井上はねこへの批判 2
『うさぎや日乗』1998年10月17日(土)権利の行使にも免許が必要?! (中略)
みなこさんのメールにある「ピルの話」で私が書いていたのは、「解禁に賛成できない」という意見だ。
中絶手術を受ける女性で一番割合が高いのは、既婚女性。避妊について夫と話し合えず(話し合う関係を作れず)、避妊を要求できず、不本意な性行為をも拒否できずに妊娠してしまう、子持ち主婦たち。
日本のこの現状を見たとき、いま現在のピル解禁は、避妊の責任をますます女性一人に押しつける結果になるだろうと、私は考えている。ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。
ピル解禁を主張するなら、服用者には(パートナーがいる人なら、その男性にも)性教育の受講を義務づけるべきだ、と、私は断固主張する! 講師は私がやったげるからさ!(笑)
それってエリート官僚による愚民統制の発想です。
女性の力関係が弱いからって、避妊へのハードルを高くし規制するのは、本末転倒です。弱者保護と、弱者への管理規制強化とをゴッチャにしたことを主張する方には困りますね。
【権利の行使にも免許が必要?】か?
それってエリート官僚による愚民統制の発想です。ファシズム国家の主席? 統一教会(協会?)の文鮮明(ムン・ソンミョン)?
参考資料 浅見定雄『統一協会ボディ・コントロールの恐怖 ―「新純潔教育」の正体』(かもがわ出版)(1997年発行) 柳美知子『からだと性器はだれのもの? 統一協会系のボディ・コントロールを衝く』(かもがわ出版)(1994年発行) 自分だけが偉くて、自分以外の女はダメやから、自分が管理してやらなくてはって、それってオヤジの封建的発想です。そういうのに女が怒ってオヤジから自己決定権を奪還しようとしたのがウーマン・リブやフェミニズムやなかったの?
あなたは、奴隷頭の根性ですね。女性のほとんどがダメ女ばっかりで、でも自分は例外の偉い女だから、自分だけが他のダメ女たちを教育指導する立場に立てて、ほかのダメ女たちを規制管理するって。
私は、あなたの経歴を存じ上げませんが、御出身が上流階級の高学歴エリート階級で、あなたご自身も高学歴でエリートなのでしょうか? そういう発想をするところがね。
女性の力関係が弱いからって、避妊へのハードルを高くし規制するのは、本末転倒です。
確かに、今現代の日本社会では、男性と女性ではまだまだ男性のほうが力関係有利やわ。だからといって、規制を強化するのは本末転倒です。
外国のフェミニズム状況と歴史の分析をします。
性的保守派のフェミニスト(アンドレア・ドーキンス、キャサリン・マッキノン)が、性的保守派の右翼(避妊、中絶、ポルノ、売買春全面否定)と連合。
新世代のフェミニストたち(避妊、中絶、ポルノ、売買春前面肯定)が、性的保守派のフェミニストたちを徹底批判した。
マリアンヌ・メイシー『彼女のお仕事(Working Sex)』(原書房) 1997年12月12日発行。原本は1996年発行。 同じくアメリカのフェミニスト。彼女も、アンドレア・ドーキンスやキャサリン・A・マッキノンみたいなフェミニストたちを批判しています。主流メディアを牛耳るのが性的保守派で、そのためにかなり偏向しているって。ポルノ解禁反対派、検閲制度支持のフェミニストばっかりとりあげてて、例えポルノでも表現の自由、検閲制度反対のフェミニストは取り上げられないって。これは、フェミニスト対反フェミニストの戦いじゃないのね。ドーキンスやマッキノンはただ単に性的保守派だからポルノ反対運動をしているだけで、一見過激で、その実はすごい保守反動であることが分かる。
ただ、『彼女のお仕事』って題名は違う。原題は「セックスをお仕事にしている」方々のルポルタージュで、男のセックスワーカーも、男から女への性転換者のセックス・ワーカーも同様に大きく取り上げられています。パット・カリフィア(Pat Califia)『パブリック・セックス(PUBLIC SEX:The Culture of Radical Sex)』 日本語の翻訳版は1998年8月7日発行
アメリカのフェミニストで、レズビアンで、SMの女王様嗜好。すごい、すごい! ポルノの自由、売春の自由を主張。彼女によると、フェミニストたちの中には例えばアンドレア・ドーキンスやキャサリン・A・マッキノンみたいなフェミニストたちが、未成年者保護、女性保護のためにって名目でポルノ反対運動をし、そのために中絶禁止法案の運動をしている保守派と結託して、中絶禁止運動へと流れて行ったとか。
日本の児童ポルノ禁止法案も実はその流れなのね。
「女性のため」「児童のため」→ファシズム 注意!
外国のあるフェミニストが「男女格差がある社会では、男女間の対等な関係はありえない」「あらゆる男女間のセックスは強姦だ」と主張しているのがいるけど。アンドレア・ドゥオーキンやキャサリン・マッキノンとか。私はこれはいくなんでも極端過ぎて賛同できません。世間一般からの支持はえられないでしょうね。「気狂いフェミニスト」って嘲笑をあびるでしょう。ただ、これはこれで首尾一貫していて筋が通っていることは通っている。実際、男性との性行為を一切拒否する禁欲主義のフェミニスト集団がいます。女性たちだけで共同生活をおくり、できる限り男性との接触をたつのもいます。私はこんな考え、全く同意できませんが。でもそういう主張のほうが、一貫性があることはある。ご自身の信念で尼僧みたいに禁欲なさろうと、どうぞご自由に。
日本では、田嶋陽子が「恋愛賛美で女は洗脳され、男の奴隷にされる」「結婚は、女を男の奴隷にする」って趣旨のことを発言していた。この発言は、日本では中々受け入れられないだろうけど、ある意味分かる。それに一貫性があることはあるしね。
日本のフェミニストって、中途半端なの多いのよ。変なとこでダブルスタンダードを使い分けるの。特に結婚しているフェミニストって、物言いがうさんくさいの。さらに極端なこと言うけど、もし「男女格差があるから、あらゆる男女の性行為、恋愛、結婚、売買春を法律で禁止し、違反者は警察が逮捕する」って主張するフェミニストがでてきても(私はそんなの聞いたことないけど)、一貫性はあることはある(しつこく繰り返すけど、私はそんな考えには絶対反対ですよ)。それに比べて、井上様は、ピルの解禁の否定だけを主張する。なぜピルだけ禁止するのか?
井上はねこを含め、日本のフェミニストは、そこまで言いきれるのか? 妙に中途半端なのね。男女格差のある社会では、恋愛もセックスも結婚も対等ではない。あらゆる男女間のセックスも恋愛も結婚も、全面否定し、禁止する考えか?
同性愛だと対等でOKか。でも同性愛でも、階層の違いはあるか。
★ 民族 日本人とかつての日本の植民地だったアジア諸国の民族(中国、北朝鮮、韓国、台湾などなど)、白人と黒人、
★ 経済 大金持ちと貧乏人、
★ 出自 先祖が旧華族か士族と被差別部落出身など、
★ 高学歴と低学歴など、
★ 肩書き
階層の違いがあったら、性教育の受講の強制か?
