1999年11月14日(日)

Y = 司会者、Yさん

F = のら猫の手

I = 伊田広行先生

 

 

     
     
F(のら猫の手)さん  
(自分にとっての3大フェミニストが、
★ ゲイの平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』、
★ 伊田広行の『シングル単位の恋愛・家族論』がグサリと突き刺さり、それから芋づる式に『シングル単位の社会』『
21世紀労働論』と読み漁った。
★ それとライター松沢呉一の、雑誌(『創(つくる)』)や出版社スタジオ・ポットのインターネットのホウムペイジでの文章(売買春全面肯定論)。
 自分がこれまでに読んで共感したフェミニストは
40のオッチャンのばっかりで、女の書いたのは全然ってのが最大の問題だとは思う。
 で、伊田広行の主張が私にとってどれほどすばらしいかとエンエンと語って、)

 ただ、なんか、男性のフェミニストが唯一のネックというのが、売買春をどうするかって考えだと思うんですよ。たいていの男性フェミニストも、そこが最大のネック、なんか困ってるなというのが、なんか見えてくるんですね。伊田さんの本も、売買春に関してはちょっと未だ口ごもってるな、ゆう感じなんですね。伊田さんの本は、ほぼ全面肯定だし、私も伊田先生素晴らしい素晴らしい、そうよそうよって思いながら読んでるですけど、ただ売買春に関するところだけはちょっとモゴモゴモゴって口ごもってるなと思うんです。私も、ああ、これ、ひ弱いなと思ってるんですね。

 私も売買春に関する考えが劇的に変化することがつい最近あったんですよ。先ほど申し上げました松沢呉一さんてライターの影響で、1999年度をもちまして、売買春全面否定から全面肯定へと劇的にコロンと変わったんですね。松沢呉一さんの文章で「売買春全面肯定こそが女性を解放し、家父長制度をくつがえす一点突破のすばらしい戦略だ」と書いてあって、私もすごい共感したんですね。

 それで松沢呉一さん、今度、仲間と一緒にくんで、売買春否定論者を徹底論破する本を出すって言ってるんです。『売る売らないはワタシが決める』っていう本を。私も今からすごい期待しているんですけどね。

 松沢呉一さんは、「自分は70年代のウーマン・リブにすごい影響をうけたんだ」と。「ところが、70年代ウーマン・リブは性の解放とか、売春防止法の欺瞞にたいする批判とかあったのに、いつのまにか80年代以降は道徳派とか抑圧派とかそういう窮屈な偏狭な道徳観をもったフェミニストたちが牛耳るようになってきたんだ、でもこれからはそういのに共感できない女性達がゲイ・リブとか娼婦たちの問題に共感して流れて行ったんではないか」って書いてあって、あーっそうだ!っとか思うところがあったんですね。松沢呉一さんは「腐れ道徳主義者や腐れフェミニストを徹底的に論破する本を出します」って書いてあって、これはもう下手なフェミニストは松沢呉一論破されちゃうなって分かるんですね。

 松沢呉一さんの文章を読んで、私も売買春全面肯定に私もなったんですけどね、そういう視点から見たら、伊田広行さんの売買春に関する物言いのところは、ひ弱いな、グラグラグラしてるなとか思うところがあるんですね。で、松沢呉一さんて男性フェミニストは確信をもって「売買春を全面肯定する」って言ってますので、強いです、ハッキリ言って。下手に伊田広行がモゴモゴしたことを言っちゃったら、完全論破されちゃうやろうなって分かるんですね。松沢呉一が伊田広行の『シングル単位』のことに関してはどう考えてるか、何にもふれてませんのでよく分からいんですが、共闘できる部分もある思うんですよ。ところが売買春の話しになっちゃうと、伊田広行を完全論破しちゃうかもしれません。ひょっとしたら『売る売らないはワタシが決める』って本の中で伊田広行のことを批判しているかもしれないんです、ひょっとしたら。松沢呉一の強さに比べたら、伊田広行の売買春に関する物言い、ひ弱いです、ハッキリ言って。私、伊田広行さんのことをすごい尊敬してますし、松沢呉一さんのことも尊敬してますし、売買春のことで分裂しちゃいやだし、共闘してほしいと思うんですね。

 これは私の直感ですけど、売買春に関する『売る売らないはワタシが決める』て本が出版されたら、フェミニズム界は二分されてしまうと思うんですよ。売買春肯定派か全面否定派かウワ〜ッてね。さて、どうなることでしょうって、今から固唾をのんで待っているんですが。さて、どうなることでしょうって。

