淀川長治の生涯 ゲイ映画史 年表

 

   

淀川長治の生涯

ゲイ映画史

 
1893     米国のトーマス・エディソン(46)が、活動写真のキネトスコープ(覗き眼鏡式での映画再生装置)を製作する。 観客一人一人が箱の中で再生されている映画を覗く方式なので、1度に大勢が楽しめるものではなかった。  
1894 〜1895日清戦争      
1895     12月28日フランスで、リュミエール兄弟が、初のシネマトグラフをパリのグラン・カフェの地下で有料で上映。 列車が入ってくるシーンでは観客が驚いて逃げ出したとか。 映写幕での上映方式で1度に大勢の一般大衆をたのしませ、 しかも有料での定期上映をすることで商業として発展するさきがけとなった。  
1896     映画の渡来。日本で初めて映画が一般公開される。  
1897     大阪の南地演舞場でシネマトグラフが初興業となる。  
1898     日本映画、初めて製作  
1899     東京率先活動写真会が歌舞伎座で初の国産映画を公開する。  
1900        
1901 皇太子嘉仁(よしひと)と九条節子との間に裕仁(ひろひと)産まれる   東京・本所の寿座で「義和団事件」の活動写真会が開催される。  
1902     ロサンゼルスにアメリカ初の映画館が開館する。 8月フランスで世界初の特撮映画、ジョルジョ・メリエス監督『月世界旅行』が完成  
1903     10月1日日本初の映画常設館・電気館が東京・浅草に開場
1904 〜05日露戦争      
         
1906     トーマス・エジソンが撮影用スタジオを開設。
梅屋庄吉が、M.パテー商会の前身のM.パテー活動写真会を創立し、新富座で第1回興業を行う。
フランス人牧師のウジェーヌ・ローストが、サウンド・オン・フィルム方式の光による録音方式を発明してイギリスで特許を得る。
京座で、日本初の天然色活動写真の興業が行われる。
 
         
1908     1月20日吉沢商店が、東京・目黒に日本初の映画撮影所を完成させる。
4月15日フランスの空想科学映画「月世界旅行」が東京の錦輝館で上映される。
 
1909   ご誕生    
1910 日韓併合      
1911     10月27日米国の映画会社がハリウッド最初の撮影所を建設し、後の映画の都へ。  
1912     9月10日日本活動写真株式会社(日活)設立  
1913     1月3日エジソンが、トーキー映画を公開する。  
1914 〜18第一次世界大戦勃発、日本も日英同盟によってドイツに宣戦      
         
1916     米国の映画会社ユニバーサルが日本初の支社を設けた  
1917     警視庁が活動写真興業取締り規則を公布する。  
1918 第一次世界大戦休戦協定      
         
1920     2月11日松竹キネマ合弁会社設立。6月蒲田撮影所が完成  
1921     4月29日日本映画界の女優スター第1号、栗島すみ子が登場  
1922 伝染病予防法施行規則(大正11年内務省令第24号)(1988年国会でエイズ予防法成立、1989年2月から施行。 1998年9月感染症予防法可決成立し、1999年4月にエイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、 感染症予防法に一本化された)   英国BBCラジオ放送開始
12月30日女形出演による最後の映画『京屋襟店』公開。女形俳優なくなる。
 
1923 9月1日関東大震災   9月1日関東大震災で、9月10日松竹蒲田撮影所が京都へ機能移転。11月日活向島撮影所移転。  
         
1924 皇太子裕仁と良子結婚      
1925     日本でのラジオ放送の始まり(社団法人東京(JOAK)放送局仮放送)
内務省が、活動写真フィルムの検閲規則を公布する。
 
1926 大正天皇嘉仁死亡   フレッド・ニブロ『ベン・ハー』
8月社団法人東京放送局は名古屋、大阪の両放送局を合併し,社団法人日本放送協会(NHK)の東京中央放送局となる。
 
