ピルを解禁すると、性が乱れるか?

 

★ 確かに、ピルを解禁すると、「性が乱れる」
 コンドームを含めて、あらゆる避妊具は「性の乱れ」の大きな要因の一つです。

★ 「性が乱れてきた」最大の要因は、都会化、匿名での出会いの発達、出会いの即時性の発達、出会いの簡便さのための道具の発達だ!

★ 女性は未だ、「性が乱れる」ほどのパワーを、男性が持ってるほどには、持つにいたっていない。

★ 乱れた性を享受できる女なんて、若くてキレイな女だけだ! 年いったブサイクな女には縁のない話だ。

★ 性が乱れて何が悪い! 「性の解放」とも言える。

★ 女だって人間だ! 男性並に「性の乱れ」を享受したい! ブスだってババーだって女だ人間だ、「性の乱れ」を享受したい!

★ 他の若くてきれいな女への性を抑止するんじゃなく、ブスだってババーだってセックスを楽しもうよ! ブスでババーだって金で若くてきれいな男とセックスを楽しんだらいいんだよ!

 

 


★ 確かに、ピルを解禁すると、「性が乱れる」

 これはもう誰もが疑いようのない100%客観的な真実です。

 コンドームも含めて、あらゆる避妊具は「性の乱れ」の一因です。

「Fact Sheet: The Truth About Condoms History of the Condom」

家族計画連盟が、反コンドームの言説に反論しています。→和訳

 昔から今でも、欧米の保守派は、コンドームも含めてあらゆる避妊は性の乱れの原因だと徹底批判し法律で禁止しようとしています。
 そしてさらに「コンドームが子宮頸癌をひきおこす」という似非化学で非難攻撃しています。


 中絶も「性の乱れ」の一因です。

 性病にかかるリスクを減らしてセックスする方法「セイファー・セックス」の情報伝達も、「性の乱れ」の一因です。

 性病治療をする医者なんて、「性の乱れ」の一因です。
 アメリカでは、今現に性病の恐怖で子供達への純潔教育を推進して教育プログラムが実在し、政府が莫大な資金援助をしています。治療なんて、子供達への脅迫ができなくなるじゃないですか!
 アメリカでは、エイズ治療の研究開発が、純潔教育のキリスト教団体から圧力をかけられ中止させられた例が現に実在します。

 「処女と童貞が結婚してからセックスをし、いっさい浮気などしない。それこそが、あらゆる問題を回避する最良の方法だ」
 ええ、確かに。
 ただ、それを実行できたらいいんですけど、現実には理想どおりにはいきません。

 かつての女性たちは、若くして結婚し、避妊なしなので妊娠し、たくさんの子供を産みました。村が飢饉になると口減らしをしました。セックスを楽しむ余裕などなく、身体をはった超弩級の過酷な再生産活動で、体力を消耗してきたのでしょう。
 娼婦たちも、妊娠しては中絶し、心身ともに悲惨だったのでしょう。
 セックスを楽しめるほどの余裕はなかった。

 かつてのアメリカの初期のフェミニズムでは、夫からの性交を拒否する権利の要求もあったとか。義務としての子供をある程度出産したら、それ以上子供を産みたくないってことでしょうね。まあ、これには生活のためにセックスしたくない男との結婚するしかない女性たちの苦悩もあって、義務として子供を産んだら、それ以上セックスしたくないってとこでしょうかね。

 望まない妊娠に怯え、身体を消耗してきた女性たち。避妊具は、女性を救ってきた。

 欧米のキリスト教団体の主張は、避妊反対、法律での全面禁止を訴えています。
「結婚まで純潔を守りなさい」「望まない妊娠には、禁欲あるのみ」
そら確かに。避妊具は、「性の乱れ」の要因になるわな。そのことに関しては確かに反論の余地なし。

私は「反コンドーム」でまとめたけど、例のキリスト教団対は、反避妊、反中絶で一貫していることは一貫している。

 例え、避妊具のせいで、「性の乱れ」に利用するのが増えるからって、避妊具のおかげで救われる方々のことを考えて、法律での規制や禁止には反対です。

 


