性大戦争


欧米の血みどろの宗教戦争 
→ そして政教分離への歴史





権力者が特定の性を全国民に押し付けをすると

 → 誰が権力の座につくかで性の政策が極端に変わり国民の性生活が極端に変わらされて

 → 血みどろの性戦争へと何百年も戦いになって

 → 多くの国民達がもうウンザリして

 → そしてやっと、政治と性とが分離の「政性分離の原則」へと発展するのでしょうね







ゲイの伏見憲明『欲望問題』(ポット出版)で、ジェンダーフリーを主張する方々を批判した。 
 その本に対する書評を多くの方々にお願いし、たとえ厳しい批判でも、ポット出版のサイトで掲載している。

 その一つ、松沢呉一が「ジェンダーフリーで何が悪い」「伏見憲明がジェンダーフリー教育を批判するだけで他に展望も示せないので保守反動にしか思えない」と徹底批判した。

松沢呉一が伏見憲明『欲望問題』への書評で徹底批判。それをポット出版のサイトに掲載したのは偉い!

松沢呉一の人間性の素晴らしさと誠実さ、相手に対して真正面から向かい合い、愛情と優しさがある。

それに比べて、伏見憲明『欲望問題』への書評で作家・岩井志麻子の人間性の低俗さと悪さが分かりました。ガラの悪い岡山弁で、学校優等生の言語とは違う本音をさらけ出す芸風のつもりなんだろうけど、ただただ頭の悪さと人間性の悪さが明らかになっただけ。大阪弁のイヤラシサと芸風が一緒、私も大阪人だから、大阪芸人の下品で低俗な芸にウンザリしてきたから。コテコテの大阪弁でドテドテモチャモチャとして言葉で喋ることでギャグをとろうとする甘えた芸。

伏見憲明も、だからこそ、松沢呉一から徹底批判されたけども、そこにはまだ愛情のある批評をしてくれたというのを感じて、松沢呉一をゲストによんでトークショーをしようと受け止めたのでしょうね。


松沢呉一がそれをさらに発展させて、メルマガで教育現場でのジェンダーフリー教育問題について意見を書いていた。

★ 学校の教育現場で、学校の教育者が特定の思想を生徒達に押し付けるな。未成年者の場合、親に教育責任があり、親の教育が重視される。

★ ジェンダーフリーを主張する方々は、中途半端で腰砕けだから、そこを保守派からつかれて腰砕けになる。


フランス留学した及川ケンジによると、
フランスでは、かつて学生運動が勃発し、寮が男女共同になったとか。シャワーもトイレも個室で共有で、シャワー室からバスタオルだけをまとった女子大生が出てきて驚いたとか。
ところが日本から留学してきた日本人女子大生達には受け入れられず、日本女性たちからの要望を受け入れた日本人たちが日本女性専門の寮を開設してそこに棲むようになってきたとか。
フランスには女子大というものがない! 女子大というもの自体が男女を区別して女性を弱者に固定する元凶で、そこを批判しない女子大学教授のフェミニストはダメ。


松沢呉一はそこまで徹底している。




政治から宗教を分離する「政教分離」の原則。公教育から宗教を分離するという原則。
これらについては一応の合意が得られている。

公教育で、ある特定の宗教を全校生徒に校則として押し付けたり、必修科目の単位として押し付けて、これをしないと進級や卒業資格が得られなくするとかは絶対してはいけません。
教育と宗教の分離とは、権力が生徒の個人の私生活での宗教を弾圧をして無宗教を押し付けることなんかではなく、あくまでも権力が特定の宗教を絶対として生徒に押し付けないこと。学外の個人の時間では個人の宗教活動は自由ってこと。