 いつか松沢呉一と伊田広行が一緒に売買春についてどう思うかって、いつかバトルトークもしてほしいなと思ってるんですけどね。

 色々きびしいことを言いましたけど、男性フェミニストの今最大のネックが売買春についてどう思うかということだと思いますので、あえてちょっと、伊田さんの大ファンなんですけど、そこのところだけひ弱かったかなと思いましたので、キツイこと言わせていただきましたが、どうもすみません。

 
 いえいえ、全然、全然。どうもありがとうございます。松沢呉一さんて知らんねんね。UNIDOS(ユニドス)かなんかの『売る売らないはワタシが決める』っちゅう本ももちろん未だ読んでいないから―― UNIDOS(Uphold Now! Immediate De-crimialization of Sexwork! セックスワークの非犯罪化を要求するグループ)
 ゲストたちは事前にどういう内容の質問をするかを伊田先生に送っていて、私は「松沢呉一がUNIDOSって団体と組んで『売る売らないは私が決める』って本を本を出すらしい」って書いたけど、このイヴェントのときにはUNIDOSの名前を出さなかった)

 正式な呼び名は、後で気がついたのですが「ウニードス」でした。私が間違ったのを伝えてしまったせいで、伊田先生まで間違えてしまって。すみませんでした。

 未だ出ていないんです。出すとは言うてるんですけど・・・  
 確かに僕自身は『恋愛・家族論』である程度、セクシャリティにかかわって、売買春の問題に少しふれて、それから去年、アジアのその雑誌で(短い、字数制限すごくあって、4ペイジしかないやつで「男性の私が思う売買春論」みたいな、短く書いたんですけど。 アジア女性資料センター『女たちの21世紀』(199810月号)の伊田広行「売買春問題への私の態度」
 読みました。  
 それ読んでモゴモゴしてると言うてくれはったと思うねんね。で、僕自身は確かに未だチャントそれを全面的には書いていないです。だから松沢さんのとか読んで、あっそうやなと思ったらもっと賛成するかもしれへんし、いやここはちゃうと思ったら反対するかもしれません。そこは、これからも勉強したいなと思うし、ただ、今考えていることを簡単に言った上で、又意見ね、やったらええと思うねんけど。

 僕はこう考えてるんですよ。売買春や援助交際も基本的には自由。だから、単純な形式だけで言うたら、僕は松沢さんやとか、F(のら猫の手)さんの意見、深くは知りませんけども、そうちゃう、売るか売らないかは自分が決めたらええしね。誰かが神様のような位置にたって、「よい/悪い」決めるようなことはできへんと思うし。セクシャリアティみたいなものは多かれ少なかれ、今の社会では商品になってる面はある。それ以外の能力も商品なってる面はある。で、性的なサーヴィスも、それが商品になったらあかんとは僕は言えないと思う。「腐れ」とか、僕は、そういう言い方で、松沢さんとかの、大雑把な感じもするねんけどね。フェミニストと言っても色々あるから。彼の仕事知らんから、「クズフェミニスト」や、「腐れフェミニスト」って、誰のこと言うてるのか、ちゃんと見ないかんねんけど、たぶん、いくつかあるんです、ひどいのは。確かにひどいのはあるんです。「道徳論」とか言うたり、論理が不充分であったりするのがいっぱいあるのは確かで、性の商品化については、混乱したままやと思う。だから僕自身が僕なりに去年ちょっと書いたりしてんね。

 考え方はこうです。基本は自由でいい。だから古い理屈で、「性と人格は一体や」とかね、あるいは「性は特別なもんや」とか、「道徳的にダメや」とか、そういう古い秩序を前提に、性の秩序を前提に「いい/悪い」を決めるのはあかんと思う。もうちょっと丁寧な議論すれば、だいたいそこらへん批判できるんですね。