そら、ややこしい問題はあるでしょうけど、「対等じゃないから、性教育の受講を義務付ける」なんて、とんでもない話です。
男女平等ではないからって、女性のための避妊が解禁されないのは本末転倒です。
それに規制の対象が、恣意的すぎます。
恋愛やセックスや結婚へのハードルを高くせず、なぜ「避妊ピル」だけハードルを高くしようとする?
私は別に、恋愛やセックスや結婚禁止しようとも、ハードルを高くしようなんて思ってなんかいませんよ。ただ、それやったら、あなたが「お偉い方の性教育の受講を義務付け、お偉い方のご許可がなかったら、恋愛、セックス、結婚してはいけません」って主張するなら、まだ筋が通っているって皮肉を言ってるだけですからね。「筋が通っている」ってだけで、私は、そんな考えには全く同意できませんよ。お偉い方のご許可がなかったら、セックスでけへんの? 結婚でけへんの? 井上はねこ先生様の性教育の受講しないとセックスでけへんの?しかも避妊のうちのピルだけ、なぜハードルを高くしようとするのでしょう?
かつてアメリカでもヨーロッパでも日本でもあらゆる避妊は全て犯罪でした。カトリックの教えでは避妊は全て禁止です。カトリックの間でも避妊を容認すべきではという主張もでてきてカトリック教徒間でももめて、そして何代目かの法王が女性の妊娠しない時期だけのセックスだけは容認しました。でも純粋で厳格なカトリック教徒は全避妊禁止です。
女性が、クナウス・荻野式避妊法のために普段から体温表つけようと、事前に膣内にペッサリーとか女性用コンドームとか殺精子剤を挿入しようと、不妊手術受けようと、事後に事後避妊薬飲もうと、中絶手術受けようと、【避妊の責任をますます女性一人に押しつける結果になるだろう】とは言わないの? それらを全面禁止か性教育の受講を義務づけず、なぜピルだけ?
それに、なぜ、避妊ピルだけじゃなく、中絶の全面禁止を訴えたり中絶の前の高いハードルの設定を主張しない?
くどいほど繰り返しますけど、私は性行為や結婚や避妊の全面禁止も性教育受講の強制にも反対です。中絶の禁止や高いハードルの設定にも反対です。日本の避妊の歴史、海外の避妊の歴史とを比較すると、いびつな日本の精神構造がうかびあがります。
アメリカやヨーロッパでは、まず避妊も中絶も禁止されていました。そして避妊が容認され、1960年ごろに避妊ピルが解禁され、そして1970年頃に中絶がやっと容認されるようになってきました。アメリカでは、今でも反・避妊中絶、婚姻内でのセックスだけという運動が凄い勢力をもっていますが。
日本では、戦前は避妊も中絶も禁止。戦後、避妊解禁。中絶もいびつな形だけど「本当は犯罪なんだけど、ある条件のもとで容認」という形式になりました。アメリカでは1960年代に避妊ピルが解禁されたけど、日本では未認可のまま。つまり、日本では、避妊はピル以外か(妊娠しにくい時期だけのセックスかコンドーム)か、中絶かだったのですね。そういうのが人々の意識に多大な影響を与え、「中絶容認」「だけど避妊ピルは腐れ淫乱」みたいな感じね。
日本のフェミ業界(?)では、「中絶反対」はアウト、それでいて「ピル解禁要求」はやばいのでしょうか? 井上様は、規制の対象が恣意的すぎますね。
世界の人々の感覚からしたら異常でしょうね。通常は、ピル容認、中絶反対ならありえますけど。私は、事前の避妊容認、中絶は本当は許せないけど条件付で容認です(事前にキチンとやっていても避妊に失敗する場合もあるでしょうし。「もう二度としないこと」と必ず反省すること。何度も中絶するドアホは大嫌い)。それと、あなたの受講の強制は迷惑です。
英国では若い子たちのために無料で避妊相談できるセンターがあるらしいし、そういうのっていいなとは思っています。無料でピルからコンドームまでもらえるって。
女性たちのために(女性だけじゃなく、そのパートナーも一緒に)、避妊や妊娠、出産、女性の健康のためのいい情報提供を、魅力ある講師が講義してくれるのがあったらいいと思いますし、当然講師もその努力が必要だとは思いますけどね。そういうのがあったら、女性も男性も自分からすすんで受講するでしょう。
逆に全然人気なくって受講者がこなくって廃れても、それはそれでその程度のものだと受け入れる矜持が必要です。
あるカトリックのHPで、法王の容認した「自然な避妊法」(妊娠しない時期だけセックスするんやけど、その時期を見分けるのがいまだに困難なのね)の「ビリングス・メソッド」っていう避妊法の考案者ビリングスを外国から呼んで講演会をしたけど、全然客入らんかったって怒り狂ってたのには、大笑いや。私も本読んだけど、こんなん難しすぎてあかんわ思ったもんね。他にも『新リズム法 自然家族計画』とかも、私のひ弱いオツムじゃついていけない。こういうのに、女性たちが強制的に受講を義務付けられたら、女性もたまったもんちゃうな。私も昔の会社で、人権教育の講義を受けさせられましたわ。この講師がもうダメでダメで。内容もやけど、喋りが人に聞かせるレヴェルちゃうって! 人権教育強制受講のもと、ダメ講師が(税金か企業からの謝礼金かもらえるのでしょうなあ)のさばるのでしょうなあ。
もしあなたが、例え国の税金でも、女性センターかどこかで、大勢の女性たちに無料で性教育の講演会でも開催して、大勢の女性たちやそのパートナーたちが自分から進んで受講するなら、いい話だとは思います。
でも強制はダメだと思いますよ。あなたが努力して人々を引き付けるだけの魅力があれば、自然に受講生は集まるでしょうし、今の時代の方々からしたら魅力がなかったら集まらないでしょうし。人々の自由意思にまかせるべきです。大変失礼なことを申し上げますけど、私個人は井上様の性教育を強制的に受講させられるなんてたまったものじゃないし、お断りしたいと思いますね。
国民に対して強制的に受講させる教科書を、内容をどうするのか? その教科書の検定すら大騒ぎで意見がわれるでしょうね。国民に性教育を啓蒙するだけの能力がある方なのか、ない方ないのか、誰がどう決める? ない方が国民への強制はダメでしょう。もしその性教育を受講しないと○○ができない、なんてことなったら大変ですね。池田清彦『正しく生きるとはどういうことか』、ものすごい過激で驚きました。教育は全て民営化すべきだって。誰が学校を開設してもいいし、お上の許認可はいらない。教育も、教科書も学校が自由に決めてもいいし、それに魅力を感じた生徒が自然に集まるだろうって。教育資金は、生徒に貸与し絶対返却させること。文部省も教育委員会も、教科書検定もリストラだって。
簡単な読み書き、計算、後は社会で生きていく上での法律を理解できたかどうか(無駄、理不尽な法律だらけの現状では無理だろうけど)。学校が生徒に教えるべきなのは、そういう基本的なことだけだ。義務教育に関しては、政府が子供達にその資金等を保証すべきだけど、だからといって、その学校を政府が管理下におく必要ないって。
又、女性の自己決定権に対する物言いもひどい!
【ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。】
ダメ女(私を含む)がどこかにいる限り、権力による全女性への管理、規制強化、禁止事項だらけなるの? いつまで永遠にダメ女(私みたいなの)は世の中からいなくならいよ。全女性(っていうより、全人類)が立派な人間なるってありえないでしょう。永遠に女性への規制はなくなりませんね。それって、とんでもない考えですよ。
「弱者保護」→「全員への○○禁止、規制」というやり方は、人々に弱者や「弱者保護」への嫌悪や反動がわきおこりますね。
「ちきしょう、あいつ(ダメなやつ)がいるばかりに、こっちまでいい迷惑や」「弱者保護なんていやや!」って。私、存在するだけで、世の中に迷惑がられるわ(涙)
「弱者保護」ってダメな私には涙が出るほどありがたい話だけど、井上様の主張するような「弱者保護」は、そんなことしていただかなくっても結構ですわ。実際、ある学生が身体障害者への不満を述べた投稿だけど。彼のクラスに車椅子の身体障害者も入ってきたら他の者が迷惑だって。上から「アレをするな」「コレをするな」。遠足で他の生徒たちは山登りとか行けるのに、その車椅子の子の入ったグループだけ部屋待機って。それって、どっか違うのじゃないか? その車椅子の子と同じグループの子らまで規制させられるっていうことじたいが間違いなので。身体障害者のせいで自分が迷惑だというように思うのは筋違いじゃないか? こういう筋違いのことがあるから、身体障害者への嫌悪が沸き起こるってイヤなシステムだねえ。
昔は、嫁入り前の女性のセックスはおさえつけられていました。
ところが、男のセックスは甲斐性だと。
性欲処理用の女が特殊な女として隔離管理されていました。花嫁候補の純潔な女たちと、性欲処理用の女たち。
昔から、男の性は乱れに乱れていたのですね。昔は嫁入り前の娘がセックスするなんてとんでもない!って風潮やったの。 親が安心できる男をみつくろって娘を嫁がせるのが当然でした。
ところが、嫁入り前の若い独身女性たちがセックスを享受するようになってきました。OL→女子大生→そして今、女子高生のセックスが大問題としてとりあげられてきましたよね。
そういう時代の流れに対応できない方々は、若い女性のセックスに関心と憎悪を燃やし、 なんとか女性たちを押さえつけようとしました。
そういう時代にですよ、井上様みたいな女性がですよ、【ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、 それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。】って、主張し、嫁入り前の娘のセックスを法律で禁止するのは、本末転倒ですよね。今、女性たちは自分で性行為を選択していくことがはじまったばっかり。歴史の積み重ねがないから、最初はひどい失敗例も多いでしょう。今現代、大人から見て堅実な男性を「退屈」と嫌がり、ミーハー気分でかっこいい男に「キャー素敵〜」って選んで失敗する女性がたくさん増えてきているでしょう。大人からしたら、若い女の子は、男を見る目ないの多いでしょうし、失敗だらけでしょうし、イライラするでしょうね。それでも、それはそれで彼女の人生です。何度も何度も失敗を繰り返してもいいじゃないか。
もう昔には戻れない。偉い保護者が、女性を徹底的に保護管理指導する時代にはね。若い女性たちも先輩の女性たちの失敗の数々を観察し、先輩たちも自分の失敗談を語り、後に続く女たちがこれから成長していけばいいじゃないですか。
井上様への質問!
【ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。 】
あなたは、自分だけは例外と認識なさってらっしゃるのですよね。ご自分のことは自己決定【を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った】人間だと自己認識なさってらっしゃるのですよね?自己決定を【を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った】女性は自分で、じゃあ、自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持つに至っていない女性とを区分する一線って何?
「自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った」女性かどうか、どう区分する?井上様が、他の女たちより優位にたてる条件が何なのかよく知りませんが。高学歴? 上流階級出身? 講師をしているか何かですか? ぜひ明確な基準をお教えください。
井上様の主張は、自分は「自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性」で、でも他の女性の中には、ピル解禁によって被害にあう女性がいるから、ピル解禁には反対だ、ってことですよね、要約したら。
この発想は、人間を二種類に分けるもので、典型的な二重規範の適用です。こういう恣意的な二重規範は、誰が人間を区別するのかが不明で、性を楽しめる人間と、そうではない人間を分けるのは、お偉い方の恣意次第になってしまいます。
人間を理不尽に区別し権利を制限する発想は差別そのものです。あらゆる性に関することにに関する二重規範は論理が破綻しています。
井上様が「こいつは性的なことを利用してもよろしい」とご許可を与えたのは性的なことを利用できるが、井上様がご許可をあたえたかった方々には禁止というのでは、筋が通らない。
もし、井上様が二重規範をはずしても、差別的な論理を撤回して、首尾一貫した論理で、ピル解禁に反対するとすれば、昔の日本人のように、それか現代でもその精神を維持しているキリスト教のように、自らも性交を生殖のためだけに限定し、性の快楽を全否定する! そうしなければ筋が通らない。
性的保守派のようにポルノ全面禁止! あらゆる性風俗産業禁止! 芸能界も、少しでも性的なものは全面禁止!レディース・コミックや女性向のハーレクイン・ロマンスも全面禁止! 昔の日本人みたいに、キリスト教徒たちのように、避妊も中絶も全面禁止! セックスはあくまでも婚姻内だけ。種の保存のための必要悪としてのみ容認し、それ以外の性行為は全面禁止! オナニー全面禁止!(オウム真理教では、オナニーしたのは罰則として犬のように扱う刑罰があります!) 化学の進歩で人工受精ができるようになったら、もうあらゆる性行為は全面禁止でしょうね。それと、井上様の主張【ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。】こそ、女性差別の、男女間の二重基準の差別的な基準を支えるものでしかありませんね。
旧世代のフェミニスト、アンドレア・ドゥーキンス、キャサリン・マッキノン。日本で紹介される欧米のフェミニストたち。でも欧米では、新世代のフェミニストたちがドゥーキンスやマッキノンを徹底批判するのが出現しています。「彼女たちは、性的保守派と結託して、反ポルノのための宣伝としてメディアで紹介される」「彼女たちこそが、女性への性的抑圧を助長する」
ゲイの方の意見に傑作なのがあってね。伏見憲明が『性の倫理学』で言っていたけど、彼は女子高生の援助交際には全然興味がなかったって。それに女子高生のセックスぐらいでなんであんな大騒ぎするのかも分からないって。男子高校生なら、セックスしようが、金でセックス売ろうが、笑い話ですむのにって。確かに。彼も買春客だって。
彼は、好きな男性の過去の男性経験とか全然こだわらないって。貞操にもこだわらない。結婚前の女性がセックスしようものなら、お父様に居間に呼ばれて説教されるか、先生に呼び出しをうけて説教されるか。職場でも、「ふしだらなOLはこまる」ってな感じで上司から注意されたりな。
でも逆に男なら、そうは言われない。井上様の主張【ちゃちな「自己決定権」をふりかざす連中も世の中にはいるが、それを行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性は、まだまだ少ないのだ。 】といい、女性の選択肢を法律で規制をし解禁に反対するのですよね。
それこそが、女性差別じゃないですか?
それに、井上様はご自身を「自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性」として自己認識なさってらっしゃる。でも他の女性の中には、ピル解禁によって被害にあう女性がいる。だから、ピル解禁には反対だ、ってことですよね、要約したら。
なぜ、「ピル解禁反対」とまで論理が飛躍するのか?