「クリスマス・パーティはどうなのか?」「歴史的名所の寺社仏閣を観光するのはどうか?」とか細かいことををあげつらえばキリがないけど。

それと同様に、公教育から特定の性を押し付けないこと。学外での個人の宗教活動が自由なように、学外で個人がどのような性を選択して生きようとその個人の自由。


でも、ジェンダーフリーのことになると、なぜ細部で細かい揚げ足取りをして全面否定しようとするのか。





欧米での血みどろの宗教大戦争、そして政教分離へと至った歴史的経緯


 私は、まずは欧米のお姫様のコスチュームものから歴史物語へと興味が移った。
 洋画でヒロインの時代物のコスチュームものにウットリしてけっこうチェックしてきた。『王妃マルゴー』『1000日のアン』『エリザベス』などなど。ドレスにウットリして内容はよう分からなかったけどいい。
 歴史小説で、桐生操『王妃カトリーヌ・ド・メディチ』『王妃マルグリット』、『メアリ・スチュアート』、ロシアものだけどアンリ・トロワイヤ『女帝エカテリ−ナ』

これらは物語の芯に政治権力闘争と宗教戦争があるんだけど、日本人の私にはそこがイマイチピンと理解できなかった。

それとか物語の背景でよくあるパターンで、フランスとか欧米の洗練された大国で、洗練された文化人が宗教弾圧で国外亡命しへんぴな発展途上国に洗練された技術を伝える話とか(映画『バベットの晩餐会』その他)


ある学者の西洋の歴史解説が面白かった。
「日本人には、政教分離の原則という言葉がピンとこない。
西洋では、過去の歴史上、どの宗派の信者が王座につくかで国政がガラリと変わり、他の信者たちが弾圧され、国民が振り回されてきた。そのために信者たちが同じ信者を権力の座につけるか、それができないと自分たちまで身の破滅だからと血みどろの権力闘争になってしまった。
その争いに国民が嫌気がさしてきた。だから政治の世界から宗教を分離しようという動きになった。
日本ではそれがなく、長いこと鎖国していてたのが開国していきなり西洋のマネから近代化が始まったからなかなか実感がわかない」






★ 男が勃起しなくなると困る。
★ 女がセクシーになると困る。
この二つの全然相反する考えをどうするか?



 ゲイの伏見憲明が「ジャージ姿の女なんかじゃノンケ男(異性愛者の男性)は欲情できないだろう」とわざわざご心配なさってくださったこと。
なんでゲイがわざわざご心配するのだろう?

松沢呉一は、「ゲイが考えたヘテロ男イメージだけで決め付けてるけど。クラブでジャージ姿の若い娘達なら私は欲情する」
「クラブのジャージと学校のジャージとは違うという考えもあるだろうけど」
「学校ではどう異性を欲情させるかなんて必要がないのなら、男女とも全員同じジャージでもいいんじゃないか」



★ 女生徒がセクシーになると困るけど、男女同じのジャージか人民服じゃダメか。セクシーじゃなく、でも「女らしさ」を失うと困るか?
それって「女」という身分がなくなると困るって意味か?
ロシアの大昔の女帝エカテリーナが女学校を創立して、高い身分から低い身分まで集めたけど、かならず身分が判別できるように色違いのエプロンを着用させたとか。
今の日本で、親の階級や出自が目立つように判別させる制服を着用させたら大問題だけど。セクシー排除だけど、男女という身分は目立つように判別させようという意図か?

★ どういうのに勃起するか、男性によって極端に違う。

★ 女性だって、どういう男性に欲情するか。女性それぞれによって全然違う。


 それから色々考えてみた。

★ 高校、中学と、公教育では生徒達からセクシーさを必死に死に物狂いで神経症的にそぎ落とそうとしてきたくせに。なにを「男が女に欲情しなくなるといけない」だ?
★ 

★ アメリカ映画のハイスクールとか、生徒のセクシーさに驚く。セックスすごいしてそう。しかも卒業パーティではカップルでないと恥ずかしいという。もてない、セクシーではない彼氏・彼女がいない生徒は生き地獄だな。

★ 日本の中学、高校では、セクシーでない、彼氏・彼女なしがそれほど生き地獄ではない(アメリカに比べたらだけど)、っということで保護されている階層がいる。私もだ。
★ 日本では、未成年女性の性を憎悪し、必死で抑圧することに情熱を燃やす階層がいる(男女とも)。10代少女とセックスできない男。性的貧困階層の中高年女性で男が若いキレイな女に異常な関心を示して傷つき、でも自分がまさか若い男といいことあるだなんて全く思えない。

