日本の避妊・中絶・売買春の歴史 (大まかな流れ)
1603 | 徳川家の江戸幕府 | ||
1646 | 三代将軍家光、中条流女医者の堕胎禁止の町触れを出す | ||
1680 | 綱吉、堕胎禁止の町触れを出す | ||
1827 | 日本へ江戸・文政期に、オランダからコンドームが輸入。 | ||
1844 | ゴム製コンドームは、英・ハンコック社と米・グッドイヤー社が開発。 | ||
1865 | |||
1868(明治元年) | 明治維新 | ||
1869(明治2年) | 2月産婆の堕胎・売薬の取り扱い禁止 | ||
1872 | 日本で娼妓解放令。 | ||
1873 | 米国のニューヨーク悪徳撲滅協会(New York Society for the Suppressin of Vice)の書記アンソニー・コムストック(1844〜1915)、連邦議会に働きかけ、「不道徳目的でのわいせつ文書・物品の取引・流通撲滅法」、いわゆるコムストック法(「わいせつ」とされる郵便物を検閲し、その郵送を禁止)通過させる。 | ||
1882(明治15) | 堕胎罪規定される。 | ||
1885 | ドイツの医師メンシンガ、女性の子宮に蓋をする避妊器具ペッサリーを発案。 | ||
1889 | 明治憲法発布 | ||
1894 | 〜15日清戦争 | ||
1897(明治30) | 伝染病予防法公布、施行(1998年9月25日感染症予防法可決成立。1999年4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された)。 | ||
1898 | 明治新民法公布 | ||
1900 | 内務省、「娼妓取締規則」公布。 | ||
1904 | 〜05日露戦争 | ||
1909 | 国産コンドーム1号「ハート美人」 | ||
1910 | 日韓併合。警視庁に特別高等警察、新設。 | ||
1914 | 米のマーガレット・サンガー、月刊誌『ウーマン・リベル(女反逆者)』を発刊し、避妊への意識を高める活動を始めたが、コムストック法(「わいせつ」とされる郵便物を検閲し、その郵送を禁止)で起訴され、英国逃亡。 | 第1次世界大戦勃発!日本も日英同盟によってドイツに宣戦。 | |
1916 | マーガレット・サンガー、米国へ帰国、不起訴。NYで初の産児制限専門クリニック開設し避妊方法の研究・助言したが、9日で警察に連行、裁判、30日の懲役。コンドーム開発。 | ||
1918 | 第1次世界大戦終結 | ||
1920 | 8月米国で女性の参政権。 | ||
1922(大正11) | 3月日本政府は、マーガレット・サンガーに、「滞在10日間のうち、産児制限というようなことは一切口外しない」という条件付で日本上陸許可。 | ||
1924(大正13) | 荻野久作博士による「人類黄体の研究」という「荻野学説」の基礎を発表。 | ||
1925 | 4月思想・結社の取締法、治安維持法公布(施行は5月) | ||
1928 | 特別高等警察、全国都道府県で設置。 | ||
1930 | |||
1931(昭和6) | 6月「有害避妊器具取締規制」施行。 荻野久作、自分の学説を応用して、受胎を調節する論文を学会誌に発表し、その学説は世界中に衝撃を与え、その学説を参考にしたオギノ式避妊法だけはカトリックの法王も特別に認めたとか。 |
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1932 | 子宮内に挿入する避妊具IUD(Intra Uterine Device)がヨーロッパで開発。それに影響を受けた太田典礼(てんれい)(1900〜1985)も、それを応用した「太田リング」を開発(当時のIUDはリング状の形態をしていて、挿入には頚管(けいかん 子宮の入り口)を拡張して入れなければならない閉鎖型IUD、いわゆる、第1世代IUD)。IUDが欧米で解禁されおおいに利用されていたのとは違い、日本では長いこと禁止されていました。IUDが厚生省に認可されたのは、なんと1974年。 | ||
1934(昭和9) | マレーシア産の天然液状ゴム(ラテックス)製の薄いコンドーム商品が開発 | ||
1937 | 日中戦争 | ||
1938 | 1月産児制限相談所閉鎖、産児調節弾圧厳しくなる | 4月「戦争のため国家に全てを捧げよ」国家総動員法発令 | |
1939 | 9月独、ポーランドを急襲。英、仏、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦勃発。 | ||
1940 | 国民優生法(遺伝性精神病や強度の身体疾患がある人間に優生手術を行なって子どもを産めなくすることを合法化)。 | ||
1941 | 4月人口政策要綱「婚姻年齢を早め、一夫婦平均五児を目標」(産めよ殖やせよ政策) | 12月日本、ハワイの真珠湾攻撃して参戦 | |