 かつての日本では、避妊は罪悪でした。

 「純潔教育押し付けようだなんて、狂信的なキリスト教徒ってやーね」って、キリスト教徒だけの問題じゃないのね。

 かつては日本でも避妊は罪悪でした。
 その罪悪感が、日本の一般大衆の間では薄れ、キリスト教徒たちだけが昔のままの罪悪感を守り続けているのね。

 

 かつて、避妊は、人々から罪悪視されていた。

 松沢呉一『ポット出版』の文章に敬意を捧げます。
 彼は日本のフェミニストたちがどうしてこうもダメなのか不思議で過去の文献を大量にあたった。平塚らいてふ(1886〜1971)(明治19〜昭和46)の本を読み、避妊への嫌悪を知り、驚愕したって。
かつての避妊の先駆者マーガレット・サンガーも、国家権力や保守派と闘うだけじゃなく、一般大衆の避妊への罪悪感や嫌悪感とも戦わなくてはならず、さらに女性の人権を主張するフェミニストたちの中の避妊への嫌悪感をもっている反対派たちをも説得しなくてはならなかったのでしょう。
 日本でも、マーガレット・サンガーの来日と講演会で刺激された左翼たちが産児制限運動を開始したけど、一般大衆は避妊情報を得られると大喜びで殺到したというよりも、避妊への嫌悪を罪悪感を抱いていたのでしょう。国家権力の弾圧だけじゃなく、一般大衆を説得するのも大変だったのでしょう。
 私もさっそく図書館で『原始、女性は太陽だった』を読みました。もうビックリ! 
 ほんの何十年か前なのに、こうも世の中の道徳が変わるか!

 かつての女権論者たちは、避妊に嫌悪をいだいていた。

 平塚らいてふは、新しく女性たちだけで雑誌『青鞜(せいとう)』を発行し、守旧派の男性たちから「過激」と忌み嫌われ非難をあびました。又、男性たちだけじゃなく、女子大学の学長の女性たちからも読みもせずに忌み嫌われました。既存の男性中心社会で「良妻賢母教育」で地位を得た女性たちが、新しく出てきた女性たちを忌み嫌うってよくある構造。同じ女性でも決して一枚岩なんかじゃなく、立場で利害関係が分かれいがみあうって、今でもよくある構造。

 守旧派たちから脅威をいだかせたほどのインテリで新しい女性、平塚らいてふ。彼女でさえ、あの当時は避妊に罪悪感をいだき肯定できなかったのですね。

 平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』「堕胎論議で発禁」から引用してみましょう。

堕胎論議で発禁

 妊娠の事実は、いまさらのように、いろいろなことを考えさせます。みごもることのよろこびが、いっこうに胸にこないのはつわりの苦しみばかりではないのでした。
 母となることにも、自主的でなければならない。すべての婦人が母になるについて、自由をもつべきであるという考えのもとに、恋愛を肯定したのににも、なお母となることを避けてきたわたくしですが、それが、子どもがほしくなければ、自制すべきだという考えに支配されがちなわたくしは、全面的には避妊を受けいれかねるという、はなはだ不徹底な態度の結果、母となる十分の条件がととのわないうちに、心ならずも、母となる日を迎えることになってしまいました。それが、自分たち二人を、こんなに幸せにしている愛情の創造物であるということを知りながら、限りないよろこびとして受けいれることのできないのは、なんという矛盾だろうと悲しくもなります。
 つわりの苦しみに耐えながら、毎日、暗い思いのなかで、こんな貧乏のなかで、子どもが育つものだろうか、子どもを育てながら、自分たちの仕事が、勉強がつづけられるだろうか、個性を伸ばそうとする自分の生活と、母としての生活との間に調和がえられるものだろうか、こうしたさまざまの前途の不安が、やなり母となることを恐れさせるのでした。