★ 「女の性の解放は、男を萎縮させるから、女の性は厳しく規制すべき」との主張をする男性もいる。
例えば、外山恒一HP「ファシズムへの誘惑」http://www.geocities.jp/richardroe1970/
私は外山恒一の考えの一部には大変影響を受けたしもっともっと彼の文章を読みたいけど。でも、性のことになると、ピント外れになる。彼個人の弱点が女性恐怖のくせにマッチョでプライド高いから。「私は」といえばいいものを、「男は」というのが間違い。

★ 富永国比古(ロマリンダ・クリニック経営の医者http://www.lomalinda-jp.com/)(NPO法人「10代の性行動の危機を考え行動する会」http://www.acts.or.jp/)で、若者の性の乱れを憂いて禁欲教育を推進していますが。本家本元のアメリカの結婚まで純潔を守る禁欲教育では、男女ともに対してでこれはこれで首尾一貫しています。でも富永国比古は、それを少女に標的を絞っています。それなら正直に10代少女の性行動の危機を考え行動する会」ってしろよなっ!
外山恒一も、若者の性の乱れを嘆いてそのためになら性教育推進って主張していますが。間違いなく、少女の性が標的でしょう。
彼らはほんとはあまりにも心の傷が深すぎて、自分は少女に渇望している、でも相手にしてもらえない、でも他のいい男達が少女達とやりまくってる、少女の性の解放に傷つくなんて正直にいえないのでしょう。


★ 少子化大問題。独身、子なしの男女が増えてきています。
2大潮流の主張は、結婚と専業主婦優遇措置推進か、それか結婚内で出産を推進しようとするのが間違いで欧米みたいに独身女性でも出産子育てをできるようにする。
★ 男が勃起しなくては困る。まずは男の勃起不安。女は相手がブサイクでもとりあえず誰でも膣に潤滑剤を塗りさえすれば、挿入可能。男が勃起しないけど子どもがほしい場合は人口受精でも可能といえば可能だけど、これは最終手段。

★ 嫁入り前の処女。花嫁候補。

★ それでいて、全然色気がなくては困る。男が勃起しなくなる。

★ それでいて、モロセクシーなのは困る。いや、モロセクシーじゃないと勃起しない男がいて、ハンナリとした花嫁候補の色気程度じゃ勃起しない、セクシーギャルじゃないといやという男性もいるかも。
★ 同じ男でも、どういう女性がいいかは人によって全然違う。
★ 「女の性の解放大賛成」と主張する男性もいる。松沢呉一、匠雅音は、性的清貧女性達が他者にも性的清貧になるように要求する運動が一番いやで、それなら女性達も性を享受して性的におおらかになってくれるほうがよっぽどまし。
★ 松沢呉一以外に、実際に女の性の解放と経済力獲得で救済されている男性達も実在する。女性に性・愛・結婚の三位一体のロマンチックラブ・イデオロギーで洗脳すると、結婚の条件が良くてしかも性的魅力のある男性による強者の寡占状況になり、社会的弱者の男性にはあまりにもいい女性との性に恵まれなくなる。昔の男性作家や時事漫画家とかが(例えば野坂アキユキとか)書いていたけど、昔は高い金を出してボロボロの無残な娼婦とセックスをしたって。今時の若い男の子らはなんで?思うでしょうね。最近になって若い女性達に結婚と純愛と性の分離現象がおきてきたから、未婚の若い女性がナンパしてセックスするようになり、社会的弱者でもいい男ならセックスの機会に恵まれてきた。さらに経済力と自由の獲得で、得するのはホストやヒモが目立つけど。そんなにかっこよくなくても、いい女のお初でなくてもいい、オンリー・ワンじゃなくてもいい、ワン・ノブ・ゼムでもいいと割り切れば機会に恵まれるとか。その分、昔なら女なら誰でも性風俗産業に勤めたらボロ儲けできたでしょうけど、今は男が出会い系とかに分散されて風俗客減って女は儲けられなくなってくるのでしょうね。