1927     アメリカ映画はサイレントからトーキー時代に突入  
1928     米国NYでTV放送開始。
ニューヨーク・コロニー劇場で、ウォルト・ディズニーの世界初のトーキーアニメ「蒸気船ウィリー」が封切られる。 ミッキーマウスがデビューする。
 
1929     5月16日アメリカ映画最大のフェスティバル、アカデミー賞の第1回の授与式が行われる。  
1930     日本では、トーキーの洋画に字幕をつけることに落ち着く。 8月1日日本初の字幕入りアメリカ映画『モロッコ』日本公開。  
1931     1月30日警視庁保安部が映画館での男女別席規制の撤廃を決定する。
8月1日日本初の本格的な国産トーキー映画、松竹の『マダムと女房』封切。
 
         
         
1934     ハリウッド映画界にヘイズ・コードという倫理規定制定。その内の一つが同性愛の描写禁止。1966年廃止。  
         
1936     ランバート・ヒルヤー『女ドラキュラ』  
1937 日中戦争   12月21日ディズニー初の長編カラーアニメ『白雪姫』完成  
1938        
1939 第二次世界大戦      
         
1941 日本、ハワイの真珠湾攻撃で参戦      
         
         
         
1945 日本、敗戦   9月22日*連合国側最高司令官が映画による民主化促進、軍国主義撤廃などを各社に通達。 11月17日剣劇映画の上映禁止。11月19日超国家主義的軍国主義的思想に基づく映画236本の上映禁止、焼却指令
12月2日映画法が廃止され、検閲のため未公開となっていた作品も封切られるようになった。
12月6日東京で戦後初の洋画上映(アメリカ映画『ユーコンの叫び』)
 
1946     1月28日*連合国側最高司令官が映画検閲に関する覚書を出し、検閲を始める。  
1947     ケネス・アンガー『花火』(アングラの短編映画)
米国でマッカーサーによる赤狩りが本格化。多数の俳優や映画製作者が非米活動委で証言。
 
1948 性病予防法施行規則(昭和23年厚生省令第45号) 1999年4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された。   アルフレッド・ヒッチコック『ロープ』  
1949     6.10司令部からの通達で、日本映画連合会が、映画倫理規定管理委員会(映倫)を発足。松竹の大谷竹次郎を議長に、国家および社会・法律・宗教・教育・風俗・性・残酷醜汚の七項目に触れないような 映画作りが決められた。  
1950     レッドパージ、映画界にも。マッカーサーの声明により、日本共産党員に属する全ての危険分子を公職から追放するようにとの指令が発せられる。マスコミ関係者でも共産党員とそのシンパが大量追放。
ソニー、日本初のテープレコーダ(G型)発表。
 
1951 4月11日マッカーサーが*連合国側最高司令官、国連軍最高司令官を解任される。後任にリッジウエイ中将。   3月21日日本初の国産カラー映画『カルメン故郷に帰る』が公開
4月30日日本初LPレコード発売。
7月20日日本民間放送連盟結成
9月1日日本で、民間ラジオ放送開始(名古屋の中部日本放送(CBC)、 大阪の新日本放送(NJB 後の毎日放送)
2月ソニー、「テープレコーダ」の名称で商標登録
 
1952 4.28対日平和条約、日米安全保障条約が発効するとともに、極東委員会、対日理事会、GHQが廃止された。 しかし対日平和条約では領土問題を、安保条約では米軍駐留問題など、後に政治紛争の大きな火種を残すことになった。      
1953     リチャード・ブルックス『熱いトタン屋根の猫』
NHK、日本初のTV放送開始。民間TVも放送開始。
 
         
         
1956     ヴィンセント・ミネリ『お茶と同情』
アメリカ製TV映画放映開始。4月にKRTが放映した『カウボーイGメン』が最初。 最大の話題作は『スーパーマン』(KRT 1956.11.3〜1959.4.28)。
12.20NHK、カラーTV東京実験局開局
 
