太田典礼(てんれい)
1905(明治33)年生まれ←『反骨医師の人生』と、1900年生まれ←『ここをわが家とおぼえしか』の両方の記載あり。
10月7日 京都府与謝郡三河内村(現・野田川町三河内区)に生まれる。
300年余続いた医家、地主、資産家の長男。第二次大戦中、もとの武夫の名を、代々の「典礼」八代として襲名。
京都府立第四中学(後に宮津中学)、三高、九州大学医学部卒。
1925(大正14)年、京都大学大学院、京都産婦人科。医学博士。
共産党シンパ活動
被差別部落で診療所開設
昭和5年、有害避妊具取締規則が出た。
産児制限の研究から、太田リングを発案した。昭和7年発表。
昭和11年6月、突然、警官が二人来て「リングが禁止になった」と言い、現物を引き上げて行った。政府に抗議したが、「国策に反するものとしての禁止だ」として頑として応じない。
第一次上海事変に出征。
昭和14年の夏、治安維持法で検挙され、15年春、京都拘置所へいれられた。執行猶予ですぐ出獄。
昭和17年秋、治安維持法で検挙され、実刑判決をうけて、堺刑務所へいれられた。
戦後、社会党の代議士になり、党の改革を企てて除名された。労農党をつくって失敗。
安楽死運動に専念。安楽死協会理事長
1985年12月5日死亡
書籍
太田典礼『日本産児調節史 明治・大正・昭和初期まで』(日本家族計画協会) 1969年発行 | 国会図書館で製本中なので館外貸出しは来年以降になるとか。 |
太田典礼『安楽死』(クリエイト社)1972年 | |
太田典礼『安楽死のすすめ』(三一書房)1973年 | |
太田典礼(てんれい)『太田リングの記録』(太田リング研究所/発行、刊々堂出版社/発売) 1974(昭和49)年発行11月10日発行 | |
太田典礼『日本産児調節百年史』出版科学総合研究所 1976(昭和51)年9月20日発行。 | |
太田典礼『無宗教生きがい論』出版科学総合研究所 (人間の科学社 )1978/03 | |
太田典礼『反骨医師の人生』1980年2月27日発行 | |
太田典礼『堕胎禁止と優生保護法』経営者科学協会 (人間の科学社 ) 1980(昭和42)年5月1日発行 | |
太田典礼『ここをわが家とおぼえしか』(人間の科学社)1980年5月30日発行 | |
太田典礼『無宗教生きがい論(改訂版 )』(人間の科学社)1980/05 | |
太田典礼『エロスの周辺』(人間の科学社)1980/12 | |
太田典礼『第三の性 性は崩壊するのか』人間の科学社1981/10 | |
太田典礼『死はタブ−か 日本人の死生観を問い直す』(人間の科学社)1982/02 | |
太田典礼『中絶は殺人でない』京都産婦人科医会(人間の科学社)1983/05 | |
太田典礼『樺太と日本の悪縁』(人間の科学社)1983年6月 | |
太田典礼『老人島 短編集』(太田出版)(人間の科学社)1984年4月 | |
太田典礼『王様のねむり 大人のメルヘン』(太田出版)(人間の科学社)1984年4月 | |
太田典礼、田村豊幸『ガンと安楽死 共存・安楽生の時代を迎えて』(人間の科学社)1984年9月 | |
太田典礼『世界のエロス芸術』(人間の科学社)1984年11月 18,000円! | |
『第3の性 性は崩壊するのか』(人間の科学社)1987年7月発行 | |