 その上で、僕が、にも関わらず、「性の商品化賛成論」といわれるような、「自己決定でええやんか」という論者がたくさんおってね。宮台真司さんもその内の一部やし、それ以外にもいるんです。それに対して、フェミニストたち怒ってる人も多いねんね。僕は、なぜ今自由化論を言うかとか、自己決定を言うかといえば、その人の意欲とかを問題にしているんです。どういうことかと言うたら、いったい誰の人権を考えたり、誰の解放とか、誰の気持ち良さを考えて、言うてんのかね。あんまり大雑把に議論したらあかんなと思ってるねんね。だから基本は、僕は決められへんとして、自由化というとこにおくんやけど、しかし僕の求めるものは、そんなもんだけやないというのが僕の主張なんです。僕の主張は、詳しくはできへんけども、今の社会で、「ただ食えればええ」とか、人と人が「ただ生きればええ」っていうんじゃなくて、なんか高いレヴェルっていうか、何が高いかも人のイメイジがありますけど、なんか高いレヴェルの人間関係を作りたいなと、社会つくりたいなと思ってる。で、そういうときに、心の交流があるみたいなことを、僕はスピリチュアリティとか、そういう言葉で、魂みたいなことを大事にするような関係にしたいなとか思ってるんです。フェミニストが言うてる人権とか男女平等いうのも、最低レヴェルの平等とかいうよりは、なんか新しい関係をつくりたい、そら家族の中でもそうやし、家族外の友達でもね、なんかもうちょっと金、権力、力っていうようなものだけでは人間を支配するのではないような、関係みたいなものをどう作るかっていうあたりが大事やと思ってる。そういうときに、実際、援助交際しているような人達の人の見方や性のとらえ方っていうものが、僕には興味がない、非常に面白くない。だからそんなもん勝手にやっとれと。しかしそれは素晴らしいとか権利を擁護したいとかそんな感じやないんやってことを書いてます。だから、人を、男は金出したら、「喜んでセックス、腰ふるんや」とかね、「女かて金出したら股ひらくんや」とか、そういう価値観がほんまに世の中に多くって、そんで「セクハラかてたいしたことちゃうやんか」とか「さわられたかて減るもんちゃうやんか」とかいう感じもすごい多いときに、僕は何を伝えたいかと思ったら、そういう風にしか思えないその人のスピリチュアリティとか、心の貧しさみたいなもの、やっぱりあると思う。こういうことを言うと、すごい道徳的やけど、僕はそこらへんがすごい直感的に大事やと思っててね。そこらへんを、これから勝負の中心にしたいなと。だから僕は本でAV監督の人の文章なんかには、僕は心が震えるようなええもんがなくてね、ああ、なんか、いやな感じやなと。そんなんがあったわけやね。松沢さんとかが戦略として売買春全面肯定っていうのを言うのんを、分からんことはないです。でもそれだけでは足りひんもんがあるんちゃうかってあたりにこだわってる気はするねんけど。

 もうちょっと、松沢さんの読んではる、Fさんとすれば、僕の言うてるのでどのあたりが弱いのかな? もうちょっと言うてくれたら、全然気ぃ使わんと言うてくれはります? あっマイク。

 
 (マイク)入ってます?

 ええと・・・例えば、バクシーシ山下監督って方の書いた文章を読んだんですけどね、私もバクシーシ山下監督嫌いやし、この人の文章を読むと直感的に分かるんですけどね、自分自身のルサンチマンとかね、社会への不満とか、社会に差別があるとかいう不満をね、女性にぶつけることで発散しているような卑しさが感じられていややなあっとか、そういうのを「正義の鉄拳や」って誤解しているような文章とかあったりとかね、薄っぺらいフェミニズム批判をしたりとか、卑しい部分あるんですよね。私も大嫌いやし、だから伊田さんがバクシーシ山下監督のことを批判したことじたいはいいんですよね。

 ただ、ちょっと下手やなと思ったところがあったんですよね。「AVが与える社会的影響を考えたことがあるのか」みたいなことか書いていたけど、「例えば、若くてきれいで胸がでかくてというような女性が素晴らしいっていうような、社会的影響を考えたことがあるのか」とかね、「ミスコンテストも、そういう一元的な価値観を振りまいている」「性の商品化、女性に偏ったイメイジをふりまいている」とかね「他の女性達に悪影響を与えている」とか書いているけどね、松沢呉一はそれに対して、なんかね、伊田さんのことは出てなかったけどね、よく女性から「性の商品化をすることで、他の女性達も性的商品として見られる。私の売らない権利を守ってくれ」とか言われたけど、それに対して松沢呉一、徹底論破して「自分だって妻として商品化されているじゃないか」「結婚制度で妻は商品化されているのに、そのことに関しては案外無自覚の人が多いけど、じゃあ例えば売買春を全部なくしたとしましょう。でも妻として商品化されるんだ」とか、それとか、なんか、あの・・・・だから「AVなんかがあるから女が性的商品として、どうのこうの」「社会的影響を考えろ」という見方ではね・・・やっぱりそれはちょっと・・・あの・・・・ちょっと・・・

