1999年11月14日(日) 伊田広行講演会 テイプおこし3(完全版)

 

Y = 司会者、Y(女 保母 40ぐらい?)

O = O(男 フリーの身体障害者介助人 40ぐらい?)

F = のら猫の手(女。社会不適応者。落ちこぼれのクズ。1963年生まれ)

I = 伊田広行先生

H = H(男 フリーの身体障害者介助人 30ぐらい?)

 

 

今度、Oさん、4番目お願いします。  
 ええとね。あの・・・どうしようかなあ・・・。ついだからねえ、さんの意見というのかな、(元々は)労働の話しをしたくて(あらかじめ準備はしていたんだけど)、それぞれの働き方、自分の働き方の話しをしなくてはならないってのは、それはちょっと後にして、異性介護の問題とかね、それから――  
すみません。Oさん、自己紹介をお願いします。  
 自己紹介ね。あっ、すみません。僕はやっぱりHさんと同じように障害者の介護人の仕事をしてます。一応4年半なるけど、最初の3年ぐらいはヴォランティアという感覚でやってたんで、職業意識にめざめたのがこの1年半ぐらいなんですけど。

 日常的にこの問題というのを、ず〜と考えてるんだけども、この際、そっちのほうが興味があるんで。すみません。それで、性的介助のことと異性介護と、基本的に分けたほうがいいとは思うんですけど、両方ききたいんですね。

 男性障害者が結構、買春(かいしゅん)、買うほうですね、こっちのほうのを介助を、まあ一応、守秘義務がありますんで、僕はやったとかやらないとか言いませんが、これに対して、色んな・・・あの西宮のほうで6年ぐらい前に有名な議論があったんですよね。そこでフェミニズムの人らが「女性を買う自由ってのは認めない」っていうね。その後、「男性障害者に女を買わせる自由を認めない会」だかなんだか作ってて、いつか、その人達もいれて、まともに冷静に議論ができる場をセットしたいなあっていうのがあるんです。なぜかというと、ものすごい抑圧を、男性に限らず女性障害者も感じてるんです。それが一つと。

 それから異性介護の問題。これもかなり奥が深いんですね。僕の考えは、原則自由、それこそ、当事者同士が納得してれば、個人契約なんだから、まわりがとやかく言う問題ではないと。ところが障害者運動の中では、一つの掟みたいに、「同性介護をするべきであり、異性介護ってのはけしからん」みたいなのがあって。そうすると組織に頼って介助者をまわそうとすると、同性介助をむしろ強いられているっていう動きがあるんですね。そうすると組織に頼らならいで一人で暮らそうとすると、これ又男性介助者少ないと、男性障害者の場合は女性介助者をいれざるをえないとかね。そこらへんのレヴェルで、いろんな抑圧をうけていて。つい最近もね、女性の介助者で色々「なんで男性障害者の介助やってるんだ」って、そんな感じで批判されて、悩んでいたり。実際、好奇の目でみんな見ますよね。そういう周囲の目。これも一回キチンと議論したいなあってのがあるんですけど。あと、それと高齢者の介護の問題ってのもあるんですけど。女性に介護って仕事をまわされてきたと。今もよその嫁もってきて解決しようって問題があるんですが。

 一応、この二件、お願い――

 
 議論がややこしくなってあかんけど、まず整理せなあかんのは、まず異性愛主義を前提に言っているけど、男性でも女性でも障害者には同性愛者おるかもしれんから、同性介護はセクシャリティの対象でもある、そういう場合もあるわけよね。

