淀川長治 追悼
98年11月、とうとう淀川先生が亡くなった。知り合いが「ショックでした」って。でも私には、もうそろそろやろな・・・で長年来て(森繁も。マスコミ各社は既に追悼用の資料はバッチリ用意済みやろ)、熟しすぎた柿がとうとうポトッて落ちた感じ。
私がまだほんのちっちゃな子供の頃から、先生は既に年取ってた。
母「淀川さんが独身の理由はね、昔の女性はお家制度の犠牲で悲惨やったから、息子が「お母さんカワイソウ」で、よう結婚できなくなるのよ。他にも寅さんの渥美清さんがそう。まあ、あの人は年いってから結婚したけど」
ふ〜ん・・・
「ホモや思ってたでしょ」
うん!
「ホモやないのよ」
私、かなり物心つくようになって、先生が『日経』やら『赤旗』やらアチコチで連載で自伝を書いていたのを目にし、それと本としてまとまったのも読んだけど、いっつもいっつも最後の締めが「私はもう死期が近いから、最後に言い残しておきますね。私がこの年まで独身やった理由は・・・」 もういやっちゅうぐらいこの話してたな。
で、私が映画オタクになり、結構、淀川先生の映画評論もどきもチェックするようになったけど、先生、ゲイ関係になるとグオーッと燃える燃える(笑)。なんと言っても、お気に入りはゲイの監督ルキノ・ヴィスコンティ。ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』はゲイの映画だって解釈するし(『ミステリーサスペンス洋画ベスト150』文春文庫)。でもそれはまだ冷静な評論だった。
『トーチソング・トリロジー』なると、もう涙涙、これで泣かなきゃ人間じゃないよ〜ってすごい過剰さやった。昔、ゲイってどんだけ抑圧されてたかーっ!って感じ(笑)。
外国でも日本でもゲイがいきおいづいてきて、先生、もうアチコチの雑誌の映画評論等で燃え燃えで、だんだん自分の性をほのめかすようになってきた。
私、結構大人なって、親孝行な私はさっそく母に「ママ、ずっと前、淀川先生の独身の理由を、封建的なお家制度のせいやって説明してたけど、先生、自分はホモやってさりげなくほのめかしてきたで。それにねえ、寅さんの渥美清もほんまはホモらしいで」
最初は目を三角にして怒ってた母も、次第に笑いながら「そういや『寅さん』でホモの場面あったわ」って。「○○くん(甥っ子)がお風呂でホモにせまられるの。○○くんギャーッ!って」。
山田洋二監督もその気ありかもね、なんて盛り上がった。ホノボノ・・・ああ楽し。
『驚き桃の木』か『知ってるつもり』かなんかで、一時期やけに次々とまだ存命中の淀川先生の生涯が取り上げられた。新聞のTV欄で「今明かす私が独身だった理由!」
そうか〜ふっふっふ・・・とうとう明かすかって楽しみに見ると、
「母を苦しめた淀川家への復讐のため・・・」
コラーッ! それ、今までいやっちゅうほど聞かされたわ!! ほんまのこと聞かせろっちゅうねん!!!
又別の番組でもタイトルが期待させて、今度こそって見ると又「母を苦しめた淀川家への復讐・・・」
これTV局も分かってて狙ってるな(笑)。
それからたまたま『噂の真相』を立ち読みすると、ある映画のパンフレットかなんかで外人からのインタヴューでゲイをカムアウトしたって。クッソ〜! 長年おっかけしてたスターを他のゲス女に奪われたような気分や。
淀川先生は出す本はスカスカのウンコ本ばっかり、『広告批評』でのオスギとの対談もひどいなど、晩節を汚しまくったけど、でもこの人の存在自体は面白かったわな。
あの、おちょくった書きようしてますけど、私、これでもある意味では愛してて、先生のこと、すごいチェックしてきたんよ。淀川長治がたくさん出した本の中から、数少ない面白く読める本を何冊か紹介しますね。これが私なりの淀川長治への追悼です。
一応、参考までに
→ ゲイの性風俗業界の人脈
ゲイの大物とゲイの性風俗業界と芸能界との勢力相関図
→ ゲイ説のある有名人手当たり次第 海外編
→ ゲイ説のある有名人手当たり次第 日本編
→ ゲイ説のある有名人たちとの交際をする女性たち 日本編
TVでオスギが「お正月映画のイチオシはこれよ!」って『ヴェルヴェット・ゴウルドマイン』。 「先生、最後に観たのが『ヴェルヴェット・ゴウルドマイン』と『イン&アウト』なのよ!」やて。 ああ、よかった(←なにがだ! でもこれ聞いて私も友人も爆笑したよ) 「先生から『これよかったから、又これについて盛り上がろうね』って伝言があったから又お会いできるのを楽しみにしていたのに、その直後に亡くなられて。残念です」 合掌。 淀川先生の感想 ←『アンアン』のマガジンハウス社のHPから |
これからもっともっとゲイ映画が登場するでしょう。それも前向きなのが。それと積極的に攻撃的に男を性の対象とするようなのもね。未来は明るく希望に満ちています。さあ、あなたも積極的に楽しみましょう(←何をだ!)
