グレゴリー・ピンカス(Gregory Goodwin Pincus) 1903-1967
避妊薬ピル開発
アメリカの生理学者
1903年に、アメリカ、ニュージャージー州ウッドバイン(Woodbine)で生まれた。
父親は教師で、 『Jewish Farmer(ユダヤの農民)』の編集者で、農業のコンサルタントで、19世紀末にロシアから皇帝のユダヤ人大虐殺を逃れてきたユダヤ人たちをアメリカアで農業でやっていけるように指導するユダヤ人コミュニティのリーダーだった。
ピンカス一家はニューヨークのブロンクスに移動し、モーリス高校に進学し、1924年にB.S. ニューヨーク、Ithacaのコーネル大学で生物学でB.S. degree を獲得し、それからハーバード大学大学院で教育を受けた。1927年に科学の博士号を獲得した。
結婚は、ハーバード大学大学院の最初の年に出会った女性との間で、2人の子供に恵まれた。
1944年に、G・ピンカスがマサチューセッツ州ウースターに、ウースター実験生物学研究所(the Worcester Foundation for Experimental Biology)を設立し、初年度の予算10万ドルは連邦政府研究助成金、アメリカ癌学会、ステロイド製薬会社サール社などからかきあつめることができた。
1951年には、Planned Parenthood Federation からも援助金をもらい、1952年には避妊運動の推進者マーガレット・サンガー(Margaret Sanger)と大富豪未亡人マーガレット・デクスターマコーミック(Katherine Dexter McCormick)からの経済援助により、女性のための避妊法の研究開発にのりだした。 彼の歴史に残る業績は、生殖の生理学、中国人ミン・チュエ・チャン(Min Chueh Chang) 、カトリック教徒ジョン・ロック(John Rock)との共同開発による人間のための避妊方法は、今や「ピル」として有名です。
この経口の避妊薬の形式は、女性の生殖機能を抑制する合成ホルモンに基づきます。 女性の身体は、妊娠中には排卵が抑制され、その排卵を抑制するのがステロイド・ホルモン・プロゲステロンの分泌だということに 気がつきました。 1950年代に、プロゲストロンに似た作用を起こす合成ホルモンの研究開発をすすめ、 その合成ホルモンを経口避妊薬として利用することを思いつきました。 1954年に、最初の臨床試験をおこないました。1956年には、ニューヨークのBrookline、マサチューセッツ州、 プエルトリコ、ハイチなどで何百人もの女性たちに臨床試験をしました。 効果が実証されました。ただ、唯一の副作用は吐き気でした。
アメリカのピンカス博士、1956年にプエルトリコのサンファンで経口避妊の実験を開始し、1954年ハ−ツらが経口投与でエストロゲン活性を失わないステロイドの合成に成功したこともあり、1959年から経口避妊薬としての研究開発が進んだ。
1957年に、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、使用制限つきでステロイドの販売を許可しました。
1960年、米国のFDA、サール社の高用量ホルモン配合剤「エナビット10」(ノルエチノドレル・メストラノール配合剤)を経口避妊薬として承認。続いてヨーローッパでも認可する国が増える。
アメリカでは、州によって法律が違い、
全米50何州のうち、実は1965年までは,マサチューセッツ,コネチカット他、多くの州において避妊は違法でした。
避妊薬の処方はもちろん,女性用避妊キャップ(ディアフラグマ)の処方,避妊のためにコンドームを勧めることすら違法でした。
1965年に、コネティカット州の家族計画連盟(Planned
Parenthood League)重役のEstelle Griswold (女)がコネティカット州最高裁相手に訴訟をして敗訴し、アメリカ合衆国最高裁に上訴してから、
既婚者の避妊が合法化されるようになった(Griswold
v. Connecticut)。
1972年、アメリカ合衆国最高裁が、未婚の女性の避妊法の使用を法律で正式に認めた(Eisenstadt
v. Baird)。
1973年、米国テキサス洲の妊婦がおこした中絶の権利を求める裁判で、
連邦最高裁は全米での中絶を認める判決(それまで多くの州では中絶は違法だった)。(Roe
v. Wade)
マサチューセッツ州、コネティカット州などでは、かつては避妊は非合法でしたので、 マサチューセッツ州でのピンカスの避妊法の研究、開発は非合法でした。
彼は、1960年に家族計画連盟(Planned Parenthood)からラスカー賞、オリヴァー・バード賞(ロンドン)、および1964年の近代医学賞を受け取りました。彼は1965年に米国科学アカデミーに選任されました。
1963年、ピンカスは、国際家族計画連合(International Planned Parenthood Federation)のthe Oral Advisory Group の初代会長になりました。
避妊が未だ違法で、科学者達は保守派たちにおびえながらも避妊薬を開発した。ところが、特許をとらなかったために、最初は違法の避妊に関して及び腰だった製薬会社に利権を奪われ、開発者達は不遇の後世を送ったとか。
たぶん、ユダヤ人差別、中国人差別の問題もからんでいたのでは?
参考資料
Dr. Gregory Goodwin Pincus: Father of "The Pill" | |
xrefer: Pincus, Gregory Goodwin (1903 - 1967) |