「自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性」である井上様が「避妊用低用量ピルなんて、自分には必要ではない」と認識なさったからじゃないですか。「自己決定権を行使できるほどの自立した精神や人権意識を持った女性」である井上様が「自分には必要ではない」と認識なさったものは、全ていらない。だからって「市場に売ることはまかりならない」ってことですよね。それか自分が許可を下した女にだけは利用許可する。ムチャクチャですね。
「弱者保護」を名目に、弱者への管理・規制・支配を強化するのは本末転倒です。
これはよくひどい二元論に誘導する詐術なんだけどね、
★ 子供とかを弱肉強食の荒野に放り出して、後は自力で生き延びろ ★ 子供とかへの管理・規制・支配をする 「さあ、どちらかを選べ」って言うの。どっちもひどい。
それだけじゃない、第3の考えもありますよ。健康管理、疾病予防と疾病治療への対策に関して、色々な考えがありますが、大きく分類して、
★ 「自己責任だ」 ★ 「自己責任じゃなく、社会の責任だ」 →★国民への管理・規制強化 危険要因のあるものは禁止 →★社会が(税金や寄付金などを元に)負担して、弱者への援助をする 井上様のお答えは、文脈からしたら、★ 「自己責任じゃなく、社会の責任だ」 →★「国民への管理・規制強化 危険要因のあるものは法律で禁止」でしょうか?
ある思想で「健康管理は自己責任で、失敗したらそれは自分の責任だから自分で責任をとれ!」っていうのは、冷たいなあ思うけど、それはそれで未だ分かる。
私がいやなのは、権力による国民に対する法律での規制と禁止なのね。ダメ女(私を含む)がどこかにいる限り、権力による全女性への管理、規制強化、禁止事項だらけなるの? いつまで永遠にダメ女(私みたいなの)は世の中からいなくならいよ。全女性(っていうより、全人類)が立派な人間なるってありえないでしょう。永遠に女性への規制はなくなりませんね。それって、とんでもない考えですよ。
「弱者保護」→「全員への○○禁止、規制」というやり方は、人々に弱者や「弱者保護」への嫌悪や反動がわきおこりますね。
「ちきしょう、あいつ(ダメなやつ)がいるばかりに、こっちまでいい迷惑や」「弱者保護なんていやや!」って。私、存在するだけで、世の中に迷惑がられるわ(涙)
「弱者保護」ってダメな私には涙が出るほどありがたい話だけど、井上様の主張するような「弱者保護」は、そんなことしていただかなくっても結構ですわ。
私の考えは、「社会による弱者への援助」をどうかお願いしますメソメソメソ〜ってとこかなあ。「そんなもん自己責任だ! 甘ったれるな!」なんて言われたら、私も弱いなあ・・・。煙草も酒も。甘いお菓子も。ジャンクフードも。肥満も。不健康な生活も。同様です。
酒や煙草を、害悪と知りながら割り切って利用しているのもいるし。
権力による国民への規制強化や禁止や管理には反対です。アメリカでは実際、かつて禁酒法というのがありましたが、かえってヤミでの飲酒量が増加したって。禁止されたら、逆に大量に飲みたくなるのね。 甘いお菓子やジャンクフードの食べすぎでブクブクに肥えたやつらだらけでも、販売の禁止じたいには反対します。
酒、煙草、甘いお菓子、ジャンクフードは、人間の生存や栄養摂取には絶対必要不可欠ではないから、禁止してもいいって理屈はあるだろけど、私は反対します。有害情報を人々に伝えて人々が利用をやめてなくなるのならいいけど。
煙草や酒の中毒でやめたくってもやめられない方々に、アメリカでは助け合いのグループがあります。肥満から脱却して痩せたいという方々のための援助の施設もあるって。販売禁止なんかよりも、やめたい方への援助のほうがましです。
運動不足でブクブクに肥え不健康な身体になるやつだらけだとしても、国が法律で全国民へのラジオ体操への強制参加とかをやりだしたら、私も反対します。
「ドメスティック・ヴァイオレンス」(夫婦・恋人間暴力というほうが簡潔で適切と思うけど)がマスコミでもよくとりあげられ、「ドメスティック・ヴァイオレンス禁止法案」かなんかできましたよね。世の中には、夫婦・恋人間暴力があって、暴力ふるうのが男から女へというのが圧倒的に多いのは男女格差を表しているし問題です。
「そんなの自己責任で、後は自分で解決しろ」「解決できなくって死んでも、私は知るか! クズ男とクズ女との後始末に、税金の無駄使いされるのはたまったもんやない!」っていう主張も、まあ、ありでしょう。私は冷たいなあ〜思うけど。
まさか、あなたは「今現代の男女関係では、対等なのはまだまだ無理だ。恋愛、セックス、結婚禁止じゃ!」なんてアホなこと主張しませんよね? まさか「恋愛、セックス、結婚をする前には必ず【性教育の受講を義務づけるべきだ、と、私は断固主張する! 講師は私がやったげるからさ!(笑)】なんて思いあがったこと主張したりするの? そうでなかったら、恋愛、セックス、結婚を法律で禁止とか? それとも免許制度で受からないとできないとか。私がイヤなのはそれなのね。夫婦・恋人間暴力を社会が解決策にのりだすとしたら、私が一番いいなあ思う方法は、暴力者を罰し、被害者の逃亡を援助するのが一番では? 女性が男性からすぐ別れられるように自立援助をすることでは? 子持ち女性が子連れでも自活できるようにすること。子供への福祉を充実させること。だいたい女がいったん専業主婦なったりしたら、夫が浮気しようが暴力ふるおうが出て行けないから耐え忍んでいるのが多いのでしょ。子供が暴力ふるわれても、他に逃げ場がないから耐え忍んでいるとしたら、他に逃げ場を提供するのが一番では?
アメリカでは、かつては暴力亭主からの避難所の数が何軒かぐらいしかなかった。それが今や全米にものすごい数が増設されたとか。そこで女性の自立支援もしているとか。スティーヴン・キングの小説『ローズ・マダー』でもとりあげられていますわ。
日本でも、免許制度なんかよりも、そういう自立支援所とかの増設のほうがいいな。免許もってるものだけしかその業務ができない、て免許制度なんか、官僚規制の害悪です。
【権利の行使にも免許が必要?! 】か?
セックスをしたい。セックスだけはしたいが、まだまだ子供がほしくない。だから避妊をする。
それがなぜいけない?かつて、避妊は、人々から罪悪視されていた。
松沢呉一『ポット出版』の文章に敬意を捧げます。
彼は日本のフェミニストたちがどうしてこうもダメなのか不思議で過去の文献を大量にあたった。平塚らいてふ(1886〜1971)(明治19〜昭和46)の本を読み、避妊への嫌悪を知り、驚愕したって。
かつての避妊の先駆者マーガレット・サンガーも、国家権力や保守派と闘うだけじゃなく、一般大衆の避妊への罪悪感や嫌悪感とも戦わなくてはならず、さらに女性の人権を主張するフェミニストたちの中の避妊への嫌悪感をもっている反対派たちをも説得しなくてはならなかったのでしょう。
日本でも、マーガレット・サンガーの来日と講演会で刺激された左翼たちが産児制限運動を開始したけど、一般大衆は避妊情報を得られると大喜びで殺到したというよりも、避妊への嫌悪を罪悪感を抱いていたのでしょう。国家権力の弾圧だけじゃなく、一般大衆を説得するのも大変だったのでしょう。
私もさっそく図書館で『原始、女性は太陽だった』を読みました。もうビックリ!