 それから色々と想像して笑ったのだけど。 









ドタバタSF作家、筒井康隆に捧ぐ

かつての筒井康隆は、ドタバタSF小説は結構面白かったけど。

エッセイになると、古い女性蔑視の硬直したオヤジくささがダメダメ

筒井康隆がエッセイで、ミスコンテスト反対の女性たちを徹底批判し、ミスコンを擁護たけど。

曖昧な記憶で正確な引用じゃないけど。確かこんな感じ。

「ミスコンは、伝統芸能」
「これに反対することは、女は血の血統から外され、お墓にも入れない、家系図にも残らなくなる」

なんじゃ?それ?


宗教よりも、天皇制なんかよりも、多くの日本人にとっての実存にも関わる重要な性!家族!

政教分離を支持して何が悪い!
家族や性を政治から分離して何が悪い!


例えば、日本でも、政治から宗教分離をする原則が日本でも同意を得られている。
例えば、公教育から、特定の宗教を分離する原則が、日本でも同意を得られている。
もし「創価学会活動をしないと、学校卒業資格が得られない」なんてことになったら大問題でしょう、絶対反対!

日本人の生活や歴史には、宗教が根付いている以上、細かい揚げ足取りをすれば、難しい部分はあるけど。
「学校でクリスマス・パーティのイヴェントをするのはどうか?」「歴史的名所には神社、仏閣など宗教関連のが多いが、それを観光するのはどうか?」「欧米の歴史や美術や音楽には、キリスト教関連のものが絶対含まれるが、それはどうか?」
議論は分かれるでしょうけど。

とりあえず、政治や公教育から宗教分離の原則ということになっている。

これがジェンダー・フリーのことになると、なぜ、いきりたって細かい揚げ足取りをして全面否定するのか。

宗教なんかよりもずっとずっと日本人の実存に関わる性! その性で、特定の性を押し付けるなってなるのは当然のことになります。


ドタバタSF作家、筒井康隆にちなんで、色々とドタバタSFを、私も想像して笑った。
名付けて「セクシー戦争勃発!」




日本の公教育でセクシー戦争が勃発したら傑作でしょうね。

まずは二大派閥が
★ セクシーさが重要!派か
★ セクシーさこそ諸悪の根源!派か


その二大派閥の、それぞれの内部にも色々な派閥が分かれている
セクシーさが重要!派でも、
・未成年にはセクシーさは除去しろ!でも成人にはセクシーさが必要派か。
・未成年も成人にも同様にセクシーさが必要派か。
・「女性にはセクシーさが重要だが。男はビジネスだ」派か
・「男女ともセクシーさが重要だ」派か


★ まずは、セクシーさが重要!派が

「少子化、独身化を打開しろ!」と主張!

「ジャージ姿なんかじゃ男が勃起しない!」

「あくまでも花嫁候補の範囲内での色気まで」

 「性的に活発な女性は男性を萎縮させる。男を萎縮させないようにいつも小さくか弱くなり男をたててたてて。花嫁候補の処女を守り。でも色気がないと男が勃起しないから、男をおじけづかせない範囲内でハンナリとしたさりげないお色気のあるのが最高」

「その程度じゃ勃起しない。エロエロセクシー芸能人を参考にしよう」


どんなのにセクシーさを感じるかは個人によって好みが全然違う
セクシー教育でも、さらに細かく闘争がおこるでしょうね。花嫁候補タイプか、キャバ嬢タイプか。

「アメリカン・ハイスクールなみにセクシーさを重視しよう。学園の女王、王を選んで、卒業パーティには着飾ってカップルで出席だー」


未成年にはセクシーさは除去しろ!でも成人にはセクシーさが必要派やセクシーさこそ諸悪の根源!派が

「学校ではセクシーさなんて排除しろ!」

「セクシーさが排除されているから救済されているモテナイ男女がいる」

「色気のある女子高生・女子中学生なんて悔しい!」 

「俺も女子高生とやりたいけどやれないのにナンパ男が女子高生の処女をいただくなんて許せん。結婚まで処女を守れ」(おじさん) 

