『女たちの元気流』1999年5月10日号 第113号

「家族単位から個人単位へ」をテイマにしたリレー・エッセイの第1回目

            伊田広行(の主張)を追っかけて。 

 私は、女性によるフェミニズムの本とか読んでもなんか遠い。これまでに私がいいと思ったのは全部、男性によるもの(っていうのが一番の問題ですよね)。
 ゲイの平野広朗『アンティ・ヘテロセクシズム』は、異性愛を同性愛と相対化することで、男女間のイビツな非対称性を浮かび上がらせる。
 それと本屋で伊田広行の『シングル単位の恋愛・家族論』を気軽に目を通してみて、脳みそにグサリと突き刺さり、それから芋づる式に『シングル単位の社会論』『21世紀労働論』と読み漁った。こんな傑作が、私の知る限り、女性誌とかでは全然取り上げられていない。やっぱり、毒抜きされたフェミニズム的言説ならゲップがでそうなほど流通するけど、彼の主張はものすごいラディカルで(天皇なんかよりも絶対の宗教「家族」「結婚」を批判!)、しかも私レヴェルでも十分理解できる内容だから、敢えて黙殺されてるのでしょうね(←妄想?)。

 「男(性中心社会)対女」というくくり方では粗雑すぎる。
 「家族単位を選ぶか、シングル単位を選ぶか」、「家族・結婚内での女性保護か、家族の助けがなくても女が一人でやっていける社会を選ぶのか」でやっとビシッ!と明快になる。
 それにしても下手したら男の身勝手と受け取られかねない主張も、懇切丁寧に体系化されているので、やっと受け入れられた。一度に複数の人を愛すること。生涯に一人と添い遂げるのを絶対化しないこと。片方からの離婚請求で離婚できるという民法の改正。結婚の安定、妻の座の安定を破壊。逆に選択性夫婦別姓反対派は、結婚制度下での女性保護を叫ぶ。そうか。選択制夫婦別姓反対派や女性週刊誌(男による女のご都合メディアだと私はにらんでいる)とかは、不倫する男、妻を捨てる男となったら徹底的に攻め立て、私も男に憎悪を感じたけど、女のルサンチマンを保守に誘導する企みに洗脳されていたのね。

 図書館で知った『女の情報 ネットワーク』『女の便利帳』とかを参考に色々な所にアクセスしてみたけど、どれもイマイチ。で、ここにも一応アクセスし、試しに読んだ機関紙で偶然、伊田広行の記事が載っていたの。女性の労働条件がマスマスひどくなっていったのはなぜかという疑問に彼から「これからはシングル単位を主張していくんだよ」ってアドヴァイスをいただいたって内容。ビンゴ! それが参加した理由。

 ここの紹介で、尼崎市の「家族単位から個人単位へ」ってイヴェントを教えてもらって、ものすごい期待して行ったのに、なんや、これやったら「女による労働組合」って題名にせえよ! まあ、おんな労働組合では当然『21世紀労働論』が中心で、『恋愛・家族論』『社会論』がメインの私とは違うやろうなとは覚悟してたけど、それにしてもシングル単位の話は全然やったで。私はこれからも気軽な交流会しか参加せず、勉強会はパスかもね。

 最後に。私は学校も会社もイヤ。長時間拘束され、そこで人間関係を結び、一社で一生骨を埋めるって、これがずっと続くのかと思うだけでツライ。派遣かバイトしか無理でしょうね。いつかやめて海外旅行に行ってサッパリするのだけを便りに仕事をこなす。結婚もや。結婚せずに、恋愛やセックスが(一生添い遂げられなくてもいいから)できたらそれで幸せ。伊田広行の主張でビックリしたのは、パートは時間が短いだけの正社員と位置付けせよって。「パートは正社員じゃない、劣悪条件でも仕方がない」って私も洗脳されてたのね。私もそれを聞いて救われました。私も短時間労働で(給料等は長時間労働者とキチンと相対的あること)、気軽に転職できるなら(年功制廃止)、暮らしは質素でいいよ。独身で気ままに生きていきたいな。