ほんの何十年か前なのに、こうも世の中の道徳が変わるか!かつての女権論者たちは、避妊に嫌悪をいだいていた。
平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』「堕胎論議で発禁」から引用してみましょう。
堕胎論議で発禁 妊娠の事実は、いまさらのように、いろいろなことを考えさせます。みごもることのよろこびが、いっこうに胸にこないのはつわりの苦しみばかりではないのでした。
母となることにも、自主的でなければならない。すべての婦人が母になるについて、自由をもつべきであるという考えのもとに、恋愛を肯定したのににも、なお母となることを避けてきたわたくしですが、それが、子どもがほしくなければ、自制すべきだという考えに支配されがちなわたくしは、全面的には避妊を受けいれかねるという、はなはだ不徹底な態度の結果、母となる十分の条件がととのわないうちに、心ならずも、母となる日を迎えることになってしまいました。それが、自分たち二人を、こんなに幸せにしている愛情の創造物であるということを知りながら、限りないよろこびとして受けいれることのできないのは、なんという矛盾だろうと悲しくもなります。
つわりの苦しみに耐えながら、毎日、暗い思いのなかで、こんな貧乏のなかで、子どもが育つものだろうか、子どもを育てながら、自分たちの仕事が、勉強がつづけられるだろうか、個性を伸ばそうとする自分の生活と、母としての生活との間に調和がえられるものだろうか、こうしたさまざまの前途の不安が、やなり母となることを恐れさせるのでした。こんな思いのとりこになっているとき、たまたまやはり妊娠中の原田皐月さんが、わたくしとおなじような悩みのなかからまことに大胆な堕胎肯定論を、その月の「青鞜」(五巻六号9誌上に発表しました。それは、「獄中の女より男に」と題するもので、妊娠中のある夜の夢からヒントをえた創作だそうですが、堕胎罪をおかした女が、獄中から男にあてた手紙の形をとったものでした。
「女は月々沢山な細胞を捨ててゐます。受胎したといふ丈けではまだ生命も人格も感じ得ません。全く母体の小さな付属物としか思はれないのですから。本能的な愛などは猶さら感じ得ませんでした。そして私は自分の腕一本切って罪となった人を聞いたことがありません。」
親は始めから自分の継承者を世に出すなんて事は少しも意識しないうちに子供を産みます。少なくとも私はさうでした。そして勿論子供から産んで呉れと頼まれた事もありません。そんな無意識のうちに不用意のうちに、尊い一箇の生命を無から有に提供すると云ふ事は、然も其責任をまだ当然持ち得ないと自覚して居たとしたら、此れ程世の中に恐ろしい事があるでせうか。」
「罪を認めて居るものは法律で私ではなかったからです。」皐月さんのいおうとしていることは、けっきょく親として満足できる状態でないかぎり、親になるべきではない。そのためには堕胎もやむを得ない。それが法律にふれることであっても、自分の新年に従うほかないということで、いかにも皐月さんらしく、思いきったもので折が折だけに、わたくしも、相当ハッとした思いで一気に読んだものでした。
女性が堕胎罪で刑務所に入れられていた時代のことです。堕胎罪は今でも残っていますが、中絶がある特定の条件付で法律で容認になったのは、アメリカとの敗戦後のことです。
避妊への嫌悪。まだ子どもがほしくないくせに避妊せずにセックス。そして妊娠。まだ産みたくないから中絶して楽になりたい。
そういうのが、あの時代の女性たちのやり方だったのでしょう。まずは避妊なんかよりも中絶への希求が先だったのですね。原田皐月の堕胎肯定に対して、編集者の伊藤野枝が批判。
まあ、私も、原田皐月のあの物言いにイヤなものを感じますけどね。
自分の身体をどうしようと自分の勝手だ。お上に処罰させられるいわれはない! それは私も同意権だけど。酒、煙草、麻薬も自己責任で利用可で、警察が処罰すべきではない。ピルも自己責任で利用するもので、法律での禁止や規制には反対。中絶も、自己責任で、法律で犯罪にするものではない。
でも、もう少し物言いがあるでしょう。こら、反感まねくわな。そうそう。「生田花世と安田皐月の「貞操論争」」
生活苦から逃れるためには売春容認と主張したのが、西崎花世(後に詩人、生田春月と結婚)。
安田皐月(後に宝塚歌劇団創設に関わる原田潤と結婚、離婚、自殺)は例え餓死しても売春反対。
『青鞜』誌上で論争になりました。
翌年(大正5年)には、安田皐月は妊娠し出産の恐怖から堕胎肯定して発禁処分。こういうところがな〜・・・。自分が出産の恐怖におちいると、堕胎肯定になるというところが、勝手というか。苦しみから逃れるためには、売春容認、堕胎容認なら首尾一貫しているんだけどねえ。自分は売春することは決してない者のおごりでしょうな。この人には、魅力が感じられず、他の弱者への想像力もなく、ただ単に自分勝手なエゴイストな匂いがするなあ〜。
(国禁の堕胎に対して、正面から挑戦した皐月さんのこの文章によって、「青鞜」五巻六号は、久しぶりに発禁処分をうけました。)
皐月さんのこの堕胎論に対して、エレン・ケイの母性主義を信奉する山田わかさんは、真正面から反対し、四周年記念号(五巻八号)に「堕胎に就いて」の一文を寄せました。
「私は堕胎も避妊も等しく大きな罪悪だと思います。
個人の幸福、並びに国の栄を破壊する大きな不徳です。配偶を持つのは自由、天から付与された、人の権利なのですが、併し権利は享有して、其れから必然わいて起こる結果を処理する義務を逃れようとするのは最醜悪な卑怯です。」
「人間以上の力がつくった生命を殺し、のみならず親の生命をも危うくするやうな事柄を、人命財産の保護を標榜して立っている国家が、正当として許す事が出来ませうか・・・・」と、法の立場を支持する意見を述べています。
すごいですねえ〜・・・。
井上はねこ様。
今の時代からしたら、山田わかの主張「私は堕胎も避妊も等しく大きな罪悪だと思います」は、すごい極端に思われますよね。
でも、あなたの主張も、後世の方々から奇異に思われるようになることでしょうね。井上様の主張【権利の行使にも免許が必要?!】ですが、いくらなんでも、ピル服用するのに免許とらなきゃいけないのは変でしょう。
皐月さんの、あの当時としては大胆不敵とも思えた堕胎肯定にはじまった一連の堕胎論議も、妊娠中絶という言葉で、平気で行われている今日の時代からしたらは、どのように見られ、受けとらることでしょうか。
避妊問題についても同様です。一般的には、実際問題として肯定しなければならないと考えても、自分がそれを実行するということにはどうも抵抗がありました。いまは避妊は当然の個人の権利というように考えられていますが、当時はそうした視野はなく、まだ社会問題として論ぜられてもいなかったし、避妊の方法など実際的な知識を与えられる機会など全くなかった時代(「貴方の友」とかいう避妊薬のあることなどをなにかで知っていた程度でした)ですから、極めて不自然な、自分たちの愛を汚すような醜悪な感じがあって、そんなことをするよりもお互いに自制した方がましだという考えがあったように思います。日本で避妊が公然と社会的な問題となったのはサンガー夫人の来日(大正十一年)以降のことです。
驚きです。
平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』四巻の年表を読んでみましょう。
1886(明治19)年 出生 東京の高級官僚のお嬢様。 1911(明治44)年 25歳 『青鞜(せいとう)』創刊。創刊の辞「元始、女性は太陽であった」を発表。このときより「らいてう」のペンネームを用いる。 1914(大正3)年 家を出て、奥村博と同居。結婚制度に反対し婚姻届を出さない、今で言う事実婚(1941年に55歳で婚姻届を出し奥村姓になった。お墓も一緒)。 1915(大正4)年 五巻一号より、『青鞜』の発行権を伊藤野枝にゆずる。長女出産。 1917(大正6)年 長男出産。 1919(大正)年 30歳 『青鞜』売上不振で六巻ニ号以降無期休刊。 1922(大正11)年 36歳 マーガレット・サンガー来日。平塚らいてう36歳です。 1971年(昭和46)年 85歳 死亡。 なんと当時としては過激な女権論者であった平塚らいてうでさえ、マーガレット・サンガー来日の36歳まで避妊の知識もないまま出産し避妊の権利など思いもよらなかったとは!
