以下のページはかつてSA様がHPで披露なさってました。今現在はそのHPは終了なさいました。私が影響を受けた部分を、SA様から からいただきました。ありがとうございました。 

 


以下、転載

避妊の歴史(概要)

 歴史、と言っても聞きかじりの知識しか持ち合わせていませんから、概略だけを説明します。

 

 発情期を失った人間

 避妊への要求

 避妊の禁止

 産業革命と女性の地位低下

 女性を守る為に

 女性解放運動

 日本での動き

 


 そもそも、人間がセックスを「楽しむ」ようになったのは紀元前7千年頃と言われています。 このころメソポタミアで農耕文化が起こり、食生活が安定した為に1年中子育てができるようになり、 このため「発情期」が消滅します。 これによりセックスの主目的が「生殖」から「快楽」へと変化しました。

 これ以前は、洞窟などに残された壁画にも、セックスの体位というのは1種類しかでてきません。 しかし、このころから記録される体位のバリエーションも増え、「楽しむ」セックスが始まったことがわかります。

 紀元前4千年には、売春の記録が残っています。 メソポタミアの神殿で、旅行者をもてなす為に尼僧がセックスの相手をしたのがはじまりで、 やがて神殿はセックスを求める男が集まる場所となり、その対価は神殿の重要な収入源となっています。

 このような宗教施設では、売春は「神への奉仕」と考えられました。 古代バビロニアでは、どんな女性でも一生に一度は売春をすることが義務付けられたほどです。


 このようにセックスを「楽しむ」ことが目的になってくると、子供ができることが問題になるようになってきます。そのための避妊術は、紀元前1600年頃現れました。

 エジプトで、アカシヤの木の粉を布に含ませ、子宮口にあてがう形の避妊器具が発明されます。アカシヤの木の粉は弱酸性のアラビアゴムを含み、精子を殺すことが出来ました。現在で言う「ペッサリー」の元祖です。

 その後、さまざまな避妊方法が開発されます。豚の腸で作ったコンドームなど、まともなものもありますが、大抵は「ライオンの子宮を持っていると避妊に効果がある」などというおまじないの域をでません。


 しかし、まともな避妊方法が普及すると風紀が乱れたり人口が減ったりして、慌てて避妊が禁止される、 と言うような歴史が続きます。中世まではまだ「労働力の多さが国力」だった時代です。 売春が奨励されたり、夫婦間に子供が出来ない時は、妻を他の男に貸し出してでも妊娠させることを 法律で強要されたりする時代が続きます。

 そうするうちに、「避妊」というのは、国家にとって危険な技術だと認識されるようになります。 中世から近代にかけて、避妊術は特権階級だけが知り得る秘密であり、このことを庶民に伝えた人間は罰せられるようになります。

 特に産業革命後は働き手を確保するため、子供を多く産むことが奨励されました。 避妊と言うのは、犯罪以外の何ものでもなかったのです。


 しかし、この時代はまた、女性にとって受難の時代でもありました。

 それまでは自分のペースで働けたのに、工場では朝から晩まで、15時間も安い賃金で働かなくてはなりません。 都市には人口が密集し、衛生状態も良くはありませんでした。また、都市の鮮度の悪い食べ物では、栄養状態も片寄っていました。

 やはり遅くまで働く男の側にも娯楽が少なく、セックスを求める男と言うのは数多くいました。

 悪い衛生状態、片寄った栄養、疲れた身体。 そして、そんな状態での妊娠。出産の苦しみに命を落とす女性も数多くいました。 この時代、出産は死と隣り合わせの危険を持っていたのです。


 この間にも新しい避妊技術は生まれていました。 工業の発達によって可能となった、ゴム製のコンドーム(1844年発明)などがその代表です。

 「避妊の方法がある」と言うことを女性に伝えることは、当時犯罪でした。 しかし、一部の医者は女性の身体を案じ、コンドームというものの存在を女性に伝えます。 コンドームは瞬く間に普及しました。

 しかし、問題はまだありました。値段が高すぎるのです。 女性の側からすれば命に関わる問題ですから高くても欲しいところですが、 なにぶんコンドームは「男性の協力がなくては」意味のない避妊器具なのです。 そして、世の男性の多くは避妊に無関心でした。

 この状況に見兼ねたドイツ医師が、女性が自分の意志で使え、 経済的な避妊具の開発に乗り出します。実験をくり返し、40年ほどかけて「ペッサリー」を作り上げます。 これは、ピアノ線と綿を使い、精子が子宮口より先に到達しないようにする器具でした。

 ドイツ人医師は、新しい避妊法の発明により犯罪者とされ追われるようになります。 そこで、市民の力が強く避妊が罪でなかったオランダに逃亡し、そこでこの新しい避妊方法の普及に勤めます。 この「女性が選択できる避妊方法」は、女性の圧倒的な支持を得て世界中に広まります。


こうして「妊娠を自分の意志でコントロールできる権利」を手にしたことは、 女性解放運動に大きなはずみをつけます。これまでは「男性の従属物」として扱われてきた女性が、 自分の身体のことを完全に自分でコントロールできるようになったのです。

 避妊は、単に「妊娠を避ける」ための方法ではなく、 女性が自らのアイデンティティを確保する為の武器となったのです。

 注:本稿の主題はこの部分です。欧米では避妊は「女性の基本的な権利」 として考えられているようです。 しかし、日本では避妊は「男性側の責任」、 それも「妊娠してしまったら、その時に責任をとればよい」というように、いい加減に考えてられている節があります。

 その後、1930頃には荻野式避妊法が、1955年には経口避妊薬(ピル)が発明されます。

 

 ここまでの流れでわかるように、ピルもまた、「女性の基本的な権利を守る為の手段」として迎え入れられます。

 実際、ピルの避妊率は、これまでのどの方法に比べても高く、ほぼ100%とも言われるほどです。 しかも、相手の男性には、避妊法を講じているかどうかすら知られることがありません。 「妊娠を自分の意志でコントロールする」と言う目的にはもっともかなった方法なのです。

 このページを執筆している 1999年3月4日、日本でもどうやらピルの解禁に向けて動き始めました。 その賛否ははっきりと別れています。

 本稿ではピルそのものの使用に対する賛否は扱いません。 しかし、私個人の意見としては、ピルの解禁は行うべきです。

 

 ピル反対派の掲げる、ピルの危険性・・・実際の死亡例があることや、 解禁賛成派の言う「安全性」が、実は詭弁であることなどは、客観的に見て事実だと思います。 コンドームの方がよほど安全な避妊技術だ、などという論調もあながち間違ったものではないでしょう。

 しかし、日本ではまったく語られることのない、「女性解放の戦いとしての避妊」を考えると、 ピルの安全性がどうだとか、避妊率がどうだという議論は、まとはずれな意見であることがわかると思います。

 重要なのは、ピルが単に「コンドームよりも便利な避妊方法」であることではなく・・・ これが、「女性の側から」選べる避妊方法だと言うことなのです。

 

 

参考文献:世界史年表  KappaBooks/吉岡力 昭和44.3.10発行

(ページ作成1999/ 3/ 4)