女性憎悪(恐怖)のゲイたち

 

 男で、女性達に、それもブスやおばさんに対して、あれほどの愛情あふれるオマージュをささげてくださった方たち。ゲイたち。ほんとうに感動的。
 ところが、その一方で、ものすごい女性憎悪のゲイもいるんですね〜。不思議不思議。

 

 東京、新宿2丁目に行った。本屋『ルミエール』 表見ただけで、ゲイ、レズビアンものだらけ! レズビアンものの本や雑誌もたくさん並んでいる!
 とりあえずグル〜と見て廻ろうかとした。本棚と本棚の間が狭い狭い。目の前を男が立っていた。ああ、はいはい、お通りください。私は一方の本棚にできるだけ身をよせ、手で「お通りください」というしぐさをした。でも男はいつまでもジーッ・・・・としている。???? 私は手で「私のほうがそちらのほうを通ったらいいの?」ってしぐさをしたけど、男の反応はおかしい。ドロ〜とにごった表情でまともなコミュニケーションとれるやつじゃない。なんなの、こいつ?
 そしたら後ろから男がキチガイババアみたいな、喉から振り絞るような異常な絶叫!
そっから先は女は出入り禁止だーーーーーーー!!!!
 ウワーッビックリしたー! なんなの、こいつら? おまえら八墓村か!
 私パニックなったわ。それからその本屋の内部を見まわしたら、確かに手書きのしょぼい張り紙に「ここから先は女性はご遠慮ください」って。こんなん見落とすわ。その先はホモAVとか男の裸の写真とかのコーナーみたい。
 そのハクチみたいな男も、後ろのキチガイババー男も、そっと小声で「ここから先は女性はご遠慮ください」か、張り紙をソッと指差し「これが見えないの!」ってソッとささやいたらいいやん。マイノリティのあまり根性ねじけてしまい社会性なくし、2丁目に流れ着き、もはやここでしか生きていけないのでしょうね。村で仲良しホモ同士平和に暮らしていて、もう女性とのまともなコミュニケーション能力喪失したんだろうなあ。このまま怪奇映画の村人みたいに、閉鎖空間でドヨ〜ン・・・と停滞して腐敗して一生安楽に暮らしてくださいね。お幸せにね。
 それにしても、その本屋、レズビアンものもおいてあるってことは、女性客にもひらかれているってことでしょ? それとも私がレズビアンじゃないってこと一発で見ぬかれたか? なんでやねん? 
 ホモって、女性憎悪で、全女性を否定する悪口を言い、全男性を賛美するのいるでしょ。「女性が悪いから、僕は男と付き合うのです」やてドアホ!
 そういうこと言うヤツにはねえ、こっちもついセクハラ発言しちゃうぞ「ヨーヨーッ、頭の悪そうな男どもが裸でからんでる写真買うてるくせによー、偉そうなこと言うなよな」「男友達が『トイレの落書きに『男がほしい』やて。集合時間とか書いてあるねん。ここでナニやるんやろうなあ』って言ってたで」ギャハハハハーッバーカッ!!
 図書館で、イタリアの古い古い小説『禁じられた恋の島』を読んだ。映画化され、その写真が載っていて、その主役の美少年にドキーッとしたからチェックした。
 イタリアの離れ小島で、父親と息子が暮らしていて、父親は「世界中を冒険している」ってことで、ほとんど小島にはいないから、少年が自活している。久しぶりにやってきた父親は息子とほとんど同年代の若い嫁を連れてきた。息子はその義理の母に恋をするけど、最後は島を出るっていうのが主筋なんだけど。
 さらに、その話の面白さは、その父親の不可解さの謎が最後に暴露されるのね。無理矢理若い女を金で買うように結婚したり。女性嫌悪で、「女性のせいで男性が堕落させられた。女性に汚染される前の、崇高な男性性を回復するのだ」って理論をとうとうと述べたり。高邁な理論を述べながら、実は同性愛者で、ガラの悪い若い男に金でセックスしてもらっているの。これ書いたのが女流作家ね。
 解説が男性なんだけど、この解説がひどい。父親の女性嫌悪の発言を賛美したり。今のゲイの人権が主張されている時代からしたら、「父親の正体が、実は不潔な異常な性倒錯者だったとは」という書き方は問題あるなあ。
 余談だけど、やっとTVでその映画が放映されたのをチェックできたけど、その映画で観たら、主役全然美少年じゃなかったガッカリ。それにしても、父親と囚人との同性愛を曖昧にぼかすから、視聴者からしたら訳分からんかったやろうなあ〜。
 後、ヴィジュアルで気づいたけど、父親はブロンドで、他の登場人物が黒髪で肌浅黒く顔立ちも南方系で、民族が違う。日本人ホモが、日本から現実逃避し、フィリピンあたりで若い男を買春し、ホモの罪悪感からフィリピン少女を金で無理矢理結婚し子供もつくったけど、でもホモがやめられないから買春するって感じか?
 