 こんな思いのとりこになっているとき、たまたまやはり妊娠中の原田皐月さんが、わたくしとおなじような悩みのなかからまことに大胆な堕胎肯定論を、その月の「青鞜」(五巻六号9誌上に発表しました。それは、「獄中の女より男に」と題するもので、妊娠中のある夜の夢からヒントをえた創作だそうですが、堕胎罪をおかした女が、獄中から男にあてた手紙の形をとったものでした。

「女は月々沢山な細胞を捨ててゐます。受胎したといふ丈けではまだ生命も人格も感じ得ません。全く母体の小さな付属物としか思はれないのですから。本能的な愛などは猶さら感じ得ませんでした。そして私は自分の腕一本切って罪となった人を聞いたことがありません。」
親は始めから自分の継承者を世に出すなんて事は少しも意識しないうちに子供を産みます。少なくとも私はさうでした。そして勿論子供から産んで呉れと頼まれた事もありません。そんな無意識のうちに不用意のうちに、尊い一箇の生命を無から有に提供すると云ふ事は、然も其責任をまだ当然持ち得ないと自覚して居たとしたら、此れ程世の中に恐ろしい事があるでせうか。」
「罪を認めて居るものは法律で私ではなかったからです。」

 皐月さんのいおうとしていることは、けっきょく親として満足できる状態でないかぎり、親になるべきではない。そのためには堕胎もやむを得ない。それが法律にふれることであっても、自分の新年に従うほかないということで、いかにも皐月さんらしく、思いきったもので折が折だけに、わたくしも、相当ハッとした思いで一気に読んだものでした。

 女性が堕胎罪で刑務所に入れられていた時代のことです。堕胎罪は今でも残っていますが、中絶がある特定の条件付で法律で容認になったのは、アメリカとの敗戦後のことです。

 避妊への嫌悪。まだ子どもがほしくないくせに避妊せずにセックス。そして妊娠。まだ産みたくないから中絶して楽になりたい。
 そういうのが、あの時代の女性たちのやり方だったのでしょう。まずは避妊なんかよりも中絶への希求が先だったのですね。

 原田皐月の堕胎肯定に対して、編集者の伊藤野枝が批判。 

 まあ、私も、原田皐月のあの物言いにイヤなものを感じますけどね。
 自分の身体をどうしようと自分の勝手だ。お上に処罰させられるいわれはない! それは私も同意権だけど。酒、煙草、麻薬も自己責任で利用可で、警察が処罰すべきではない。ピルも自己責任で利用するもので、法律での禁止や規制には反対。中絶も、自己責任で、法律で犯罪にするものではない。
 でも、もう少し物言いがあるでしょう。こら、反感まねくわな。

 そうそう。「生田花世と安田皐月の「貞操論争」」
 生活苦から逃れるためには売春容認と主張したのが、西崎花世(後に詩人、生田春月と結婚)。
 安田皐月(後に宝塚歌劇団創設に関わる原田潤と結婚、離婚、自殺)は例え餓死しても売春反対。
 『青鞜』誌上で論争になりました。
 翌年(大正5年)には、安田皐月は妊娠し出産の恐怖から堕胎肯定して発禁処分。こういうところがな〜・・・。自分が出産の恐怖におちいると、堕胎肯定になるというところが、勝手というか。苦しみから逃れるためには、売春容認、堕胎容認なら首尾一貫しているんだけどねえ。自分は売春することは決してない者のおごりでしょうな。この人には、魅力が感じられず、他の弱者への想像力もなく、ただ単に自分勝手なエゴイストな匂いがするなあ〜。

 

(国禁の堕胎に対して、正面から挑戦した皐月さんのこの文章によって、「青鞜」五巻六号は、久しぶりに発禁処分をうけました。)

 

 

皐月さんのこの堕胎論に対して、エレン・ケイの母性主義を信奉する山田わかさんは、真正面から反対し、四周年記念号(五巻八号)に「堕胎に就いて」の一文を寄せました。
「私は堕胎も避妊も等しく大きな罪悪だと思います。
 個人の幸福、並びに国の栄を破壊する大きな不徳です。配偶を持つのは自由、天から付与された、人の権利なのですが、併し権利は享有して、其れから必然わいて起こる結果を処理する義務を逃れようとするのは最醜悪な卑怯です。」「人間以上の力がつくった生命を殺し、のみならず親の生命をも危うくするやうな事柄を、人命財産の保護を標榜して立っている国家が、正当として許す事が出来ませうか・・・・」と、法の立場を支持する意見を述べています。