時代は変わる。人々の意識も変わる。今時、「避妊は罪悪」だとか主張しても嘲笑されるだけでしょう。
晩年の平塚らいてうも、かつての山田わかのあの避妊反対の主張など、戦後世代にとってはあまりにも奇異なものでしかないということはよく分かっていました。自伝で、山田わかの避妊反対の主張を、子供ができなかったからとかなりかばっていました。それでもね〜・・・。
私も昔は、宗教信者ってや〜ねってだけしか思ってなかったのね。でもこれ、宗教信者だけの問題じゃないのね。
「ポット出版」HPでの松沢呉一の連載が傑作なんだけど。彼は、明治・大正・昭和時代の女性の権利を訴えた女性たちの本を大量に読破して発見したんだけど。平塚らいてふ「避妊してセックスするのは、愛を汚すことで、そんなまねをするぐらいなら、セックスしないほうがましって思ってた」ってなことを書いていたのには驚いたって。昔は、大勢のフェミニストたちが、避妊に猛反対していて、ほんの何十年かで道徳は変わる。平塚らいてふでさえ、時代が変わって、かつてのフェミニストたちが避妊に猛反対していたなんてこと、今の時代の人々には時代錯誤に思われるって理解していたから、なんとか必死で擁護していましたけどね。
今でも、こういう考えの女性たち、いますよ。それか、基本はこれで、さらに今の時代風に改定されたようなのとかね。私は、全く別の考えですけどね。
それと、セイフ・セックスに反対していた方もいます。同じエイズにかかってもいいってぐらい愛しているって人としかセックスするものではないって。それで同じエイズにかかっても一生添い遂げたらいいのではって。アメリカでは、「コンドームで性病予防だなんて性が乱れる」ってコンドームに反対する勢力がいます。「性病治療とか性病治療法の研究開発とかは性を乱れさせる」って反対する勢力がいます。
モラルは、人によって、あまりにも多様すぎるから、特定のモラルを他の人々に強制するのはダメだと私は思いますよ。あるモラルを持っている方が、他の方々に影響を与えて、それが世の主流になっていくというのなら、いいんですけどね。ピルやコンドームやセイファー・セックスの全面禁止は、他の人々への一方的なモラルの押し付けですしね。
官僚による愚民統制。その下で利益を受ける方々。
今の官僚制度では、ごく少数の高級官僚が絶対的な許認可権をもっています。その下で恩恵を受けている方々がいます。
官僚規制撤廃!
免許制度廃止!
教科書検定などの検定制度撤廃!
免許がなくても、医療行為を行えること。弁護士業務を行えること。
客が、誰に頼むかを自分で選択すること。学歴や資格はあくまでも、判断するための一素材でしかない。客が、医師免許のない方を信じて医療行為をお願いしてもいいじゃないの。治療行為で商売したい方は、学歴から経歴、治療内容などを客にアピールして、その上で客が判断すること。医師が情報提供したくなかったらしなくていいけど、そんな医者は患者から見捨てられるでしょう。又、医師が偽の経歴や情報を提供することは、その情報を信じた客に対する詐欺罪となる。喘息などを医師免許もってない方が治療したり宣伝すると、医師法違反で警察に逮捕されるっていうのは害悪です。個人が情報を取捨選択して自己責任で行えること。市場の自然淘汰で、いい物は客が殺到し、ダメなのものは自然淘汰される。そういうので大衆が十分やっていけること。それで十分なのに、権力が管理・規制するのは害悪です。
誰と、どうセックスするか。それに関して、権力が介入することは害悪です。
資格や学歴は、あくまでも客がその人を判断するための一素材でしかない。
免許と資格
免許独占業務の廃止
免許独占業務とは、その免許を取得した者しかしてはいけない業務のことを言います。代表的なのは、医者、弁護士です。
私は、池田清彦の『正しく生きるとはどういうことか』を読んで衝撃を受けました。近藤誠『ガンは切れば治るのか』での池田清彦の解説もすごい。
国家権力による国民の規制の撤廃を主張。今現代の法律では、患者を治療するのも、弁護士業務をするのにも、美容師になるのにも、酒店を開業するのにも、学校を開校するのにも、国家権力からの許認可を得ないといけないけど、客が納得しているのなら、そんなもの必要ないって。驚きました。
医者になるのにも免許はいらない。客がやぶ医者にかかって死んだら、それは客の責任なのだ。客は、治療者に学歴から経歴から治療方針まで情報公開を要求し、相談して、自分で判断するのです。もちろん、治療者が偽りの経歴や情報を教えたら、それは詐欺罪です。治療者は、客に情報公開するでしょう。客に情報公開しない治療者は、客から見捨てられ廃業するしかなくなるでしょう。一番重要なのは、お上が決めた「規定通りのやり方」をしたかどうかではなく、客との合意なのです。今の免許独占業務は、客のためじゃなく、お上と免許独占業務の従事者を保護するためではないのか。ここまで懇切丁寧に説明されて、やっと、やぶ医者にかかって死ぬのも客の責任だということが分かりました。
他にも弁護士、美容師、鍼灸など、免許がなくっても、客が納得しているのなら、そのサーヴィス提供者はその業務をやってもいい。
井上はね子様、性教育資格検定、何級とか、何段とかあったら傑作でしょうね。
あくまでも世間的には、華道の資格程度で。それも流派が色々あって、未生流とか池坊流とか程度で。井上はね子流性教育初段とかね。
男性が受講して、キレイな女性に「僕、井上はねこ流性教育初段なんだ」で、相手の女性が「まあ、素敵! じゃあ、女性に対して大切にセックスしてくれるわね」なんて(大爆笑!)ただ、強制的に受講させられたり、免許なかったらピル飲めないなんて、恐ろしいことですよ。
井上様の発想は、他の方々を見下している。絶対権力による愚民規制と、権力に任命された教育者による愚民指導が必要と思っている。それって、害悪だと私は思います。
自己責任で十分やっていけること、やるべきこと。
自己責任だけではやってはいけないこと。いい医者の客になるか/ヤブ医者にかかって死ぬか。いい男に出会っていい関係を築けるか/最低男にひっかかってひどいめにあうか。市場の原理で、いいものは栄え、ダメなのは淘汰される。それぞれの人々が自己責任でやっていけること、やっていくべきこと。
そういうのに、権力が規制をするほうがかえってダメです。お上が恣意的に決めたのでしかない「正しい基準」で、規制されるだけでしかないし、その「正しい基準」だけが過剰に保護されて、他の基準がひどく規制されてしまいます。
