これ以外の方で、ゲストの方と伊田さんに質問がある方。  
男1 ええと税金の壁の件なんですけど、女性だったら、結婚してたら、稼ぎが103万円以内だったら無税で、 それ以上稼いだら税金なって取られてしまう、そういう風な枠を取っ払う運動を積極的にしていかないかってことについて お伺いしたいんですけど。 シングル単位で生きて行くにあたっての防壁を取り除く努力を、 なぜ積極的にしていかないのかということに疑問をおぼえたんで、訊きたいんですけど、どうなんでしょうか?  ぶっちゃけて言えば、そういう風な器量のいい発言をするよりも、まず銭のほうが大事なんじゃないかなあと。 経済的な力をもってから発言していかないと、後で色々おかしいことになってしまうんではないかと、 私は考えてしまうんですよ。貧乏暮らししてるもんで。  
伊田  制度が非常に大きな力あるのは全くその通りで、人の生き方や気持ちだけではなくて、 やっぱり法律を変えるとか、制度変えると、急速に社会変わります。 実は、僕も含めて、シングルの会とかの人も、自分なりに運動に関わっていると思うんですね。 基本的には、フェミニストたちやシングルの会の人たちとかで、この問題にきづいた人、 家族単位のおかしさに気づいた人は、それを変えようという運動を多かれ少なかれやってます。 なかなか変わらんのは、夫婦別姓という選択制でさえ難しいというね、これは非常にからまってるからや。 意見が一致するのは、金、ここ大きい。銭大きいって。 制度と意識どっちが先か言うたら、答えは相互作用やねんけど、制度が大きい言うべきなんですね。 意識を変えるっちゅう運動は、宗教、どっちか言うたら論理はそっちが多いんですけど、 結局、制度を変えると、急激に変わる。理屈はこうなんですね。誰が制度を変える? 運動でしょ?  その運動をになうような人は誰・・・なんで生まれてくるんや?   
男1 サーキュラリズニング(循環論)で、あの〜学者さんの言う事ではないと思うんですけど、どうでしょ?  
伊田 だから、「循環論で・・・」ってとめるんじゃなくて、 僕は結局は、少数派が、矛盾感じた人が運動していくしかないと。 だから僕も運動しようと思ってるんです。 それで制度を変えることが、結局、多くの人の意識も変えることになるだろうと。  
男1 はい。分かりました。ありがとうございます。 又、色々と質問したいんですけど、時間がなさそうなんで、これで切ります。  
年よりの男性 (省略)  
質問者 この会に初めて参加させていただいたんですけれども。 友達からニュース・レターを見せていただいて、サッと読んだんですけれども。 「個人単位」っていう問題については大いに賛成で、一致する意見だと前から思ってましたんでね。 細かい所では食い違いはあるかもしれませんけれど。 ただそれを実際に実現させていくという問題ですね。 社会の中の環境とか制度とかそういうものを改善改革していかなかったら、そういうことは実現していかないと。 僕もそういう社会にしていかないことにはと思って、いろいろな運動に関わってやってきたんですけれども。 その運動を伊田さんもやっていかなあかんと言われたので、一部ほっとしている訳なんですけど。 ここの会はいろんなことを勉強するわけですよね。それは大いに良いことですよね。 しかし実現させるための運動をどういう風にされているのか、そのへんが気がかりなんですが。  
私が永いこと会に関わっているので私から説明します。 確信犯?シングルの会は約10年前に発足し、「個人単位」で社会を考えていこうという大前提がありました。 購読者の多くはシングルで、その頃はシングルを受け容れてもらえるような社会ではなく、 「変わり者だ、かわいそうな人たちだ」という見方が多くあったわけです。シングルを社会に認めてもらうために、 会をつくりシングルの声をあげていくためにシングルズ・ネットも創刊していったわけです。 その中で家族制度についてもいろいろなオカシイところなど、意見を掲載してきたんです。 現在はシングルの数も増えてきて違和感なくシングルも社会に受け容れられるようになってきたと思うんですね。 しかしシングル単位としての考え方は、まだまだ受け容れられてない。 これからもシングルズ・ネットで発信し続けていかないといけないと考えています。 あと私は今、賃貸のコレクティブハウスをつくろうとしていて、 そこには血縁に基づかない高齢者・障害者・子ども・シングルが助け合って暮らす共同体を考えています。 コレクティブハウスをつくることによって地域とのつながりをもち、コレクティブハウスの基本概念(個人単位)の 考え方を広めることによって、行政へも働きかけることも可能ではないかと考えてます。 少しづつ声をあげていくことしか広がっていかないと思うんですけど、みなさんはどう思いますか?  
