌ほかにて公表した。同年に第1子(長男)を出産した。一部報道では事実婚とされていたが、自身の公式ウェブサイト内の日記にて、入籍したことを発表している。

2007年公開の映画『さくらん』で、初の映画監督を務めている。
2006年夏、知人に連れられてAKB48劇場に行って以来、同劇場に頻繁に通い、「2006年のクリスマスも、イブも(劇場で)過ごし」たほどのAKB48のファンだったため、かねてよりAKB48の作品を手掛けたいという気持ちが「猛烈にあり」、2010年に「ヘビーローテーション」のPV監督になることでその夢が実現した。

ダスティン・ランス・ブラック 1974- 『ミルク』製作総指揮/脚本
ミランダ・ジュライ
Miranda July
1974 パフォーマンスアーティスト、ミュージシャン、作家、女優、映画監督。

『君とボクの虹色の世界』- Me and You and Everyone We Know (2005) (IFC Films) (脚本、監督、出演)
『ザ・フューチャー』- The Future (2010) (脚本、監督、出演)
ウェイン・ワン監督の『赤い部屋の恋人』の脚本を共同執筆した。

フィルムメイカー・マガジンは彼女の作品を2004年の「25人のインディーズ映画」の第1位に選出した。サンダンス・ワークショップの席を獲得した後、最初の長編映画『君とボクの虹色の世界』を制作し2005年に公開された。2005年カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞、サンフランシスコ国際映画祭、ロサンゼルス映画祭では観客賞を受賞した。

ジュライはポートランドに引越した後The NeedのRadio Sloanと交際。その後、K Records創設者のカルヴィン・ジョンソンと交際。2005年9月の時点ではアーティスト兼映画監督のマイク・ミルズと交際中。
檜山豊
ひやま ゆたか
1976- ホーム・チームは、日本のお笑いコンビ。所属事務所はマセキ芸能社。日本映画学校(現・日本映画大学)10期生。2010年12月をもって解散。

2012年、映画『死ガ二人ヲワカツマデ… 第二章 「南瓜花 -nananka-」』の脚本を手がける[1]。
寺西一浩(てらにし かずひろ) 1979 小説家、プロデューサー、映画監督である。

3歳で、女優の山岡久乃に見初められ子役として活動。
慶應大学在学中に出版したエッセイ『ありがとう眞紀子さん』が話題となり文壇デビュー。
その後、24歳の時、業界最年少で芸能プロダクション、株式会社トラストミュージックエンタテインメント代表取締役に就任し、歌手の島倉千代子歌手生活50周年事業を成功させる。その後は、小説家、プロデューサーとして活躍。
2009年、株式会社ヒューマンピクチャーズ代表取締役に就任。2011年、「女優」が映画化されるにあたり、自身が監督としてデビューすることが発表され、アジアの大手ポータルサイトで大々的に取り上げられた。

 
杉原晃史 冷たい熱帯魚(2010)
監督: 園子温
製作: 杉原晃史
脚本: 園子温 高橋ヨシキ
撮影: 木村信也
編集: 伊藤潤一
音楽: 原田智英
出演: 吹越満
伊藤 潤一(いとう じゅんいち) 編集技師。有限会社ジェイ・フィルムに所属。

冷たい熱帯魚(2010)
監督: 園子温
製作: 杉原晃史
脚本: 園子温 高橋ヨシキ
撮影: 木村信也
編集: 伊藤潤一
音楽: 原田智英
出演: 吹越満
   
 同性愛者として公表されている作家・画家・芸術家
ウィリアム・シェイクスピア 1564〜1616 蜘蛛巣城(監督:黒澤明、『マクベス』の翻案)
乱(監督:黒澤明、『リア王』の翻案)
ゴダールのリア王(1987年、監督:ジャン=リュック・ゴダール)
ヘンリィ五世(1945年、監督:ローレンス・オリヴィエ)
ヘンリー五世(1989年、監督:ケネス・ブラナー)
から騒ぎ(1993年、監督:ケネス・ブラナー)
オセロ(1995年、監督:オリバー・パーカー)
リチャード三世(1995年、監督:イアン・マッケラン)
リチャードを探して(1996年、監督:アル・パチーノ)
ハムレット(1997年、監督:ケネス・ブラナー)
恋におちたシェイクスピア(1998年、監督:ジョン・マッデン)
恋の骨折り損(2000年、監督:ケネス・ブラナー)
O(オー)(2001年、監督:ティム・ブレイク・ネルソン、『オセロ』の翻案)
ヴェニスの商人(2004年、監督:マイケル・ラドフォード)
クリストファ・マーロウ 1654-1593 英国イングランドの劇作家、詩人、翻訳家。大学才人。エリザベス朝時代に活躍。華麗な無韻詩(ブランクヴァース)で知られる。代表的戯曲は『フォースタス博士』(Doctor Faustus)、『エドワード2世』(Edward II)など。シェイクスピアに先がけて、エリザベス朝演劇の基礎を築いた人物の一人。(クリストファー・マーローなどとも表記される)

戯曲「ファウスタス博士の悲劇」を元にリチャード・バートン、エリザベス・テイラー主演で映画化されたのが『ファウスト悪のたのしみ』(1967) 『エドワード2世』を元にゲイの映画監督デレク・ジャーマンが映画化したのが『エドワードU』(1991)
『恋に落ちたシェイクスピア』で、シェイクスピアとマーロウが題材に扱われている。

シェイクスピアには謎が多く、マーロウ同一人物説がある。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770-1827 不滅の恋/ベートーヴェン(映画) Immortal Beloved 1994年
敬愛なるベートーヴェン(映画) COPYING BEETHOVEN 2006年
ジェーン・オースティン
Jane Austen、
1775-1817 イギリスの小説家。イングランド南部ハンプシャー・スティーブントン生れ。Austen を「オーステン」とカナ転写する書籍もあるが、原語により近い発音は「オースティン」。
18世紀から19世紀イングランドにおける田舎の中流社会を舞台として、女性の私生活を結婚を中心として皮肉と愛情を込めて描き、その作品は近代イギリス長編小説の頂点とみなされている。また英語における自由間接話法(描出話法、free indirect speech)の発達に大きく貢献したことでも知られる。主要作品は、『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー僧院』『説得』の6作品。

映画化
オースティンの作品はその親しみやすさからか、これまでに幾度も映画化・映像化がなされてきた。そのなかでも『高慢と偏見』は最も取り上げられることも多い作品であり、2005年現在では6本の映画が製作されている。最近では2005年に製作されたジョー・ライト監督、キーラ・ナイトレイ主演の映画『プライドと偏見』がある。5つ存在するテレビ用シリーズの中では、BBCによって1995年に製作されたジェニファー・イーリー、コリン・ファース主演のバージョンの評価が非常に高い。2001年の『ブリジット・ジョーンズの日記』にはこの小説にヒントを得た人物が登場している。
『エマ』はこれまでに5回映画化されている。『分別と多感』は1995年にアン・リー監督で『いつか晴れた日に』として映画化され、エマ・トンプソンがアカデミー脚色賞を受賞している。『説得』は2度のテレビシリーズ化、1度の映画化が行われた。『マンスフィールド・パーク』と『ノーサンガー僧院』についても映画化されている。1980年に製作された『マンハッタンのジェイン・オースティン』では彼女の唯一残された戯曲であるサー・チャールズ・グランディソンの映画化を目論んで争う2つの映画会社を題材にしている。
ジョージ・ゴードン・バイロン 1788〜1824 英国生まれの詩人。女性と結婚をして娘もいたけど、大勢の女性達との恋愛遍歴で有名。のはずなのに、ゲイですか? 彼を題材にした映画が『レディー・カロライン』『ゴシック』『幻の城』
シューベルト 1797-1828 映画『未完成交響楽』(1933年) - シューベルトを扱った伝記映画(内容はフィクション)。「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」の台詞が有名。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン  1805〜1875 北欧の童話作家『雪の女王』『人魚姫』『マッチ売りの少女』などの暗〜い童話作家。生涯独身。彼の半生をモデルに1952年にダニー・ケイ主演で『アンデルセン物語』が製作された。
エドガー・アラン・ポー 1809-1849 1833年、当時まだ13歳だった従兄妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。
ポーの作品のうち最もよく知られているものは「アッシャー家の崩壊」「黒猫」「赤死病の仮面」「盗まれた手紙」「モルグ街の殺人」「早すぎた埋葬」

ニコライ・ゴーゴリ 1809-1852 『ディカーニカ近郷夜話』、『ミルゴロド』、『検察官』、『外套』、『死せる魂』などの作品で知られる。

デモンズ5 (1989)<未> 原作 ?
妖婆・死棺の呪い (1967) 原作 ?
隊長ブーリバ (1962) 原作 ?
血ぬられた墓標 (1960) 原作 ?
外套 (1959) 原作 ?
ダニー・ケイの検察官閣下 (1949) 原作 ?
隊長ブーリバ (1935) 原作
ウォルト・ホイットマン 1819-1892 発表当時の作品に対する評価は大きく割れ、特にその代表作の詩集『草の葉』は性的表現があからさまなところから「わいせつ」と評された。
ハーマン・メルヴィル
Herman Melville
1819-1891 アメリカの作家、小説家。ニューヨーク出身。代表作は『白鯨』など。

白鯨 MOBY DICK (2010)<TVM> 原作 ?
ポーラX (1999) 原作 ?
モビー・ディック (1998)<TVM> 原作 ?
奴隷戦艦 (1962) 原作 ?
白鯨 (1956) 原作 ?
海の巨人 (1930) 原作 ?
海の野獣 (1925) 原作
ルイス・キャロル 1832-1898 イングランド北西部チェシャー州ダーズベリ出身の、イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人である。生涯独身。『不思議の国のアリス』
少女のヌード写真やセミヌード写真あるいはスケッチが残されている。
ところが実はゲイ!驚いた!でもそう言われてみれば、ロリコン有名人が実はゲイって次々に暴露されてきたなあ。隠れゲイは大人の女が恐ろしく、何も知らない処女じゃないと怖くてムリだからって処女妻を選ぶ法則とか分かるかも。ロリコン有名人をもう一度洗い直したら、実はゲイっていうのが続々出てくるのでしょうね。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840-1893 ロシアの作曲家。結婚暦あり。彼の生涯が映画化されてきた。ソ連製の『チャイコフスキー』。ケン・ラッセル監督による『恋人たちの曲/悲愴』は、同性愛者の苦悩が大きな主題として扱われていた。
ヘンリー・ジェイムズ  1843〜1916 『女相続人』『ねじの回転』『ある貴婦人の肖像』
ポール・マリー・ヴェルレーヌ 1844〜1896 フランスの詩人。妻子持ちだったが、結婚1年後、少年ランボーと会い、妻子を捨てて、ランボーと放浪と詩作。18763年、ヴェルレーヌとの痴情のもつれの果てに、ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院。ヴェルレーヌは逮捕され禁固1年半。そして別れ。妻の離婚請求が認められたことを獄中で知り、落胆した。一年半後出獄、放浪。
彼らの関係をハリウッド映画化『太陽と月に背いて』で、ちゃんとベッドシーンもあり、若いレオナルド・ディカプリオが年上の中年性デヴィッド・シューリス を責め役するのには驚いた!
日本で野村宏伸&田中実主演の舞台化されたとか。
ブラム・ストーカー  1847〜1912 『ドラキュラ』 女と結婚していたそうですが・・・
ポール・ゴーギャン 1848-1903 『シークレット・パラダイス』 PARADISE found (2003年)
監督マリオ・アンドレアキオ、出演キーファー・サザーランド、フランス映画