         
1958     10月22日日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』が完成  
1959     10月10日ニッポン放送が全日放送を開始
ルキノ・ヴィスコンティ『地獄に落ちた勇者ども』  ジョセフ・L・マンキウイッツ『去年の夏 突然に』 ビリー・ワイルダー『お熱いのがお好き』  ウイリアム・ワイラー『ベン・ハー』
 
1960   NET(現在の朝日放送)でTVシリーズ『ララミー牧場』解説開始(1963年まで) ルネ・クレマン『太陽がいっぱい』
9月カラーTV本放送開始
 
1961     ウイリアム・ワイラー『噂の二人』 ベイジル・ディアディン『ヴィクティム』  
1962     ヴィッド・リーン『アラビアのロレンス』 オットー・プレミンジャー『野望の系列』  
1963 6月海外旅行自由化 NET(現在の朝日放送)で『土曜(後に日曜)洋画劇場』解説者に。   参照00  
        01
1965     ジャン・ドラノワ『寄宿舎』 02
        03
1967     マーク・ライデル『女狐』 ジョン・ヒューストン『禁じられた情事の森』 ジョン・フリン『軍曹』  04
1968     ピエル・パオロ・パゾリーニ『テオレマ』 ゴードン・ダグラス『刑事(でか) 05
1969     ジョン・シュレシンジャー『真夜中のカウボーイ』 フェデリコ・フェリーニ『サテリコン』 松本俊夫『薔薇の葬列』ゲスト出演! 06
1970     ウイリアム・フリードキン『真夜中のパーティ』 ケン・ラッセル『恋人たちの曲/悲愴』 マイケル・サーン『マイラ』
「絵と音が同時に楽しめる」ビデオテープが7月から発売との記事。今で言えばビデオソフトだが、 これはカセットではなくリールにテープを巻き付けたもの。昔のオープンリールテープデッキのように、自分でデッキにセットしなければならないタイプだった。「カセット式のビデオテープについて近々、世界統一規格がまとまる」と書いてあったが、結局ベータ派とVHS派に分かれた。
07
1971     ルキノ・ヴィスコンティ『ヴェニスに死す』 ジョン・シュレシンジャー『日曜日は別れの時』  08
1972     ルキノ・ヴィスコンティ『ルードビッヒ』 ボブ・フォッシー『キャバレー』 09
1973     ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』
ソニーから携帯用生録音カセットレコーダー「カセットデンスケ」発売
10
1974     5月フランス大統領がポルノ映画全面解禁を宣言 11
1975     ジム・シャーマン『ロッキー・ホラー・ショー』 セルジュ・ゲンズブール『ジュテーム・モワノンプリュ』 デレク・ジャーマン『セバスチャン』 シドニー・ルメット『狼たちの午後』 ピエル・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』殺害! 
家庭用カセットVTR登場。VHS(ビクター、ナショナルが採用)、ベータ(ソニーが採用)の二方式のカセット・ヴィデオがそれぞれ発売された。
12
1976     デレク・ジャーマン『セバスチャン』
日本ビクターが家庭用VHSヴィデオ発売。
13
1977   『ハリウッド女優1920年代 映画はやっぱりスターから』(芳賀書店)   14
1978     エドアール・モリナロ『Mr.レディ Mr.マダム』 アラン・パーカー『ミッドナイト・エクスプレス』
9.30からTVで音声多重放送開始
15
1979   『ハリウッド女優1930年代 ハリウッド黄金期の女優たち』(芳賀書店)             マイケル・チミノ『ディア・ハンター』 サルヴァトーレ・サンペリ『エルネスト』 ハーバート・ロス 『ニジンスキー』 
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1980     ウイリアム・フリードキン『クルージング』 エドアール・モリナロ『Mr.レディ Mr.マダム2』 17
1981 6月5日アメリカ防疫センター(the Centers for Disease Control and Prevention)が5人のカリニ肺炎患者を報告(初のエイズ症例報告)     18
