1999年11月14日 伊田広行講演会 テイプおこし5(簡略版)
M = 30ぐらいの女性
I = 伊田広行
M | Mといいます。今は仕事以外でものを考えるということがほとんどないので、久しぶりにものを考えて今は頭が固まっている状態なので、よけいに自分の話したい事が話づらいかもしらないのですけれども。 伊田さんの言っておられることに初めて出会ったころについてですが。そのころ特に自分の中でいろいろしんどいことがあって、それを乗り越えるためにいろいろ性差別のこととか勉強していたり生活の中のこととして考えていたんです。そういう中、性差別解放の事とかいっている中や、私は学校で仕事をしているんですけれど同和教育なんかであまり性差別の事なんかはあまり触れられないことや、差別のことをいろいろ教えている先生の中でも性差別のことは考えようとしていなかったりとか、日常生活の中で“そんなん性差別的な発言ちゃうの”と思うようなことが結構あったりしました。それと、自分はもう結婚しないかもしれないなと思ってこれから暮らしていくときに、今まではするかもしれないと思っていたのであまり見えなかったことがたくさんある事がわかりました。結婚をすることを前提にした社会のありかたとか仕組みとか考え方とかわかって、どうもこれからやっていくには合わないなという部分がありました。そういうところで一人で生活していくとか、だれかと支え合いながら生きていくけれどもその人たちともたれ合いをしたくないというとこらへんでやっていくためには、どうも一般的な考えが合わないなと思いました。フェミニズムもその辺がどうもぴったりくるのがないなと自分でいろいろ考えていたところに、“部落解放”という雑誌は同和教育をやっている人達がよく読んでいるもので私も時々読んでいたのです。その中でシングル単位のことを取り上げられているということは私の中でもかなり画期的なことでした。同和教育の中では家族単位という考えが主流なので、その中でシングル単位ということがでてきたので、すごいと思いました。そうしているうちにある講座に伊田さんが来られていたり、直接お話しを聞くことがあったり、何回か自分たちの会に来てもらうことがあったりしました。そして何年か前に出された“セックス・性・世界観”という本のなかに私の文章ものせていただけることになりました。そういうような感じで伊田さんの考えに触れて行ってます。 自分の思っていたことが伊田さんの考えておられることにかなり近いなと思っています。伊田さんの言われていることは文章にしたらかなり難しいことがあったり本も分厚かったりするけれども、私がなぜ伊田さんの考えにひかれたり自分に合うなと思うのはやっぱり、今までの話しの中でお感じになられたと思うんですけど、さっき“固有名詞との関係”と言わはったんかな、社会の中の問題やけれともやっぱり相手と自分との間のことというとこらへんがいつも抜けていないというところが私が伊田さんの考えの中で好きなところです。今まで話しをずっと聞いていてそういうところを、思いついたというか、まあいつも思っていることですけど話ししようかなと思いました。 伊田さんの考えだけじゃなくって、例えばものを買うということでも、そのものというのは何人もの人の労働力があってひとつのものが自分の元にやって来たり、そのものと出会うときには何か縁が合って私の家の中に入って来たり、私の身についたり、食べたりするというような感覚をこのごろ特にもっているので、社会的な考え方とか制度のこととかそういうようなところでは絶対自分と相手との、それは見えない相手でもあっても、その辺を抜きにしてはものを考えたくないし生活をしていきたくないです。 今ずっと売買春のこととか話にずっとでてますけれど、それも、伊田さんもさっき言ってはりましたけれども、自分の大事な人たちや身近な人たちやまた、自分が売買春をするときにどう考えるかというようなことを抜きにしては考えられないと思っています。 何でこういうふうに思うかというのは、いろいろ言いたいことがでてくるんですけど、いろんな差別の問題は、シングル単位のこともそうですけど、やっぱりひとりひとりの暮らしや気持ちを抜きにしては考えられないこと。いろんな問題を考えるときに自分の暮らしや気持ちから考えていかなあかんし、いろんな社会的な問題が起こるのはそれを起こしているひとりひとりの気持ちから起こっているわけで、社会的な流れもひとりひとりのきもちがまず基本やと思うのでね、その辺のところを忘れて社会的な問題を話し合いたくないなと日々思っていること今思い出したんです。 多分きっちり言葉に出して言えるようになってきたのは、性差別のことを考えてきたりとかいりいろしてきましたけど、やっぱり自分が自分の中で小さいころから枠をかせていて、そういう枠を取りたくってきっと、性差別のことも考えてきたし、他の性差別のことも考えてきたと思う。わたしは体を気持ちよくすることにとても興味があるんですけど、自分が体を悪くしてそれをよくするためにやって来た中で、やっぱり自分の感覚を信じていったりとかね、それから自分が本当に何を望んでいるのか心を澄ましたりしてその感覚を信じて従って生活していくことがどんなに大事な事であるかが本当にこのごろよく分かってきて、机のうえの話というのか、他人が話ししてることっていう感じではなくて、自分の問題としてていうのか、相手の顔ていうのか固有名詞ていうのかそういうのを思い浮かべながらいろんなことを考えていくことがすごい大事なことやなと思います。 