ピエール・ロティ 1850- フランス海軍士官で世界中を回った。『お菊さん』は、長崎に滞在したフランス海軍士官のピエル・ロチ(ピエール・ロティ)が、日本人女性と共に1ヶ月間過ごした記録を著したものだとか。『氷島の漁夫』が映画化された。
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 『ヴァン・ゴッホ』 Van Gogh (1948)
監督:アラン・レネ。フランスの短編映画。日本では劇場未公開。
『炎の人ゴッホ』 Lust for Life (1955)
監督:ヴィンセント・ミネリ、出演:カーク・ダグラス。アメリカ映画。ゴッホの伝記映画の中では最も有名な作品で、「周囲の無理解にもかかわらず情熱をもって独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という通俗的なゴッホのイメージを定着させるのに決定的な役割を果たした。原作はアーヴィング・ストーン『炎の人ゴッホ』(新版・中公文庫)
『ゴッホ』 Vincent & Theo (1990)
監督:ロバート・アルトマン、出演:ティム・ロス。神話化されたゴッホの物語の脱構築を目指した作品で、いくぶん脚色されているとはいえ比較的史実に近い。画家は(他の作品に比べれば)感情を抑えた冷静で分析的な性格として描かれている。原題が示すように弟のテオにもスポットが当てられている。
『夢』 Dreams (1990)
監督:黒澤明。エピソードの1つに、ゴッホの絵画世界の中に入り込んでしまう夢話がある。ゴッホを演じたのは映画監督のマーティン・スコセッシ。「太陽が絵を描けと僕を脅迫する」という言葉はこの映画におけるセリフである。
アルチュール・ランボー 1854〜1891 フランスの詩人。パリに出て来て、ポール・ヴェルレール・と出会い恋に落ちた。ヴェルレーヌは妻子がいたが捨てて、ランボーと放浪と詩作。18763年、ヴェルレーヌとの痴情のもつれの果てに、ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院。ヴェルレーヌは逮捕され禁固2年の実刑判決。そして別れ。放浪。
彼らの関係をハリウッド映画化『太陽と月に背いて』で、ちゃんとベッドシーンもあり、若いレオナルド・ディカプリオが年上の中年性デヴィッド・シューリス を責め役するのには驚いた!
日本で野村宏伸&田中実主演の舞台化されたとか。
オスカー・ワイルド  (1854〜1900)  当時英国の植民地だったアイルランド出身で、英国で活躍した作家。日本でいうたら、在日朝鮮・韓国人が日本で作家として成功したような感じか。『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』
 一応、女と結婚して子供もいたらしい。当時の英国では、同性愛は犯罪で(まあ上流階級はスキャンダルにさえならなかったら何をしてもよいって二重基準があったそうやけど)、同性愛スキャンダルで牢屋にぶちこまれ、出所後は不遇のまま。彼の生涯をモデルにした映画が1987年『サロメ』、1997年『オスカー・ワイルド』、1998年『ヴェヴェット・ゴルドマイン』
ジェームス・マシュー・バリー 1860-1937 英国の劇作家、童話作家で、代表作は『ピーター・パン』 女と何度も結婚していたそうですが・・・
モーリス・メーテルリンク
(Maurice Maeterlinck
1862-1949 ベルギーの詩人、劇作家、随筆家。正式名はメーテルリンク伯爵モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール (Maurice Polydore Marie Bernard, comte de Maeterlinck)。日本では「メーテルランク」「マーテルランク」などとカタカナ転写されることもあるが、本人の母語であるフランス語では「メーテルリンク」 、もうひとつの母国語であるオランダ語では「マーテルリンク」 に近い発音となる。

1889年に最初の戯曲『マレーヌ姫 ('La princesse Maleine)』でフィガロ紙の文芸評論家オクターヴ・ミルボーの評価を得て有名になる。続いて宿命論と神秘主義に基づいた、『L'Intruse』『三人の盲いた娘たち (Les Aveugles)』『ペレアスとメリザンド (Pelleas et Melisande)』といった一連の象徴主義的作品を書き表した。
しかし最も大きな成功作は『青い鳥 (L'Oiseau bleu)』だった。1911年にノーベル文学賞を受賞。作品の主題は「死と生命の意味」だった。
1895年から1918年まで歌手のジョルジェット・ルブラン(アルセーヌ・ルパンの生みの親である作家モーリス・ルブランの妹)と関係を持っていた。1919年にルネ・ダオンと結婚し、共にアメリカ合衆国に渡った。1920年にはレオポルト勲章を受章した。
1926年に『白蟻の生活 (La Vie des Termites)』を発表したが、同作は南アフリカの詩人および科学者のユージーン・マレースの作品『The Soul of the White Ant』の盗作だと批判された。
1930年にフランスのニースで城を買い取り、これに「オルラモンド (Orlamonde)」と命名した(自作『Quinze Chansons』に由来)。1932年にはベルギー国王アルベール1世によって伯爵位が叙爵され、メーテルリンク伯となった。
母国滞在中に欧州で第二次世界大戦が勃発すると、彼はナチス・ドイツのベルギー・フランス両国に対する侵攻を避けリスボンへ逃れ、更にリスボンからギリシャ船籍の貨客船でアメリカに渡った。彼は『タイムズ』紙に「私は自著『Le Bourgmestre de Stillemonde』の中で、1918年のドイツによるベルギー占領を批判的に書いたが、これでドイツ軍は私のことを仇敵と見なすようになった。私がもし彼らに捕らえられたら即座に射殺されたかもしれない」と語っている。また、ドイツとその同盟国であった日本には決して版権を渡さないよう、遺言で書き記している。
戦後ニースへ戻り、同地で死去。
国際ペンクラブ第4代会長(在任1947〜49年)。

ジョルジェット・ルブラン(Georgette Leblanc)(1875年-1941)は両性愛者だったとされている。
ラドヤード・キップリング 1865-1936 イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ(ムンバイ)生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる[2][3]。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している。

キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり、20世紀中にも対称的な見解が見られ、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ[10]。評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている。

「東は東、西は西」East is East, West is West(「東と西のバラッド」)という言葉を遺したことでも知られる。2度ほど来日し、日本研究の資料も残している。

フリーメイソン
雑誌「メソニック・イラストレイテッド」誌によると、キプリングは通常最低年齢の21歳より6か月早くフリーメイソンとなった[39]。彼はラホールの希望と忍耐のロッジナンバー782として入会を許された。彼は後になってタイムズ紙に「数年間はロッジの秘書を務め、そこには4派のキリスト教会が含まれていた。私はムハマンドに認められて、ブラフモ・サマージ、ヒンドゥー教徒のフェロー・クラフト相当のメンバーに弟子としてなり、また英国人としてはマスター・メイソンに昇進した。私たちの指導者はユダヤ人だった。」と書いている。キプリングはフリーメイソンでの経験を愛し、記憶している理想について彼の有名な詩The Mother Lodgeの中で表している。


1892年、26歳のキプリングは29歳のキャロラインとロンドンで結婚。式はランガムプレイスのオールソウルズ教会で挙げ、ヘンリー・ジェイムズが花嫁の代理父を務めた。


★ ジャムヤン・ノルブ 『シャーロック・ホームズの失われた冒険』 
  河出書房新社 『少年キム』の登場人物であるインド人諜報員ムーケルジーが登場する。
★ スティーヴン・バクスター、アーサー・C・クラーク 『時の眼』 中村融訳、早川書房
  SF小説。キップリングが登場する。
★ 映画『王になろうとした男』監督ジョン・ヒューストンコロムビア映画(1976年)の冒頭にキップリングが登場する。演じるのはクリストファー・プラマー。
★ SFテレビドラマ『タイムトンネル』[土民の奇襲]に若き日のキップリングが登場する。
アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド
アンドレ・ジイド
アンドレ・ジード
Andre Paul Guillaume Gide
1869-1951 フランスの小説家。
作品には、生涯の妻であった従姉・マドレーヌの影響が強く、『背徳者』、『狭き門』などに彼女の影を持った女性キャラクターが登場している。しかしながら、マドレーヌのことを愛しながら性交渉をもたず(「白い結婚」)、マルク・アレグレとの同性愛関係により結婚生活は破綻をきたしていたと言われる。このアレグレとの関係は、自伝的な特色がある『日記』に詳しく書かれている。また、彼にはエリザベート・ヴァン・リセルベルグという愛人も存在しており、一女をもうけている。
『コリドン』(1924年)では男色を擁護し、つづく自伝の『一粒の麦もし死なずば』(1926年)で自らの同性愛的性向をカミング・アウトした。
1938年、マドレーヌが亡くなると深い孤独感に陥り、『今や彼女は汝の中にあり』を書く。
1945年にゲーテ勲章授与。1947年にオックスフォード大学から名誉博士号、さらにノーベル文学賞受賞。
1951年パリで没。その著作は死後、ローマ教皇庁により、禁書に認定された。

映画化
田園交響楽(1946)
アルフレッド・ダグラス 1870-1945 英国の作家で詩人だけど、今や歴史上にはオスカー・ワイルドの恋人としてのほうが有名。一応妻子がいたけど。
マルセル・プルースト 1871-1922 『スワンの恋』『見出された時-「失われた時を求めて」より-』
ウィリアム・サマセット・モーム 1874-1965 作家。映画化されたのが、グロリア・スワンソン主演で『港の女』(1928)、ジョーン・クロフォードとウォルター・ヒューストン主演で『雨』(1932)、『人間の絆』をベディ・デイヴィス主演で『痴人の愛 』(1934)、リタ・ヘイワース主演で『雨に濡れた欲情』 (1953)、キム・ノバク主演で『人間の絆』 (1964)など
コメディアンのグルーチョ・マルクスはモームを敬愛していたが、一度会ってモームが同性愛者と知り、失望したと語っている。
ガートルード・スタイン 1874-1946 アメリカの女性作家。パリに移住し、ピカソやマチス、ヘミングウェイらと交わった。作家ガートルード・スタイン(1874‐1946)の恋人として有名。
スタインが、彼女の秘書アリス・B.トクラスの目を通して見たスタインや有名人を描写するという形式をとって出版した本が『アリスB.トクラスの自伝』だけど、著者はスタイン。
二人の関係を映画化したのが1987年『月の出をまって』
トーマス・マン 1875-1955 ドイツ人作家。『ベニスに死す』『魔の山』
女性と結婚し6人もの子供がいた。1933年に ナチスが台頭すると、スイスに移住し、更に1942年にアメリカに移った。 また1952年にはチューリッヒ近くのキルヒベルクに移り、そこで余生を過ごし息を引き取った。

息子クラウス・マンも作家となり、反ナチス作家としても有名。彼はホモセクシュアルだったために偏見の的となり、また父親との関係も上手くいかなかったとか。1933年にオランダのアムステルダムに移住。ナチスによりドイツの市民権が剥奪された後にはチェコの市民権を獲得。1936年にはアメリカに移り、ニュージャージーに居を構えた。1943年にはアメリカの市民権を得た。1949年に睡眠薬の過剰服用で死去。
モーリス・ラヴェル 1875-1937 バレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケストレーションでよく知られたフランスの作曲家。バスク系フランス人。