シングルズ・ネットにコレクティブハウジングのことが載っていておもしろいなと思って会に入ったんですけれども。 たこつぼについてずっと考えてるんですね。自分自身もずっとたこつぼでいたんだなあと。 結局、血の繋がりのない人とそれなりの関係をつくっていかなければシングルといっても それ自体がたこつぼになるかもしれない。家族というものは血の繋がりでもって強固に残っていくかもしれない。 血の繋がらない集合住宅というものを考えいくとか。障 害者の人でもそういう発想をもってこの前上映した、「えんとこ」の主人公の遠藤滋さんて東京の方で、 ミニ団地みたいなやつでバリアフリーで個人の家もお互い自由に行来できるような、そ んなケア生活クラブを考えておられるようです。 最初は障害者に関わっているもんやからそういう人たちが自立生活するのにすごく良い場所じゃないか、 という程度の発想で関わったんですけれども、だんだん自分の問題となってきて、 僕自身もシングルで生野の文化住宅に住んでますけど、 これからどうやって高齢者やいろんな価値観の違う人とどうつながっていくのか。 昨日コモンズフェスタ(おう典院)でやってるやつで、「日本人の死に方」というテーマのパネルディスカッションがあったんです。 家族の問題や個人の問題から地域社会の問題とか、コレクティブハウジングの話もでたんです。 そんな意味で自分なりに興味がでてきたということかな。  
質問者 私の思いを言いますとまちがっているかもわかりませんが、 これからの社会は結論的にはジェンダーレスが理想だと思うんです。 今話合われてきたシングル単位の内容も同じところにいきそうだという感触をもっているわけなんです。 ジェンダーレスとシングル単位との接点をお聞かせください。  
伊田 ジェンダーレスというのはジェンダーがなくなるという意味ですね。 ジェンダーフリーというのはジェンダーから自由になるとかジェンダーから離れる、 ジェンダーがなくなるとかいろんな意味で使われています。男女性別分業、性的なアイディンティティーを なくして自由な方向ということではほぼ、ぼあーと一致しています。ウーマンリブとかは僕も影響を受けた。 ところが、今の日本はまだまだ男女共同参画社会いうけど現実すすんでいない。 なんでかいうと「個人単位」というところで制度を具体的に変えるところが非常に弱いからです。 北欧がそれに近い制度をいっぱいやっとるんですわ。 同性愛者のいろんな権利を認めていくだとか、離婚して慰謝料を支払う制度をなくしていく。 なぜかというと女性がちゃんと働けるしくみをつくるとか、 税制でも個人単位にして育児制度も育児休業制度も8割保障するとかね。 こういう具体政策をもっと日本もやる必要があって、そこにはこちら側が弱すぎて 本当に具体的な提案するよりはいろいろ批判とかが多くて今に至ってるから代案をはっきり言っていこうとしている。 またそういう運動をしたいと思っている。  
質問者1 先日NHKスペシャルの特集で、結婚はしていなくても異性同士、もしくは同性同士が同居していれば、 結婚している状態と同じような措置を保証するといった法律が通ったことを伝えてました。 確かフランスの例でした。 日本の現状からはかなりかけ離れたような制度なのですが、 伊田さんはそういった制度をどんなふうに考えてられますか。  
伊田 そのへんのことは僕も以前、本に書いたことがあります。 まずスウェーデンで議論があって制度化されたものですが、フランスでもそのドキュメンタリーのように漸く通りましたね。 日本でもそういった議論を今すぐにでも始めていきたいと思ってます。 しょせん結婚制度を前提にした考え方でしかないと言ったような批判もあるのですが、 そういった批判も含めて、平等な、多様な人権を認めることとはどういうことなのか、といった議論は必要です。 まだまだ日本の議会では中心課題となり得てなく残念ですが、 そういった議論が行われていくような運動をやっていこうと思ってます。  