『ターミネイター』の解説「冒頭からいきなり男が素っ裸で登場するのよ。ま〜いやらしいね。ではお楽しみください」
先生も、お好きなゲイ映画を選んで教えてほしかったのに。ゲイ映画史を教えてほしかったのに。それも御自分の生きざまをまじえて。
まだまだ先生には、やり残したことがあるわよ。 BSで、若い子らを集めての先生の講演会を放映していたけど、先生には気の毒やけどもう全然つまらないの。フガフガフガ・・・・って力がなくって。もう速送りしてもうたわ。やっぱり、年いきすぎたらあかんわ・・・ |
追加1. | この文章の初出は、仲間とやってる海外の芸能記事専門の翻訳同人誌9号(1999年2月発行)。そしたらメンバーからお手紙が。彼女の許可を得て、一部転載。 | |
追加2. | 1999年10月31日『日曜洋画劇場』をながめていたら、最後の宣伝で、映画『淀川長治物語』が企画製作されているって! もう信じられない。死後の甘ったるい追悼本ラッシュもいい加減気色悪いのに。まさか、この調子で『水野ハルオ物語』とか続々企画されたりなんかせえへんやろな・・・ウ〜ブルブル。 まあ、でもゲイ暗黒時代に生をうけた方が、ゲイ解放へという時代の流れで解放されるという話しなら、感動的でしょうね。ゲイ映画史も交えて。それなら観たい! ゲイを明るく公表したオスギが登場し(『Mr.レディ Mr.マダム』のパンフレットで絶賛してたっけ)、大らかに美男スターにメロメロだった話しをして、淀川先生をビックリさせたりとか。 オスギ「私、もう子供の頃から、男が好きだったでしょ。お目当てはハンサムなトニー・カーティス」 淀川「ンマ〜!」 オスギ「女なんかどうでもよかったでしょ〜。ジャネット・リーなんかどうでもよかったでしょ」 淀川「ンマ〜!」 オスギ「パイパー・ローリーなんかどうでもよかったでしょ」 淀川「ンマ〜!」 オスギさんとの名コンビぶりも描いてほしいな(誰が演じるの?)。 次第に時代の流れにのって解放され、来日したシュワルツェネッガーに「素敵よ〜」って言えるようになれたのも描写してほしいな。 そしてついにゲイをカムアウト。 最後に観たのはもちろんゲイ映画。オスギさんの言葉で締めくくり。いいなあ。マジで観たい。 ↓ ついに観ました。1999年11月?日の日曜の昼3時ごろに放映のを予約録画で。まあ、夜のゴウルデン・タイムでやるほどのネタちゃうしね。 最後に、神戸大丸でイヴェントがあるって告知が。まだやるんかい! もうええかげんにしてや〜。甘ったるい追悼本ラッシュもたいがい気色悪いのに。なんてハッキリ書いたら非国民扱いされるかな? |
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追加3. | 1999年11月?日のニュースで(録画したのを後で見るから分からへんのな)、「淀川長治の遺産9億円」って! 土地、家の評価額に貯金とか総合した金額だって。 「税金に3億円とられて、残りは相続人へ」って、その相続人って誰〜?(映像は追悼式だけ) 姪の「アンアン」女編集長かな? それともおホモだちに? | |
地球が亡びても、淀川長治に関する追記と水野ハルオの映画解説と「笑点」は永遠に続いたりして・・・。 |