「うちの夫がセクシー女子高生とかと浮気されたらいやだ」(おばさん) 

「男女ともジャージで結構! 人民服で結構!」


どんな思想をもっているのが、公教育の性をどうするかの決定権を持つようになるかで公教育が変わるとなったらおそろしいでしょうね。

そういう泥沼の争いが続いて、大勢がウンザリしてそれからやっと、公教育から性教育を分離しましょうということで、公教育からの性を分離しようになるのでしょうね。

もちろん、生徒が断固拒絶するのもありでしょうね。

「性的に活発な女性は男性を萎縮させる。男を萎縮させないようにいつも小さくか弱くなり男をたててたてて。花嫁候補の処女を守り。でも色気がないと男が勃起しないから、男をおじけづかせない範囲内でハンナリとしたさりげないお色気のあるのが最高」という考えの男性が権力を握り、それを公教育で全女生徒に押し付けたとしても。
不良系セクシーギャルが授業ボイコットとか。
男子生徒の中にも、そんなタイプの女には全然魅力を感じないというのもいるでしょう。

 「結婚候補として最高の高学歴エリートサラリーマンタイプでビジネススーツをパリっと着こなし、勤務先では浮かない程度のハンサムさと性的魅力」というタイプが公教育で推進されるか。
美少年アイドル系、ビジュアル・バンド系、ホスト系とかはダメか。
男子生徒も、そういう特定の押し付けに反発があるのなら断固拒否してもいい。

もし多様なセクシーさを選択肢として選べるようになるとしましょう(美少年アイドル系、ビジュアル・バンド系、ホスト系とか。アニメで『高校ホスト部』とかあるな)

「女性にはセクシーさが必要だけど、男はビジネスだ!」派が政権を奪取すると
日本女性が、欧米の男性のセクシーさに憧れ、留学、亡命したりして(笑)
洋画を見ると、アメリカン・ハイスクールの男女のセクシーさに驚く。
それか、近隣のアジア諸国の芸能の発達にに驚き、近隣アジア諸国の男性達のセクシーさに憧れアジアへ留学亡命する女たちが続出するか。

「やはり、今の情報社会で非鎖国社会だと、女性にだけセクシー教育を押し付けて男性にはセクシーさを除去してビジネスマン教育だけすると、日本の女たちがセクシーな外人男に走る!」
「やはり日本の男子生徒にも女性受けするセクシー教育を実施して、外人男からの脅威に対抗せよ! そして日本人男女同士の結婚を促進させ、日本人同士の純血統の子供たちを絶やさないようにさせよ!」

「日本のポルノ映画やAVやエログラビアを大切にして育成せよ。そして魅力ある日本人のAV女優や男優を賛美し応援せよ。これがあるから、日本の男性たちの多くが日本人女性たちに性欲を抱けるのだ(日本人と見分けがつかないだけで実は在日何世かの朝鮮人かもしれないけど)。日本の女が欧米のセクシーな男優たちがベッドシーンを見て欲望を発散させているから白人に憧れるのが多いのだ」

「実際、欧米の白人中心の美意識のせいで、黒人男性達が白人女性にしか欲望を抱けなくなっていると言う問題があるのだ」
「実際にあった事件だけど、アメリカのミス・コンテストで、黒人女性も参加したら大勢の白人達から脅迫状が殺到。優勝したけど、過去に撮影したヌード写真が暴露されタイトル剥奪。「たぶん、白人優越の美意識を死守したい勢力が彼女の過去の汚点を必死で探してミスコンのタイトル剥奪を狙って潰したのだろう」って、越智道雄教授(アメリカの民族問題がご専門)の説。
アメリカ映画で、ミスコンを題材にした映画で、一人の黒人女性がミスコンに参加すると白人たちからの脅迫状が殺到したので逃げることにしたけど、主催者からの説得で黒人女性も参加を決意」