ラヴェルは一生独身を貫き、弟のエドゥワールも晩婚で子供をもうけなかったため、ラヴェル家の血筋はエドゥワールの死(1960年)をもって永遠に途絶えた。

クロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年)。
アリス・B.トクラス 1877-1967 アメリカ人。作家ガートルード・スタイン(1874‐1946)の恋人として有名。
スタインが、彼女の秘書アリス・B.トクラスの目を通して見たスタインや有名人を描写するという形式をとって出版した本が『アリスB.トクラスの自伝』だけど、著者はスタイン。
初めて出版した本が、スタインとのフランスでの愛の生活や有名人との交遊録、食事のレシピがおさめられた本『アリス・B.トクラスの料理読本―ガートルード・スタインのパリの食卓』は初版以来、英米で版を重ね、大勢の読者に読み継がれている。
60年代のヒッピー文化を描いた1968年の映画『太ももに蝶』は原題が『I Love You, Alice B. Toklas』とあるけど、ただ単に彼女の料理本のレシピで作られたケーキのことを指しているだけらしい。
二人の関係を映画化したのが1987年『月の出をまって』
ヘルマン・ヘッセ
Hermann Hesse
1877-1962 ドイツの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。風景や蝶々などの水彩画もよくし、南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも人気がある。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品でノーベル文学賞を受賞した。

1904年、27歳でマリア・ベルニリと結婚し3人の子供をもうける。1924年、ルート・ヴェンガーと結婚し、3年後に離婚した。1931年に3度目の妻でアシュケナジム・ユダヤ人のニノン・アウスレンダー(旧姓ドルビン)と結婚する。ニノンとは長年の間、文通関係だった。

代表作
『車輪の下』(1906年)
『デミアン』(1919年)
『ガラス玉演戯』(1943年)

映画化
ステッペンウルフ/荒野の狼 (1974)原作
シッダールタ (1972)
瀧廉太郎 1879-1903 わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年) 瀧廉太郎役……風間トオル
E・M・フォスター  1879〜1970 『インドへの道』『眺めのいい部屋』『モーリス』『天使も許さぬ恋ゆえに』『ハワーズ・エンド』

ケンブリッジ使徒会は、1820年の創立以来、詩人のテニソンや哲学者バートランド・ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、経済学者ケインズ、作家E.M.フォースターやリットン・ストレイチー、そしてイギリスを震撼させたダブルスパイのガイ・バージェスやアントニー・ブラントら、さまざまな分野に多くの足跡を残した知識人たちを輩出した。同性愛人脈の源。

ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリスの芸術家や学者からなる組織である。もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。
ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となったし、作家ヴァージニア・ウルフや作品は広く読まれそのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある。日本文学『源氏物語』の翻訳者アーサー・ウェイリーも。


リットン・ストレイチー 1880-
ロジェ・マルタン・デュ・ガール 1881- 1906年(25歳)のとき、エレーヌ・フーコー(Helene Foucault)と結婚し、翌年一女を得た。

この頃から小説を書き始め、1908年、若者の内心的苦悩を綴った『生成』を自費出版し、1913年、ドレフュス事件を背景に思想的信仰的不安を綴った『ジャン・バロワ』により、知られるようになった。
これの上梓は、『新フランス評論』(N.R.F.)誌の中心的同人であったアンドレ・ジッドが、『新フランス評論出版社』に手引きして、以降の親交の機縁になった。N.R.F.同人のジャック・コポーが興したヴィユ・コロンビエ劇場が1914年春、喜劇『ルルー爺さんの遺言』を上演した。

1920年(39歳)から1940年(59歳)にかけ、地方に籠もって『チボー家の人々』を書いた。出版社は、コンドルセ高等中学の同窓ガストン・ガリマールが社長を勤める、『新フランス評論出版社』の後身『ガリマール書店』であった。出版は次項に見る通り、間欠的であった。1931年には、自動車事故で2ヶ月入院することがあった。1937年には『第7部 1914年夏』にノーベル文学賞が与えられた。第一次世界大戦の破局が予感される時代を舞台に、ブルジョワ社会の精神的風土と、思想の摩擦とを描いた大河小説であった。そして完結後間もなく、第二次世界大戦が始まった。

同性愛の傾向があった。たとえば、1931年にルイ・ジューヴェ一座が上演した『無口な男』は好評だったものの、その面の非難も浴びた。

『チボー家の人々』ノーベル賞作家ロジェ・マルタン=デュ=ガールの長大な同名小説を、そのエッセンスはそのままに、6時間にわたる大河ドラマとしてよみがえらせる。
http://www.ivc-tokyo.co.jp/collection/title/5315.html
ヴァージニア・ウルフ 1882〜1941 女性作家。『オルランド』『ダロウエイ夫人』

ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリスの芸術家や学者からなる組織である。もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。
ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となったし、作家ヴァージニア・ウルフや作品は広く読まれそのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある。日本文学『源氏物語』の翻訳者アーサー・ウェイリーも。

『オルランド』(小説の映画化)
『ダロウェイ夫人』(小説の映画化)
『めぐりあう時間たち』
D・H・ロレンス 1885〜1930 『女狐』『チャタレイ夫人の恋人』『レインボウ』『息子と恋人』『恋する女たち』
アーサー・ウェイリー 1889-1966

日本史に登場する外国人』より引用


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英・ケント州の名家に生まれる。名門ラグビー校からケンブリッジ大キングスカレッジに進み、古典学を学ぶ。ヴァネッサ・ベルやヴァージニア・ウルフの兄弟ら学者や作家・芸術家からなるブルームズベリー・グループの1人でもあった。その後大英博物館の東洋学部に勤務し独学で日本語と中国語を習得。大英博物館は1929年に辞すがロンドン大学東洋アフリカ研究学院で講義を続けつつ著作に務め、白楽天の詩や論語、日本の和歌集や能など古典を英訳した。特に1921年〜1933年に6巻に分けて出版された『The Tale of Genji(源氏物語)』は後の東洋学・日本語研究者達に大きな影響を与えた。この著作によって『源氏物語』が世界最高の文学のひとつとして世に知られるようになった。今でも外国において日本を研究する上でのバイブルのような存在となっている。1952年に大英帝国勲章(CBE)を受賞、1956年には名誉勲位 (The Order of the Companions Honour: CH)となった。日本や中国に実際に来る事もなく、また日本人などの協力者もおらず、辞書なども無い時代に全くの独学で日本語をマスターし、華麗な翻訳文を成した驚異の人である。ただし現代語(口語)はできなかったと言われる。

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ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリスの芸術家や学者からなる組織である。もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。
ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となったし、作家ヴァージニア・ウルフや作品は広く読まれそのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある。
ジャン・コクトー  1889〜1963 『恐るべき子供たち』原作・映画化用脚本。監督としても大活躍をし、主演ジャン・マレーは愛人だったとか。
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン 1889- オーストリア・ウィーン出身の哲学者。生涯独身であった。

ケンブリッジ大学・トリニティ・カレッジのバートランド・ラッセルのもとで哲学を学んだ。
ケンブリッジ使徒会は、1820年の創立以来、詩人のテニソンや哲学者バートランド・ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、経済学者ケインズ、作家E.M.フォースターやリットン・ストレイチー、そしてイギリスを震撼させたダブルスパイのガイ・バージェスやアントニー・ブラントら、さまざまな分野に多くの足跡を残した知識人たちを輩出した。同性愛人脈の源。
第一次世界大戦で志願兵。

その後、小学校教師になるが、生徒を虐待したとされて辞職。
トリニティ・カレッジに復学してふたたび哲学の世界に身を置くこととなる。
やがて、ケンブリッジ大学の教授にむかえられた彼は、『論考』での記号論理学中心、言語間普遍論理想定の哲学に対する姿勢を変え、コミュニケーション行為に重点をずらしてみずからの哲学の再構築に挑むが、結局、これは完成することはなく、癌によりこの世を去る。62才。生涯独身であった。

映画 「ウィトゲンシュタイン」(イギリス映画、1992年) 監督:デレク・ジャーマン、脚本:テリー・イーグルトン
江戸川乱歩 1894〜1965 『黒蜥蜴 』
宮沢賢治 1896-1933 『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』『雨ニモマケズ』『セロ弾きのゴーシュ』『どんぐりと山猫』
生涯独身。岩手県で生まれ育ち岩手の風土と方言を交えた童話や詩を多数書いた。生存中は認められなかったけど、没後世評が急速に高まり国民的作家とされていった。
後に彼の作品が多数、映像化された。
又、彼をモデルにドラマ化された。『雨ニモマケズ』 - 映画(1958年)監督:蛭川伊勢夫 脚本:猪俣勝人・柴英三郎 出演:重森孝、北山年夫、納谷悟郎 音楽:眞鍋理一郎
『宮澤賢治−その愛−』 - 映画(1996年)監督:神山征二郎 脚本:新藤兼人 宮澤賢治:三上博史
『わが心の銀河鉄道〜宮沢賢治物語』 - 映画(1996年) 監督:大森一樹 宮澤賢治:緒形直人
『イーハトーブ幻想〜KENjIの春』 - テレビアニメ(1996年) 監督:河森正治
湯浅芳子 1896-1990 ロシア文学の翻訳・紹介。
野上弥生子の紹介で中条百合子と知り合い、1924年から、当時の夫と離婚した百合子と共同生活を送る。百合子とは、彼女の再婚を期に共同生活を断ち、その後は深い関係にはいたらなかった。同性愛者であり、宮本をはじめとして何人かの女性と同棲生活を送ったが、異性と恋愛関係になることは最期まで無かった。
瀬戸内寂聴「孤高の人」によれば処女のまま生涯を終えたという。
生涯独身を貫いたこと(ただし、茶人で尾崎一雄夫人の異母姉である山原鶴が事実上の本妻的立場にいた)で、フェミニズムの立場からの注目も集まっている。
百合子との関係については、沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』(学陽書房「女性文庫」、1996年)に詳しい。
2008年には、宮本百合子との往復書簡が刊行された。2010年には、浜野佐知監督作品『百合子、ダスヴィダーニヤ』の制作が開始。
ソートン・ワイルダー 1897-1975 劇作家、映画脚本家。古き良きアメリカの地方都市を舞台にした作品。
『我等の町 』(1940)原作 
『疑惑の影』(1942) 脚本 
ソートン・ワイルダー原作(『結婚仲買人』)の、大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルを、B・ストライサンド、W・マッソー主演で映画化したのが『ハロー・ドーリー』 
井伏鱒二 1898- 作家で代表作が、『山椒魚』(1929年)、『屋根の上のサワン』(1929年)、『ジョン万次郎漂流記』(1938年)、『さざなみ軍記』(1938年)、『本日休診』(1950年)、『黒い雨』(1965年)
川島雄三が大の井伏ファンとして有名。井伏の「サヨナラダケガ人生ダ」という科白を愛用した。井伏の『貸間あり』を映画化したが、井伏には「下品すぎる」として不評だったらしい。川島の弟子である今村昌平は『黒い雨』を映画化し、カンヌ国際映画祭高等技術委員会賞を受賞。他に井伏原作で森繁久弥が主演した『駅前旅館』は駅前シリーズの誕生のきっかけとなった。
1921年、片上伸教授との確執(ホモセクシャル行為との説あり)
秋元節代と結婚。
今東光
(こん とうこう)
1898-1977 小説家、参議院議員。

東郷青児のとりもちで、燕楽軒で女給をしていた宇野千代とも短期間交際した。
関東大震災の時に一緒に逃げ歩いた、元帝国劇場女優の人妻とのちに結婚する。妻フミ子が離婚を申し出た。
戦後1946年秋、母綾の秘書役を務めていた佐倉市志津の旧家の人、蜂谷清(きよ)と再婚。