なんか話がそれていってますけど。伊田さんいあったころが伊田さんはきっとこういうふうにいってたと思うんですけど、自分が結婚しないでいくかなと思ったときに、そういうのは世間の人は(このごろ薄くなっていってるとは思うんですけど)なんか気の毒な感じとか、自分勝手なことしてとかいう感覚があるけれども、伊田さんは「楽しそうにやってたらええやん。」っていってたと思う。本当にその通りやと今も思います。確かに税金を払っても恩恵をこうむらないこともたくさんあるし、また、もう私に口に出してはあまり言わないけど「早く結婚したらいいのに」とか、「年とったらどうなんの」とか思ってたり、お酒を飲んだら言う人がいるけれど、もう全然そういうことこたえへん。だって今自分がこういうふうに生活していて楽しいし、そういう不安は何もない。ほんとは不自由も不安もたくさんあるけど、それも結構楽しいもの。生徒達は私に「はよ結婚しい」とかまだ言うけれども、(まだ私にゆうか?ってかんじだけど)、「特別結婚しなくても、好きな人がいなくてもすっごい幸せやで」というと、「えーっ」て感じで生徒とケンカしたときでもそのこと持ち出されて言われるぐらい結構インパクトがあるのかなと思う。 今自分の人とのいろんなつながりが増えて来ているんですけど、「老人になっても一緒に生きて行く人がきっといると思おうから別に心配せんでもいいで」と親に言ったら、「おれもそう思う」と父親が言ったんです。全然その辺のことは自分でも不安じゃなくって、今できている人間関係っていうのは本当に心と心が通じ合っているものなので、“家族”といわれる枠の中でなくっても一緒に生きて行けるっていうことはとてもいいことだと思います。それもその時々の縁っていうのか、こういうことを言うとおばあちゃんが言ってたことみたいですけど、その時々に出会う縁、今日もここに初めて出会う人もいらっしゃいますけど、そういう人達と出会うことは、絶対偶然に出会ってるんじゃなくって、自分にとってすごく大事なことだと思うので、ありがたいなとか言ったらまたおばあちゃんの言ってたことみたいですけど、ありがたいなと思って毎日生活しています。寝るときには「有り難う」と誰に向かって言ってるのか分からないけど言って寝ているんですけど。 自分の仕事は社会の中では安定してますけど、いつかまた何かの縁があって違う仕事につくかもしれないです。私の師匠がいつ現れてくるかなとこのごろ楽しみにしてるんです。「森島さん、私の弟子にならないか」と言ってくれる整体師とか。そういう時になったらきっと仕事を変えたりすると思う。この仕事は一生しようと思って就いた仕事だけど、今はそんなことなくって。先生という仕事も他の仕事と比べたら少ない率だけどちょっとずつ給料も減ってるし、自分の老後もどんなふうになるのかなとか、親の老後もどんなふうになるのかなとか、親が死んだらどうなるのかなとか、いろいろ不安に思わないこともないですけど、その不安は全然焦りにはなってなくって、なんで焦らないかっていったら、さっき言いましたけど、自分が本当に何を望んでいるのかと言うことを自分に問うことができるようになってきたから。大根を買うのでもどっちのを買うのかというとき、自分はどっちの大根をほしいかなというレベルからそういう事ができるようになって、ひとつひとつを大事にするって事がこういうことやなっていうのがよくわかっていったら、縁があれば出会うし、縁がなければ出会わないし、出会った円は大事にしていったら何も焦ることがなくなってきた。そういうとこらへんは自分がすごく幸せになってきてるところだと思います。それは多分シングルでいるということも大きな原因の一つかもしれないですね。 今までは他の方々の話しを聞いていて、そういう部分は忘れたくないし、さっき伊田さんは“心が震える”って言わはったけど、私も心が震える出来事や人を大事にしていきたいなと思いました。 それから、この前女子高生がいっぱい出ている番組を見ていました。そこにナンパ達人みたいな3人組の男の人と女子高生たちが話し合いをしていました。それを見てすごく思ったことを言おうと思います。その3人組は何でそれほどナンパできるのかといったら、女子高生がばかやからいっぱいついてくると言うですね。それに対して女子高生たちは反論してるんです。その反論は、親とか先生が女子高生に言うような事を3人組に言ってるんです。それはそれとして、そのときに思ったのは「何で自分がばかやと思っている相手とセックスしたり、お茶飲んだりどっか行ったりできるのかなと思いました。私は自分がばかやと思ってる人とはつきあいたくない。適当なつきあいしか多分しないと思うし。自分がばかやと思う人とセックスや一緒に時間を過ごすことなんて、そんなことしてるやつがばかちゃうの」とひとりでテレビに向かって言ってたんです。そこで思ったのは、自分がある部分だけでも尊敬できたりする人との(友達としてでも家族としてでも)関係だけが必要でそれ以外の関係は自分に全然必要じゃないなとわかって私もどんどんシンプルになってよかったなと思っていたんです。売買春の話しを聞いて、その話しを思い出しました。 