 
 分かる。今言うた話し、半分は全く、松沢さんの論理に賛成なのは、性の商品化というてるところだけを悪いもんにしたり、「影響ひどい」とか言いながら、他の面はちゃんと見てない、実は連続的やから、根本的に、僕が最初言うたように、売買春も基本は自由化がある、というのがすぐ分かる。ただ、今の社会で自由化っていうたときの、もたらされるレヴェルはどんなもんか言うたら、今のオッサンらや今のそれをええと思っている女性達の価値観はそのまま残るやんか。今、自由化いうのも。そこをどう変えるんかみたいなところを松沢さんて言うてるのかな?  
 ええと・・・それ、難しくて、私・・。それは松沢さんと来てバトルトークしてほしいと思いますが。ただね、私も、ミス・コンテストとか大嫌いなんですけど、ただね、それを禁止するっていうのはやっぱりファシズムぽくて好きじゃないんですよ。嫌いだけど認めるみたいな・・・  
 たぶん「論破されるんちゃうか?」いうのは、松沢さんという人が、僕が他のフェミニストのレヴェルの浅いというのかな、松沢さんがどこまでちゃんとやってるかは知らんけど、もし浅いレヴェルのを批判してるとすれば、それと同じやと、道徳主義的にね、「AVは悪い影響を与えてます」「ミスコンも悪い影響を与えてます」「だからそんなんよくないよ」っていう風にとらえたとしたら、そんなとこでは全然やりたくない。まず、今までの性の商品化批判の理屈が弱いのを認めた上で、僕はどうつくるかを考えて、スピリチュアリティという概念をいれないと、逆にフェミニストは勝てないと思てるねんな。

 だからたぶん松沢さんて、フェミニストのスピリチュアリティとかいうのをあんまり知らん、僕のをあんまり知らんと思うから、いっぺん僕のを読んでもうた上で議論とかできればなあと思う。簡単に言うたら、もういっぺん言うけど、今の援助交際のレヴェル、売買春のレヴェル、セックス産業の男や女達の意識を特別やというよりは、それがほとんど、今の社会をおおっていて、僕らの性欲もそこにからまってるわけやな。そこを僕は変えたいと思っている。

 
 ただね、「売買春の否定がね、変な道徳主義、キリスト教的な、一夫一婦制の道徳主義にならないように気をつけないと」って。それと、あと、「結婚制度の女の無償の愛というのも批判しないといけない」と思いますし。売買春否定論者が「結婚して無償の愛が素晴らしい」という風になっちゃうと、それも極端なんですよね。松沢さんが徹底的に批判してたのはね、「売買春全面肯定して、たくさん風俗嬢たちとおなじみさんなって、仲良くなってるけど、それから見たら、結婚制度での女の人の立場がひどいっていうのがよく見えてくる。なぜかいうたら、結婚制度の中で無償の愛という風にやられている女の人のほうが搾取されている。だから・・・」 松沢さんの論点が・・・これ、松沢さん本人来て言わないと、私が言うと誤解あたえちゃうかもしれませんけど、「売買春否定論者の中には、売春防止法をとおした連中というのが、実は純潔教育の、キリスト教的な、純潔教育的な結婚制度賛美主義者の人らばっかりだったってことも頭の中にいれとかないと・・・」  
 それはね、そのとおりで、しかし、それを分かってるフェミニストはかなりいるんです。フェミニズムやウーマン・リブがそのあたりずいぶんあって、だから性の解放とか議論になってね、今フェミニストの多くは単純に性の商品化批判しないはずです。もうちょっと色々考えてる。ただし、すっきりとスパンッ!っていうてるのがない。

 で僕は宮台真司さんらの議論かておかしいところいっぱいあると思ってるねんね。ちゃんと批判せなあかんなと思ってるねんね。

 僕は単純に性の商品化に賛成か反対かっていうたら、どっちでもないです。どっちでもないっていうのが僕の立場で、じゃあ何を言うてるねんっていうのをちゃんと言わないとあかんと思ってる。