原作映画
『異人娘と武士』阪東妻三郎プロダクション、井上金太郎監督、1925年、阪東妻三郎、関操
『春泥尼』日活、阿部豊監督、1958年、筑波久子、左幸子、岡田真澄
『みみずく説法』東京映画、久松静児監督、1958年、森繁久彌(東光役)、司葉子
『尼くずれ』大映、池広一夫監督、1968年、安田道代、三木本賀代
『悪名』大映京都、田中徳三・森一生・安田公義・マキノ雅弘・増村保造監督・依田義賢脚色、勝新太郎、田宮二郎主演
『お吟さま』東宝&大映京都、熊井啓監督 依田義賢脚色、1978年、中野良子・中村吉右衛門・志村喬主演
他多数

劇中で今東光を演じた俳優
渋谷天外 - 「みみずく説法」文芸劇場(NHK版)1962.05.11 ほか
森繁久弥 - 「みみずく説法」東宝
伊武雅刀 - 「女の一代記」シリーズ
アーネスト・ヘミングウェイ 1899-1961 アメリカの小説家・詩人。
戦後はカナダ・トロントにて「トロント・スター」紙のフリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡りガートルード・スタインらとの知遇を得て小説を書きはじめた。
『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』が映画化された。
1954年、『老人と海』が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞(ノーベル文学賞は個別の作品ではなく、作家の功績および作品全体に与えられることに注意)。

作家のレスター・ヘミングウェイは弟、女優のマーゴ・ヘミングウェイ、マリエル・ヘミングウェイは孫娘である。

1 エリザベス・ハドリー・リチャードソン (1921年9月3日結婚、1927年4月4日離婚)
息子 ジャック・ハドリー・ニカノール・ヘミングウェイ (通称バンビ) (1923年10月10日 - 2000年12月1日)。「青春は川の中に フライフィッシングと父ヘミングウェイ」出版
孫娘 ジョーン・ヘミングウェイ
孫娘 マーゴ・ヘミングウェイ (1954年2月16日 - 1996年7月2日)。女優
孫娘 マリエル・ヘミングウェイ (1961年11月22日 - )。女優
2 ポーリン・ファイファー (1927年5月19日結婚、1940年11月4日離婚)
息子 パトリック (1928年6月28日 - )
孫娘 ミーナ・ヘミングウェイ
息子 グレゴリー・ヘミングウェイ (1931年11月12日 - 2001年10月1日)。"Papa: A Personal Memoir" (1976) 出版。性転換してグロリアと名乗る
孫 パトリック、エドワード(作家兼イラストレーター)、ショーン、ブレンダン(プログラマー)、バネッサ、マリア、ジョン(作家)、ロリアン(作家)
3 マーサ・ゲルホーン (1940年11月21日結婚、1945年12月21日離婚)
4 メアリ・ウェルシュ・ヘミングウェイ (1946年3月14日結婚)。自伝 "How It Was" (1976) 出版


映画化

アフター・ザ・ストーム (2000)<未>原作
老人と海 (1999)<I-MAX> 原作
新・老人と海 (1990)<TVM>原作
海流のなかの島々 (1977)原作
殺人者たち (1964)原作
青年 (1962)原作
裏切りの密輸船 (1958)<未>原作
老人と海 (1958)原作
武器よさらば (1957)原作
陽はまた昇る (1957)原作
キリマンジャロの雪 (1952)原作
破局 (1950)原作
さすらいの涯 (1950)原作
決死の猛獣狩り (1947)<未>原作
殺人者 (1946)原作
脱出 (1944)原作
誰が為に鐘は鳴る (1943)原作
戦場よさらば (1932)原作

川端康成 1899-1972 『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『眠れる美女』『古都』『美しさと哀しみと』
1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞した。
エドワード・ジョージ・サイデンステッカーが谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫ら日本の文学作品を英訳し、アーサー・ウェイリーに続く二度目の『源氏物語』の英語完訳も行った。『雪国』の英訳では、川端康成のノーベル文学賞受賞に貢献した。 実際、川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言い、賞金も半分渡している。エドワード・ジョージ・サイデンステッカーはコロンビア大学人脈で、しかもゲイ人脈。
ノエル・カワード 1899-1973 作家、劇作家、映画監督、映画製作者、作曲家、俳優など多彩な人。戯曲『私生活』が有名 『生活の設計』原作の戯曲 『幸福なる種族』原作 『陽気な幽霊』製作 /原作 『逢びき』製作 /原作 /脚本 
Aaron Copland 1900-1990 American composer, born in Brooklyn, New York. He was married and had children. He won an Academy Award for his filmscore for 'The heiress' in 1949. Works: Fanfare for the common man, Our town (filmscore), The red pony (filmscore), Of mice and men (filmscore), The heiress (1949, filmscore)
ジョン・スタインベック 1902-1968 アメリカのドイツ系小説家・劇作家・エッセイスト。

1930年、キャロル・ヘニングと結婚。1942年、離婚。1943年、女優グウィン・ヴァードンと結婚。
1962年にはノーベル文学賞。

1937年、『二十日鼠と人間』を発表。
1939年、大干ばつと耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた壮大な作品『怒りの葡萄』出版。作品は賛否両論を引き起こす。1940年、怒りの葡萄がピューリッツァー賞、全米図書賞を受賞。 同作品はヘンリー・フォンダが主演を務め、7万5000ドルの映画化権料で映画化され、2つのオスカーを獲得したこの作品で一躍その名声を不動のものとする。
1950年、聖書の物語と南北戦争から第一次大戦までの時代を背景に、カリフォルニアの一家族の歴史を描いた大作『エデンの東』を発表。5年後この作品も映画化。主演のジェームズ・ディーンの演技が話題を呼び、大ヒットを記録した。


アカデミー賞ノミネート
1945年 アカデミー原案賞:『救命艇』
1946年 アカデミー原案賞:『ベニイの勲章』
1953年 アカデミー脚本賞:『革命児サパタ』

ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ) 1903-1968 1931年には「Cover Charge」を映画化したプロデューサー、スチュアート・ブラックトンの娘バイオレット・ヴァージニア・ブラックトンと結婚するが、この結婚は3ヶ月しか続かなかった。妻が彼の日記に、同性愛者との浮気についての記述を見つけたのがきっかけだった。彼女は、彼が夜遅くになると、同性との出会いとアバンチュールを求めて出かけていること、そのために船員服を持っていたことまで知ってしまったのである。1933年、二人の婚姻は法的にも解消された。

裏窓(アルフレッド・ヒッチコック監督)
黒衣の花嫁(フランソワ・トリュフォー監督)
暗くなるまでこの恋を(フランソワ・トリュフォー監督)
黒い天使(ロイ・ウィリアム・ニール監督)
幻の女(ロバート・シオドマック監督)
ポワゾン(マイケル・クリストファー監督)
万年筆(『ああ爆弾』岡本喜八監督)
小林多喜二 1903-1933 『蟹工船』
特高に拷問で殺された。
クリストファー・イシャーウッド 1904-1986 英国の作家で脚本家。ドイツに何年か滞在し、その体験記を元に小説を発表した。それを元に、ミュージカル『キャバレー』が誕生した。彼は戦後1946年にアメリカ市民権を得た。
ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル
Jean-Paul Charles Aymard Sartre
1905-1980 フランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家。
内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。
1964年にノーベル文学賞に推挙されるが辞退。

彼らの生涯が後に映画化
サルトルとボーヴォワール 哲学と愛(2006)
ロジェ・ペルフィット 1907-2000 フランス人作家。厳格なカトリック教徒の全寮制の学校での、男子生徒同士の恋愛を描き、作者自身の実体験を反映したものではと憶測された。映画化されたのが『悲しみの天使』
フリーダ・カーロ 1907-1954 メキシコ人の女性画家。彼女の生涯は後に映画化された『フリーダ・カーロ』
イアン・フレミング
Ian Lancaster Fleming
1908-1964
イギリス・ロンドン生まれの冒険小説家。

「ジェームズ・ボンド」シリーズ
『カジノ・ロワイヤル』Casino Royale (You Asked for It)(1953)
『死ぬのは奴らだ』Live and Let Die (1954)
『ムーンレイカー』Moonraker (Too Hot to Handle)(1955)
『ダイヤモンドは永遠に』Diamonds are Forever (1956)
『ロシアから愛をこめて』From Russia, With Love (1957)
『ドクター・ノオ』 Doctor No (1958)
『ゴールドフィンガー』Goldfinger (1959)
『サンダーボール作戦』Thunderball (1961)
『わたしを愛したスパイ』The Spy Who Loved Me (1962)
『女王陛下の007』On Her Majesty's Secret Service (1963)
『007は二度死ぬ』You Only Live Twice (1964)
『007号/黄金の銃をもつ男』The Man with the Golden Gun (1965)

『チキ・チキ・バン・バン(空とぶ自動車)』Chitty-Chitty-Bang-Bang (1964)



妻はアン・ロザーメア伯爵夫人(旧姓ジェラルディーン、- 1981)。息子はカスパー (- 1975)。従兄弟には『吸血鬼ドラキュラ』などに出演した俳優のクリストファー・リーがいる(リーは、映画『007 黄金銃を持つ男』で敵役であるスカラマンガを演じた)。また、『チャーリーとチョコレート工場』などの同じくイギリスの作家ロアルド・ダールと親交があり、ダールは『007は二度死ぬ』映画版の脚本を書いた。

南条範夫
南條範夫
(なんじょう のりお)

「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。
1908-2004 小説家、経済学者。残酷ものと呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い歴史小説、時代小説で知られる。
<BR>『無明逆流れ』(1957年)に始まる諸短篇や、映画『武士道残酷物語』の原作となった『被虐の系譜』(1963年)、『残酷物語』(1959年)、『古城物語』(1961年)などで残酷もののブームを巻き起こし、また組織における人間疎外という視点から「マゲをのせた現代小説」とも呼ばれた。一方で、奔放な武芸者月影兵庫のシリーズ(1958?)などの痛快な剣豪小説も人気があり、五味康祐、柴田錬三郎とともに、第一次剣豪ものブームをになった。<BR>
『わが恋せし淀君』(1958年)では、タイムトラベルで現代人が過去を訪ねるというSF的な設定も使っている。 『抛銀商人』(1962年)では歴史上の商人達を題材にし、岩崎弥太郎の生涯を描いた『曉の群像』(1964年)など経済問題を盛り込んだ作品も手がける。現代を舞台にした推理小説として『からみ合い』(1959年)、『第六の容疑者』(1960年)などがあり、『参謀本部の密使』(1966年)では軍事探偵明石元二郎を取り上げている。


原作作品

映画

『流れ星十字打ち』渡辺実監督、1958年
『大盗小盗』酒井欣也監督、1958年
『月影兵庫 上段霞斬り』安田公義監督、1959年
『虹之介乱れ刃』西山正輝監督、1960年
『第六の容疑者』井上梅次監督、1960年
『天下あやつり組』池広一夫監督、1961年
『からみ合い』小林正樹監督、1962年
『第三の影武者』井上梅次監督、1963年
『武士道残酷物語』今井正監督、1963年
『対決』安田公義監督、1963年
『右京之介巡察記』長谷川安人監督、1963年
『士魂魔道 大龍巻』稲垣浩監督、1964年
『紫右京之介 逆一文字斬り』長谷川安人監督、1964年
『悪の階段』鈴木英夫監督、1965年