1982 7月27日CDCがエイズ(Acquired Immunodeficiency Syndrome)(AIDS)という名称を採用   ブレイク・エドワーズ『ヴィクター/ヴィクトリア』 アーサー・ヒラー『メイキング・ラヴ』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ケレル』 イエオルギルス・カタクーズィノス『アンゲロス』 ジェイムズ・バロウズ『パートナーズ』 ロバート・タウン『マイ・ライヴァル』 19
1983 7月5日帝京大で血友病患者が死亡し「エイズ日本上陸」との報道へ(厚生省は否定し、2年後にエイズ認定)   マレク・カニエフスカ『アナザー・カントリー』 大島渚『戦場のメリー・クリスマス』 トニー・スコット『ハンガー』 パトリス・シェロー『傷ついた男』 20
1984 11月22日厚生省の輸血後感染症研究班で日本人血友病患者22名中4例の感染報告 (ただしマスコミには公表しないとの方針)   リチャード・シュミーセン『ハーヴェイ・ミルク』 21
1985 3月22日厚生省、エイズの日本人患者第一号を確認したと発表。1時帰国したアメリカ在住の男性芸術家(36歳)
10月25日厚生省は献血の問診を強化し、同性愛者などを排除
『淀川長治自伝』(中央公論社) ヘクトール・バベンコ『蜘蛛女のキス』 スティーヴン・フリアーズ『マイ・ビューティフル・ランドレット』 デレク・ジャーマン『エンジェリック・カンヴァセーション』 
ロック・ハドソン、7月25日エイズを公表し、10月2日死亡!
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1986   『グルメのためのシネガイド』(早川文庫) デレク・ジャーマン『カラヴァッジオ』 ヴェルナー・シュレーター『薔薇の王国』 ジョルジュ・ロートネル『Mr.レディ Mr.マダム』 23
1987 1月17日厚生省が神戸市在住の女性(29歳)を日本初の女性エイズ患者と認定。20日彼女はカリニ肝炎で死亡。
3月31日エイズ予防法が国会に提出される
『淀川長治集成』1〜4(芳賀書店) ジェイムズ・アイヴォリ『モーリス』 ペドロ・アルモドバル『欲望の法則』 ケン・ラッセル『サロメ』 ギイ・ジル『夜のアトリエ』  24
1988 12月23日国会でエイズ予防法成立(1989年2月から施行。1998年9月25日感染症予防法可決成立。 1999年4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された) 淀川長治・蓮實重彦・山田宏一対談集『映画千夜一夜』(中央公論社)  ポール・ボガード『トーチソング・トリロジー』 スティーヴン・フリアーズ『プリック・アップ』 マルコ・リージ『毛皮のマリー』  25
1989 1月7日昭和天皇裕仁死亡
1月27日「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律」公布。 2月27日施行(1998年9月25日感染症予防法可決成立。 1999年4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された)。 5月8日初の薬害エイズ訴訟が大阪で提起される
  ボブ・ラフェルソン『愛と野望のナイル』 カール・グスタブ・ニクヴィスト『屋根の上の女』  26
1990   淀川長治・杉浦孝昭『おしゃべりな映画館』 ノーマン・ルネ『ロング・タイム・コンパニオン』 ジェニー・リビングストン『パリ、夜は眠らない』 ポール・シュレーダー『迷宮のヴェニス』 27
1991   淀川長治・杉浦孝昭『おしゃべりな映画館 2』 小島康史『らせんの素描』 スティーヴン・スピルバーグ『カラー・パープル』 ガス・ヴァン・サント『マイ・プライヴェイト・アイダホ』 クリストファー・ミュンチ『僕達の時間』 デレク・ジャーマン『エドワードU』 トッド・ヘインズ『ポイズン』 フィリップ・R・フォード『ヴェガス・イン・スペイス』 ブラッド・デイヴィス、エイズ死! 28