 

すごいですねえ〜・・・。

山田わか【私は堕胎も避妊も等しく大きな罪悪だと思います。】

今の時代からしたら、山田わかの主張は、すごい極端に思われますよね。

でも首尾一貫していることはしている。「ピルを解禁したら性が乱れる」だなんて主張は、なぜピルだけを悪者にする? 同様にコンドーム等他の避妊全ても全面否定するのでしょうか? 

 

 皐月さんの、あの当時としては大胆不敵とも思えた堕胎肯定にはじまった一連の堕胎論議も、妊娠中絶という言葉で、平気で行われている今日の時代からしたらは、どのように見られ、受けとらることでしょうか。
 避妊問題についても同様です。一般的には、実際問題として肯定しなければならないと考えても、自分がそれを実行するということにはどうも抵抗がありました。いまは避妊は当然の個人の権利というように考えられていますが、当時はそうした視野はなく、まだ社会問題として論ぜられてもいなかったし、避妊の方法など実際的な知識を与えられる機会など全くなかった時代(「貴方の友」とかいう避妊薬のあることなどをなにかで知っていた程度でした)ですから、極めて不自然な、自分たちの愛を汚すような醜悪な感じがあって、そんなことをするよりもお互いに自制した方がましだという考えがあったように思います。日本で避妊が公然と社会的な問題となったのはサンガー夫人の来日(大正十一年)以降のことです。

 

驚きです。

平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』四巻の年表を読んでみましょう。

1886(明治19)年   出生 東京の高級官僚のお嬢様。
1911(明治44)年 25歳 『青鞜(せいとう)』創刊。創刊の辞「元始、女性は太陽であった」を発表。このときより「らいてう」のペンネームを用いる。
1914(大正3)年   家を出て、奥村博と同居。結婚制度に反対し婚姻届を出さない、今で言う事実婚(1941年に55歳で婚姻届を出し奥村姓になった。お墓も一緒)。
1915(大正4)年   五巻一号より、『青鞜』の発行権を伊藤野枝にゆずる。長女出産。
1917(大正6)年   長男出産。
1919(大正)年 30歳 『青鞜』売上不振で六巻ニ号以降無期休刊。
1922(大正11)年 36歳 マーガレット・サンガー来日。平塚らいてう36歳です。
1971年(昭和46)年 85歳 死亡。

なんと当時としては過激な女権論者であった平塚らいてうでさえ、マーガレット・サンガー来日の36歳まで避妊の知識もないまま出産し避妊の権利など思いもよらなかったとは!

時代は変わる。人々の意識も変わる。今時、「避妊は罪悪」だとか主張しても嘲笑されるだけでしょう。

晩年の平塚らいてうも、かつての山田わかのあの避妊反対の主張など、戦後世代にとってはあまりにも奇異なものでしかないということはよく分かっていました。自伝で、山田わかの避妊反対の主張を、子供ができなかったからとかなりかばっていました。それでもね〜・・・。

 私も昔は、宗教信者ってや〜ねってだけしか思ってなかったのね。でもこれ、宗教信者だけの問題じゃないのね。
「ポット出版」HPでの松沢呉一の連載が傑作なんだけど。彼は、明治・大正・昭和時代の女性の権利を訴えた女性たちの本を大量に読破して発見したんだけど。平塚らいてふ「避妊してセックスするのは、愛を汚すことで、そんなまねをするぐらいなら、セックスしないほうがましって思ってた」ってなことを書いていたのには驚いたって。昔は、大勢のフェミニストたちが、避妊に猛反対していて、ほんの何十年かで道徳は変わる。平塚らいてふでさえ、時代が変わって、かつてのフェミニストたちが避妊に猛反対していたなんてこと、今の時代の人々には時代錯誤に思われるって理解していたから、なんとか必死で擁護していましたけどね。