学校の中ではすごくインスタントな関係ばっかりで、すぐに怒ったりとか喜怒哀楽がすぎに起こるんですよね。それは人と人との関係がインスタントになってる現れだと思います。私は養護教員をしてるんですけど、去年なんかはもっと丁寧に保健室に来る子とつきあっていきたいと思って、すごく仕事もやめたいと思ったんです。たった十分間の休み時間にたくさんの子が来てその子の体も見れずに心に触れることもできずにやっていくことはとてもつらいことになってました。今はまた大分違いますけれども。それは自分の仕事に対して思っていることプラス生徒達の今もっている人間関係や生活パターンというのは短絡を通り越してインスタントな感じがすることから思いました。例えば簡単なことでいえば昔だったら、ふられて落ち込んでいるというのもすぐに友だちになんか電話したりできないですよね。私が小さいことはんかは親子電話なんかもなかったから、そんな話できないから、次ぎの日友達に会って話をする。そこまでにいやがおうでも自分で自分の気持ちを繰り返し考えたりするわけですよね。それがそうじゃなくなってきて、今は携帯電話もたくだんの子がもっているから、すぐに携帯で話をして同調してもらったりして自分の気持ちが落ち着くとかで、自分の気持ちをちゃんと考える時間がないなと思う。それは大人が作っていってるんやなと思う。私もきれいな景色を見たりとかむちゃくちゃ腹立つようなことがあったりしたらすぐ友達に言いたいから、携帯電話あったらええなと思うときもあるけど、反対に電話がすぐに自分の生活に入って来られたりするのがいやなので、私は今のところ持たないですけど。そういう辺りのことが今抜けている感じがしています。 今話していることはシングル論とは離れているようですけど、私はそうじゃないと思います。伊田さんは最近スピリチュアルシングル論をおっしゃっていて、私はそことかなり通じている事と思っています。 長々としゃべりましたけど、伊田さんへの質問ということで、人との関係ということですね、例えばシングルはなんかうまく人との関係が築きにくいとか思われがちみたいですけど、私はそうじゃなくってつながりとかに敏感というか、別に自分と相手とを切り離して考えるのじゃなくて、一緒に生きていくというのはかなりあると思うので、その辺のことを話してもらえればいいかなと思います。 |
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I | むしろ森島さんの話でいいなと思うんですけど。僕自身も森島さんのそういう話を聞いて影響も受けているし、僕自身がすごく好きやなと思う友達もできて、女性が多いですけどね結果的には。そういう人から感じたもの、あるいは本とかですばらしいと感じたものを大事にしたくてシングル論となったわけですよね。シングル論というのは分かりやすく制度を個人単位にしてとりあえず制度的な差別を減らそう、いろんな生き方を認めるようにしよう、そのためには男性中心の家族単位で年功賃金制度があって異性愛主義の法律と制度を変えるようにしよう、こういう事ですけど、なんでそんなことをいうのか根本を考えたら、今森島さんが言ったように僕はどんな人間関係を作ってそれが広がってどんな社会にしたいのか、僕は障害者の介助にも学生の時からかかわっているけど、やっぱりね、義務同情感みたいなのも揺らぎながらもちょっとはある。しかし自己犠牲的な禁欲的なんでは絶対運動もつながらへんし、続かへんし、自分もできへんと思う。でも僕は結局20年ぐらいちょっとでも介助にかかわっているのは、やっぱりね得るものがあるんです。コバリさんという男性の障害者と触れたときに、彼は寡黙やししゃべらへんけど、彼とずっとつきあってて、行かざるをえない、彼も必要やと、彼に影響を受けて続けてよかったと思うのはね、彼もエネルギーを持ったひとつの存在で僕もエネルギーを持った存在で、エネルギーとエネルギーが触れ合った感じがします。答えをパンと与えるような偉い人とか本ではなくてひとりの人間やけどエネルギーを与える人がおる。そういうのも長いことおったらちょっとは触れられたみたいなんがある。森島さんが言ったそうじゃない関係には僕も興味がないから、そんな関係はどうでもいいんですね。好きな人ともかかわれるような運動にしたいし、社会にしたいとは思っていて、森島さんの影響は大きいような気がします。 |
「確信犯?シングルの会」の『シングルズ・ネット』編集者のYさんは、一応コンピュータを持ってることは持ってるけど、全くの初心者で、入力作業等はどうにかできるけど、メイルのヤリトリはおぼつかない。
だからMさんから私に、彼女の分のんがおさめられたテイプと、彼女からの原稿が送られてきた。彼女はワープロ(東芝ルポ)しかもっていなかったので、しかも私のもってる安いほうのリッチ・テキスト・コンバータは「富士通⇔ワード」だけしか変換できへんしね。しょうがないから彼女の原稿を又、私がコンピュータのワードでうちこんだのを、Yさんにメイルで送ったった。ったくブツブツ・・・。
リッチテキストコンバータで、全機種対応のソフトの値段、あまりの高さに、目の玉がとびでましたよ!
スキャナーもってるけど、スキャナで読み込んだのを文字情報として認識してもらうOCRってのは、私、できないの。