ピルが解禁されると、女性の立場が悪化するか?
ピルを飲む女性
★ 腐れ淫乱
★ 男性に強制された哀れな女性
どちらも、あまりにも無茶な二元論です。
どちらも女性が自分からセックスしたいという欲望を肯定していない。
ピルを飲む女性 → 腐れ淫乱
アメリカでは、反中絶、反避妊、婚姻外セックス反対の純潔運動が勢力をもっています。その内の一つがAMERICAN LIFE LEAGUEです。コンドームすら、避妊としても性病予防としても完全じゃないと欠陥をあげつらって全面否定、「結婚まで禁欲あるのみ」と主張。日本の反ピル運動は、そこから反ピルの部分だけいただいて主張しています。
日本では、コンドーム全面賛美、ピル全面否定という、異常な主張をするのがいます。
これは、男女の二重基準の影響もありますね。
反中絶、反避妊、婚姻外セックス反対の純潔運動を男女両方に教育していこうなんていう主張は、日本の男性たちにはまず受け入れられないでしょうね。
ピルを飲む女性 → 男性に強制された哀れな女性
松沢呉一『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)2000年
RURIKO『確実な避妊法』『望まない妊娠・中絶と女性の人生について』
SA『避妊の歴史』
藤目ゆき『性の歴史学 公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優生保護法体制へ』(不ニ出版) 1997年3月25日初版第二刷(普及版)発行
匠雅音HP『匠研究室』
捧げます
身体をはった超弩級の重労働としてのセックスか、喜びとしてのセックス
昔の女性は、永久就職として結婚するか、娼婦になるか。選択肢が限られていた。喜びとしてのセックスができるのなんて、本当に極特殊な贅沢な女性だけだったのです。
処女で、安定した経済力のある男性(性的魅力なんて二の次)と結婚し、お勤めとしてのセックスをする女性たち。
かつての避妊技術の貧弱だった時代の欧米では、義務としての世継ぎを産んだら、夫からのセックスを拒否する女性運動がありました。永久就職として、ブサイクやジジイと結婚するしかなかった時代の女性のための運動ですね。
セックスは夫とだけで、夫からセックスが求められなかったら、もう全然セックスのない女性たち。 浮気なんて全く縁のない女性たち。
夫の浮気は、社会的にも容認されてきていた。夫が、年取った妻とのセックスを嫌がり、外で若くてキレイな女の子たちと遊ぶ。
女ばかりが容姿や加齢のことを嘲笑され、女ばかりが貞節を要求されて、その枠からはみ出すと「腐れ淫乱」と罵倒され。
それでいて男は浮気も容認されて、世の中には男性向けに性風俗産業が発達していて若さと美貌のある女性たちがいくらでもお相手してくれて。
女性に反ポルノが多いのは、ほとんどの女性が自分が性の商品化をできる立場なんて想像できず、客になるとも思えず、しいてあげれば客の妻としか想像できない。
純潔運動の推進者が、若い女に夫をとられたり比較対照されておとしめられて苦痛の女性たちなのですね。
男たち相手に性を売る娼婦たち。
好きでもない男相手に性のお相手をする。食い物にされて可哀想。女性からしたら気分悪い。
性で労働をして金を得て、自立をつかめ!
汚ねーオヤジ相手に金を儲けて、ホストクラブでキレイな男に金を払う女性たち。セックスが労働でもあり、喜びでもあり、その両方なのね。
女ばかりが容姿や加齢のことを嘲笑され、女ばかりが貞節を要求されて、その枠からはみ出すと「腐れ淫乱」と罵倒され。
それでいて男は浮気も容認されて、世の中には男性向けに性風俗産業が発達していて若さと美貌のある女性たちがいくらでもお相手してくれて。
男は自分のことを棚にあげて、女性たちに対して容姿や加齢などで言いたい放題。気分悪い。娼婦どもが男たちを甘やかすからだ。そのせいで私たちまでがひどい迷惑をする! 娼婦ども、さっさと消えろ!
私は考えが変わった。
女だって、ブスだってババーだって、金で男にセックスしてもらってもいい。
客だって、容姿や年齢や社会的地位等の商品価値で、セックスワーカーたちから厳しい選別に直面する。市場の原理で身の程にあった結果をつきつつけられる。できる限りの努力をしないと、決していいサーヴィスを得られない。
自分から望んでセックスしたがる女性たち。私は全面肯定しますよ。
今の女性は、永久就職としてブサイクやジジーとの結婚するのなんか拒否するのが増えてきています。そして独身でも、ごくたんまにいいことあればいい。40過ぎの女性が「10いくつも年下の金城武そっくりの男性といいことあったの」ってうれしそうに言っています。
自分から望んで、若くてキレイな男の子とセックスしたがる女性たち。
芸能界やスポーツ界の大スターの性欲処理を自分から望んでしたがる女性たち。
「もてないから無理」な女性たち。
女だって、若くてキレイなホストの客になって、金でセックスしたらいい。
実際、自分の意志でホストなるやつがたくさんいます!