 ただ一応、今は異性愛を前提にしたときに、同性介助をベイスにしています。そういう状況。ところが公的ヘルパー、案外女性が多いから、家事介助とかは女性ヘルパーとかよく来るよね。圧倒的に男性のほうが未だ少ないから。しかし、一応障害者の運動の中で基本的には同性介助、むしろ障害者当事者が求める場合が多いと思います。当事者も。運動としても、さっき言うたように、基本は同性であるべきやと。そうなっとると。僕やったら、男性の介護行ってるけど、その男性はやっぱり、女性にオシッコの介助をしてもらうのは基本的にはいや。できるだけいやがる。どうしてもないときだけ、援助をしてもらうみたいやけど、そこは彼なりの世代、彼の世代、彼個人のセクシャリティというか、小さい頃からつちかわれた価値観があって、そういのを恥ずかしいとこあるねんね。それはええ悪いじゃなくて、その人のもんやから。僕は基本的に、男性/女性とかいう二分法は揺らいでいく時期やし、それから男と女に友情あるかというたらあると思うし。恋愛と友情もつながってると思うし、絶対的に分けられへん。そういう理屈からいくと、介助は人間対人間のものやから、異性/同性という一つのメルクマールだけで分けるのは荒っぽすぎるいうのがあると思います。で、今は奇異に思ったり、それは良くないと言うのは、「二人になると、なんかおこるんちゃうか」とかいうレヴェルの低さがあると思う。それはある、原則として。しかし、もう一つの原則は、現状の身分、現状の僕らの意識、そこらへんを前提にしたら、やっぱり一人一人は違うから、例えば、男性の障害者がいて、どっちがいいのか、どっちのほうがいいのかいうときに「俺は女性がいい」って言うのは、エッチな気持ちあるかもしれんけど、そらやったらあかんことはあかんと、セクハラとかね。そこは、やっぱ、お互いチャント勉強したりするっていうことが前提で、しかし「同性のほうがええ」というたら同性が、「異性のほうがいい」と言うたら異性が保証されるようにしようよ。異性を選んだからあかんなんてことはいえない。それもたぶん将来的なこと、個人的に選べるとか、親しい介助をね。最低のところはね。それが基本やろうと思います。それで、まっ、話し、又後で言うてから忘れたことを言いますが。

 もう一つの男性障害者・女性障害者が自分の性的欲望で、どう満足させるか、なかなか恋人ができにくいとかいう状況があったり、そういうとき買春、買いに行く、特の男の障害者が買いに行くというということが一部あるのはあると。そういうのはタブーなってたり、知られてなかったりする。ところがそれを言うと、フェミニストが女性を買う自由を認めないっていう意見もある。僕はですね、基本は、僕自身が例えばオナニーをするときにもつ妄想、アダルト・ヴィデオ的な写真やとかゆうのとつながってますから、買春も。自分はそういうのができる。あるいは、自分は、恋人、今はいる。それでいないやつは、いないからあかんやろう、我慢せえ、とだけは単純に言えないと思う。僕も全体の商品化の中に生きてて一部かかわってるときに、障害者男性だけはできない、言わへん。僕はね、介助の基本はロボットやと思う。健常者が介助するときに。プラス・アルファは心のこととか次ぎでてくると思うけど、まず最低は金による労働の提供であり、ロボット的でいい。だから障害者が車椅子で自分を人に秘密で自分の車椅子でガーと買春行ったとしても、誰も知らんかったら、彼は隠れて行ったっていいわけやね。誰も知らんかったら、そういうときに介助者が押す役割あったりしたら、「介助として来てくれ」と言われたら、基本は、僕は行きます。で意見求められたら、僕なりの意見を言うしね。しかしオナニーするときの延長の一つとして、そういうのをするのも、僕は認めざるをえない段階やと思う。それは、障害者、健常者関わりなく、今の買春文化みたいなものをどうしていったらええのかいう運動が一方で広げて行って、そういう情報が障害者とか介助者色んな人にも行って、そういう中で「やっぱり、行かんどこかな」とかいうような気持ちが出てきたときには、行かんでもええと思うしね。だからそれを制度として作らなあかんとか、障害者はかわいそうやから提供せなあかんとか全然思わへんで。