 今でも、こういう考えの女性たち、いますよ。それか、基本はこれで、さらに今の時代風に改定されたようなのとかね。私は、全く別の考えですけどね。
 それと、セイフ・セックスに反対していた方もいます。同じエイズにかかってもいいってぐらい愛しているって人としかセックスするものではないって。それで同じエイズにかかっても一生添い遂げたらいいのではって。

 アメリカでは、「コンドームで性病予防だなんて性が乱れる」ってコンドームに反対する勢力がいます。「性病治療とか性病治療法の研究開発とかは性を乱れさせる」って反対する勢力がいます。

 モラルは、人によって、あまりにも多様すぎるから、特定のモラルを他の人々に強制するのはダメだと私は思いますよ。あるモラルを持っている方が、他の方々に影響を与えて、それが世の主流になっていくというのなら、いいんですけどね。ピルやコンドームやセイファー・セックスの全面禁止は、他の人々への一方的なモラルの押し付けですしね。

 


マーガレット・サンガーの謎

避妊への罪悪感
女性のセックスへの憎悪

女性の人権、女性の性の解放のための避妊技術や情報伝達だなんて、資金が集まらない、政治権力にはならないでしょう。存在したことはいたけど、歴史の藻屑となって消えたのでしょうね。

マーガレット・サンガーが大金持ちたちからあれほどの資金提供を受け、政治的にメジャーになれたのは、はっきり言って、上層階級に媚び、優性思想や下層階級蔑視という欲情との結託をしたからでしょうね。

今のアメリカのメジャーな政治勢力
反避妊・中絶のゴリゴリ保守 VS 避妊と中絶の自由(+その実、上層階級に媚びた優性思想)

 

日本でも、古くから代々続く名門の医者で、避妊リング大田リングの開発者、戦後の政治家、大田典例。実は優性思想。

避妊や中絶の合法化を訴えた政治家たちは、優勢思想で、身体障害者を中絶するのをテコにして法案を通過させることができたたのですね。


日本独特の「モラル」 



 1945年の敗戦後、権力に容認されたのは、粗末な避妊(コンドーム、子宮内避妊具等)と中絶手術が先。

 そして1960年代以降に 「近代的避妊(ピル、子宮内避妊具、注射法、埋め込み式などなど)」が欧米で開発されても、日本では中々解禁されなかった。

 容認された中絶と避妊。禁止された避妊

 高級官僚様が容認なさったもの、高級官僚様の禁制のもの

 人々は高級官僚のなさることに平伏す。意識にすごい影響を与えられる

 日本の男の意識「中絶暦のある女と、避妊用ピルを飲んでいる女とでは、まだ中絶暦のある女のほうが可愛げがある。ピル飲んでいる女は遊んでいそうでイヤだ」

 避妊も中絶も反対の方
 避妊は容認、中絶は反対の方
 避妊はピルは反対、ピル以外の避妊(コンドーム)は容認、中絶は容認 ←日本独自の考え
 避妊も中絶も容認の方

 ピル反対派が「実は中絶も法律で反対すべきだという考えをもっている」というのは、日本ではそれだけでアウト!

  ピル反対派が「実はコンドームも含めてあらゆる避妊に反対」「コンドームは女性の身体に危害を与え子宮ガンになり、コンドームを過去に利用したことのある女性は、将来妊娠したら胎児が身体障害者になる可能性が高い」なんて主張したら、日本ではアウト!