1992 10.23東京都がエイズ撲滅キャンペーンCM放送開始   橋口亮輔(りょうすけ)『二十歳の微熱』 中島丈弘『おこげ』 ニール・ジョーダン『クライング・ゲイム』  トム・ケイリン『恍惚』 グレッグ・アラキ『リヴィング・エンド』 シリル・コラール『野生の夜に』  第一回東京ゲイ&レズビアン・ヴィデオ/フィルム・フェスティヴァル開催 アンソニー・パーキンス、エイズ死!  29
1993 浩宮徳人と雅子の婚約発表、6月6日結婚式   チェン・カイコー『さらば我が愛 覇王別姫』 アン・リー『ウエディング・バンケット』 デヴィッド・クローネンバーグ『Mバタフライ』 トマス・グティエレス・アリア&ファン・カルロ・タビオ『苺とチョコレート』 ジョン・グレイソン『ゼロ・ペイシェンス』 キム・ロンジノット&ジャノ・ウイリアムズ『ドリーム・ガールズ』松岡錠司『きらきらひかる』  30
1994   淀川長治・杉浦孝昭『おしゃべりな映画館 3』 橋口亮輔『渚のシンドバッド』 ジョナサン・デミ『フィラデルフィア』 ステファン・エリオット『プリシラ』 ローズ・トローシュ『Go fish』 アントニア・バード『司祭』 ジャック・オーディアール『天使が隣で眠る夜』 ニール・ジョーダン『インタヴュー・ウイズ・ヴァンパイア』 メル・チョンロー『真夜中のダンサー』 アウレリオ・グリマルディ『シチリアの娼婦たち』 
関西読売TVの深夜に同性愛映画特集
(『らせんの素描』『トーチソング・トリロジー』『パリ、夜は眠らない』『モーリス』『エドワードU』『夜のアトリエ』『屋根の上の女』) デレク・ジャーマン、エイズ死! 
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1995     ロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン『セルロイド・クロゼット』 ビーバン・キドロン『三人のエンジェル』 アンドリュー・フレミング『スリーサム』 アグニシュカ・ホランド『太陽と月に背いて』 クリストファー・アフュレイ『ジェフリー』 キム・ロンジノット&ジャノ・ウイリアムズ『新宿ボーイ』 君塚匠『ルビー・フルーツ』 橋口亮輔『渚のシンドバッド』 32
1996 2月16日輸入血液製剤でHIVに感染した血友病患者に、菅直人厚相が厚生省を代表して謝罪。
3月29日東京の薬害HIV訴訟和解成立
8月6日「腸管出血性大腸菌感染症について適用される伝染病予防法の規定等を定める省令」 (平成8年厚生省令第47号)が施行されたが、1999年4月1日に廃止され、 「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に一本化され、施行された。
『男と男のいる映画』(青土社)  ジョン・グレイソン『百合の伝説 シモン&ヴァリエ』 マイク・ニコルズ『バードケイジ』  渥美清死亡 33
1997   淀川長治・杉浦孝昭『おしゃべりな映画館 4』 ウオン・カーウアイ『ブエノスアイレス』 ブライアン・ギルバート『オスカー・ワイルド』 ショーン・マサイアス『ベント』 アラン・ベルリネール『ぼくの薔薇色の人生』 リチャード・クウィートニオスキー『ラヴ&デス』
 第6回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭開催(都の財団から助成金も出た)
ソニー、DVDヴィデオプレーヤーを発売
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1998 9月25日感染症予防法可決成立。 1999年4月1日、「伝染病予防法施行規則」(大正11年内務省令第24号)、「性病予防法施行規則」(昭和23年厚生省令第45号)、 「後天性免疫不全症侯群の予防に関する法律施行規則」(平成元年厚生省令第4号)、 「腸管出血性大腸菌感染症について適用される伝染病予防法の規定等を定める省令」(平成8年厚生省令第47号)は廃止され、 「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に一本化され、施行された。 『日曜洋画劇場』最後の解説がウオルー・ヒル監督『ラストマン・スタンディング』 11月11日、89歳で死亡  トッド・ヘインズ『ヴェヴェット・ゴルドマイン』  フランク・オズ『イン&アウト『』 ジョン・メイバリー 『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』