 
 私も宮台真司の意見、それは違うって思うところありますし、全面肯定はしませんけど・・・ですので・・・・だから松沢呉一さんの視点でもう一回女の近代史を見直したいなと思ってます。  
 僕は、自分が売買春できるか、買うか、売るか、自分の好きな友達や恋人や娘や母が、それをするとき、どう思うかっていうのを想像してみました。それで、シングル単位的な考え、僕も、そういう考え方で考えて、「自分の娘や妻やったらっていうのと、売買春の基本的な解禁とは別や」とか宮台(真司)さん言うたりしてるんやけど、僕はつなげて考えて、基本はこうです。それは僕の母や妹や妻や恋人や友達が考えることです。それを僕がとめる権利は1ミリたりともない思います。色んな考えがあって。で、その人達の労働条件、労働の安全が守られるべきやと思います。したい人のね。それによって、多い少ないは別で、むしろ、まあ、少ないと思うけど、ある種の心の交流まで含めたいい関係が、お金を介してでも、ある種の売買春にある場合も、あるという可能性も認める。しかしそれは抽象的な話しで、しかし自分がほんとうにするかというたときに、非常に難しい仕事やし、大変な仕事やし、他に仕事があるときに、それを仕事として選ぶのかどうか、そんで、なんでそれを選んだのか、自分はどういう人とどんなセックスをしたいのか、そういうたことを考えたとき、今の状況、今の状況での売買春の多くは、そういう僕が思ったり考えたりするのとかなり離れている。それをまあ分かりやすく言うと、スピリチュアル度が違うので、僕は今のような状況で、解放やとか、その、松沢さんがさっきチラッて言うたけど、なんか、なに? 「いっぱい・・・その・・・やって・・・風俗嬢と?・・・  
(はい)  
I セックスしてる」って?  
F (はい)  
I って言うけど、それがどうしたん?って感じがするねんな。風俗嬢とセックスして、それで、だから何? その風俗嬢、風俗をしている女性のAさん、固有名詞の○○ナントカさんていう人の、その人との人間的な交流のレヴェルで、俺はええのんあるねんて言うたら、それは分かるねんけど、風俗嬢といっぱいやってるのはよくて、結婚制度がどうっていうのは、レヴェル低いところでなんかやってるような・・・それだけ聞いたらね。

 だから、たぶんいっぱい言うてるのやったら、本も読まなあかんけども。もっと固有名詞との関係での自分の性のあり方とかが論点になるんちゃうかなって気はするねんけどね。風俗嬢との人となるかもしれんけど。でもそれはいつもいつもお金を介することなるんかどうかとか。それとは別に、その人自身の自己決定は尊重せなあかんし、その人が働ける場所があるとか、その人がそこそこの給料が得られるとかいうことは言うわね。

 まあ、あのっ、話しは・・

(私のひ弱いオツムと説明で、松沢呉一の主張を、うまく伝えられず、申し訳ないことをしたと思います。私の敬愛する松沢呉一は、あくまでも、セックスした女性の数を征服したと誇るような人間性なんかではないってことをお伝えしておきます。あくまでも、セックス産業の世界とは全然縁のない私に、誤解と偏見の目でみられている性風俗嬢たちのことを、実際交流している方ならではの強みで色々と伝えてくれているのですから。これで松沢呉一の印象が悪くなったらどうしよう・・・)
 そろそろ30分なりましたので、じゃあ、又時間がありましたら・・・  
又、又、教えてください。僕もちょっと又読みますから。  
     

 

 


 Yさんがテイプ録音し、それを何人かで分担してテイプおこし。

 ここ(と、次ぎのOさんの部分)のテイプおこしは、私が担当。

 

 

 

 

 


宮台真司

買売春解体新書 近代の性規範からいかに抜け出すか

上野千鶴子 宮台真司 /柘植書房新社 1999/07出版

ポップ・カルチャ−

宮台真司 松沢呉一 /毎日新聞社 1999/04出版

〈性の自己決定〉原論 援助交際・売買春・子どもの性

宮台真司/紀伊国屋書店 1998/04出版

 

 

松沢呉一

. 熟女の旅

松沢呉一/ポット出版 1999/08出版 \1,800

ポップ・カルチャ−

宮台真司松沢呉一 /毎日新聞社 1999/04出版 231p 20cm NDC:367.6 \1,400

糞尿タン

松沢呉一/青林堂 1999/04出版 1,300

恐怖の大玉

松沢呉一/ポット出版 1999/01出版 \1,600

大エロ捜査網

松沢呉一/青弓社 1998/10出版 216p 19cm NDC:673.9 \1,600

えろえろ

松沢呉一/ポット出版 1998/10出版\1,600

風俗バンザイ

松沢呉一/創出版 1998/08出版\1,600

エロ街道五十三次

松沢呉一/青弓社 1998/06出版\1,600

ぐろぐろ

松沢呉一/ロフトブックス (星雲社 ) 1998/05出版 \1,333

魔羅の肖像

松沢呉一/翔泳社 1996/05出版\1,942

鬼と蠅叩き 松沢堂の冒険

松沢呉一/翔泳社 1995/08出版\1,553

新宗教の素敵な神々 (マグ・カルチャ− ) 日本各地の神様訪問ルポ

松沢呉一/マガジンハウス 1995/04出版 \728

エロ街道をゆく 横丁の性科学

松沢呉一/同文書院 1994/12出版\1,262

ウンゲロ Puris

松沢呉一のびきりのびいち /シンコ−・ミュ−ジック 1990/10出版 \1,262