「白人中心社会の美の基準に汚染されないように。さらに最近台頭してきた黒人勢力。そしてさらに台頭してきて香港や韓国や台湾の勢力」
「それでいて、日本の芸能界は悲惨。日本の政治やマスコミや電通に暗躍する在日勢力の陰謀で、日本に美男スターを育成させないようにして日本女性たちに選択肢を狭めて、それでいて韓国男性スターをゴリ押しして売るための謀略活動かも。
これに対抗するためにも、日本人男性たちから美男を育成せよ!」



学生にセクシー教育があると、もてないダサイ男女がセクシー教育に必死で抵抗するか(笑) 
間違いなく下位なる、コンプレックスを直撃する、どうしても生理的嫌悪感で心身ともに拒絶とか。
勉強が苦手だけど性的魅力のある男女はセクシー教育ができたらその部門でなら上位なれて自信ついてうれしいだろうけど。ホステス部、ホスト部とかできたらいいね。

アメリカン・ハイスクールみたいに、卒業式のパーティでは、学園の女王、王を選んで、カップルで出席なんて。これも大賛成なのもいれば、傷つくから反対のもいるのでしょうね。

「将来のための勉学に励むので精一杯だから、清潔であればいい、後は実用一点張りの格好にする。そういう判断でもいい」「たとえ女性でも」

「男女とも人民服で十分じゃ!」

「愛知県教育方式みたいに、学外で生徒たちが自由にやるのが許せずセクシーさが許せず、大量の宿題を押し付けたりして自由時間を奪う方式にするか」

今の開国、ハイテク、情報社会では、女性に純潔、花嫁教育をしようとしても限界がある。
じゃあ、女性に純潔教育をさせるために徹底させようとするなら。鎖国して、細かく関所を設けて、情報鎖国にして。イスラム教国家を参考にして。女性には識字教育禁止で文盲、男女別の学校で、女性には教師が口頭で純潔教育、花嫁教育するのみ! 女性の一人歩き禁止! 

ジャーナリスト近藤誠がベトナム駐在中、ベトナム人女性と結婚して、彼女の無教養ぶりに驚いたことがあったって。昔の政策で、女性には識字禁止で、隠れて本を読んだら親から殴る蹴るの体罰を受けたって。その当時のベトナムの政治はよう分からないけど。

それとアラブのイスラム教国家のタリバン政権も、女性から職業を奪い、一人歩き禁止で。職を奪われて、生活のために隠れて売春するけど、見つかったら死刑とか!



ゲイやレズビアンをどうするかで、又もめるでしょうね。

どんな考えを持っているのかが政権につくかで、性教育が変わり、大勢に強制されて振り回されるから。
「いい年をして独身者や子供なし、離婚経験者が文部省に入るのなんて、反対!」って主張するのも大勢になるでしょうね。
「ゲイやレズビアンや性転換者が文部省に入るのも反対!」って主張するのも大勢になるでしょうね。
だって、「結婚をして子供がいてっていう理想的な私生活をしているのが文部省のお役人じゃないと、性教育の現場にとんでもない考えを押し付けて現場の人間達が混乱をきたす」ってなるもの。



バカバカしい争いとなるでしょうね。
権力闘争で血みどろの殺し合いになったりして。国外逃亡者続出とか続出したりして。

特定の性を理想とかかげず押し付けず、後はそれぞれ個人の自由と判断にまかせるべき。

セクシーギャルファッションやロリータファッションやる女子高生や女子中学生がいてもいい。
ホストファッションやヴィジュアル系バンドファッションやジャニーズファッションやギャル男ファッションの男子高校生や男子中学生がいてもいい。
その逆に、ファッションやセクシーさに全然かまわない学生がいてもいい。


政治や学校教育で、特定の宗教を押し付けるな!
逆に政治や学校教育で、「無宗教」を押し付けるな!個人の私生活における宗教の自由を弾圧するな!
とりあえず、そのことでは、社会では合意が得られている。

若い生徒が学外で宗教活動をするのが許せないから宿題を大量に出して自由時間を奪うなんてことに情熱を燃やすのは、あんまりいないと思うけど。
でも、性のことになると感情的になるのが多いからなあ。若い生徒が学外で性を享受するのが許せないから宿題を大量に出して自由時間を奪うなんてことに情熱を燃やす、ってのはいそうですね。そういう政策に大賛成しそうな大人たちも大勢いそうです。


宗教の自由と同様に、政治や学校教育で、特定の性を理想と押し付けるな!
逆に政治や学校教育で、神経症的な「セクシーさの除去」を押し付けるな!個人の私生活における性の自由を弾圧するな!