一番いい方法は、市場の原理での人々の判断にまかせるべきことです。井上様は、男性が女性に一方的にわがままし放題なのが多いことを嫌悪なさってました。
でも、ボツボツと、女性が自分に不利なのを拒否するようになってきましたよ。「ブサイク、ジジババ同居で下の世話をしてなんていや」って。私のまわりには、いい年をしていまだに結婚していないのゴロゴロいるけど。酒の席で「昔の女はブサイクと結婚して、ジジババ同居で下の世話をして一生を終えてたけど、そんなのを拒否できるようになれただけでも幸せだよね〜」って言ったら、苦笑しながら同意。そういうのを後押しするのが一番なのでは? 今、女性たちが嫁役割を拒否するようになり、無償の(悲惨な労働条件の)老人介護から逃亡するようになってきたので、保守派が今時の女性たちを怒り狂って非難してたけどさあ〜。「そんなの、逃げて当然!」って後押しするで。伊田広行『シングル単位の恋愛論』『シングル単位の社会論』で、嫁頼りじゃない将来の老人介護象を提示なさっています。
それに昔に比べて、封建的な男、低脳マッチョは、今時の女にはもてなくなっているのでは? ええど、ええどって拍手喝采や。
井上様がピル解禁反対なんて叫ぶのはハッキリ言って筋違い。低脳マッチョはもてなくなる、女が間違って結婚してもすぐ逃亡するようになる。これこそが、低脳マッチョへの最高の制裁でしょう。
車とかの免許に関しては、又別の問題だけどね。能力ないのが車運転したら人轢き殺すかもしれへんしね。能力ないのが車を運転して他人を轢き殺したら、轢き殺された者の自己責任とまではいうのは酷でしょう。自分がいくらシッカリしていても、バカ者の運転で轢き殺されるのを防げるわけではないし。
ヤブ医者にかかって死ぬのは客の自己責任、バカ男にひっかかって悲惨な目にあうのも自己責任だけど。
自己責任でやっていけることには、自己責任でやっていくこと。
ただ治安維持、経済活動のためには、権力の規制も最低限必要ですけどね。池田清彦『正しく生きるとはどういうことか』、近藤誠『ガンは切れば治るのか』での池田清彦の解説を参考にしました。
どうせなら、現代医療の禁止や規制を主張なさらずに、禁止されている医療への官僚規制を撤廃しませんか? 官僚の許認可権や医療関係者の独占体制を解体しませんか?
高級官僚の許認可権撤廃! 医師免許なしでも治療可! 学歴や資格はあくまでも、客が判断するための一素材でしかない。
以上、現代医療について色々思うことを書きましたけど。
私は、別に現代先進国諸国で大学医学部や薬学部を出て免許を取得した医療関係者たちに媚びへつらう気はないですよ。免許取得なさった医療関係者たちとは全く利害関係ないから。東洋医学などの代替・相補・伝統医療が人々からの圧倒的支持をうけて、現代欧米医療の独占体制の既得権が崩れてもいいとも思っています。
今現代の先進国諸国では、官僚が許認可与えた大学医学部出て医師免許取得した方々だけが患者を治療できるという独占体制になっています。医師免許のない方が治療すると逮捕されます。けど、医師免許のない方が医療行為を行って利益を得てもいいと私は思っています。患者は、医者の公表した学歴と医師免許(というより資格やね)を吟味し、その方にお願いするもよし。患者が、大学医学部出ていないし医師免許(といより資格やね)もってない方に、身体の不調を訴え治療をお願いするもよし。患者が自分で判断して医療者を選べるのね。免許制度というのは、免許を持った方の独占業務ね。私はそんなのよりも、学歴や「資格」の検定試験で、学歴や資格はあくまでも他人がその人を判断するための一基準でしかない、という考えのほうがいい。
「療術の歴史」、ご一読を。
【昭和22年、突然療術など民間療法が禁止されることになりました。この民間療法の禁止法を契機に、療術を守るため全国療術師協会が設立されることになります。
その後、健康を維持するために療術を利用したいという国民の強い願いと、全国療術師協会の活発な活動によって療術は「特例的に」生き残ることになりましたが、昭和35年の最高裁の判決によってようやく治療の自由を手にすることになります。
※昭和35年の最高裁の判決は、「有害性」が立証されない限り療術も禁止できないというもの。 】
こういう歴史をもっと調べたいな。今現代の許認可制度では、大っぴらに治療のできないのがたくさんあります。
例えば、私は体調不良でカイロプラクティックなどを受けていますが、効果ありましたよ。その先生で「今の法律では『喘息治療できます』なんておおっぴらに宣伝できないのよ。ばれたら罰金3億円もするのよ」やて。その先生、張り紙で訴えていたわ「厚生省にカイロプラクティックでの治療も認めてもらうよう、小泉首相にお願いします」とかなんとか。
フィクションですが、『ハリーとトント』って映画で、ハリーってじいさんが留置所いれられたら、同房にネイティヴ・アメリカンのじいさんがいたのね。彼は正式ではない医療行為をした罪として逮捕された。彼はハリーの肩を直してくれるの。現代先進国アメリカでは、欧米の現代医学だけを正当とし、ネイティヴ・アメリカン伝統の医療を禁止するようになってしまったのね。医師免許のないのが喘息とか治療するなんてこと、医師たちが猛反対するでしょうね、既得権を守ろうと。
それとか、今のカイロプラクティックの先生方も、カイロプラクティックを正式に医療として厚生省に認めてもらおうとするんだけど、「免許のあるのだけ治療できて、ないのは治療できないようにしよう」なんて方向にすすまないでほしい。学歴や資格はあくまでも患者が治療者を判断するための一素材ぐらいに思ってほしい。一流大学出で資格もってる先生に患者が殺到するかもしれないけど、でも「学歴も免許のない先生でもいい」っていう患者の判断だってあるのだから。
それと官僚が何がなんでも絶対反対するでしょうね。今まで官僚は、あらゆることを、官僚の気分次第で、さっさと認可したりノロノロと認可したり、規制したりしなかったり、認可したりしなかったりということで権力を握ってきたのね。そら、業者は官僚様に認可してもらおうと思ったら媚びなくてはいけないのね。だから、その既得権を守るために、官僚の許認可権というのを死守するでしょうね。もし井上様が、現代人工的医療に嫌悪をもち、自然な医療に愛情をもつなら、現代医療を規制したり禁止するなんて方向じゃなく、現代医療関係者の治療の独占体制と、官僚の規制撤廃を訴えるのはどうでしょう? 現代医療の分野に入らない医療関係者たちが仕事をしても逮捕されないよう法律を改正するのが一番では?