9月黒沢明死亡(1910〜98)

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注意

★ *連合国側最高司令官 第二次世界大戦で、米軍に敗戦した日本は、米軍の占領下におかれた。それを日本では、マッカーサー元帥率いる「進駐軍」「GHQ」って呼ぶでしょ。
 ところが副島隆彦によると、本当は「SCAP エス・シー・ピー・エー(Supreme Commander for Allied Powers シュープリーム・コマンダー・フォー・アライド・パワーズ)、連合国側最高司令官」だって。「アメリカでは今でもマッカーサー統治時代の日本の軍事政府のことをSCAPと呼ぶ」って。
 皇居の前の第一生命ビルに「連合国総司令部」を設置して、「GHQというのは、占領時代に米軍兵士たちが自分たちの司令本部のことをそう呼んだのを、ここに出入りした日本人の官僚や新聞記者たちが思い違いをしたままつかったのだろう」とのこと。

HIV 「human immunodeficiency virus」の略称 「エイチ・アイ・ヴィー」と発音  ウイルスで、感染者の体液(血液、精液、膣分泌液など)を自分の粘膜(性器や口内、傷口など)にふれることで感染する。主な感染源は、ウィルス感染者との性行為、ウィルス感染者の血液を輸血することなど。これに感染して潜伏期間を経て発症したのがエイズ

AIDS 「Acquired Immunodeficiency Syndrome」の略称 「エイズ」と発音 「後天性免疫不全症侯群」と日本語に翻訳された。体の抵抗力が極端に落ちて、普通の人ならまったく病気にはならないような病原体の感染でも重病になり、死ぬことが多い病気を意味する。

 

 

参考にさせていただいたもの
 石原郁子(いくこ)『菫(すみれ)色の映画祭』 ゲイ&レズビアン映画史の本ヴィト・ルッソ『セルロイド・クロゼット』をもとにした映画のパンフレット  94年に読売TVで深夜に同性愛映画特集が放映され、そこの告知を見て応募してもらったパンフレット
 
 他にも自分が集めてきた映画のパンフレット、チラシ。
 後、インターネットのサーチ機能が相当役に立ちました。『全洋画ONLINE』とか。
 それとNHK−BSでも同性愛映画特集が何度も組まれたのには驚きました。正確な年は忘れましたけど。

 ついでにボーゼ・ハドリー(Boze Hadleigh)『ビニール・クロゼット 音楽界を創ったゲイたち(The Vinyl Closet)』 (宝島社)、ボーゼ・ハドリー(Boze Hadleigh)『ラヴェンダースクリーン ゲイ&レズビアン・フィルム・ガイド (The Lavender Screen)』(白夜書房)。

 それと書籍関係の検索は、
紀伊国屋 入会金を払って会員にならないと詳しい検索ができませんが、すごい役たちましたよ。

 

 