自分の理想像は、人々に主張してそれが人々の心をうち、それが大勢の流れになるのならいいのですが。 例えば、「男女とも結婚まで純潔を守り、一生伴侶とだけにしておけ!」と主張して、それが人々の心をうち影響を与えるようなら仕方がないですけど。
それを法律での強制はよくないし、学校教育として押し付けるのもよくない。


又、公教育である特定の性を全校生徒に校則として押し付けたり、必修科目の単位として押し付けこれをしないと卒業資格が得られなくするとかは絶対してはいけません。
セクシー教育を必須科目にして単位が取れないと高卒資格が得られなくなるだなんて、反対です。セクシー教育がないからこそ、救済されている層が大勢いるでしょうし、私も完全に同情します。

巨乳マッサージとバスト計測記録とかを必須科目になんてされて、教師が貧乳の生徒に罵倒とか。大反対します!
もちろん純潔教育にも反対します。
生徒個人の判断にまかせるべきことです。




余談

私の性に関する思想

性欲がいけないのではない。
ポルノが悪いのではない。
ミスコンが悪いのではない。

諸悪の根源とはロマンティック・ラヴ・イデオロギー。
諸悪の根源は、欧米の上流階級から、アメリカ・ハリウッド方式の、カップル単位。パーティは、男性のエスコートで参加。恋愛仕掛けの虚栄心まみれのカップル単位。恋愛仕掛けのビジネスと打算。
マスコミが殺到するレッドカーペットにセレブ男女がカップルで登場。
これが諸悪の根源。

アメリカの虚栄心と計算と欺瞞の男女カップル文化を徹底批判せよ

カップルの公開を社会的ビジネスにするから、仮面夫婦なんて愚かなことがおこるのだ。

個人のプライヴァシーを、死守せよ!
結婚式なんて。結婚の公表なんて。カップルの公表なんて。そんなことをするから、欺瞞がおきるのだ。

アメリカン・ハイスクールの学園のキングやクイーンを選んで、まではまだいいけど。男女カップルで卒業式参加って。
バカなことだと私は思う。

容姿での選別のミスコンやミスターコンテストなんてどうでもいい。ってか、どうぞご自由に。
でもカップル単位の虚栄心文化こそ、諸悪の根源だな。

もてない男女のためってことだけじゃなく。
バカな虚栄心と恋愛仕掛けの欺瞞的ビジネスの元。諸悪の根源。カップル単位って考えこそ、欧米の男女の悪。重要なのは、シングル単位で、性愛はあくまでも個人生活の私的なことと秘密にすべきこと。


アメリカの文化から、カップル文化の欺瞞さを読み取れ!


小説『ファースト・ワイフ・クラブ』
その映画化
「親たちが娘達にこう助言する。最初の妻なんかになるのはやめておきなさい。二番目の妻になるようにしましょうと」
大金持ちのお嬢様で社会的地位も経済力もある女性でも、なぜ男女関係では不利で不満をためるか。
虚栄心に満ちた社交界のパーティでカップル参加の文化があるから。
社会的地位もあり性的魅力のある勝ち組男性の数が少なく、しかも同年代から若い女性まで選び放題だから。
逆に大金持ちのお嬢様で社会的地位も経済力もある女性は、社会的地位の低い男性は選びにくいから。
そういう虚栄心を捨て去って、男性との関係は私的なことと秘することこそ大事なのでは。

男女が離婚して、男はさらにいい女を獲得。でも女性は離婚して次のエスコート男性を探すのは大変。
パーティ参加者が噂話で
「彼女の新しいお相手は?」
「テニスのコーチですって」
「絶望的」
このバカな差別意識と虚栄心!