 基本は、僕はなんでシングル単位言うかというたら、一つはね、そうそう皆がええ恋愛というか、いつも好きな人と相思相愛なり、セックスもピッタシでいっつもラヴラヴで死ぬまで完璧というの、非常に少ないと思う。人生の瞬間あればラッキー、その瞬間が長い人はかなりラッキー。しかし自分はラッキーって思ってても、相手は我慢しているかもしれんっていうのを自覚しようっていうのがシングル単位の強調していることやしね。健常者でもてない男いっぱいおるわけでしょ。もてない女いっぱいおるわけです。基本は、それを受け入れるような人間ならなしゃあないやん。今まであてがうような形での結婚制度はおかしいから、かなり人はさびしくて、基本は性的欲望もオナニーで我慢するしかない。それぐらいはベイスにしようや。その上でしかし人が恋愛してセックスするのもありやしね。しかも恋愛と同情とかがゴチャゴチャしてるときもあるし。もしよ、僕は非常に難しい状況やけども、女性介助者が、僕に「ちょっと胸さわってほしい」とかもしも言うたりして、二人のあれやったら、僕は手伝うかもしれない。ちょっと分からんけど、すごい信頼関係あったらするかもしれへん。それはでも恋愛という形でスティディに関係をつくるのではないかもしれへんけど、そういのもありやと思う。それは話し相手なるということと一緒で。そこを、性だけは絶対やってはいけないというのは、決められてる当事事者二人の問題や。そういうのを第三者が「ええ/悪い」とか決めるのではなく、原則、二人が同意すればなんでもありでいいんちゃうかな、とは思います。

 
 すごくうれしいです。まず伊田さんが介助者だったというのは僕は初めて知った。すごい親近感をもつ。それから異性介護ウンヌンという問題について、羞恥心てやつの、それが障害者運動の中で施設で異性介護を強いられているって問題があって。それから羞恥心を感じない障害者当事者いるというか、まわりが社会的にそうさせてるんじゃないかと。  
高齢者介護でもね、そう言われてますよね。しかし人によっては、それすごい羞恥心がある人がいるんですよね。  
 それがあるから、ある程度のルールとかモラルとか必要なんじゃないかという論理があるんですよね。特に母親とずーっと長く介助される関係にあると、羞恥心とかそういうのが分からなくなってしまうんじゃないかとかね。  
 もし本人に羞恥心がないから異性でも同性でもいいよというのなら、それでいいんじゃないの。(羞恥心が)ある人があるにも関わらず、施設やからというて、ガーッとおじいちゃんとかが女性の施設で集団で順番に風呂いれるとき、いつも女性やとか。あるいは男性介助者がおらんから、今日は女性やとかいうて、強制されることを障害者が内面化して「しゃあないな」「人手足りへんしな」とかいう我慢はできるだけせんでもええような状況にしようやというのが運動の方向です。  
 ただ、まあ、性のことって、そんな単純じゃないですよね。ただ単に主体と主体とがいい関係にあるとかいうのじゃなくって。
 例えばロリコンとかいう話しもあるでしょ。あの人らの欲望っていうのは、言うたらば純粋なもんであって。でもそれは法律と抵触するとかね。性のことを、その人の自己決定ってドンドン肯定していくと、どうしてもやばいゾーンに入っていくと思うんですよね。それは全面的に肯定していくのかどうかというのが興味があるんですけど。
『シングルズ・ネット』45号(2000年1月号)に載ったのは、ここでの発言とはかなり違っていた。誰が修正したんやろ? 彼か?
 あっ、すみません。私、誤解をまねくような言い方をしましたけどね、私は別に買う側の権利を認めようとか、そういうのじゃないんですよね。

 あくまでも、女性の選択の幅を広げようっていう考えなんですよね。だから例えば、私は絶対いるなとにらんでいるんですけどね、例えばフィリピンやタイからの女性でね、「日本の農家のお嫁さんになってジジババ同居で下の世話してなんていやや」と。「それやったらまだ水商売やって金を稼ぐほうがマシや」って選択する女性がいないわけないんですよ、絶対いますよ。だからセックスワークをやって短期で金を稼ぐんやって選択する女性もたくさんいるでしょうから、そういう女性の選択肢を考えていこうって考えで。別に買う側の権利なんか、全然考えてないんですよね、私、そういうの。