 日本では、戦後、中絶がイビツな形式とはいえ容認され、何十年もの間、年間何十万人もの女性たちが中絶をしてきたという歴史の積み重ねがある。それがいいか悪いかなんてない! 中是経験のない者たち(含む私)も実感として感じている。今更「中絶は身体に危険だ」「禁止しなくては」なんて主張してもしょうがない。

 又、コンドームによる避妊も心もとないとはいえ、戦後何十年にも渡って利用されてきた。それが今更「身体に危険」「禁止しよう」なんて主張されてもしょうがない。

 



ピルを飲む女性

 ★ 腐れ淫乱
 ★ 男性に強制された哀れな女性

 どちらも、あまりにも無茶な二元論です。女性が自分から「セックスしたい、でもまだ子供はほしくないから避妊したい」という気持ちを肯定していない。

 日本の男の意識「中絶暦のある女と、避妊用ピルを飲んでいる女とでは、まだ中絶暦のある女のほうが可愛げがある。ピル飲んでいる女は遊んでいそうでイヤだ」

 日本のフェミニストってどうしてああもクソばっかりなんだ〜? 日本のクソフェミニストたちこそが、男性中心社会で植え付けられた性への罪悪感を疑いもなく身につけている。クソフェミどものピル解禁反対の論理がそうだ。

 匠雅音HP榎木美沙子『ピル』1973年書評

わが国のフェミニズムは、女性は弱者であり、被害者だと主張し続けた。そして、女性がセックスを楽しむことから、目をそらし続けた。そのため、女性が主体となるという発想は、とうとう生まれなかった。

 本書の刊行から26年後、1999年の6月になって、やっとピルが解禁された。それも女性運動の成果と言うより、バイアグラの発売を急いだ厚生省の対抗措置といった傾向が強かった。ピルは女性の意志だけで、男性に気づかれずにできる画期的な避妊方法だった。しかし、わが国のフェミニズムは、いまだに女性がセックスを謳歌することを許さない。セックスで女性も男性と対等になるためには、女性の主体的な避妊が不可欠でありながら、目をそらし続けている。だから、いまでもピルについて語りたがらない。


 匠雅音『性差を超えて 働く女と男のための栄養剤』(新泉社)1992年 →「第二部 性交の社会学 11・大胆な避妊」 HP転載

 工業社会までの女性にとって避妊は、性交の時になって、はじめて考えることであった。性交するかどうかも判らないのに、常に避妊していることは、常に性交を予期していることである。それは男性の領域を犯すことだった。常に避妊した体をもち、性交の主導権を握ろうとする女性は、色情狂のそしりを免れなかった。もちろん、妊娠させても男性には何の責任もない売春婦は、淫らな存在そのものであった。例外は、片時も性交せずにはいられない、盲目で情熱的な恋人たちだけだった。

 工業社会までの性交は、男性から誘うものであった。だから、必然的に避妊の役割も、男性にあった。避妊に失敗し、女性を妊娠させると、男性は責任をとれと、当の女性からだけではなく、社会から要求された。今まで、多くの女性にとっての避妊法とは、性交を拒否することしかなかった。

性交は両性が平等にかかわるものだから、男性からしか誘うことしかできないこと自体が不自然である。台頭する女性は、人間性の全的な回復をめざした。男性と同じ性交する自由の獲得も、同時にめざした。そして、それを獲得した。それと同時に女性も、避妊の役割を男性と同等に、引き受けざるをえなくなった。その時、科学の進歩は、避妊するために、性交の時に特別な手続きをなくすことに、とうとう成功した。ピルによって、性交と避妊が関係なくなった。ピルによって女性は、常に避妊している体になった。

 

匠雅音『近代の終焉と母殺し』 HP

 男性が神を殺して以降、男性は好色となったが女性は淫乱にとどまった。しかし、女性が神殺しに参加してからは、女性も好色の世界へ入った。だからフェミニズムは、女性の性意識を観念の支配下へと誘い、

「はてしなく欲情し、はてしなく奪え!」123

と、女性も男性と同じ性交の自由、つまり性交しても妊娠しない体を求めて立ち上がった。ちょうどその時、偶然は女性に味方した。手軽で確実な避妊方法つまりピルの登場が、女性の好色さを支えて、それを加速したのである。ピルをのめば妊娠しない。ピルによって、それまで男性だけに許されていた性交の自由が、女性にも解放され始めた。わが国ではやっとピルが解禁されてた状態だが124、西洋諸国では女性は性交しても妊娠しない体を、すでに獲得している。

 情報社会の入り口に立ったわが国でも、やっとピルが解禁され、女性にとっても性交は観念の支配下に入り、女性も確実に好色化している。その社会的な表現が、純潔貞操教育の放棄であり、処女性の嫌悪であり、売春への素人の参加であり、出生率の低下である。すでに男たちは父を殺している。今、母が殺されている。近代の入り口で、男性が神を殺し父を殺したとすれば、電脳的機械文明の誕生と共に、女性が母を殺し神の死にとどめを刺している。

 

松沢呉一『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)2000年
これは、売買春否定派を徹底批判した本。だけど、売買春否定派の論理は、ピル解禁反対派のクソぶりと一緒だ!