 淀川長治先生は実はゲイで、でも先生の若い頃は本当にゲイが抑圧されていて、先生もずっと隠していました。
 そしてゲイを明るく公表したオスギとピーコが登場した。映画『Mr.レディ Mr.マダム』のパンフレットで絶賛してたっけ。
 淀川先生とオスギが共演した映画を語り合うTV番組が感動的だった。オスギ、大らかに美男スターにメロメロだった話しをして、淀川先生をビックリさせた。
オスギ「私、もう子供の頃から、男が好きだったでしょ。お目当てはハンサムなトニー・カーティス」 
淀川「ンマ〜!」 
オスギ「女なんかどうでもよかったでしょ〜。ジャネット・リーなんかどうでもよかったでしょ」
淀川「ンマ〜!」 
オスギ「パイパー・ローリーなんかどうでもよかったでしょ」 
淀川「ンマ〜!」
 
オスギさんのゲイの性欲を大らかな発露に心がうたれた。
 抑圧されたゲイ
★ 三島由紀夫や美輪アキヒロ 高邁な理論や美学がどうのって。こむずかしい美学的屁理屈で正当化しようとするのにウンザリ・・・。
★ 橋本治もイヤミったらしいインテリのイヤラシさがあってイヤ。
★ ピーターがダウンタウンの番組で「彼が『男だとか女だとか性別に関係ない。ピーターだから好きになった』って言ってくれました」
彼は女性の悪口を言わない。でも「男がいい」「男じゃないとダメ」「素敵な男にメロメロ」なんて話は未だ言えなかったのね。これがギリギリのところだったのね。
★ それ考えたら、オスギが大らかに男への性欲を言い、女じゃダメなのって言ったのは偉大だし、心をうつ。
★ そして今、素敵なゲイたちが登場し、正直に自分の男への性欲を言い、女性への配慮もある発言をしています。
 
 ホモとレズのほとんどは、仲悪いんやろうな〜・・・
 レズビアンにも、男性憎悪で、男性とのまともなコミュニケーション能力喪失したのいるかもね。
 セックスへの罪悪感があるからか「男性中心社会での男性との関係は抑圧的である。女性との関係には、新しい対等の可能性がある」とかウンチャラカンチャラ屁理屈こねますのいて性欲のことにはふれないのいるのよ。
 まあ、レズビアンの中には、レズビアン・フェミニストの硬直したのを徹底批判しているのいる。男性とも仲いいのいるみたい。
 川西由樹子『Q式サバイバー』の彼女は、レズビアン・フェミニストを徹底批判した(だけじゃなく、硬直した人権運動家、学歴偏重社会批判するやつとかなどにも向けられているけどね)。とはいっても、この本で一番面白かったのは、とある宗教信者で「ノアの箱舟」みたいなことを望む家族への怒りのことだけどね)。彼女は男性とも仲良しらしい。ただ、いくら性格よい男性でもセックスは体が拒否して受けつけないって。女性だったら体がメロメロにとろけるって。そこがいい。
 セックスへの罪悪感があるからか「男性中心社会での男性との関係は抑圧的である。女性との関係には、新しい対等の可能性がある」とかウンチャラカンチャラ屁理屈こねますのいて性欲のことにはふれないのいるのよ。
 古いゲイにも、男性への性欲への罪悪感があるからか、女性の全人間性への罵倒をし、男性賛美をするのいる。
 そんなん、「例え根性悪くってもカッコイイ男性見ると性的にメロメロなるんです〜」「例えどんなに心がキレイでも女性とのセックスはダメなんです〜」言えばいいのにね。
 男性へのドアホな悪口を言わない、しかも女性への性欲を正直に言う川西由樹子、笹野ミチルには心がうたれる。彼女たちに対しては、私もセクハラ発言する気は全くありませんので。
 余談だけど・・・
 『八墓村』って映画に例えたけど。ほんと、あの映画で簡潔に例えられたからいいけど。あれがなかったら、つい「特●●落か!」ってツッコンデしまうてたわな。差別語で、差別的な用法ですわね。はい、すみません。