テレビドラマ

『素浪人 月影兵庫』1965-68年
『元禄太平記』1975年

漫画

平田弘史『駿河城御前試合』
とみ新蔵『無明逆流れ』
山口貴由『シグルイ』2003-10年
フランシス・ベイコン 1909-92 アイルランド出身の画家。彼の愛人であり、モデルでもあったジョージ・ダイアーの愛憎に満ちた同性愛関係が映画化された『愛の悪魔~フランシス・ベイコンの歪んだ肖像~』 
ジャン・ジュネ(1910〜1986) フ1910年に生まれ、親から捨てられ孤児院から里親へ預けられたが、10代の頃に放浪生活に飛び出し、ヨーロッパ各地を転々とする。泥棒、男娼、麻薬と犯罪に溺れた青年期を過ごし、30歳までを牢獄で過ごしたが、彼が書いた自伝的小説「泥棒日記」「花のノートルダム」「バラの奇蹟」はコクトーやサルトルに絶賛された。

『ファスビンダーの ケレル』原作 
『マドモアゼル』 脚本


French writer, playwright and poet, born in Paris. He was abandoned by his parents and spent much of his youth in an institution for juvenile delinquents. At the age of 19 he joined the French Foreign Legion and was posted in Syria. Between 1930 and 1940 he wandered through Europe, living as a thief and male prostitute. He began writing in 1939. Genet died in Paris. Books: Notre-Dame des Fleurs (1943), Miracle de la Rose (1945), Pompes Funebres (1947), Querelle de Brest (1947), Journal du voleur (1948), Un captif amoureux (1986) Plays: Le Balcon (1956), Les negres (1958)
ポール・ボウルズ 1910-1999


Paul Bowles (December 30, 1910 - November 18, 1999)
American writer, composer and photographer, born in Long Island, New York City as Paul Frederick Bowles. He married lesbian writer Jane Auer in 1938. His book 'The sheltering sky' was filmed by Bertolucci in 1990. Bowles died in Morocco. Books: The sheltering sky (1949), Let it come down (1952), The spider's house (1955), Up above the world (1966), Without stopping (1972), Too far from home (1991)



彼の小説『シェルタリング・スカイ 』がベルナルド・ベルトルッチ監督によって映画化された。 『シェルタリング・スカイを書いた男 ポール・ボウルズの告白』『 ビートニク 』に出演 『』
村上元三 (むらかみ げんぞう) 1910-2006 小説家。朝鮮元山生まれ。
1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳作となった『利根の川霧』でデビュー。浅草の剣戟俳優・梅沢昇の脚本を書いているうち、梅沢の紹介で長谷川伸を知り、師事する。
1941年には長谷川主催の雑誌「大衆文芸」に掲載された、『上総風土記』で直木賞受賞。
戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる。北方もの、人物評伝もの、伝奇もの、海洋冒険もの、芸道もの、股旅もの、お家騒動ものと、多彩な作品を執筆した。代表作に『水戸黄門』『勝海舟』『次郎長三国志』など。
1954年下半期から1989年下半期まで、30年以上の長きにわたり直木賞の選考委員を務めた。2008年現在、最長在任記録となっている。
2006、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去。享年96。

筒井康隆作原作の映画化、『文学賞殺人事件/大いなる助走』(1989年、鈴木則文)の登場人物の一人で、ホモの選考委員で推薦してやる代償として男性候補者を抱く役のモデル説がある。
この役は司馬遼太郎ではという説もある。

蝦夷日記
北緯五十度
上総風土記
佐々木小次郎
新選組
慶安水滸伝
水戸黄門
源義経(NHK大河ドラマ「源義経」の原作)
真田十勇士
勝海舟
次郎長三国志
五彩の図絵
流域の賊
松平長七郎江戸日記(テレビ時代劇長七郎江戸日記原作)
田沼意次
岩崎弥太郎
戦国風流前田慶次郎
維新回天高杉晋作
加賀騒動(1953年東映、映画『加賀騒動』の原作)
平清盛
テネシー・ウイリアムズ  1911〜83 戯曲『熱いトタン屋根の猫』『欲望という名の電車』『去年の夏突然に』『ガラスの動物園』
ジョン・チーヴァー 1912- 戦後アメリカの中流階級白人たちの郊外生活の美しさと不安とを描いたので有名。
映画『泳ぐひと』原作
アルベール・カミュ 1913-1960 フランスの小説家、劇作家。フランス領アルジェリア出身。アルジェ大学卒業後ジャーナリストとして活動、第二次大戦中に刊行された小説『異邦人』、エッセイ『シーシュポスの神話』などで注目される。また『カリギュラ』『誤解』などを上演し劇作家としても活動。戦後に発表した小説『ペスト』はベストセラーとなったが、エッセイ『反抗的人間』はその思想をめぐって毀誉褒貶を受けた。1957年、史上二番目の若さでノーベル文学賞受賞。1960年、交通事故により急死。

カミュの著作は「不条理」という概念によって特徴付けられている。カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれる。そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとされる。しかしプロレタリア革命を含め、あらゆる政治的暴力を忌避しようとするカミュの姿勢は盟友サルトルとの間で論争(カミュ=サルトル論争)を引き起こし、戦後文壇においてその立場を孤立させていく原因ともなった。

ノーベル文学賞

1934年、カミュは眼科医の娘であったシモーヌ・イエと学生結婚するが、後に離婚。
1940年、フランシーヌ・フォールとの婚姻届を提出した。
カミュの兄の孫が、セイン・カミュで、日本でも芸能人として活躍し日本人女性と結婚。


映画化されたのが、
プレイグ (1992) 原作
異邦人 (1968) 原作

ウィリアム・インジ
1913- ピクニック (1955) 原作
バス停留所 (1956) 原作
草原の輝き (1961) 脚本/原作
さよならミス・ワイコフ (1978) 原作
トーベ・ヤンソン 1914- 『ムーミン』シリーズの。レズって知ってビックリした!  あれ?でも『ムーミン童話の百科事典』(講談社)では「最愛の恋人 A・ビルタネン」って髭おやじの肖像画が・・・生涯独身って???
ウイリアム・バロウズ 1914〜97 『裸のランチ』の原作。女と何度も結婚したけど、その内の一人を銃殺した過去あり。事故とかで処理されたとか(?)
深沢七郎 1914-1987 1956年に姥捨山をテーマにした『楢山節考』を中央公論新人賞に応募、第1回受賞作となった。三島由紀夫、伊藤整、武田泰淳ら選考委員らに絶賛され、同賞を受賞し、ベストセラーになった。また、戦国時代の甲州の農民を描いた『笛吹川』も評判になった。しかし一度も芥川賞候補になっていない。
1960年に『中央公論』に発表した『風流夢譚』では、天皇・皇族が殺害されるシーンを描いたため、翌年中央公論社長宅が右翼に襲撃される嶋中事件が起こった(風流夢譚事件)。そのため筆を折って各地を放浪した。放浪中も『放浪の手記』などを執筆。
映画化された作品は、
『東北の神武たち』(1957) 監督:市川崑、出演:芥川比呂志、左卜全など。
『楢山節考』(1958) 監督:木下惠介、出演:田中絹代、高橋貞二など。
『笛吹川』(1960) 監督脚本:木下惠介、出演:田村高廣、高峰秀子、市川染五郎など。
『楢山節考』(1983) 監督脚本:今村昌平、出演:緒形拳、坂本スミ子など。カンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞している。カンヌ国際映画祭は臭い。匂う匂う。ゲイ人脈が異常に濃いのでは? スポンサー企業、審査員など、ゲイ人脈なのでしょうね。だからゲイ人脈の方の作品が優遇されて過大評価で賞をいただけると。そう睨んでいます。
アーサー・C・クラーク 1917- 『 2001年宇宙の旅』の原作と脚本 『2010年』の原作 
英国生れのSF作家で、現在はスリランカ在住。三流ゴシップ雑誌に「未成年少年買春疑惑」と書かれ、「告訴する」とかどうとかでもめたけど、英国女王からのナイトの称号を授与された。
カーソン・マッカラーズ 1917-1967 『禁じられた情事の森』 原作 『愛すれど心さびしく』 原作 『悲しき酒場のバラード』 原作 女性作家 バイセクシャル男性Reeves McCullersと結婚したけど夫は自殺
Jane Bowles 1917-1973 ポール・ボウルズは作曲家アーロンド・コーブランドに師事して作曲をしていた。
1938年、作家・劇作家のジェーン・アウアーと結婚。それは奇妙な関係であった。彼らにはそれぞれ同性愛の愛人がいたが、良好な結婚生活を送っていたのである。1945年よりジェーンの影響で小説を書き始め、短編小説集を出版した。
彼は1947年にタンジール(アフリカ大陸にある国モロッコの都市)に永住することを決意し、翌年にジェーンも合流した。
1949年、最初の長編小説の『極地の空』を出版した。『極地の空』の登場人物はニューヨークから北アフリカを訪れたポートとキットの夫妻と友人のターナーで、ポートとキットは夫婦の問題を解決しようとするが、旅行者の無知からサハラ砂漠で過酷な運命に出会うというストーリーである。出版されるとたちまちベストセラーとなった。
1957年にジェーンは発作を起こし長い闘病生活を送っていたが、1973年に死去した。
ジェーンの死後も彼はタンジールに留まり、執筆と翻訳と作曲を続けた。
1990年、『極地の空』がベルナルド・ベルトルッチ監督によって映画化され、彼自身も出演した。これによりほとんど忘れ去られていた彼の作曲作品が再び注目されるようになった。
1995年、リンカーンセンターで彼の音楽の個展が開かれ、彼も出席した。これが最後の帰郷となった。
1999年、心不全により88歳で死去。遺灰はニューヨークに埋葬された。

ジェイン・ボウルズは、日本ではポール・ボウルズの妻としてしか知られていないけど。欧米では高く評価されていたらしい。

http://www.uplink.co.jp/film/bowles/cast.html
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ポール・ボウルズの妻、作家。
NYの裕福な家庭に生まれるが、父親の死後、一人娘を溺愛する母親のもとで育てられる。その後、落馬が原因で骨折した膝の治療のためスイスへ渡る。2年間の治療でも完治はせず、足を少しひきずって歩いていたという。
1937年、ポールと出会い、翌年結婚。お互い同性愛の傾向が強く、常に別々の部屋で暮らしていたが、お互いの作品や経験について語り合い強い絆を保っていた。48年にモロッコに渡り、タンジールの市場でシェリファと出会う。シェリファの独特な魔術的魅力にとりつかれたジェインは、彼女に宝石や家まで買い与えた。58年、過度の飲酒とマジューンの常用のため、心臓発作で倒れる。そのため、失語症、視力障害、右半身麻痺に陥る。いくつもの精神病院での治療、そしてポールの献身な看護の甲斐もなく、73年スペインのマラガで死去。
ジェイン・ボウルズの才能は、二十代のころから、トルーマン・カポーティや、テネシー・ウィリアムズなどから高く評価されていた。22歳で処女長編『二人の真面目な女性』を着手、41年に脱稿。その後、『グァテマラの牧歌』(1944)『戸外の一日』(1945)『プレイン・プレジャーズ』(1946)を出版。しかし、「ポールは簡単に書くけど、私には難しい」と友人たちにもらしていたように、ジェインにとって、書くことは苦痛に満ちた作業だったようだ。
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American novelist and playwright, born in New York City as Jane Sidney Auer, who - though she was lesbian - married in 1938 to gay writer and composer Paul Bowles. Books: Two serious ladies (1943), Pleasures (1966), Feminine wiles (1976) Plays: In the summer house (1954)

シドニー・シェルダン 1917-2007 ユダヤ系アメリカ人の脚本家、小説家。
代表作は『ゲームの達人』『真夜中は別の顔』など。
池波正太郎(いけなみ しょうたろう) 1923-1990 戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。