1945 | 8.18 内務省、地方長官あて占領軍向け性的慰安施設設置を指令。8.26接客業者らRAA(Recreation
and Amusement Association)(特殊慰安婦施設協会)設立。「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。」の接客婦募集広告、銀座に現れる。8.27最初の施設、大森海岸の小町園に開業。 9.28*連合国側最高司令官、東京都公衆衛生局長に対し「女の調達」命令 |
8月日本敗戦。 10月治安維持法・思想犯保護観察法廃止。特別高等警察解体。 12月17日衆議院議員選挙法改正公布(婦人参政権など)。 |
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1946 | 1月*連合国側最高司令官、公娼制度の廃止指示。 3.10*連合国側最高司令官、性病蔓延のためRAAおよび集団売春街に米兵の立ち入り禁止 |
11月日本国憲法公布(1947年5月施行) 4月10日新選挙法による戦後初の、第22回総選挙で、加藤シヅエら女性39人当選。 |
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1947 | 4月男女共学、6・3制義務教育開始 10月不敬罪、姦通罪廃止公布(施行は11月) | ||
1948 | 7月国民優生法の廃止に伴い、優生保護法成立「不良な子孫の出生防止と母体保護を目的」に、「優生手術(いわゆる不妊手術)」と「人口妊娠中絶」の規定が記された。 | 文部省、純潔教育の通達 | 朝鮮が日本から独立してそれぞれ、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国に。 |
1949 | 1月20日優生保護法施行令公布 4月26日厚生省、避妊薬許可基準決定 5月5日厚生省、避妊薬の市販をエーザイ、山之内製薬などに許可 5月31日優生保護法改正(経済的理由による妊娠中絶認める) |
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1950 | 6月朝鮮戦争勃発 | ||
1951 | |||
1952 | 5月優生保護法改正(指定医の認定だけで中絶ができるようになった)。受胎調節実地指導員制度発足 | *連合国側最高司令官、解散 | |
1953 | 北朝鮮と韓国が停戦協定 | ||
1954 | 4月日本家族計画連盟結成。 | 6月自衛隊発足 | |
1955 | 7月受胎調節実地指導員の避妊薬販売を認める特例決まる(優生保護法改正)。 10月東京で開催された第5回国際家族計画会議で、ピンカス博士はプエルトリコの女性を対象に、黄体ホルモン剤300mgを用いた臨床成績で、確実な避妊効果があったことを発表(←経口避妊薬の原点)。 |
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1956 | 4月売春防止法、国会可決 | ||
1957 | |||
1958 | 4月売春防止法、全面実施 | ||
1960 | 米国のFDA、ホルモン配合剤「エナビット10」を経口避妊薬として承認。 | ||
1961 | アンネ・ナプキン発売 | ||
1965 | |||
1966 | |||
1967 | 英国で妊娠中絶法制定 | ||
1969 | |||
1970 | |||
1972 | 5月優生保護法改正案国会へ提出、審議未了廃案 | 5月沖縄返還 | |
1973 | 1月米国テキサス洲の妊婦がおこした中絶の権利を求める裁判で、連邦最高裁は全米での中絶を認める判決(それまで多くの州では中絶は違法だった)。 9月優生保護法改正案再び国会上程、継続審議となる。 |
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1974 | 5月優生保護法改正案審議未了で廃案 8月避妊リングが初めて解禁 | ||
1975 | |||
1976 | 1月厚生省の通達により、人口妊娠中絶は妊娠6ヵ月までに。 | ||
1977 | 厚生省、新型IUD(リッピズループ、FDI)認可 | ||
1978 | 世界初の配偶者間での体外受精児、英国で誕生 | ||
1979 | |||
1980 | 11月優生保護法39条可決 | ||
1983 | 10月日本初の体外受精児誕生。 | ||
1984 | 英国で女性用コンドーム開発 | ||
1985 | 世界初の他人の卵子・精子での人口受精児、ベルギーで出産。 | ||
1986 | |||
1988(平成2) | エイズ予防法成立(1999年4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された) | ||
