『女たちの元気流』1999年5月10日号 第113号
「家族単位から個人単位へ」をテイマにしたリレー・エッセイの第1回目
伊田広行(の主張)を追っかけて。 私は、女性によるフェミニズムの本とか読んでもなんか遠い。これまでに私がいいと思ったのは全部、男性によるもの(っていうのが一番の問題ですよね)。 「男(性中心社会)対女」というくくり方では粗雑すぎる。 図書館で知った『女の情報 ネットワーク』『女の便利帳』とかを参考に色々な所にアクセスしてみたけど、どれもイマイチ。で、ここにも一応アクセスし、試しに読んだ機関紙で偶然、伊田広行の記事が載っていたの。女性の労働条件がマスマスひどくなっていったのはなぜかという疑問に彼から「これからはシングル単位を主張していくんだよ」ってアドヴァイスをいただいたって内容。ビンゴ! それが参加した理由。 ここの紹介で、尼崎市の「家族単位から個人単位へ」ってイヴェントを教えてもらって、ものすごい期待して行ったのに、なんや、これやったら「女による労働組合」って題名にせえよ! まあ、おんな労働組合では当然『21世紀労働論』が中心で、『恋愛・家族論』『社会論』がメインの私とは違うやろうなとは覚悟してたけど、それにしてもシングル単位の話は全然やったで。私はこれからも気軽な交流会しか参加せず、勉強会はパスかもね。 最後に。私は学校も会社もイヤ。長時間拘束され、そこで人間関係を結び、一社で一生骨を埋めるって、これがずっと続くのかと思うだけでツライ。派遣かバイトしか無理でしょうね。いつかやめて海外旅行に行ってサッパリするのだけを便りに仕事をこなす。結婚もや。結婚せずに、恋愛やセックスが(一生添い遂げられなくてもいいから)できたらそれで幸せ。伊田広行の主張でビックリしたのは、パートは時間が短いだけの正社員と位置付けせよって。「パートは正社員じゃない、劣悪条件でも仕方がない」って私も洗脳されてたのね。私もそれを聞いて救われました。私も短時間労働で(給料等は長時間労働者とキチンと相対的あること)、気軽に転職できるなら(年功制廃止)、暮らしは質素でいいよ。独身で気ままに生きていきたいな。 |