大金持ちのお嬢様で社会的地位も経済力もある女性だけど、夫がさらにいい女を見つけて離婚して再婚。
離婚した夫の新しい再婚相手は、大金持ちのお嬢様だわ、芸術家だわ、若いし美人だし。それだけそろったすごい女性でも、離婚暦のあるかなり年上の男性を選ぶって。
社会的地位のある男性で完成され、しかも自分を大事にしてくれて捨てる可能性の少ないずっと年上の男性を選ぶってことがよく分かる。
捨てられた大金持ちの女性は、別れた夫に復讐する。
そして新たに見つけた男性が元パパラッチだったけど、脚本家として成功して社会的地位を得るって。やっぱ社会的地位がないとダメかあ。この欺瞞さがなあ。

夫が新しい女に走り捨てられた女性たちが手を組んでかつての夫と新しい女に復讐して。
その復讐されたカップルが社会的地位も名声も落ちたので、パーティで末席に座らされて怒り狂うって場面があった。

でも、その小説で、夫に捨てられた女性たちのうちの一人が「私は実はレズビアンなのだということに気づきました」って女性のパートナーを獲得して自由に生きることを宣言! この小説はそういうラジカルな部分ももちろんあるけど。






小説『女悪魔と呼ばれて』
その映画化『シー・デヴィル』

男が浮気したけど、カップルの女性はとりあえずパーティでは素敵なカップルを取り繕って。女性が浮気した男にヒソヒソ声で「あなたのことをまだ許したわけではないのよ!」


映画『サムシング・ワイルド』
アメリカの古式ゆかしき田舎町の、美しさにウットリしたが。
高校のプロム・パーティや同窓会では、カップルで参加しないと恥ずかしいのだな、と。
だから女が、高校の同窓会に、ある男性を恋人役で連れて行く。




かつての日本人に、恋愛だなんて、全然無理だった時代

1963年生れの私
昔はそういう時代だったのがよく分かる
そして激動の変化

恋愛に奥手
性に奥手
カップル文化なんて全然

昔は、日本では、性も結婚も配偶者も子供も親も恥ずかしかった。


私が幼い頃に、日本の文化人のエッセーや文章を読んだけど。
性への嫌悪と罪悪感、妻子への恥の感覚を持っている方々がすごく多かった。
東海林さだおの古いエッセーで「妻なんてセックスした存在は世間から隠すべきもの」「子供の写真なんてワイセツ写真で隠すべきこと」「子供の数は、セックス暦だから恥ずべきもの」
タモリと桐島洋子が対談で「結婚や子供なんてセックス経験のことだから、恥ずかしいと隠すべきもの」
幼い私は、これはこれでどうかとも思ったけど。


それがハリウッドから恋愛とカップルと結婚との文化が宣伝され

日本人の土壌には無理がある

その齟齬(そご)

日本人の文化は小市民の文化
セクシーと恋愛やカップル文化、ロックや過激なのは無理



最近でてきて、欧米のマネゴト
夫婦が職業の芸能人
セレブのまねごと
セレブ・カップルのまねごと

吐き気がする



今まで、欧米の男女カップル文化がなかった所に、日本で猿真似で流入されてきたからこそ、その醜悪さと偽善と無理さとがよく見える。







欧米流入の男女カップル文化、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは、欺瞞がよく見えるし、醜悪さを批判しやすい。


でも、家族単位、家父長制度の悪は、古くからあるから、それの悪は見えにくいし、批判しにくい。

でも、有名ではないけど、家族単位や家父長制度の悪を批判しているのは、
伊田広行『シングル単位の恋愛論』『シングル単位の社会論』、
匠雅音『核家族から単家族へ』

私は彼らから多くを学ばせてもらったし目が見開かれました。




悪いのは、結婚制度、家族単位、家父長制度、家族幻想、。

天皇制度なんかよりも強烈で妥当困難な土着宗教、家族幻想。

結婚の脱構築化をめざせ!