 ついでに。

1963 伏見憲明、私(異性愛女)、誕生 00
1969 東京地裁にて、男性から女性への性転換手術を行った医師に対して「優生保護法」違反で有罪の判決が出された。  
1970 11月、三島由紀夫、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。 07
1971 日本初の商業誌のゲイ雑誌『薔薇族』創刊。東郷健、参議院選挙初出馬ってどうでもいい? 08
1973 10月カルーセル麻紀、モロッコで性転換手術を受ける。これで「モロッコ」は性転換手術の代名詞となる  
1974 ゲイ雑誌『アドン』創刊(今はもう潰れたらしい) ゲイ雑誌『さぶ』創刊(2002年2月号で廃刊) 11
1981 10月太田典礼『第三の性 性は崩壊するのか』人間の科学社  
1987 5月『別冊宝島 女を愛する女たち』 24
1991 6月伏見憲明(のりあき)『プライヴェイト・ゲイ・ライフ』(学陽書房) 28
1992 5月掛礼悠子(かけふだ ひろこ)『「レズビアン」である、ということ』(河出書房新社) 7月斎藤綾子『ルビー・フルーツ』(双葉社) 7月『別冊宝島 ゲイの贈り物』  第一回東京ゲイ&レズビアン・ヴィデオ/フィルム・フェスティヴァル開催 29
1993 1月『別冊宝島 ゲイのおもちゃ箱』 9月伊藤悟『男二人暮し』(太郎次郎社) 10月蔦森樹(つたもり たつる)『男でもなく女でもなく』(勁草書房) 『Badi』創刊 30
1994 2月『別冊宝島 ゲイの学園天国』 6月平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』(パンドラ) 12月伊藤悟・簗瀬(やなせ)竜太『男と男の恋愛ノート』(太郎次郎社) 31
1995 笹野みちる『カミング・アウト』(幻冬社)  『G-men』創刊号 5月レズビアン向けとして、初の商業誌として三和出版からレディースコミック『タブー』の6月号増刊として『ふりーね』が創刊された。10月にレディースコミック『タブー』11月号増刊として発行された『ふりーね』2号で休刊した。 32
1996 1月伏見憲明対談集『クイア・パラダイス』 (七つ森書館) 4月虎井まさ衛『女から男になったワタシ』(青弓社) 7月『クイア・スタディーズ '96』 (七つ森書館) 伊藤悟『同性愛の基礎知識』(あゆみ出版) 5月レズビアン雑誌『アニース』創刊(5号発行し、休刊したけど、又2001年夏号で再発行した) 33
1997 8月小田切明徳・橋本秀雄『インターセクシュアルの叫び』(青弓社) 10月『クイア・スタディーズ '97』(七つ森書館) 11月虎井まさ衛・宇佐美恵子『ある性転換者の記録』(青弓社) 12月伊田広行編著『セックス・性・世界観』(法律文化社) 34
1998 2月伊藤悟『思春期を奪われる子どもたち』 7月伊藤悟『同性愛者として生きる』(明石書店) 8月伊藤悟・落合恵子『自分らしく生きる』(かもがわ出版) 10月橋本秀雄『男でも女でもない性』(青弓社)
10月16日埼玉医科大学にて、女性から男性への性転換手術で、正式なのは日本では初めて行われた。
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↑以上、『伏見憲明の HOMEPAGE』『すこたん企画HOMEPAGE』『Metamorphosis Male to Female』をかなり参照させていただきました。

それと、オコゲの雑誌『JUNE』とかも、日本文化にかなりの影響をあたえたのは間違いないから、 参考資料として付け加えたいんですけど、資料がないんです。 『JUNE』史に詳しい方、もしよかったらご協力お願いします。

  

その他、

『リュミエール 動画の衝撃から100年』 映画草創期について、かなり参考になりました。映画の創始者は「アメリカのエジソンだ」という説と「フラスのリュミエールだ」という説と、色々あるんですね。かなり参考になりました。
「アマチュア無線の歴史」  
「エイズ基礎年表」  
「歴史データベース on the WEB」  
『国立国際医療センター エイズ治療・研究開発センター』「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」  

 

書籍の検索

紀伊国屋  入会金を払って会員にならないと詳しい検索ができませんが、一応掲載。でも入会金を払ってでも会員になる価値あり。もう便利で便利で。複数検索等で調べまくってます。

年表

『家庭総合研究所『昭和家庭史年表 1926〜1989』(河出)(1990年7月20日発行)
『別冊朝日 早わかり20世紀年表』(朝日新聞)2000年3月31日
『月刊女性情報』(パド・ウィメンズ・オフィス発行)
 

かなり参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 

 

 最後に。淀川先生とゲイ映画史のことで、修正、追加情報等がございましたら、 掲示板に書いていただけますか。皆さんと情報を共有したいですね。