質問者2 そのパックス法案ですが、そこが最終のゴールではないわけですよね。 そのへんの補足をお願いします。  
伊田 まず、いわゆる異性愛による結婚制度が法的に認められている、 それに準じたかたちで届け出婚をしていない人にもそれに近い権利を与える。 さらに同性愛者のカップルにもそれに似た権利を与える。 でもこれでは異性愛の結婚制度、二人で一つといった意識なんかが残されてしまう面がある。 ゲイ・レズビアンの活動家のなかには、そうした異性愛結婚制度に入っていく必要などない、 といった意見がずっとあります。 スウェーデンの場合でも、同性愛者の権利擁護ということでだんだん広がってきて、 異性愛の結婚に近づくといったプロセスで制度化されました。教会と市役所で結婚できるわけですが、 今のところ教会の方を通じてでは同性愛者同士の結婚はできません。 遺産相続においても不利があり、まだ差別は残っています。 しかしスウェーデンにはこういった差別も完全になくすべきといった議論、 つまり優遇策自体をなくしてしまうって方向の議論もあって、 そういう意味ではスウェーデンの現状もまだ過渡期であると言えます。  
質問者2  二者排他性の問題はどうからんできますか。  
伊田 二人は互いに特別なパートナーであることを国が認めるのが結婚制度ですよね。 そうした結婚制度にとらわれない、戸籍に登録する事なんかにもこだわらない、 でも何らかの制度的な恩恵があるならほしいな、とか法律婚ではないけど 事実婚をしたということは友達なんかに知ってほしいな、とかってのはあったりする。 そういう意味ではまだ二人は特別という意識が強く残っているといえます。 同性愛の場合であれ、事実婚の場合であれ、そういう特別をなんらかのかたちで認めさせる、 認めてもらいたいって意識が残っている間は、結婚制度と近いとこあんのちゃうか。 そういったところまで議論をすすめると、森島さんが言ったようなとこにつながってくる。 枠でとらえるのでなく、ひとりひとりが好きな人とどんな関係を持つかってとこ。 そしてそこの高い質みたいなもんを感じていければ人は幸せになれるんちゃうか。 そのときに届け出をしてるしてない、これは結婚として認める認めない、なんてのは無くしていこうよっていうのが シングル単位的な発想です。 僕はそういった発想の人が増えればいいなと思っているのですが、なかなか道は遠しといった感じですね。 とりあえずは、「同性愛者の人もいるよ」、「そのひとたちにも権利あるんちゃうん」、っていう分かり易いところからはじめて、 異性愛、結婚などの問題にも議論をすすめていく。 そうやって考えが広まっていって変わってくるんとちゃうかな。  
質問者3 みなさん濃い人ばっかりで(笑)、今日は非常にオイシイ時間でした。 さっき映画のことをおっしゃってましたが、私もその映画を観て感動しました。  
伊田 「えんとこ」のことですか。  
質問者3 そうです。山崎さんから教えてもらいました。 私の場合、「えんとこ」のことを知っている人がたまたま友人にいたから観に行くことができました。 ああいった映画がいわゆる一般の方たちも目に出来るようなところに出て行ければいいなと思います。 それから一応私、会社勤めしておりまして、ちょっと会社のほうがあぶないんですけど、 そういう職場の男性社員やオトコのサラリーマンたちが仮に全部パートになってしまったらってことを 考えたらメチャクチャ楽しい(笑)。しばらくその想像で遊べそうです。  

 

テイプおこ担当:Y、H、のら猫の手

 

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