その筆頭が、宗教を根拠としたそれである。(中略)

続いて、既得権を失いたくない多くの男たちとそこに媚びる女たちの立場だ。(中略)

そして、もうひとつ、最もねじれて矛盾に満ちた立場がある。表向きは家父長制度を批判し、男女は平等であるべきとしながら、売買春を否定する立場だ。特に女たちに加えられてきた性の抑圧は、今も人々を呪縛している。家父長制度を壊そうとする女たち男たちが登場したことはいいとして、彼らは売春をする女たちを蔑視しないことでこの構造を否定するのではなく、売春をする女たちをなきものにすることでしか否定し得ないと信じ込んでいる。この点では、やはり売防法を支える発想でしかなく、売防法が一体どれほどの効果があり、どれほど女たちを解放し得たかを考えればおわかりのように、この発想は女性に加えられた性の抑圧を解くものでは決してない。
(中略)
彼らは「フェミニストだから、人権主義者だから、売買春、性労働を否定する」と思い込んでいるふしがあるが、そうではない。彼らは性の抑圧者だから、否定するのだ。

 

 

 


村の無礼講、夜這い、祭りの乱交
都会の性の乱れ

近代化の、女性への純潔教育

最近になって、「若い女性の性の問題」が大々的に取り上げられるようになってきた。

若い女性の「性の乱れ」の要因

★ 都会化
 人口の密集、匿名化、出会いの簡便さ・即時の進化、便利な道具の開発(携帯電話、PCの出会いサイト、)
★ 個人化
 個室、一人暮し、一人一台の携帯電話、PC。

そして女性ならではの要因
★ 女性の経済力の獲得
★ 経済力がない若年者でも、女だと、かわいければ、いくらでも男が(若いのからジジイまで)押し寄せる。男が経済的負担を負うから、若くてかわいい女は経済力なくっても、セックスの機会がある。
 逆に、経済力がない若年者でも、男だと、女ほど機会にはめぐまれていない。女が(若いのからババアまで)押し寄せて経済的負担をおってでも交際するのが少ないからね。

 

 都会には、全国、全世界中から大勢の人々が押し寄せてくる。全く見知らぬ者同士がひしめき合っているという状況が成立する。孤立した閉鎖空間の村落だったら、お互いが見知った者同士で、普段からのツキアイがあるからハメがはずせない。都会化がすすむと、自分の日常とは離れて匿名で、赤の他人とすぐに出会える。こういう状況があるから、性の乱れは加速した。

 それと、出会いのスピードと匿名性の確保。昔は雑誌での文通欄だったけど、匿名での文通を編集部が手紙を転送するというシステムもできた。知らない者同士の出会いや匿名での出会いが商品化された。しだいにスピードが増し、テレクラ、Q2、出会いサイトなど、その便利さがすごい。

 個人のためだけの携帯。PCなど。
 昔は一家に電話は一台で、親兄弟のこともあり恋人との電話は気軽にやりとりできなかった。ところが一人一台の電話(それも留守録やメール機能つき)なので、親に知られない個人の出会いのための簡便さがました。

 親は、自分の知らないところで、子供たちがセックスしているかもと怯えている。

 性が乱れるからって、携帯電話の個人所持などを禁止するか? 私はそんな考え、絶対支持しませんよ。その他、出会いのための便利な道具全てを禁止するか? 
 都会での人口密集をなくそうとするか? 匿名で出会いができる便利さをなくそうとするか? 