1948年には習作を手にはじめて長谷川伸を訪問。翌年より本格的に劇作を師事し、門下の批評会「二十六日会」にも参加した。この前後の習作に『牡丹軒』『手』『蛾』など。『手』は新国劇での上演が検討された。

1950年、片岡豊子と結婚し、借家して所帯を持った。
間もなく申しこんでいた住宅抽選に当選し、新国劇で上演された『鈍牛』の上演料などで新居を建てた。以後、新国劇の座付作者といわれるほどにこの劇団と関係を深めた正太郎は、辰巳柳太郎・島田正吾らに『檻の中』(1952年)、『渡辺華山』(1953年)などを提供する一方で、長谷川のつよい勧めによって小説でも、新鷹会の雑誌「大衆文芸」に『厨房にて』(1954年)などの作品を発表した。

長谷川伸(はせがわ しん)
1927年(昭和2年)、江戸川乱歩、土師清二、小酒井不木、国枝史郎らと耽綺社を設立、また昭和8年には二十六日会を結成、大衆文芸や演劇の向上を目的とした活動においてもその名が知られるようになる。
また主宰していた文学学校(勉強会)新鷹会の門下生には長谷川幸延、村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎、武田八洲満らが名を連ねた。
大山倍達

(おおやま ますたつ)
1923-1994

武道家・空手家であり、国際空手道連盟総裁・極真会館館長。極真空手十段。別名:マス大山。韓国名は崔 永宜(? ??)。
1970年代に週刊少年マガジンに連載された劇画『空手バカ一代』でも、主人公として取り上げられた。

1946年(昭和21年)6月に俳優の藤巻潤の実の姉である智弥子と結婚。このときの媒酌人は田中清玄。3人の女の子をもうける。

題材にしたアニメ、映画
日本
『空手バカ一代』 田中信夫、飛鳥拳 役、NETテレビ系、全47話、1973年(昭和48年)10月3日?1974年(昭和49年)9月25日。
映画
主演 : 千葉真一 (大山倍達 役)、東映
『けんか空手 極真拳』 (1975年)
『けんか空手 極真無頼拳』 (1975年)
『空手バカ一代 (映画)』 (1977年)

韓国
映画:ヤン・ドングン主演
『風のファイター』 韓国、2004年/日本公開、エスピーオー、2006年(平成18年)
司馬遼太郎(しば りょうたろう)

公式の表記では「りょう」の「?」(しんにょう)の点が二つです。HPビルダーでは表記不可能。
1923-1996 日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。筆名の由来は「司馬遷に?遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

1950年、最初の結婚。
1952年、長男誕生。
1954年、離婚。長男は実家の福田家に預けられる。
1959年、松見みどりと結婚。

「サーティンキュー ? @saatennkixyu
イシヤの手先となって、明治維新という英国の植民地支配のために働いた売国奴達は秘密結社を創っていた。そのメンバーは、伊藤博文・坂本龍馬・五大友厚・大村益次郎・井上馨・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・岩倉具視・後藤象二郎など。司馬遼太郎の嘘歴史小説とかNHK大河ドラマは嘘の歴史だ!」

筒井康隆作原作の映画化、『文学賞殺人事件/大いなる助走』(1989年、鈴木則文)の登場人物の一人で、ホモの選考委員で推薦してやる代償として男性候補者を抱く役のモデル説がある。
この役は司馬遼太郎ではという説もある。

映像化作品

映画

恋をするより得をしろ(1961年、監督:春原政久、原作「十日の菊」)
忍者秘帖 梟の城(1963年、監督:工藤栄一)
新選組血風録 近藤勇(1963年、監督:小沢茂弘)
暗殺(1964年、監督:篠田正浩、原作「幕末」)
風の武士(1964年、監督:加藤泰)
城取り(1965年、監督:舛田利雄)
泥棒番付(1966年、監督:池広一夫、原作「盗賊と間者」)
燃えよ剣(1966年、監督:市村泰一)
尻啖え孫市(1969年、監督:三隅研次)
忍びの衆(1970年、監督:森一生、原作「伊賀の四鬼」)
梟の城(1999年、監督:篠田正浩)
御法度(1999年、監督:大島渚)

テレビドラマ

新選組血風録
新選組血風録(連続ドラマ 1965年 制作NET 主演:栗塚旭、島田順司)
新選組血風録(連続ドラマ 1998年 テレビ朝日 主演:渡哲也)
竜馬がゆく
NHK大河ドラマ(1968年 NHK 主演:北大路欣也)
12時間超ワイド時代劇(1982年 テレビ東京 主演:萬屋錦之介)
TBS大型時代劇スペシャル(1997年 TBS 主演:上川隆也)
新春ワイド時代劇(2004年 テレビ東京開局40周年記念 主演:市川染五郎)
燃えよ剣(連続ドラマ 1970年 製作:NET(現:テレビ朝日)・東映京都テレビプロ 主演:栗塚旭)
国盗り物語
大河ドラマ(1973年 NHK大河ドラマ 主演:平幹二朗)
新春ワイド時代劇(2005年 テレビ東京 主演:北大路欣也)
花神(1977年 NHK大河ドラマ 主演:中村梅之助)
風神の門(1980年 NHK水曜時代劇 主演:三浦浩一)
関ヶ原(1981年 TBS開局30周年記念番組 主演:森繁久彌)
翔ぶが如く(1990年 NHK大河ドラマ 主演:西田敏行)
徳川慶喜(1998年 NHK大河ドラマ 原作「最後の将軍 徳川慶喜」 主演:本木雅弘)
けろりの道頓、秀吉と女を争った男(1999年)
蒼天の夢?松陰と晋作・新世紀への挑戦?(2000年 NHK正月時代劇 原作「世に棲む日日 主演:中村橋之助)
菜の花の沖(2000年 NHKドラマ 主演:竹中直人)
功名が辻
戦国夫婦物語『功名が辻』(1966年 NET(現:テレビ朝日) 主演:団令子、三橋達也)
司馬?太郎の功名が辻(1997年 テレビ朝日・東映 主演:檀ふみ、宅麻伸)
大河ドラマ(2006年 NHK大河ドラマ 主演:仲間由紀恵)
坂の上の雲(NHKスペシャルドラマ 2009年秋?2011年秋 主演:本木雅弘、阿部寛、香川照之)

ドキュメント

司馬?太郎 雑談「昭和」への道(全12巻、NHKビデオ)
NHKスペシャル 太郎の国の物語(全4巻、NHKビデオ)
他にもNHK番組を中心に多数出演している。
NHKスペシャル 街道をゆく(全13巻、NHKビデオ)
新シリーズ 街道をゆく(全24巻、NHKビデオ)

トルーマン・カポーティ(1924〜84) 『 ティファニーで朝食を』原作 『冷血』原作
『名探偵登場 』で俳優としてエキセントリックな演技を披露。
後に2005年に、彼の生涯を題材にした映画『カポーティ』が制作された。
ジェイムズ・ボールドウイン(1924〜87)  アフリカン・アメリカンの作家で公民権運動家としても活躍した彼の生涯をドキュメンタリー映画にまとめたのが、89年『ハーレム135丁目/ジェイムズ・ボールドウイン抄』 アフリカン・アメリカンの視点でハリウッド映画の差別をえぐった映画評論が『悪魔が映画を撮った』
ドナルド・リチー
(リッチー)
1924- 日本史に登場する外国人 』より引用

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米国オハイオ州生まれ。第二次世界大戦中は水夫としてヨーロッパ海域での海上輸送に従事。戦後間も無い占領時代の1946年に米軍準機関紙『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』紙の記者として来日。来日直後から川喜多かしこの知己を得て日本映画に傾倒。占領終了後は一時帰国し1949年から53年までコロンビア大学に在学し学位を得、再来日。以後、『ジャパンタイムズ』の映画評論、芸術批評家として活躍。米紙『ニューヨークタイムズ』『ワシントンポスト』などに

日本映画や日本文化について寄稿し、精力的に日本を海外に紹介。特に小津や黒澤の映画を海外に知らしめた功績は大きい。

半世紀以上にわたり日本を拠点に作家・評論家として第一線で活動を続けている。『黒沢明の映画 The Films of Akira Kurosawa』、『小津安二郎の美学―映画のなかの日本 Ozu』、『日本映画ガイド One Hundred Years of Japanese Film』を含め数々の著書を出版。また、生涯60年間過ごして来た日本について『美しい日本―Introducing Japan』、『The Island Sea』、『ジャパニーズ・ポートレイト Japanese Portraits』、『The Japan Journals』を含め40冊以上の著書がある。1968年から1973年にかけて、ニューヨーク現代美術館のキュレーターを務める。『タイム』誌より「日本芸術批評家の最高権威」と称され、女流作家スーザン・ソンタグからも「ドナルド・リチーは類い稀なる視点で、鋭くしかも機知に富んだ方法で日本を描いている」と称されている。また、1960年代には実験映画の作家として何本か作品を発表している。また、黒澤明の『影武者』『夢』の英語字幕も手がけた。80歳を越えなお精力的に執筆や講演など活動を続けている。

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コロンビア大学人脈!
三島由紀夫 1925-70 一応女と結婚して子供も何人か。彼の死を題材に『MISHIMA』って映画が製作されたけど、残された妻が上映許可を出さなかったけど、彼女の死後、ついに上映されるようになったとか。
ゴア・ヴィダル 1925〜  1959年版『ベン・ハー』の脚本、テネシー・ウイリアムズ原作『去年の夏突然に』映画化用脚本、『マイラ』の原作、『カリギュラ』脚本
辻邦生 1925- 1963年 - 『廻廊にて』で第4回近代文学賞
1969年 - 『安土往還記』で芸術選奨新人賞
1972年 - 『背教者ユリアヌス』で第14回毎日芸術賞
1995年 - 『西行花伝』で第31回谷崎潤一郎賞

映画「北の岬」監督熊井啓、主演加藤剛、田中絹代 1976
NHKドラマ 「天草の雅歌」 主演岩下志麻、中山仁 1972
ラジオドラマ「西行花伝」?CD4枚組?(日本音声保存)竹本住大夫、日下武史、坂東八十助、北村和夫


エドワード・アルビー  1928〜2005)  戯曲『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』が映画化された。


色川武大(いろかわ たけひろ)
阿佐田哲也(あさだ てつや)
井上志摩夫(いのうえ しまお)
雀風子
1929-1989 小説家、エッセイスト、雀士。
筆名として色川武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田哲也(あさだ てつや)、井上志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。「阿佐田哲也」のペンネームについては、麻雀で徹夜を繰り返し『朝だ!徹夜だ!』といったことに由来しており、「武大」の本名は父親が中国の小説『金瓶梅』の登場人物より名付けたものである。
色川武大名義では主に純文学を、阿佐田哲也名義では『麻雀放浪記』をはじめとするギャンブル小説(無頼漢たちを主役に据えたピカレスク小説)を多数発表しているほか、井上志摩夫名義では時代小説などを発表している。

1970年(昭和45年)から従妹(母親同士が姉妹)の黒須孝子と暮らしはじめる。なお、孝子は「この人は病気で数年で死ぬだろう。その間、看病してこの怪物のような人と暮らしてみたい」という気持ちだったという。1973年(昭和48年)には孝子と結婚。孝子は直木賞受賞作『離婚』のモデルとなる。なお、孝子は若い頃東宝から映画女優としてのスカウトがきたほどの美人であった。1978年(昭和53年)には『離婚』で第79回直木賞を受賞する。この作品は事実とフィクションが入り混じった内容で、孝子夫人は「小説のとおりの人物」と人から思われ、人間不信になり自殺まで考えたという。