 被差別者っていうか、世の主流でないマイナーなのには、確かに根性がねじけてもうたの、いる・・・
 これは私も含めて、ってことですよ。
 主流の方々は、スクスク育って性格も良くなっているの率として多いかもね・・・
 出自家柄、育ち、美貌、学歴、エリート花形職業、人々が羨むような方との結婚、できた子供が優秀で。
  昔、筒井康隆が「少女小説では、貧乏人の娘が主役で性格がよくって才能があってって、金持ちの娘より性格も才能も恵まれてって設定だけど。現実は貧乏人の娘はブサイクで才能に恵まれず根性もねじけている。それに比べて金持ちの娘は性格もよく、才能に恵まれ、容貌も美しいのが割合として多い。ごく少数の例外はあるだろうけど、貧乏人の娘は、とうてい金持ちの娘にはかなわない」って。それから彼が考えた少女小説の原案を述べた。「まあ、こんなのは、どこの出版社でも出版させてくれないだろうけどね」だって。
 筒井康隆も、井上章一も、青木ユウジも「現実っちゅうもんはな、しょせん、こんなもんじゃ」って、世の中の真実を剥き出しに書く。確かにそらそうかもしれないけど、なんか気分悪い。
 もうちょっと優しさがほしい。
 山岸凉子の『日出るところの天使』を読んで衝撃を受けた。冒頭から、とんでもないえぐいオヤジが出てきた。他にも、ブサイクで下劣なおっさんや、ブサイクな男の子らが続々と。だからこそ、美形の美しさがひきたったのだけど。
 私、少女漫画の歴史には詳しくないけど、これだけすごいこと書いたのは、彼女が初めてでは?
 本の紹介雑誌『ダビンチ』でバレー漫画を連載している。
 主役(の一人だと私は思う)は美しく心優しく裕福な家庭の娘。
 で、もう一人の主役だと私は思うのだけど、この子が衝撃うけるほどのブサイク! よう、こんなの書いたな〜。しかも家が貧乏。で、ここが一番やばいとこだけど、根性がねじけてます。
 山岸凉子は、確かにあまりにもきついタブーを破って書いたけど、でも、もっと女性に注ぐ眼差しは優しいな。
 裕福な女の子が、貧乏な女の子がバレーのためのレオタードやシューズを買えないのを知ってハラハラ気を使いながら自分のをあげようとしたけど、貧乏な子は「いらない!」って拒絶。心の中で「あんな偽善者大嫌いだ!」って毒づく。
 私は、両方の女の子に感情移入してしまう。
 その後、お嬢様は友人に相談したら、友人「貧乏人に物与えるのって難しいのよ。かえって誇りを傷つけてしまうことあるしね」って。お嬢様ションボリ。
 それと、貧乏でブサイクな女の子、よりにもよって、古典的で端正な(しかも西洋的な)美貌が要求されるバレーで頑張ってもな〜って、この子の将来にヒヤヒヤしてしまう。いくら実力があっても、報われないだろう・・・。もうじき、容貌での選別に直面してしまうだろう。山岸凉子、えらいタブーにふみだしてしまうのか?

 


 ゲイ・カルチャー。私の心にカンフルをあたえてくれる。
 こういうカルチャーは、遠い未来に、女性も到達するかもしれないけど。
 でも異性愛男には、未来永劫こういうカルチャーも創造できっこないし、私がなぜこうもゲイ・カルチャーに励まされるのかは絶対理解できないでしょうね。異性愛男には、いつまでかかっても絶対到達できない。
 男であることは無条件で偉いことで、そのことにあぐらをかいているからね。「男は中身じゃーっ」「でも女は若さと美貌だからな」って自分のことを棚にあげて言いたい放題したい放題。
 でもゲイは、いくらなんでも自分のことを棚にあげられないからなあ。そこがすごい。バカは「俺は中身じゃ」「でも他の男は若さと美貌だからな」って言ってるか? ゲイも、他のゲイからの厳しい視線を浴びるから自分のことを棚にあげるなんてまねはできないのね。容貌、年をとって性的な商品価値が衰えることのつらさを、女性とも共有している。
 ゲイたちが世の中にいてくれて、ほんとに良かった。オカマが世の中にいてくれて、本当に良かった。
 日本の人口は毎年毎年、何十万人ずつ増え続けているって。毎年毎年、たくさんの子供たちが産まれてきているって。これからも、ずっとずっとゲイが産まれてきてほしいな。ゲイが産まれてくれなって、異性愛男と異性愛女だけの世の中になるなんて、そんなの考えただけで寒気がするよ〜。
セクシャル・マイノリティ
 ゲイって、根性ねじけて変になるやつもいる。
 ゲイの中には、異性愛男には絶対生み出せないカルチャーを創造し、私を励ましてくれるのもいる。異性愛男には、絶対無理。これからも、素晴らしいセクシャル・マイノリティが現れてくれますように。
 素晴らしいゲイじゃなくってもいいや。産まれてきてくれるだけで、私は助かる。これからもゲイが産まれてきてくれますように。だって、ゲイがいてくれるだけで、私の大嫌いな社会生物学や遺伝子学を否定できるものね。アホでも、いてくれるだけでいいわ。