 

「男の性の乱れ」をなくすために、という名目で、

 

世の中の性の乱れ

 

 

 

 「性が乱れるから、ピルの解禁を禁止する」って考えには絶対反対!



女の格差


★ 若さと美貌

大勢の男が殺到

男に経済援助をしてもらう。

恵まれたのが、いい男で金持ちに経済援助をしてもらった上で、セックスをする。
それかオヤジから稼いで、その後若くてかっこいい男との楽しい一時を享受する。

★ ごく少数の金持ち女


★ ほとんどの女は、性的に清貧・・・



男の格差

昔は、政治経済の強者の男性が、女の独占体制だった。

でも今や、若い女の性の解放で、若くてかっこいい男性だと貧乏で社会的地位がなくっても、女との性を得る機会が拡大した。

若くてかわいい女の子は、男が殺到し、経済援助とセックスの両方を得る

男だと、若くてかっこいい男の子でも、女に経済援助をしてもらうのは中々大変です。


若くてかわいい女の子はセックスの機会充実

男は、今でも格差が厳しい



 女性は未だ、性が乱れるほどのパワーを、男性が持ってるほどには、持つにいたっていない。

 身動きするにも、何をするにもまず金がいる。個人化が必要

 

 男はコンビニに行きゃあ、セックス産業のガイドブック「18歳美少女」「巨乳」「女子大生」と、ありとあらゆるアイテムがザクザクのつかみ取り。『BUBUKA』『裏ナントカ』では、東南アジアで18歳未満と安い金でいくらでもセックスできるガイドブックあり。

 

 

 

 若さ、美貌のある女が、一人暮しで経済力をもち、自由奔放に美少年と遊べるか?

 若い女は、経済力をもとうとしてもナカナカ・・・

 若さ、美貌のある風俗嬢が、汚いオヤジ相手にして金を儲け、ホスト遊びをするって話をよく聞くけど。

 

 女の性の乱れを防止するために、女性から経済力を奪うっていうのには反対!
 男性も、権力による規制が、自分にもまわってきますよ。

 


★ 乱れた性を享受できる女なんて、若くてキレイな女だけだ! 年いったブサイクな女には縁のない話だ。

 

 私は、自分が性の乱れを享受できるなんて全く思っていない。

 男はブサイクでも年とってても、いくらでも性の乱れを享受できる。

 

 私はもてません。年齢は30代後半。もてない若くない女性には、どうやって性が乱れるかの方法すらない。

 セックスできるのは、若くてきれいな女だけだ。

 若くもないキレイでもない女は、 ホストが勃起できるのか?という不安と恐怖

 男は、女が股さえ開いてくれれば性交可能という身体の機能なので不安も恐怖もなし。

 


性が乱れて何が悪い! 性の解放だとも言える

 

 若い女性の性の解放と活発化に憎悪をいだく方々。

★ もてない異性愛男性。

★ もてない異性愛女性
その中でも、結婚し、自分は浮気など思いもよらず、夫の浮気におびえている主婦たち

 

 

 ゲイ雑誌『QUEER JAPAN』で「魅惑のブス」って特集が感動的だった。

 丸尾音々『ブスとおばさんの彼岸 ―― ルサンチマンを乗り越える居直り人生のススメ』が傑作ですよ。
 丸尾音々は、売買春否定論者の中には、本音にはブスやオバサンのルサンチマンもあるってことをあからさまにして、自分もその気持ちはよ〜く分かるって言った上で、でもそれは結局は性の管理を後押しして、女性の窮屈な現状を維持するだけだって。で、女性も男性並に性を享受できるようにするべきだって。つまり、女性も買春できるようにするべきだって! すごい! すごい! ちなみに、彼女のHPは→コチラ

 私は、彼女の文章を読んで、スッキリと頭の中が整理された。
 彼女が述べているのは、売買春反対論者の女性たちについてです。が、私は、ピル解禁反対論の女性たちについても当てはまると思いました。

 これから、私が述べるのも、ほとんど彼女の影響下にしかないものだと、あらかじめ申し上げておきます。