色川孝子著 『宿六・色川武大』(文藝春秋,1990年)で、肉体関係がなかったとか。

「青柳賢治 (プロ雀士)が愛人」説

映画化作品
麻雀放浪記(1984年) 監督:和田誠
雀鬼くずれ(2002年) 監督:服部光則

漫画化作品
北野英明、井上孝重、星野泰視をはじめ、多数。
ハーヴェイ・ミルク 1930-1978 サンフランシスコで、市政執行委員に当選。市長G・マスコーニと共にゲイだけではなくマイノリティ差別撤廃を働きかけたが、同じ委員である保守派のD・ホワイトによって、市長もろとも暗殺される。彼の生涯を題材にドキュメンタリー映画『ハーヴェイ・ミルク』が製作された。
大岡信 1931- 詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。
妻は劇作家の深瀬サキ。長男は芥川賞作家の大岡玲、長女は画家、詩人の大岡亜紀。


親友
谷川俊太郎 - 共著を数冊出している。
日野啓三 - 読売新聞出身の作家。日野の葬儀では葬儀委員長を務めた。

「櫂」同人
川崎洋
茨木のり子
谷川俊太郎
水尾比呂志
岸田衿子
友竹辰(友竹正則)
中江俊夫
吉野弘

「鰐」同人
吉岡実
飯島耕一
岩田宏
清岡卓行

歌仙・付合制作
石川淳
丸谷才一
安東次男
岡野弘彦
杉本秀太郎
加藤楸邨
小島ゆかり
長谷川櫂

「へるめす」同人
磯崎新
大江健三郎
武満徹
中村雄二郎
山口昌男

「例の会」メンバー
井上ひさし
一柳慧
清水徹
東野芳明
高橋康也
吉田喜重
渡邊守章
鈴木忠志
原広司


テレビドラマ 写楽はどこへ行った 1968年
(ラジオドラマ脚本をテレビ用に改作) 


映画 [編集]あさき夢みし 1974 ATG
(「とはずがたり」に基づくオリジナル脚本。クレジットは「作」と表記。監督は実相寺昭雄)
Jane Rule 1931-

American-born author and feminist, now living in Canada. She was born in Plainfield, New Jersey. Her book 'Desert of the heart' was made into the lesbian film classic 'Desert Hearts'.
IBooks: Desert of the heart (1964), This is not for you (1970), Against the season (1971), Theme for diverse instruments (1975), The young in one another's arms (1977), Contract with the world (1980), Outlander (1981), Lesbian Images (1982), Hot-eyed moderate (1985), Memory Board (1987), After the fire (1989)
Jane Rule

ウンベルト・エーコ 1932- 現実の事件に啓示を受け、小説の執筆を開始。1980年に『薔薇の名前』(原題 Il nome della rosa)として発表した。これはフィクションにおける記号論、聖書分析、中世研究、文芸理論などの要素が絡み合った知的ミステリーである。1981年、同作でストレーガ賞を受賞。小説作品はいずれも、世界数十ヶ国で翻訳出版されている。
マヌエル・プイグ(1932〜1990)  『蜘蛛女のキス』原作 『欲望の法則』
伊丹十三 1933-1997 映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家

映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作(俳優)。次男は池内万平。作家の大江健三郎は義弟。ギタリストの荘村清志は従弟。

作家であり友人の大江健三郎と同棲。
1960年に日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子と最初の結婚,、1966年協議離婚)。
同じ年に作家であり友人の大江健三郎が妹ゆかりと結婚する。
1969年に山口瞳の媒酌で女優の宮本信子と再婚し、宮本との間に子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。

制作総指揮作品 [編集]スウィートホーム
監督作品 [編集]『ゴムデッポウ』(1962年)− 伊丹一三名義の初監督作品、第24回東京国際映画祭特別上映[15] [16]
『お葬式』(1984年)
『タンポポ』(1985年)
『マルサの女』(1987年)
『マルサの女2』(1988年)
『あげまん』(1990年)
『ミンボーの女』(1992年)
『大病人』(1993年)
『静かな生活』(1995年)
『スーパーの女』(1996年)
『マルタイの女』(1997年)


Joe Orton 1933-1967
英国の劇作家。 Orton got beaten to dead by his lover Kenneth Halliwell, who immediately after this murder committed suicide. In 1987 a biographical film was released: 'Prick up your ears'.

後に彼らの生涯が映画化され1987年公開『プリック・アップ(Prick up your ears)』
ロニー・クレイ 1933-1995 英国の伝説的ギャングスターの双子の兄弟ロニー・クレイとレジナルド・クレイで、ロニーのほうが同性愛者だったとか。1990年に彼らの生涯が映画化された『ザ・クレイズ/冷血の絆(The Krays)』
井上ひさし
1934 小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上 廈(いのうえ ひさし)。
遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。
日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。
先妻は西舘代志子。後妻のユリは政治家・元日本共産党中央委員会常任幹部会員・衆議院議員の米原昶(いたる)の娘で、エッセイスト米原万里の妹で、鳥取県議会議長・鳥取商工会議所会頭などを務めた政治家・実業家・米原章三の孫。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は『激突家族 井上家に生まれて』著者で、2009年11月より株式会社こまつ座社長の石川麻矢。

ラジオ
Xマン(1960年 旧TBSラジオ)
モグッチョチビッチョこんにちは(1962年 NHK第1放送)
吉里吉里独立す(1964年 NHK第1放送。ラジオ小劇場枠。『吉里吉里人』の前駆)
ブンとフン(1969年 NHK第1放送。1970年小説化)

テレビ
ひょっこりひょうたん島(1964 - 1969年 山元護久と共作。NHK総合テレビ)
忍者ハットリくん(1966年、実写版。「服部半蔵」名義。主題歌『忍者ハットリくん』の作詞も担当)
忍者ハットリくん + 忍者怪獣ジッポウ(1967年、「服部半蔵」名義)
ピュンピュン丸(1967年、1970年 エンリコ・トリゾーニ名義で山元護久と共同脚本。番組打ち切りの影響で作品の一部が後年放送された)
ムーミン(1969年 『ムーミンのテーマ』作詞他)
ひみつのアッコちゃん(1969年『ひみつのアッコちゃんのテーマ』作詞)
ネコジャラ市の11人(1970年 山元護久、山崎忠昭と共作。NHK総合テレビ)
アンデルセン物語(1971年 オープニングソング『ミスター・アンデルセン』作詞他)
モッキンポット師の後始末(1972年 家庭口論と共に原作とした連続ドラマ『ボクのしあわせ』がフジテレビジョンにて毎週月曜日放送。今野勉演出。1973年8月6日 - 12月24日)

大江健三郎(おおえ けんざぶろう 1935 小説家。 1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。

1960年、伊丹ゆかり(伊丹十三の妹)と結婚。
1963年、長男の光が頭蓋骨異常のため知的障害を持って誕生。重い「障害を持つ子」の誕生は、戦後社会に希望を持てない青年と、その社会に対する絶望的な反抗や呪詛を独自に描いてきた作家にとって、精神的な転機をもたらした。1964年、光の誕生をうけての擬似私小説的作品『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞受賞。知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親「鳥(バード)」が、様々な精神遍歴の末、想像力によって現実に向き直るに至るまでを描いた作品であり、もともとサルトルによってその意識を深められた「想像力」の概念は、これ以降の大江にとって非常に大きな主題・手法のひとつとなった。この作品については、ジョン・アップダイク『走れウサギ』(1960年)との内容の酷似を指摘する声もある。同年、広島に何度も訪れた体験や世界原水爆禁止大会に参加した体験を元にルポルタージュ『ヒロシマ・ノート』の連載を開始。これ以降の大江は、障害を持つ子供を中心とした「個人的な体験」と、広島・長崎の被爆や戦争という「人類固有の悲劇」とを対応させ、自身の主題として深めていく。

飼育 (2011)<未>原作
静かな生活 (1995)原作
飼育 (1961)原作
偽大学生 (1960)原作
われらの時代 (1959)原作
ヴィッド・ホックニー 1937 英国生れの画家で写真家。アメリカのカリフォリニアに移住。1974年に彼の創作活動がドキュメンタリー映画化された『デヴィッド・ホックニー/彼と彼 とても大きな水しぶき』
真樹日佐夫 1940-2012 漫画原作者・小説家・空手家。世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期ながら手がけていた。<BR>
大山倍達から機関誌『近代カラテ』の発行を移管され、誌名を『現代カラテマガジン』に変えて刊行していた。<BR>
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兄は漫画原作者の梶原一騎。<BR>
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梶原一騎の紹介で極真会館に入門し、大山倍達と義兄弟の契りを結ぶ。<BR>
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劇作家、漫画原作者として『ワル』などを手がける。作家としてのペンネームは高森真士(たかもり しんじ)。この筆名で書いた「凶器」にて、1968年(昭和43年)のオール讀物新人賞受賞。また2000年(平成12年)には、『兄貴』でJLNA文学賞特別賞受賞。<BR>

原作の実写映画化 <BR>
『ワル』シリーズ<BR>
『梶原三兄弟激動昭和史 すてごろ』(原作は『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』『すてごろ懺悔 - あばよ、青春』真樹日佐夫役は哀川翔、梶原一騎役は奥田瑛二、大山倍達役は真樹)<BR>
『新空手バカ一代 格闘者』(永井大主演)<BR>
『六本木ソルジャー』(佐山聡主演)<BR>
『SILVER シルバー』(桜庭あつこ主演)<BR>
『FAMILY』(岩城滉一、加勢大周、木村一八主演)<BR>
『真説 タイガーマスク』(哀川翔主演)<BR>
『無比人』(菊田早苗主演)<BR>
『愛しのOYAJI』(小沢仁志主演)<BR>
『新☆四角いジャングル』(棚橋弘至主演)
コリン・ヒギンズ 1941-1988 ニューカレドニア人でアメリカで活躍。『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』製作 /脚本 『大陸横断超特急』脚本 『ファール・プレイ』監督 /脚本 『 9時から5時まで』監督 /脚本 『テキサス1の赤いバラ』監督 /脚本
アリス・ウオーカー (1944〜)  米国の黒人女性作家。ジョージア州の小作農の家庭に生まれ、1960年代に公民権運動や女性解放運動に参加。70年に作家デビュー。83年、「カラーパープル」で黒人女性として初めてピュリツァー賞を受賞した。
ヴィトー・ルッソ 1946-90 彼の映画研究書『The Celluloid Closet』を元に、同名の映画『セルロイド・クローゼット』が製作された。エイズで死亡。
中上健次 1946〜1992 『火まつり』 脚本、『赫い髪の女』原作、『十八歳、海へ』原作、 『十九歳の地図』原作、『青春の殺人者』原作
つか こうへい(本名:金峰雄(キム・ボンウン) 1948- 劇作家、演出家、小説家。戯曲 『蒲田行進曲 』が舞台でヒットし映画化されたのもヒット。
抑圧されたゲイが女性恐怖と憎悪、過剰なホモフォビア発言。「ブスは死ね」「オカマは気持ち悪い。身の程をわきまえて表に出てくるな」発言だらけで。ムリせんともうカムアウトしたら〜
1980年に熊谷真実(在日)と最初の結婚、1982年に離婚。
女子プロレスラー長与千草(レズ)と交際報道。
1983年元つか劇団の女優・生駒直子と再婚。つかこうへいが帰化していない為、夫婦別姓の形をとっている。 ※つか・生駒の一人娘は(宝塚歌劇団雪組娘役・愛原実花)。
橋本治 1948- 『桃尻娘』シリーズ 主役は女子高生だけど脇役のゲイが実質的には主役 映画化された
村上春樹 1949- 風の歌を聴け - 出演:小林薫、監督:大森一樹(1980年)
100%の女の子 - 原作『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』、出演:室井滋、監督:山川直人(1983年)
パン屋襲撃 - 出演:室井滋、監督:山川直人(1982年)
森の向う側 - 原作『土の中の彼女の小さな犬』、出演:きたやまおさむ・一色彩子、監督:野村恵一(1988年)
トニー滝谷 - 出演:イッセー尾形・宮沢りえ、監督:市川準(2004年)
All God's Children Can Dance (神の子どもたちはみな踊る) - 出演:ジェイソン・リュウ・ジョアン・チェン・ソニア・キンスキー、監督:ロバート・ログヴァル(2008年(日本公開2010年))
四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて - 原作『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』、出演:Takayuki Onosaka、監督:Tom Flint(2008年)
ノルウェイの森 - 出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、監督:トラン・アン・ユン(2010年)
パン屋再襲撃 - 出演:キルスティン・ダンスト、ブライアン・ジェラティ、監督:カルロス・キュアロン(2010年)
ハワード・アシュマン 1951-1991 1960年に チャールズ・B・グリフィス脚本、ロジャー・コーマン監督による恐怖映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を、ハッピーエンドのミュージカルでリメイクした作品の脚本を担当した。ディズニー・アニメ『リトル・マーメイド/人魚姫』の製作 /作詞 ディズニー・アニメ『美女と野獣』製作 /製作総指揮 /作詞
エイズで死亡。