 だから、買いたい男の人がいて、でも世の中に「売るのなんか絶対イヤヤ」っていう女性しかいなかったら、そのときは男の人もあきらめなしゃあないんちゃうって考えもってますよ、絶対。

 だからロリコンのなんか、例えばフィリピンやタイで10歳ぐらいの子どもらが売春してて、セックス・ツアーで日本やアメリカやヨーロッパ、アメリカから来てるといわれましたが、子どもの選択なのかというたら、絶対違う。貧しくって、それやるしか生きていけないってことで売買春をやっている子らがいてるし。売る子どもを罰則規定で罰するんじゃなく、例えば月10万円与えられて、それで生活できるというのなら、売買春しなくていいっていうのなら、じゃあお金の援助をしていこうって考え方で。

 でもなんか20代・30代の女性でね、結婚よりもましやとか、パートよりもましやと選択肢を選ぶ女性達がいて、セックスワークをしていく上で売春防止法がどうしてもじゃまになるとかいうのなら、そのことを考えて行ったほうがいいって。

 私は別にね、買う側の権利とかロリコン男のフィリピンやタイで買いに行く権利とか全く考えていないです。

 
     

 

 

 

 


 

 ついでだ。私のホウムヘルパー2級受講して、特別養護施設での実習体験した体験記を。よかったら読んで。職員が老人達を男女関係なく介護をしています。ハッキリ言ってショックきつい。私、介助は同性からしかイヤヤ〜。ただ、職員さんたちは立派やし、頭下がりますよ。

 

 


 

 Yさんがテイプにとり、何人かでテイプおこしの分担。Oさんの番のこの部分も私が担当。
で、それをメイルで、皆に送り、Yさんの編集で『シングルズ・ネット』45号(2000年1月号)と46号(2000年4月号)に、前半、後半に分けて掲載。

確信犯?シングルの会の会報『シングルズ・ネット』(年会費2,000円 連絡先 〒552‐0003大阪市港区磯路2-16-16 )

Eメイルでの受付と販売をしたらいいのに、中心のYさんが機械が苦手なんやて。

 ドーンセンターの本屋でも売ってる。

 


 『シングルズ・ネット』45号(2000年1月号)への、私の批判。

 講演会が始まる前、打ち合わせも終わり、楽屋みたいなとこで、ウダウダしてたら、
Hさんが「ところで子供の問題はどうなるの?」って。
 へっ? 子供? 唐突に言われ、面食らう私。なに?
 H「子供!」
 私?
 H「売買春肯定って?」
 私「はい」
 H「子供は?」
 私「それがなにか?」
 H「・・・・子供の・・・売買春・・・・・・ロリコン・・・・どうするの?」
 私「ロリコン野郎の、子供への買春ね。私、それも、法律で警察が禁止するのには反対。タイとかフィリピンの貧しい子に福祉が充実して、子供が売春する必要がなくなるって方向にいってほしいな」
 H「長いこと生きてて、たいがいのことには驚かなくなったけど、それでも驚き。あ〜もうビックリ」

 で、伊田先生の講演会の始まり。

  で、Hさんの意見。(↑上の通り、発言したのね。私が一字一句正確にテイプおこしした)。
 で、私の反論。
 それから次ぎのコーナーへと。
 こういう流れやったのね。

 で、Yさんがテイプ録音したのを、ダビングして私に送ってきたのね。で、私がテイプおこししたのを、編集担当のYさんにメイルで送ったの。それ全部を載せられないからかなり短縮したのね。それからどうなったのかは分からないけど、Hさんの発言がかなり変わっている。
 ★ 編集のYさんが修正したのか?
 ★ 編集のYさんが、他の発言者全員にメイルで送り、Hさんもそれを読んで後で「まずいこと言った」と反省し、修正したのを、山崎さんに送ったのか? 

 Hさんの発言が修正されたのが『シングルズ・ネット』45号(2000年1月号)に載ったせいで、私の反論がかなりかみあわず、おかしなことになったなあ・・・・