実際、井上様が愛着と信頼をもっている鍼灸療法も実は官僚の許認可制度のもとにあり、実は厳しくアレコレ規制されているとか。その官僚規制をなんとか撤廃しようと主張されている方々もいらっしゃるとか。
かつて日本はアメリカと戦争をし、1945年の敗戦後、マッカーサー率いる占領軍が日本を占領し土人たちを文明化しようとした。当時の医療界を牛耳っていたのがサムス。彼は鍼灸を土人のオカルト、まじない療法だと禁止しようとしたけど、当時の鍼灸師たちが抵抗し、マッサージの一部と容認されるようになったとか。
井上様は鍼灸治療に対して、かなりの信頼と愛情をお持ちのようです。そのお気持ちに対して全く否定する気はありません。
ただ、井上様の論理で言うと、鍼灸治療を否定し法律での禁止を訴える方々が現れたらどうなさるおつもりでしょう? じゃあ、禁止なさるのでしょうか? 世の中から、治療法がドンドン否定され禁止されますよね。と、皮肉の一つでも言いたくなります。サムス大佐みたいな「お偉い方」が、「鍼灸は土人のオカルト療法だ」って鍼灸を禁止するのも、余計なお世話なら、井上様みたいな「お偉い方」が、「身体に嘘をつく」ってピルの解禁反対をするのも、余計なお世話なのね。
鍼灸やピルが、人々から人気を失いすたれても、それはそれで人々の意思なんだから、私は構いませんよ。「お偉い方」が上で勝手に決めて法律で禁止するっていうのが嫌なだけやから。「身体に嘘を付く医療は法律で禁止だ!」なんて叫ばないでね。
「身体に嘘を付く医療」も、「身体に嘘を付かない医療」も禁止なんかせず、どちらもちゃんと患者が選べるようにするのがいいな。その上で、井上様の体験談や主張や勧誘活動が人々の心をうち、「身体に嘘を付かない医療」に人々が殺到し、「身体に嘘を付く医療」が廃れるかもしれない。それでも、私は全然構いませんって。
こういうことを主張することで、私は医者や薬剤師や官僚たちを敵にまわすことでしょう。でも、いいの。その覚悟はできているから。
参考
エホバの証人問題リンク集 書籍集 伝統療法、民間療法、代替・相補医療、リンク集 書籍集 鍼灸による副作用 リンク集 癌 論争
私が影響を受けた本
鶴見済
『完全自殺マニュアル』(1993.7)
『人格改造マニュアル』(1996.11)生きていくのがつらい方々のために、生き延びていくための方法を提示した本。感動。 私は、いざとなったら安楽死させてほしいし、自殺するかも。「いざとなったら自殺したらいい」「自殺方法は首吊りにします」「こう考えたら、生きていくのが楽になった」って鶴見済『自殺マニュアル』『人格改造マニュアル』に共感したもの。
私は今まで麻薬はいけないことなんでしょ、って思いこんでいた。ところが彼の本を読んで考えが変わった。自己責任で利用も可。実際、オランダでは麻薬解禁、安楽死法案可決されたのね。
副島孝彦
『現代アメリカ政治思想の大研究―「世界覇権国」を動かす政治家と知識人たち 』(1995.9)→改訂版→『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(1999.3)
山口宏弁護士との共著『法律学の正体』『裁判の秘密』『裁判のカラクリ』その他著作多数。彼の本、面白いです。アメリカの政治思想の全体像を分かりやすく解説。その内の一つリバータリアンを紹介。小さな政府で、権力による国民への規制をなくしていこうって考え。具体的には、中絶、売春を警察が犯罪として取り締まらないことなどなど。 ただ、彼の最大のネックは、女性憎悪と恐怖。仕事ではサバイバルできた自信からかリストラ肯定。ところが男女関係や結婚になると、離婚しやすくなって妻が簡単に逃げられるようになるのが怖いみたい。すごい保守反動。それと小さな政府、福祉反対なんだけど、今話題の老人介護の問題なると、どうかと思うなあ。中途半端なのね。ズバッと言えないのね。モゴモゴモゴ・・・なるのね。
笠井潔『国家民営化論 「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム』(1995.11)光文社→(2000.12) 国家権力は、国民に干渉してはいけない。犯罪など、他人に迷惑をかけたときだけしか拘束力はないって。自殺も安楽死も肯定。売買春もお互いの合意の上なら、警察は干渉してはいけないって。
ただ、彼はどうやら中絶反対らしい。彼の中絶に関する物言いは、いやらしい。伊田広行『シングル単位の恋愛・家族論』『シングル単位の社会論』(1998.4)世界思想社 北欧の福祉社会に大変な影響を受けています。大きな政府でいい。家族間の助け合いじゃなく、税金で相互助け合い。最高のフェミニスト。女性の立場からしたら、福祉充実社会が一番生きていきやすいのね。
日本の男性にしてはめずらしく女性が分かる方で、女性への説得力は、この方が一番。池田清彦
『正しく生きるとはどういうことか』(1998.5)→(2001.8)新潮社
『臓器移植、我、せずされず』(2000.4)近藤誠『がんは切ればなおるのか』(1998.6)文庫版での解説
『正しく生きるとはどういうことか』は、元々は笠井潔『国家民営化論』にほとんど同意しながらも、少し意見の違うところもあるからというのが、この本を書いた動機らしい。 国家のパターナリズム(国民一人一人の自己決定権を侵害する管理、余計なお世話な保護)への反抗。麻薬解禁、売春防止法の撤廃を主張。医者の免許がなくても医療行為ができるようにすること、治療をする者は依頼者に全て情報公開し、依頼者が誰に依頼するか判断ができるようにすること。弁護士資格がなくても弁護士業務ができるようにすること。官僚の許認可権、規制撤廃。国家権力が、国民をあまりにも不当に管理・規制したり、警察権力が不当に国民を規制してはいけないって主張。中絶も、犯罪扱いされるのには反対、つまり容認。売買春もお互いの合意の上なら、警察は干渉してはいけないって。
国家権力は、必要最低限の治安維持と裁判程度があればいい。
官僚による国民への規制撤廃を主張する政治思想「リバータリアニズム」に近いけど、でも経済活動まで「リバータリアニズム」まで完全自由化にはできないだろう、ある程度の規制は必要って。私も池田説に共感。ただ、彼は安楽死や自殺には反対。私は、いざとなったら安楽死させてほしいし、自殺するかも。「いざとなったら自殺したらいい」「自殺方法は首吊りにします」「こう考えたら、生きていくのが楽になった」って鶴見済『自殺マニュアル』『人格改造マニュアル』に共感したもの。
デイヴィッド・ボウツ(David Boaz)『リバータリアニズム入門 (Libertarianism : a primer)』(1998.11)洋泉社 副島隆彦の紹介・翻訳。国家権力の肥大化に反対し、官僚規制など、特定の権力 が国民を規制・管理するにの反対。中絶も、売買春も合意の上なら、国家権力(警察)が犯罪として取り締まるのに反対。福祉反対。国家権力は、福祉という名目で税金を徴収し、国家権力の肥大化をまねくからだって。反税金って。ただ、これは弱肉強食の世界だなあ。女性には生きていきにくい社会だなあ。 池田清彦が、官僚による国民への規制撤廃を主張する政治思想「リバータリアニズム」に近いけど、でも経済活動に関しては「リバータリアニズム」まで完全自由化にはできないだろうって。経済活動に関してはある程度規制も必要って『正しく生きるとはどういうことか』で代替案を述べてはる。私も池田説のほうに共感。