避妊用低用量ピルを禁止するのは完全な間違い。
「女性の立場が弱い」からって、セックス、結婚を全面否定して禁止するか〜? 私はそんな考えには全く反対ですよ。
日本の男の意識「中絶暦のある女と、避妊用ピルを飲んでいる女とでは、まだ中絶暦のある女のほうが可愛げがある。ピル飲んでいる女は遊んでいそうでイヤだ」
日本のフェミニストってどうしてああもクソばっかりなんだ〜? 日本のクソフェミニストたちこそが、男性中心社会で植え付けられた性への罪悪感を疑いもなく身につけている。クソフェミどものピル解禁反対の論理がそうだ。
匠雅音HP榎木美沙子『ピル』1973年書評
わが国のフェミニズムは、女性は弱者であり、被害者だと主張し続けた。そして、女性がセックスを楽しむことから、目をそらし続けた。そのため、女性が主体となるという発想は、とうとう生まれなかった。 本書の刊行から26年後、1999年の6月になって、やっとピルが解禁された。それも女性運動の成果と言うより、バイアグラの発売を急いだ厚生省の対抗措置といった傾向が強かった。ピルは女性の意志だけで、男性に気づかれずにできる画期的な避妊方法だった。しかし、わが国のフェミニズムは、いまだに女性がセックスを謳歌することを許さない。セックスで女性も男性と対等になるためには、女性の主体的な避妊が不可欠でありながら、目をそらし続けている。だから、いまでもピルについて語りたがらない。 |
匠雅音『性差を超えて 働く女と男のための栄養剤』(新泉社)1992年 →「第二部 性交の社会学 11・大胆な避妊」 HP転載
工業社会までの女性にとって避妊は、性交の時になって、はじめて考えることであった。性交するかどうかも判らないのに、常に避妊していることは、常に性交を予期していることである。それは男性の領域を犯すことだった。常に避妊した体をもち、性交の主導権を握ろうとする女性は、色情狂のそしりを免れなかった。もちろん、妊娠させても男性には何の責任もない売春婦は、淫らな存在そのものであった。例外は、片時も性交せずにはいられない、盲目で情熱的な恋人たちだけだった。
工業社会までの性交は、男性から誘うものであった。だから、必然的に避妊の役割も、男性にあった。避妊に失敗し、女性を妊娠させると、男性は責任をとれと、当の女性からだけではなく、社会から要求された。今まで、多くの女性にとっての避妊法とは、性交を拒否することしかなかった。 性交は両性が平等にかかわるものだから、男性からしか誘うことしかできないこと自体が不自然である。台頭する女性は、人間性の全的な回復をめざした。男性と同じ性交する自由の獲得も、同時にめざした。そして、それを獲得した。それと同時に女性も、避妊の役割を男性と同等に、引き受けざるをえなくなった。その時、科学の進歩は、避妊するために、性交の時に特別な手続きをなくすことに、とうとう成功した。ピルによって、性交と避妊が関係なくなった。ピルによって女性は、常に避妊している体になった。 |
匠雅音『近代の終焉と母殺し』 HP
男性が神を殺して以降、男性は好色となったが女性は淫乱にとどまった。しかし、女性が神殺しに参加してからは、女性も好色の世界へ入った。だからフェミニズムは、女性の性意識を観念の支配下へと誘い、
「はてしなく欲情し、はてしなく奪え!」123 と、女性も男性と同じ性交の自由、つまり性交しても妊娠しない体を求めて立ち上がった。ちょうどその時、偶然は女性に味方した。手軽で確実な避妊方法つまりピルの登場が、女性の好色さを支えて、それを加速したのである。ピルをのめば妊娠しない。ピルによって、それまで男性だけに許されていた性交の自由が、女性にも解放され始めた。わが国ではやっとピルが解禁されてた状態だが124、西洋諸国では女性は性交しても妊娠しない体を、すでに獲得している。 情報社会の入り口に立ったわが国でも、やっとピルが解禁され、女性にとっても性交は観念の支配下に入り、女性も確実に好色化している。その社会的な表現が、純潔貞操教育の放棄であり、処女性の嫌悪であり、売春への素人の参加であり、出生率の低下である。すでに男たちは父を殺している。今、母が殺されている。近代の入り口で、男性が神を殺し父を殺したとすれば、電脳的機械文明の誕生と共に、女性が母を殺し神の死にとどめを刺している。 |
松沢呉一『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)2000年
これは、売買春否定派を徹底批判した本。だけど、売買春否定派の論理は、ピル解禁反対派のクソぶりと一緒だ!
その筆頭が、宗教を根拠としたそれである。(中略)
続いて、既得権を失いたくない多くの男たちとそこに媚びる女たちの立場だ。(中略) そして、もうひとつ、最もねじれて矛盾に満ちた立場がある。表向きは家父長制度を批判し、男女は平等であるべきとしながら、売買春を否定する立場だ。特に女たちに加えられてきた性の抑圧は、今も人々を呪縛している。家父長制度を壊そうとする女たち男たちが登場したことはいいとして、彼らは売春をする女たちを蔑視しないことでこの構造を否定するのではなく、売春をする女たちをなきものにすることでしか否定し得ないと信じ込んでいる。この点では、やはり売防法を支える発想でしかなく、売防法が一体どれほどの効果があり、どれほど女たちを解放し得たかを考えればおわかりのように、この発想は女性に加えられた性の抑圧を解くものでは決してない。 |