マイケル・カニンガム 1952- アメリカ人作家。『 めぐりあう時間たち 』でピュリッツァー賞受賞、映画化された。『イノセント・ラブ』原作脚本
ハーヴェイ・ファイアスタイン 1954〜 『トーチソング・トリロジー 』脚本・主演でオフ・ブロードウェーでスタートし、ブロードウェイの大劇場に進出、さらに映画化されても主演を獲得。
エルベ・ギベール 1955-1991 作家で『僕の命を救ってくてなかった友へ』。映画『傷ついた男』の脚本。1991年にエイズ死。
花村萬月 1955- 1989年、デビュー作の『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞。
1998年、『皆月』で、第19回吉川英治文学新人賞。
1998年、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞受賞。
2009年、花園大学客員教授に就任。

映画化作品リスト
『XX(ダブルエックス)−しなやかな美獣−』 (原作:『紫苑』 監督:小沼勝 主演:嶋村かおり 1996)
『イグナシオ』 (原作:『聖殺人者イグナシオ』 監督:田中昭二 主演:いしだ壱成 1996)
『セラフィムの夜』 (原作:同名 監督:高橋伴明 主演:大沢逸美 1996)
『猫の息子』 (原作:同名 監督:柏原寛司 主演:青木伸輔 1997)
『なで肩の狐−凶殺−』 (原作:『なで肩の狐』 監督:渡辺武 主演:椎名桔平 1999)
『皆月』 (原作:同名 監督:望月六郎 主演:奥田瑛二 1999)
『紅色の夢−CRIMSON DREAM−』 (原作:『紅色の夢』 監督:中田昌宏 主演:夏生ゆうな 2002)
『ゲルマニウムの夜』 (原作:同名 監督:大森立嗣 主演:新井浩文 2005)
トニー・クシュナー 1956- アメリカ人の脚本家。彼の戯曲『エンジェルス・イン・アメリカ』(7時間にも及ぶ)は、ピュリッツァー賞とトニー賞の2部門を受賞した。後にTVドラマ化され、ゴールデン・グローブ作品賞、放送映画批評家協会賞を受賞した。
ポール・ラドニック 1957-
映画『 アダムス・ファミリー2』脚本 『ジェフリー!』ブロードウェイでヒットした同名劇の映画化 『イン&アウト 』脚本 アイラ・レヴィン原作の小説を映画化した『 ステップフォード・ワイフ 』脚本
アラン・ボール 1957- 『アメリカン・ビューティー』脚本 TVシリーズ『シックス・フィート・アンダー』監督 /製作総指揮 /企画
斉藤綾子 1958- 『ルビーフルーツ』
石田衣良 1960- 既婚者。息子がいる。
1997年 - 「池袋ウエストゲートパーク」で第36回オール讀物推理小説新人賞受賞
2001年 - 『娼年』で第126回直木賞候補。

映像化作品
池袋ウエストゲートパーク(2000年4月にTBSによりテレビドラマ化。脚本は宮藤官九郎)
波のうえの魔術師(2002年4月、フジテレビにより『ビッグマネー!?浮世の沙汰は株しだい?』としてドラマ化。)
4TEEN(2004年7月25日放送。WOWOW・ドラマWによりドラマ化)
アキハバラ@DEEP(2006年6月にTBSによりドラマ化。及び同年9月に映画化)
下北サンデーズ(2006年7月にテレビ朝日によりドラマ化)
美丘(2010年7月、日本テレビにより『美丘-君がいた日々-』としてドラマ化)


出演作品

TVドラマ
アキハバラ@DEEP(2006年、TBS)最終話ゲスト
37℃?日本の恋愛温度を1℃上げよう!?(2006年、読売テレビ)プロデュース兼務
TV
ハートをつなごう(2007年 -、NHK教育)司会
総力報道!THE NEWS(2009年、TBS)スペシャル取材キャスター
ペケポン(2010年、フジテレビ)ゲスト
総合診療医ドクターG(2011年、NHK総合)ゲスト
映画
LOVE MY LIFE(2006年:川野浩司監督、やまじえびね原作)主人公:泉谷いちこ(吉井怜)の父親役。
ジャン=ミッシェル・バスキア 1960-1988 アメリカの画家。黒人。なのに名前がフランス風なのは父親がハイチ系移民(かつてフランスの植民地だった)だからでは。麻薬の過剰摂取で死亡。彼の生涯が『バスキア』で映画化された。写真で見る限り、バスキアは私好みのいい男だけど、主役を演じた俳優のほうは全然素敵じゃないと思ったのは私だけか? 映画では同性愛のことには一切ふれず、白人女性嗜好だけが描写されていた。
チャック・パラニューク
Chuck Palahniuk
Charles Michael "Chuck" Palahniuk
1962- アメリカの小説家。映画化もされた『ファイト・クラブ』がよく知られている。
彼は30代半ばから小説教室やワークショップに通い、小説執筆の練習を始めた。最初の小説『Insomnia: If You Lived Here, You'd Be Home Already』は不満が多く出版されることはなかった(後に『ファイト・クラブ』で一部が再利用された)。その後書いた小説『インヴィジブル・モンスターズ』は出版社の編集者に不快すぎる小説だとして没にされた。こうして彼は技師の仕事の傍ら、後に彼を有名にしたデビュー作『ファイト・クラブ』に取り掛かる。最初は「より編集者にいやな気分を味わわせたい」という動機から書かれた小説は、短編から長編に膨れ上がり、出版社もこの不穏な小説の出版に踏み切った。この本はハードカバーで出版され、好意的な批評をいくらか受けた後やがて本屋から消えてしまったが、ハリウッドが映画化権を買い、デヴィッド・フィンチャーが1999年に映画化して以降大変な評価と批判、そしてカルト的崇拝を生むようになった。彼はこれ以後、『サバイバー』、『インヴィジブル・モンスターズ』の出版で成功を収めた。特に若い世代はカルト的ファンとなり、ネット上のパラニュークのサイトに集うようになっている。
2008年に『チョーク!』がサム・ロックウェル、アンジェリカ・ヒューストン出演で『セックス・クラブ』として映画化された。
日本では2002年の『ララバイ』以降、発刊が途絶えている。日本で読むことのできるパラニュークの本は14冊中5冊と半数に満たない。映画化された『ファイト・クラブ』『チョーク!』も現在は絶版である。



重松清 1963- 2人の子供の父親でもある。

テレビドラマ化

定年ゴジラ(2001年、主演:長塚京三)
ライオン先生(2003年、主演:竹中直人、『カカシの夏休み』収録)
卒業ホームラン(2011年、主演:船越英一郎、『日曜日の夕刊』収録)

映画化

疾走(2005年、主演:手越祐也、監督:SABU)
ヒナゴン(2005年、主演:伊原剛志、監督:渡邊孝好、原作:『いとしのヒナゴン』)
あおげば尊し(2006年、主演:テリー伊藤、監督:市川準、原作:『卒業』)
愛妻日記(2006年、主演:永井正子、杉本哲太 ほか、監督:サトウトシキ、緒形明 ほか)
その日のまえに(2008年、主演:南原清隆、監督:大林宣彦)
青い鳥(2008年、主演:阿部寛、監督:中西健二)
きみの友だち(2008年、主演:石橋杏奈、監督:廣木隆一)

舞台化

エビスくん(シェイクスピア・シアター公演)
流星ワゴン(劇団銅鑼公演)


ブレット・イーストン・エリス (1964〜 『レス・ザン・ゼロ』『アメリカン・サイコ』『ルールズ・オブ・アトラクション』 原作
田部俊行
   


   
   
   
   
   
   
   
   
 俳優のホモ説よりも、監督や作家がホモかどうかのほうに興味があるので。普通のおじさんは、「ブオトコ(おじさん)でもがんばれば報われるんだね」「きれいな女をものにできるんだね」みたいな話が好き。若くてきれいな男をスターにしてくれるのは、やっぱりなんといってもホモの偉いさん。私は映画を観て、男をセクシーに撮ってくれて、女に気がないのを撮った(それかブサイクなんや太ったんや年増の女を個性派として魅力的に撮ってくれた)監督はホモやなって鑑定法をとってます。こんな変な鑑賞方法もあるんやで。
若手美男スターは全員、ホモの偉いのんに抱かれてるに決まってるよ〜。ただ、仕事のためと割りきって抱かれていてほんとは女好きなのか、ホモなのか、どっちなんでしょうね?って気になるのだ。
昭和天皇裕仁(ひろひと)も、今の皇太子浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)もホモ、雅子がレズって噂きいたけど、ほんまかな〜? 中曽根元首相も。
私ね、ジャニーズ事務所のバックには間違いなくホモの権力者がついているなってにらんでいるけど。「スターがいるから力ががある、いい時間帯で番組をやれる」っていうんやない。バックに権力者がいるからスターになれる、いい時間帯に番組がもてる、マスコミに力がもてるんや。バック、誰やろ? 官僚? 与党の政治家? 皇族? それともアメリカの権力者? 日本版でもこんなん作りたいな。 


カンヌ国際映画祭は臭い。匂う匂う。ゲイ人脈が異常に濃いのでは? スポンサー企業、審査員など、ゲイ人脈なのでしょうね。だからゲイ人脈の方の作品が優遇されて過大評価で賞をいただけると。そう睨んでいます。


一応、参考までに

← ゲイの性風俗業界の人脈

ゲイの大物とゲイの性風俗業界と芸能界との勢力相関図
→ ゲイの有名人なんでもかんでも

 

 





日本人は欧米コンプレックスがある。

日本文化の中でも、欧米人に評価されてから日本で逆輸入されてから大々的に宣伝される。

日本人独自に愛され評価されているやつがたくさんあるけど。
「欧米で人気」となってから、やっと日本でも評価されるようになる。

欧米で評価される日本文化の謎と秘密

★ コロンビア大学人脈

★ 男色人脈

日本史に登場する外国人
コロンビア大学の人物一覧