1989(平成3) | フランスで、自然な流産を誘発する抗プロゲステロン作用を持つ人工妊娠中絶薬「RU486」が市販された。 | ||
1990 | 12月10日米国FDA、女性の上腕部に埋め込むだけで、5年間にわたって避妊効果が得られる避妊具「ノープラント」の使用を許可。 | 8月、イラクがクウエートに軍事侵攻で湾岸危機 | |
1991 | 1月、米軍を中心とする多国籍軍はイラクおよびクウェート領内のイラク軍戦略拠点に爆撃を開始、90年8月2日のイラクによるクウェート侵攻に端を発した湾岸危機は、ついに湾岸戦争に発展した。4月自衛隊掃海艇派遣。10月、カンボジア紛争に幕 | ||
1992(平成6) | フランスの医薬品販売業者がフランスとスイスで女性用コンドームを販売。 10月米国FDAは、1度の注射で3ヶ月間、避妊ができる新避妊薬を認可したと発表。Depo-Provera(デポ・プロヴェラ) |
6月PKO協力法が成立 | |
1993 | 米国FDA、女性用コンドーム認可。 | ||
1994 | 国連主催の国際人口開発会議、エジプト、カイロで開催。女性のリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)の保証を取り上げた。 | ||
1996 | 6月優生保護法から母体保護法へと改正 | ||
1997(平成9) | 5月国連人口基金、『97年版人口白書』を発表。リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)の保証を全面的に取り上げた。 | 台湾の台北市長が公娼制廃止し、公娼制存続を訴える娼婦たちや支援者たちが抗議。 | |
1998 | 9月2日米国FDAが薬品会社ジネティクスに対し、事後に服用する経口避妊薬セットの販売を初めて認可。 | 京都でUNIDOS(ウニードス)結成。 | |
1999(平成11) | 6月2日中央薬事審議会・常任部会で承認を「可」とする答申、厚生省(宮下創平厚相)、低用量混合型ピル認可(9月一般利用可能。ただし低用量混合型ピルの内、第三世代のピル「マーベロン」(日本オルガノン(株)申請)については、厚生省が「処方にあたってはその他のピルが適切でないと考えられる場合に投与を考慮する(第一選択薬とはしない)旨を添付文書に盛り込むこと」との通達を出すようにしたので、マーヴェロン社と決裂、一般販売しないことに)。 7月厚生省、銅付加IUD認可(2000年1月、日本オルガノン社一般販売)。 9月低用量混合型ピル一般利用可能。 11月厚生省、女性用コンドーム認可(大鵬薬品興業が一般販売するのは2000年4月から)。 ドイツで経口中絶薬RU-486認可。 |
4月1日、エイズ予防法、性病予防法、伝染病予防法は廃止され、感染症予防法に一本化された 11月1日児童買春処罰法、試行 台湾の台北市長が公娼制廃止し、公娼制存続を訴える娼婦たちや支援者たちの抗議により、2年間の猶予期間の設定。 |
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2000 | 1月銅付加IUD、日本オルガノン社が輸入販売。 スペインで経口中絶薬RU-486認可。 4月女性用コンドームが大鵬薬品興業から「マイ・フェミィ」の商品名で販売開始。薬局でも普通に買えます。 |
1月松沢呉一とUNIDOSその他仲間達と『売春全面肯定宣言! 売る売らないは私が決める』を発行。 |
▽米国食品医薬品局(FDA) 米厚生省に属し、米国が生産・輸入する食品や薬品、化粧品などの品質を管理する国家機関。責任者に対して製品の改善や自主回収を求めることができる。職員数は9000人で、うち1100人が捜査・調査官。
▽中央薬事審議会 薬事法に基づき、薬事に関する重要事項を調査・審議するために設けられた厚生大臣の諮問機関。新薬の承認や医薬品の再評価、副作用の被害認定などについて答申する。常任部会のほか医薬品、血液製剤、安全対策などの特別部会がある。
*連合国側最高司令官 第二次世界大戦で、米軍に敗戦した日本は、米軍の占領下におかれた。それを日本では、マッカーサー元帥率いる「進駐軍」「GHQ」って呼ぶでしょ。
ところが副島隆彦によると、本当は「SCAP エス・シー・ピー・エー(Supreme
Commander for Allied Powers シュープリーム・コマンダー・フォー・アライド・パワーズ)、連合国側最高司令官」だって。「アメリカでは今でもマッカーサー統治時代の日本の軍事政府のことをSCAPと呼ぶ」って。
皇居の前の第一生命ビルに「連合国総司令部」を設置して、「GHQというのは、占領時代に米軍兵士たちが自分たちの司令本部のことをそう呼んだのを、ここに出入りした日本人の官僚や新聞記者たちが思い違いをしたままつかったのだろう」とのこと。